4話
次の日の朝教室に行くと葉山はもう来ていたが、誰かと話していた。やはり隙がないので遥は挨拶することなく席に着く。メッセージのやり取りはしているものの、直接話すことは難しそうだな、と遥は思った。
「桜井」
しかし、昼休みが終わると葉山は誰かに声をかけられる前に素早く席を立ち、遥の席までやって来た。富永と名前はまだ覚えてないが、1番葉山に話しかけていた女子の視線が遥に刺さる。
「葉山、どうしたんだ」
「昼、一緒に食べようと思って。もしかして誰かと約束してた?」
(え、なんで)
とは口には出せないし、正直に答えるしかない。
「いや、してない」
「良かった、清水は?」
「あいつも多分だれとも約束してないと思う。ちょっと呼んでくる」
遥は道連れを増やすために優太の席まで行って、やや無理やり引きずって来る。優太も葉山が来たことに驚いているようだ。
「え、何俺らと飯食いたいの?何で」
「知るか、本人に聞け」
優太は遥の言葉を間に受けて、本当に「俺らと食って良いの?他に葉山と食いたい奴らいるんじゃない?」と真正面から切り込んだ。
後ろとか、と優太は視線で富永達を示す。そのニュアンスで伝わったようで「ああ」と一瞬だけ葉山は向こうに目線をやった。
「誘われたけど断った。騒がしいの、あまり好きじゃないんだ」
「ふーん、葉山が良いんなら俺らは全然良いんだけど」
優太は言外に納得してない奴らがいる、と匂わせる。意図が伝わったのか葉山の雰囲気が少し変わった。
「俺が誰と飯食うかは俺の自由だよ?色々口を出されるのは…嫌だな」
声音と表情が急に冷たくなり、目もスーッと細くなった。威圧感のようなものが出て、遥は少し驚く。柔和な奴だと思ってたのに、こんな顔もするのか、と新鮮な気持ちになった。葉山の声は小さかったのに良く通る。後ろにいた彼らにも聞こえていたらしく、敵意の籠った視線がほんの少しだけ和らいだ、気がした。
ここだと視線を集めて落ち着かないので、天気が良いこともあり中庭に行くことになった。当然初めて行ったがベンチが多く、木々が程よく日陰を作ってくれている。適当に葉山、遥、優太の順で並んでベンチに座り、互いの昼飯を見せ合う。ほぼ同時に弁当箱を開けたが遥と優太の視線は隣の葉山の弁当に集中する。
「葉山の弁当、なんか豪華じゃね?これ…ステーキ?お重に入ってるし」
「美味そう…」
思わずそう呟いた遥は葉山の弁当をじっと見る。ステーキの他にグラタン、エビフライ、炊き込みご飯とかなり豪華なメニューだ。ちゃんと野菜も入っていてバランスも取れている。
「高校生活始まったから、張り切ったみたいなんだ」
「へー、葉山の母さん手が込んだ料理作る人なんだな」
優太の言葉に葉山の顔色が曇る。遥は葉山の雰囲気が変わったことに気づき、優太も遅れて気づき少し動揺を見せた。
「え?俺なんか変なこと…」
「いや、清水は何も悪くないよ…これ作ったの、母親じゃなくて家政婦さんなんだ」
家政婦、と聞いた遥と優太の目が丸くなる。恐る恐る遥が尋ねた。
「もしかして、葉山んちって金持ち?」
「まあ…一般的に見ると裕福かな」
顔色が曇った理由を何となく察した。家政婦を雇えるほど家が裕福だと知ると自慢している、と受け取り嫌味な態度を取ったり、逆に取り入ろうと媚びたりする奴がいたのかもしれない。明かすことで遥や優太の態度が変わることを恐れた可能性もある。
遥は葉山の懸念を振り払うように、柄にもなく明るい声を出す。
「ふーん、そうなんだ、しかし美味そう。ステーキとか手作り弁当で初めて見たわ」
「俺も」
グイグイ、と隣の優太が弁当を覗き込もうとする。遥と優太が葉山の家について殊更追求してこなかったことで安心したのか、ホッと表情を綻ばせ弁当を食べ始める。葉山は食べてる途中、ポツリポツリと家族について大まかに教えてくれた。やや深いところまで教えても良い、と判断されたようだ。昨日出会ったばかりなのに、もうそこまで信用されている事実に胸が熱くなる。
両親共に大企業に勤めており家庭より仕事に生きている人達で葉山の世話は幼い頃から家政婦に丸投げなこと、生活費だけは毎月多く振り込まれる等ヘビーな話を軽い調子で話す。葉山の語り口は悲壮感を感じさせないものの、遥は思わず真顔になってしまう。
(結構な環境で育って来たんだな…)
同情を禁じ得ないが遥は顔に出さないようにしていた。そして話を聞くうちに葉山の親に思うところがあった。
(金だけ与えて、あとは人任せってどうなんだろう)
所謂ネグレクトの一種では?、無意識に眉間に皺が寄る。勿論人様の家庭に口を挟めないので思うだけに留めておく。暗い思考を振り払い葉山がプライベートなことを話してくれたので、チャンスとばかりに遥は気になってたことを聞いてみた。
「葉山、中学の知り合いがいないって言ってたけど、何処中出身なんだ」
「桜坂だよ」
「桜坂…ん?あそこって中高一貫じゃなかったか」
私立で学費がバカ高い、坊ちゃんお嬢様ばかり通ってる名門校である。家政婦のくだりで理解していたつもりだが、葉山の家はかなり裕福らしい。
(中学の知り合いがいないって、当たり前だな。殆どの奴はそのまま内部進学するんだから)
「あそこの高等部に進まずうちに来たのか?まあ偏差値は多少こっちの方が高いけど」
中高一貫に通っていても、より偏差値の高い高校に進む奴はいるだろが、少数派だと思う。葉山は苦笑いを浮かべながら、こう答えた。
「人間関係でちょっとね」
これ以上は言いたくないとばかりに言葉を濁した。
(中学3年間て1番人間関係が面倒な時期だからな。高校を変えるようなことがあったんだろう)
遥の通ってた公立中学もほぼ小学校からの持ち上がりなのに急に治安が悪くなり、クラスによってはギスギスした最悪な雰囲気になっていた。人間関係が拗れ、いじめが発生しやすい時期だったのだ。葉山もそういった目に遭ったのかもしれない、とセンシティブな部分なので深く追求はしないでおく。
「こう言ったらアレだろうけど、葉山がそのまま内部進学してたら今会えてないからな。うちの高校受けてくれて良かったと俺は思う」
ほぼ無意識に勝手に口を付いて出ていた。再び弁当を食べ進める遥だが両隣の2人が黙ったままなことに気づき、左右を交互に見る。すると2人はポカンと呆気に取られたような顔をしていた。葉山は何故かあからさまに遥から目を逸らす。突然の変貌に遥が静かに動揺していると横から呆れた声が飛んできた。
「…お前、よくそんな恥ずかしいこと言えるな」
「は?何がだよ」
遥は己の発言を振り返る。そして時間差で自分の発言の恥ずかしさが襲って来た。
(あれ、俺何言ってんだ…)
出会って2日目の相手に「うちの高校受験しなかったら俺ら出会えなかっただろ?寧ろ外部受験してくれてありがとう」と。要約すると「出会えて嬉しい」…。
何だろう、凡そ友人に向ける言葉ではない気がしてきた。陳腐さすら漂う台詞はベタなドラマで恋人に向けるものにすら思えて来た。もしかしなくてもドン引きされるのでは?と一気に不安が襲いかかって来る。
遥は慌てて、既に遅いが誤魔化しにかかる。
「今のは、変な意味じゃなくて。純粋に友達になれて嬉しいって意味で、もしかしたら気持ち悪かったかもしれな」
「…俺も、桜井と出会えて嬉しい」
しどろもどろな遥の言葉に葉山が自分の言葉を被せていた。己が放った時は恥ずかしさでどうにかなりそうだった言葉と全く同じ言葉なのに、葉山の口から聞くととても真剣な響きを含んでいるように思えた。
「初めて桜井と会った時、直感でこの人とは仲良くなれそうな気がしたんだ。桜井が戸惑ってるの分かってたけど強引に連絡先交換して…俺といると変に目立つから迷惑かもしれないって不安だったけど、こうして昼飯一緒に食べてくれるし家のこと知っても引かないから居心地良いんだ…この先迷惑かけるかもしれないけど、これからも友達でいて欲しい」
「…当たり前だろ」
あまりに真剣な表情で葉山が言い募るものだから、照れ隠しで素っ気ない返ししか出来ない。遥と葉山の間には気まずい、そして何処かふわふわとした言葉にしがたい空気が流れている。
「…え?お前ら付き合ってる?」
そんな空気をぶち壊したのは他人事のような顔をしてモグモグと弁当を食っていた優太であった。とんでもない発言である。平素なら優太の冗談を軽く流せていたのに、雰囲気も相まって大袈裟に反応してしまった。
「は…、おい、へ、変なこと言うなよ」
「いや冗談だよ、動揺しすぎ。でもお前らの間に流れる空気がさ、告る前のカップルのそれだったんよ。逆にすげぇよな、昨日会ったばかりでこんな空気出せるの、才能よ」
「うるせぇ」
冗談でも茶化すように「付き合ってるだろ」と言われるなんて、気を悪くするだろう。ましてや男同士。遥は別に何とも思わないが葉山がそうとは限らない。こういう揶揄い方をする奴らなのだと、嫌がられてはいないか心配になった。葉山の方を向くと彼は口元を手で覆いそっぽを向いている。長めの黒髪から覗く耳が、ほんのりと赤いことに遥は気づいてしまった。
(照れてる…え?)
不愉快に感じてると思っていたのに予想外の反応で驚きを隠せない。そしてそんな葉山を見てしまった遥の胸の辺りが、変な音を立てる。
(ん?何だ?え?)
いやいやいや、相手は男だぞと自分の身に起こったことを誤魔化すために弁当をかき込んだ。こんな食い方をして作ってくれた母親に申し訳ないと思うが、今回ばかりは許して欲しい。諸悪の根源の優太は自分のせいで雰囲気がおかしくなった、と反省し余計な口を出すことはなく、そして葉山も黙々と食べ進めていく。そうしていくうちに変な空気が徐々に和らいでいくのを感じた。
(腹一杯になったら落ち着いたわ)
ホッと一息吐く遥は空になった弁当箱の蓋を閉めてランチバックに仕舞う。優太も食べ終わっているようで、葉山はお重が大きいせいか食べている途中だった。マジマジと見ると葉山の弁当は料理自体もさることながら、盛り付けも店で売っているもののように綺麗だ。家政婦は家事のプロであるので、弁当の盛り付けもお手のものなのだろう。遥の視線に気づいたのか、弁当に視線を落としていた葉山が突然こちらを向いた。「あ」と何かに気づいたように声を上げるとスラックスのポケットから何かを取り出す。ティッシュのようだ。
「桜井、口にハンバーグのソース付いてる」
葉山はごく自然な流れで遥の口をティッシュで拭いたのである。予想外の行動に遥は一瞬固まった後、大袈裟に驚いた。そして何処からか悲鳴が聞こえて来る。
「は、葉山!急にな…」
「…?口にソースついてたから。気になったんだ」
俺変なことしてませんが?とキョトンとする葉山に遥は自分の反応がおかしいのか、と悩む。いやいや、自分は間違ってないだろ、と口を開く。
「言ってくれれば自分で拭いた」
子供みたいで小っ恥ずかしいし、いくら友達同士とはいえやり過ぎだろう。
「友達同士なら、普通だよ?」
しかし平然と言ってのけた葉山に遥は虚をつかれる。曇りなき眼を向けられるとこっちが間違っている気がしてたじろぐ。
(友達同士だからって口拭かないだろ?俺は経験ないぞ)
とはいっても遥は友達が少ない。遥が知らないだけで世の友達同士はこれくらい普通にやる可能性もある。あり得ない、と頭ごなしに否定するのもどうかと思った。
困った遥は優太に助けを求めることにした。
「おい優太、友達同士ってこんなことするのか?」
前のめりに聞いて来る遥の勢いに優太は後ずさったものの、答えてくれた。
「うーん、友達同士でもやら」
だが途中で優太が不自然に言葉を切る。遥の背後、ある一点を見つめたまま微動だにしなかったが。
「…ないこともない!俺の友達結構だらしない奴で、そいつの幼馴染が世話焼いてて口くらい普通に拭いてたわ!うん、全然する、普通のこと!」
何故か声が震えているが、優太は葉山の発言に同意したのだ。遥は己の中の常識がガラガラと崩れていく音を聞いた。縋るように葉山の方を向くと彼は穏やかな笑みを浮かべている。彼の目は「ね?普通のことだっただろ?」と語っていた。
この世にはまだまだ遥の知らないことが溢れていたらしい。そんな事実を知った昼休みだった。遥は正直なところ、驚いただけで嫌だったわけではない。流れるようなスマートな仕草に男としての格の違いを見せつけられた気がして、少し凹んだだけだ。
これを女子にやろうものなら一瞬で堕ちていたことだろう。遥に対して同じことを女子にする様子を想像すると、絵になるな、という感想と。
(…?)
何ともいえない、モヤモヤとした感情が生まれたがすぐに気のせいだと、気持ちを切り替えた。