#119
エンチラーダにごちそうしてもらってから数日後も――。
バニラは毎日彼の働くメキシコ料理屋へと通った。
店にエンチラーダがいないときは地下鉄で彼がやっているストリートライブを観に行き、マチャの家にいるとき以外は二人で過ごすようになっていた。
メキシコ料理屋ではエンチラーダから文字の書き方や読み方、計算の仕方を習い、ライブの後はギターの弾き方を習った。
エンチラーダとの数日間、バニラは楽しかった。
彼がダークレートやストロベリーと一緒にマチャに鍛えられていたときもそうだったが。
自分の知らなかったことやできなかったことを覚えていく感覚は、これまでになかった快感だった。
ただマニュアルを渡されてその通りにやるのではなく、頭や身体を使って人からものを教えてもらえることを、バニラは純粋に喜んでいたのだ。
そんな彼がある日に、マチャの家で皆と夕食を食べているとき――。
「なあ、マチャ。お願いがあるんだけど……」
「うん? どうしたんだ? かしこまって」
いつもと様子の違う彼にマチャが訊ねている横では、ストロベリーがいつものように小熊のカカオに野菜を食べさせ、ダークレートがそれを注意している。
「実は、ギターを買ってほしくて……」
「はぁッ!?」
バニラの言葉を聞いていたのか。
ストロベリーはカカオの身体をガバッと掴んで彼に詰め寄った。
「なんでギターなんて欲しいんだよ? わかった! モテたいんだろ? やめとけやめとけ、ああいうのは才能だ。いくら上手くなってもモテないヤツはモテないって」
「ちょっとストロベリー、そんな言い方ないでしょ?」
「あん、ダークレート。あたしに文句があんのか?」
ダークレートはストロベリーの物言いを注意すると、二人はカカオを奪い合いながら言い争いを始めた。
そんな状況で、二人から引っ張られているカカオが苦しそうに鳴いている。
「お前が何か買ってほしいなんてめずらしいな。というか初めてだが」
「う、うん……。どうしてもほしくて……」
これまで一度も文句を言わず、家のことも閉店してしまったホワイト·リキッドニ号店の仕事も言う通りにしてきたバニラ。
彼とは違い、ストロベリーやダークレートはマチャからお小遣いをもらっていた。
それはバニラに趣味もなく、特に欲しいものがなかったからだった。
しかし、そんな彼が初めて自分から欲しいものがあると言ってきたことは、マチャにとって新鮮に映った。
このところ通っているという店で知り合った友人の影響だろうか。
マチャは表情には出さなかったが、内心では顔がほころぶ気持ちだった。
「いいぞ、買ってやる」
「はッ!? ちょっとマチャいいの!? あたしにはいつもムダ遣いするなっていうくせにッ!?」
カカオの身体から手を離し、ストロベリーがマチャに詰め寄ると、痛がっている小熊を撫でるダークレートが口を開く。
「いいじゃないの。バニラは幹部を捕まえたときのご褒美だってもらってないんだし」
「そんなの関係ない! ズルいズルい! バニラだけズルいッ! あたしだって欲しいものガマンしてるのにぃぃぃッ!」
「アンタはもうご褒美もらったでしょうが……」
床に倒れてバタバタと身をよじって暴れるストロベリー。
これではまるで玩具を買ってもらえなくて喚く子供だと、ダークレートが呆れている。
カカオもまたそんな彼女を見て、「ガウゥ」とため息をついていた。
「わかったわかった。お前とダークレートにもなんか買ってやるから」
「ホントッ!? やったー!」
「アタシもいいの?」
マチャの言葉にストロベリーは歓喜し、ダークレートは驚いていた。
戸惑いながらダークレートは思う。
マチャはラメルが殺されてから優しくなった。
今でも厳しいことは言うが。
少なくとも店に来たばかりの頃よりも、自分たちのことを信頼してくれるようになっている。
そんなマチャに応えるように、自分たちも彼女の言うことを聞くようになった(ストロベリーはたまに駄々をこねるが)。
実際に自分たちは上手くやっている。
このままジェラートのもとから離れ、四人で別の仕事でもしたほうが幸せに暮らせるのではないかと、彼女はこのところそう考えるようになっていた。
「どうしたダークレート? それとも欲しいものなんてないか?」
「いや、そんなことは……」
「じゃあ、明日にでも仕事終わりに買い物にでも行くか。バニラは休み中だから金だけ渡しておく。悪いが自分で買いにいってくれ」
マチャはそう言うと、立ち上がって棚から無地封筒を出した。
そして、自分の財布から数万円ばかり入れてバニラへと手渡す。
「ギターの値段はよくわからないが。ま、これだけあれば買えるだろう」
「あ、ありがと、マチャ……」
「気にするな。お前は小遣いをもらってないんだ。しょっちゅう言われても困るが、たまにだったら欲しいものくらい買ってやる」
マチャはそう言いながら食べ終えた食器をキッチンへと運んでいった。
バニラはそんな彼女の背中を一瞥し、それから渡された無地の封筒を見て、嬉しそうに微笑むのだった。




