1話
麗らかな春の日差しが降り注ぐ4月のある日。遥はこれから3年間通う学校の正門前に立ち、校舎を見上げていた。受験の日やその前の学校見学の時にも訪れているから新鮮な気持ちではないものの、新入生という以前とは違う立場が妙にソワソワとした心地にさせている。
これから新しい環境に身を置くことになるのだからソワソワするのは当たり前だ。もし同じ中学出身者が誰もいなかった場合、これから友人を作らなければいけないから余計緊張で落ち着かないことだろう。しかし、遥は知り合いが全くいない訳ではない。同じ中学出身者が何人か進学しているし、その中に仲の良い奴がいる。今日もそいつと待ち合わせをしていた。
遥はスマホを取り出し、メッセージを確認する。どうやら寝坊したらしく、少し遅れると謝罪する動物のスタンプが送られていた。仕方ない、と遥は取り敢えず人だかりの出来ている玄関前の掲示板に近づき、新一年生のクラス分けが書かれている紙を見に行った。
(桜井遥…あ、あった。3組か…お、優太も同じクラスだ)
優太とは寝坊で遅れている同じ中学出身の友人だ。彼以外にも知り合いはいるが、そこまで仲が良いわけではない。優太以外と同じクラスだったら少し気まずいことになっただろう。遥は心の中でクラス編成を決めた教師に感謝した。クラスも確認したし、ここはこれからもっと混みそうなので端の方に移動して遅れている優太を待っていよう、と踵を返した遥の視界にあるものが飛び込んだ。
それは同じ制服を着た男子だ。目にかかる長さの黒髪はサラサラと風になびき、切れ長の瞳に鼻筋の通った顔立ちは凛々しく、一般人とは思えない圧倒的なオーラが周囲の目を惹きつけている。遠目だがスラリとした体躯であることが分かり、恐らく身長も高そうだ。女子は彼を見てキャーと黄色い悲鳴を上げているし、男子は悔しそうな顔で唇を噛みながらも彼をじっと見ている。レベルが違いすぎて妬むことも、そして目を離すことも出来ないのだ。それは遥も同じだ。といっても妬む気持ちは全くなく、ただ周囲の注目を集めている存在が気になってしまう、そんな感じだ。
(うわイケメン…)
遥はそんなことを心の中で呟くと、件のイケメンが真っ直ぐこちらに向かってることに気づく。彼も新入生ならクラス分けの紙を見に来たのだろう。
(混みそうだな、さっさと移動)
しようと思ったが、気づいたら彼を囲むように女子の軍団が固まっていた。決して彼には触れることなく、でも一定の距離を保ちながら一緒に移動してくる。その女子の軍団に押されて遥は人混みから抜けるタイミングを失ってしまった。掻き分けて抜けることも出来るが、女子達から発せられるギラギラとしたオーラに尻込みしてしまい結局遥はその場に留まる。
(こいつが移動したら女子も移動するだろ、それまで大人しくしてよう)
一方の彼はというと、まとわりつく女子達を意に介さずクラス分けの書かれた紙を目で追っている。
「…3組か」
「え」
彼の呟きに反応して、遥の口から思わず言葉が飛び出していた。「え」の意味は同じクラスなのかという驚きからだった。それは女子達も同じだったようで「やった同じクラスだ!」と喜ぶ声がチラホラ聞こえてくる。同じクラスで良かったね、と女子達に心の中で語りかけた遥はふと右頬に視線を感じた。気になって横を向くと彼がこっちをガン見していた。何を考えているのか分からず思わずギョッとしてしまうが、そんな遥のことは気にするそぶりはなく彼は恐る恐る声をかけてくる。
「…もしかして3組?」
「…そう…だけど?」
思わず敬語で話しそうになったが、同い年で敬語もおかしいと慌ててタメ口にした。けど緊張して感じが悪かったか、と少し後悔する。しかし彼は気分を害した様子はなくパァ、と表情が明るくなった。続いて女子の感嘆の声が漏れ聞こえてくる。
「同じクラス…もし迷惑じゃなければ友達になってくれない?俺同じ中学の知り合いいなくてさ…」
彼は眉を下げて不安気に告げてきた。周りから困惑の声が上がっている。遥も同じだった。何で俺?と。そもそも彼ならば黙っていても友達になりたがる連中は後を絶たないはずだ。偶々隣にいた遥を選ばなくても。しかし、せっかく友達になりたいと言っている相手の申し出を無碍にすることは憚られる。周囲から刺すような視線がバシバシ、と遥に降り注ぐ中口を開いた。
「…俺で良ければ、よろしく」
またしても素っ気ない言い方になってしまったが、彼はほんのりと口角を上げた。
「ありがとう、俺葉山明希。よろしく」
「…桜井遥。よろしく」
ぎこちない自己紹介。初対面特有のなんとも言えない空気が流れる。コミュニケーション能力が高い方ではない遥は次にどう出るか決めかねていたが、彼…葉山の方が主導権を握ってくれた。スマホをこちらに差し出してくる。
「連絡先交換しよ」
「うん」
言われるがままメッセージアプリを開きQRコードを出して葉山に画面を見せる。すぐに「アキが友達登録しました」という通知が届く。葉山のアイコンはハンバーグの写真だ。素朴なアイコンで遥は意外に感じた。
(てっきり友達との自撮りとかだと)
見るからにカースト上位なので勝手な偏見が入っていたことは否定出来ない。急に親近感が湧いてきた。因みに遥のアイコンは飼っている茶色に黒ブチのある猫だ。こっちは意外性の欠片もない。
「桜井のアイコン猫なんだ。飼ってる猫?」
葉山はアイコンの猫に興味を惹かれたようで詳しく聞いてくる。
「ああ、うちの猫」
「目、不思議な色だな。オッドアイ?」
「ダイアロックアイっていうんだ。右目だけ青が入ってる」
「へー、初めて知った。可愛い…名前は」
「ムギ」
「名前に由来とかあるの?」
「…」
遥は数年前ムギを迎え入れた時の記憶を辿る。名前をつける時家族で散々話し合い、あれも嫌これも嫌と中々決まらず結局「猫っぽくて響きが良い名前」というやや安直な理由で「ムギ」と名付けたのである。
「…家族で意見が衝突しまくった結果、猫っぽくて響きが可愛いって理由でムギになった」
期待していた理由とは違ったのか葉山は目を大きく見開くが、すぐにフッ、と小さく笑った。何処に刺さったかは不明だがうけたらしい。笑いながら葉山が重ねて尋ねてくる。
「因みに桜井は何て名前にしようとしてた?」
思わぬ質問に遥は答えるべきか悩んだ。今の下りで笑うということは、これを言ったら爆笑くらいしそうだ。それは恥ずかしいので避けたかった。が、葉山が期待に満ちた目で見てくるので教えない、とは言いづらい。遥がどんな名前をつけようとしたのか、そんなに気になるか?と逆に聞き返したくなった。期待されていると尚更言いづらくなるが、せっかく縁があり仲良くなれそうな相手に、冷たい態度を取るのも気が引ける。
遥は早い段階で折れた。
「…タマとか、ミィとか」
「…」
「あと、来たばかりの時はちっちゃくて丸まって寝てる姿が団子に見えたから、みたらし、団子、大福…」
遂に耐え切れず葉山が吹き出した。想像通りの反応を見せてくれるイケメンである。
「笑いすぎだろ」
「悪い…タマやミィはムギより『猫』って名前だし後半は全部食べ物…そう言われるとみたらし団子っぽく見えてきた」
「すくすく成長して、丸まって寝てるとマジで大きなみたらし団子に見えるから」
流石に周りの邪魔だと、人だかりから抜ける。葉山がいるとモーセのように通り道が出来て楽だった。遥と葉山は暫く周囲の視線のことも忘れ、話に没頭していた。そして話している途中でふと遥は優太のことを思い出す。
(そういやアイツ、まだ来ないんかな)
葉山に断りを入れてスマホを確認すると10分前に「そろそろ着くわ。マジごめん」と優太からのメッセージが届いていた。遥は葉山に優太のことを説明する。
「こいつ、同じ中学出身の清水優太。寝坊して遅れてたけどそろそろ着くらしくて。呼んでも良い?」
友達の友達は自分にとっては他人なので、遥はかつて気まずい思いをしたことがある。優太は適当な性格をしているが、基本的にオープンなので初対面の葉山とギクシャクすることはないだろう。しかし葉山が気まずい思いをするのなら雄太には申し訳ないが、この場に呼ぶのは避けようと考えていた。
葉山は「良いよ、桜井の友達なんだろ。俺も会ってみたい」と快く承諾してくれて遥はホッとする。
やがて「着いた、今正門」のメッセージが届き後ろを振り返る。ギリギリに来る生徒が多いので正門前、玄関に続く一本道は人が多い。この人混みの中で優太を探すのは苦労するかと思いきや、あっさりと遥を見つけた優太が大きく手を振っている。
「もしかして、手振ってる彼?」
「うん、見つけやすくて助かる」
そして遥は葉山と一緒にいるせいで周囲の生徒(主に女子)の視線を集めているのだが図太い優太は気にすることなく、真っ直ぐやって来る。
「悪い悪い、待った?」
「待った、入学式に寝坊って本当自由だな」
「それが聞いてくれよ、いくら起こしても起きないからって母さん起こすの諦めて…ん?」
優太はここで遥の隣に知らない男子がいることに気づいたらしく、視線を葉山に移動して目を瞬かせるとまた視線を遥に戻した。