#192
走るカカオを追いかけるバニラ。
小熊がピタッと足を止めたその前には、雑居ビルの出入り口があった。
そのビルは周囲にある建物と同じく朽ち果てており、特にテナントや住居目的で使用している人間はいなさそうだった。
「ここは……」
バニラは出入り口から見える階段を上がり、最上階にあった扉をノックした。
返事はない。
だが、カカオが扉に向かって鳴いていると女性の声が返って来る。
「その声はカカオ? もしかしてダークレートなのか。いいぞ、入って」
了解を得たバニラは、ドアノブを回して中へと入る。
そこには、スレンダーな体型をしたベリーショートカットの女性が立っていた。
彼女の名は、このスラムで闇医者をやっている妙齢の女性――クリムだ。
「バニラ? お前とカカオだけか? まあいい、とりあえず中へ入れ」
クリムが部屋に入るように言うと、カカオが鳴きながら歩を進め、バニラも小熊に続いた。
そして、奥の部屋――診療室で待たされていたバニラたちの前に、クリムがコーヒーを持ってくる。
「久しぶりだな、元気にしていたか?」
「あ、いや、その……。うん……」
歯切れの悪い返事。
そんなバニラとは違い、カカオはクリムに嬉しそうに飛びついていた。
彼女はそんな小熊を微笑みながら撫でてやると、コーヒーとは別に用意していたハチミツの入った小皿を出していた。
「今日はダークレートやストロベリーとは一緒じゃないのか?」
「あぁ……。実は……」
バニラは暖かく迎えてくれたクリムに、二人がどうなったのかを話し始めた。
この人工島テイスト·アイランドを仕切っていた警備会社スパイシー·インク――。
その社長であったレカースイラーを殺し、その襲撃時にダークレートが死んで、ストロベリーは重傷を負って面会謝絶になっていること。
自分たちがホワイト·リキッドで働いていたことを、彼は今にも泣きそうな顔で伝えた。
「そうか……。ダークレートは死んだのか……。それとレカースイラー……あの人も……」
自分の分のコーヒーカップを手に取って、窓の外を眺めるクリム。
彼女の寂しそうな背中を見て、バニラが弱々しく訊ねる。
「なあ、クリム……。これでよかったのかな?」
「うん? 何がだ?」
「オレ……。スパイシー·インクがなくなれば島が良くなるって……ずっと聞いてたんだ……。でも、そんなことなくて、もっと酷くなっている……」
バニラの言葉を聞いたクリムは振り返ると、彼のことを見つめる。
そのときの彼女の顔を見るに、どう答えていいか悩んでいるようだった。
「お前のせいじゃない……。島が良くなると思ってやったんだろ? もう終わったことを気にするな」
そしてクリムはそう言うと、持っていたコーヒーカップに口をつけた。




