#145
訊ねられたバニラは再び黙ってしまった。
再びマチャから目をそらし、自分の足元に視線を向ける。
たしかにマチャが言ったとおり。
仕事を辞めるなら、あのとき――。
エンチラーダが逃げようと誘ったときに二人で島から出るのが、タイミングとしてはよかったはずなのだ。
それなのに、今さらどうして――。
自分でも意地の悪い質問だったかと思いながら、マチャはバニラが口を開くのを待った。
だが数分、数十分と時間が経とうとも、彼は俯いて身を震わせているだけだった。
カラオケ機器の画面にはよく歌われている曲のランキングが映し出され、室内の空気に合わない能天気な音楽が流れている。
「よし。わかった」
「えッ?」
マチャはバシッと自分の膝を叩くと、顔を上げたバニラへと言う。
「お前の気持ちは私なりに理解したつもりだ。ジェラートさんには私から言っておこう」
「マチャ……」
呟くように名前を呼んだバニラに、マチャは笑みを返した。
そんな彼女を見て笑い返したバニラは、ようやく口を開く。
「ジェラートさんには自分から言うよ……。それは……なんか自分で言わなきゃいけない気がするんだ……」
「そうか」
マチャはバニラの返事を聞くと、自分のスマートフォンを取り出した。
彼女が画面を操作すると、突然バニラのスマートフォンが鳴る。
バニラは自分のスマートフォンを手に取って画面を見ると、そこにはマチャが送ってきたメッセージがあった。
そこには、午後にリコンカーンの仕切っていた港から出る貨物船の出航時間だった。
「島を出る手配をしておいた。エンチラーダも歩く分には問題ないようだし、出るなら早いほうがいいだろう」
マチャはそう言って持っていた鞄から封筒を手に取った。
きっと今朝か昨夜にでも下ろしていたのだろう。
札が何十枚も入った分厚い封筒だった。
「なんだよ、これ……?」
「餞別だ。それよりも、その貨物船はスパイシー·インクが関わっていない非合法の船だからな。もし捕まっても責任は持たないぞ」
「わかった……わかったよ。うぅ……」
バニラはか細い声で返事を封筒を受け取った。
そして、両手で顔を覆ってその場に泣き崩れる。
そんな彼を見たマチャは、一人部屋を出て行った。
彼女が部屋を出る寸前で、バニラが喉を振り絞って声をあげる。
「マチャッ! あ、ありがとう……」
「あぁ、身体には気をつけろよ」
それから部屋を出たマチャは料金を支払い、カラオケボックスを後にした。




