#53
ビルから出たベヒナとチゲは、待たせていた車に乗り込み、すでに建物から離れていた。
車内には後部座席に座る彼女と彼以外には、スーツ姿の運転手しかいない。
「ジャークが捕まえた奴から聞いた話だと、襲撃犯の少年少女たちに指示を出していたのは、ホワイト·リキッドのマスターだったということだったな?」
しばらく会話のない状態から、ベヒナがチゲに確認するように訊ねた。
訊ねられたチゲは、彼女のほうを向くことなく答える。
「あぁ、たしかロッキーロードとかいう中年の男だったか」
「その男の動機はわかっているのか?」
「いや、どうやら社員たちの追撃時に死んだらしい。何か気になったことでもあるのか?」
「そうだな……。そのロッキーロードという男が、ホワイト·リキッドのマスターってのがな……」
ベヒナはそう呟くように言うと、それ以上は何も言わなくなった。
考え込むような表情で、一つに束ねた三つ編みを手で弄んでいる。
再び車内に沈黙が訪れると、ここでようやく視線を向け、チゲが彼女に声をかける。
「ホワイト·リキッドのマスターとはいっても雇われ店長だ。ロッキーロードは三号店を任されていたようだが、普段から他の店舗とは関りはなかったと報告であったぞ」
「他の店と関りはないのか……」
「おそらく転落中年男の逆恨みかなんかだろう。自分でやるリスクを省くために、スラムのガキを使ったってところだ。そもそもスパイシー·インクは何かと恨みの対象にされやすいからな。いつもの有名税みたいなものだと思うが?」
「そうだな。なら私の考え過ぎか……」
チゲは、奥歯に物の挟まったような言い方したベヒナのことが気になったが。
すぐにそのことを忘れることにする。
所詮は社会の負け犬がドブネズミに餌をやって起こした事件に過ぎない。
近いうちにジャークの奴がすべてを片付けるだろうと。
チゲは仕事のことを頭の中から消すと、気を取り直してベヒナのほうへと身体を向ける。
「この後は空いているか? 実は身内を集めて鍋パーティーをやる予定なんだか」
「悪いが、用事があるんだ。鍋パーティーにはまた今度誘ってくれ」
「そうか、そいつは残念だ。お前の好きな激辛鍋が出るんだが、用事があるならしょうがない」
「女をディナーに誘うならそれ相応のマナーと、そのことは前もって伝えておくべきだよ、チゲ」
長い足を組み直して微笑みを返すベヒナ。
そんな小悪魔のような笑みを見せた彼女に、チゲは口角を上げて白い歯を見せる。
「フフ、別にそういうんじゃない。他の者もいると言っただろう? でもまあ、お前と二人で鍋もいいかもな」
チゲはそう言いながら、身体を前へと向けて視線を窓の外へと移した。
その姿はどこか自嘲気味で、少し寂しそうにも見える。
そんなチゲを目で追っていたベヒナは、しばらく彼のことを見続けながら、クスッと嬉しそうに笑った。




