#115
――スパイシー·インクの幹部チゲの襲撃後。
バニラは暇を持て余していた。
彼は腹部を拳銃で撃たれるという重傷を負ったが、その後の経過もよく闇医者であるクリムの病室から退院。
それでもまだ病み上がりということで、長期の休養を与えられていた。
だが、これまでホワイト·リキッド三号店では休みなく働き、特に趣味もないバニラにとって、自分の時間があるということは苦痛だった。
かといって二号店は閉店。
マチャやストロベリー、ダークレートらは本店のほうで裏の仕事へと回っており、このところは家で顔を合わすくらいだ。
家のこと――食事や掃除をやろうとしても、マチャからはしばらく何もしなくていいと言われており、本当に彼にはやることがなかった。
平日の午後。
仕事帰りの会社員たちや、遊び終わった学生らに交じって意味もなく街を出歩くバニラ。
すれ違うそれらの人間の表情や笑い声を見て聞いて、彼はひとり呟く。
「……オレって、時間があってもやりたいことってなかったんだなぁ」
ここが歓楽街というのもあったのだろう。
街を歩いている人間が皆楽しそうにしているのもあって、バニラはそんな彼ら彼女らのことを羨んでいた。
こんな気持ちになるなら休みなんていらない――。
バニラは、とても十代の若者とは思えぬことを考える。
そして、そんな賑わっている街の空気を避けるように、彼は地下鉄の出入り口へと降りて行った。
(うん? なんだあれ……?)
バニラが地下鉄内を進んでいくと、遠くのほうからギターの音と歌声が聞こえてきた。
テイスト·アイランドの地下鉄では、構内や駅のホームで音楽演奏やパフォーマンスを行なっている人間が多くいる。
それほどめずらしいものではないのだが。
何故かバニラはその歌声とギターの旋律を聴き、まるで導かれるように歩いてしまっていた。
そこにはアコースティックギター弾きながら歌うポンチョ姿の人物がいた。
(ギターの弾き語り? この子……オレと同じくくらいかなぁ……)
髪は長く声も高いため、男なのか女のなのか判断はできないが、バニラは歌っている人物の顔を見て同じくらいの年齢だと思っていた。
ポンチョ姿の人物の演奏と歌は、これまでバニラが聴いたどの音楽とも違っていた。
スパニッシュで情熱的なギターの音色に、ポンチョ姿の人物の穏やか歌声が乗る演奏。
他人を元気づけるような音楽は、得てしてけして押しつけがましくなりやすいのだが。
けしてそんなことがなく感じられるのは、その歌の中にどこか寂しさを感じさせるからなのか。
バニラはポンチョ姿の人物の前に立ち尽くし、時間が止まったような感覚に襲われていた。
彼以外にもその音楽に聴き入っている人たちは多く、皆笑みを浮かべながら小さく身体を揺らしている。
「聴いてくれてありがとう。今日はもうこれで終了します」
演奏を終えたポンチョ姿の人物が丁寧にお辞儀をして、足を止めた者たちに感謝している。
地下鉄にささやかな拍手と歓声が起き、皆が目の前にあったギターケースへ金銭を入れては、にこやかにその場を去って行った。
「えッ? こういうもんなの?」
バニラは慌ててポケットに手を入れて財布を取り出した。
他の観客たちと同じように、ギターケースに金銭を入れようとしていたのだ。
だが、彼が財布を開けるとそこには――。
“お前の昼メシ代はもらった!!”
と、書かれた一枚の紙が入っていた。
筆跡からしてストロベリーだろうと思われる。
というかこんな真似をするのは、マチャの家では彼女しかいない。
「あの赤毛、人の金を勝手にッ! どうすんだよ!? 金を入れれないじゃないかッ!」
バニラは顔を歪め、その紙をバラバラに引き裂く。
すると、そんな彼の姿を見ていたポンチョ姿の人物がクスクスと笑う。
「フフフ、別にお金なんて払わなくていいんだよ」




