山田、キレる
「おい、幸喜」
「山田さん?」
山田幸喜がゆっくりと黒獏へ向かっていた。
――何だ、貴様。まだやられ足りないか
「おい、てめえ。さっきなんて言った?」
その声色は、普段の山田どころか、戦闘モードの山田よりも荒ぶる感じを漂わせていた。
――ああ? そんなこと覚えておらんよ。
「じゃあよ。てめえが呑み込んだその子の夢は何だか知ってんのかよ」
――そんなもん知ったことか。コイツ自身が言ってたじゃないか。消えるってな。それにコイツが一の宮でした祈願の力も、ごっそりいただいた。俺はそれを叶えてやったんだ
「そうかい。よく分かったよ」
山田を中心にして空気の旋回が始まった。林の木々が揺れる。翻るスーツの、穿いているスラックスの色が変わる。紺色から鮮やかな赤へ。上着はまるで赤いマントが翻っているように見える。彼の身体の周りをまばゆいばかりのオーラが光り出した。
「ちょ、幸喜!」
「何、どうなってんの? 山田さん普通じゃないよ」
「ブチ切れてるな」
「切れてるって……」
黒獏が起こしたのにも負けず劣らずの強い風が、彼を中心に吹き放っている。聖来どころか、戸内さえも戸惑いを隠せない。
山田幸喜は、黒獏の前に仁王立ちになる。
――殴られにでも来たか。なら、お前の夢も叶えてやろう
獏は拳を振り下ろす。山田の左頬をクリーンヒットし、顔が右向きになる。
が、獏はむしろ驚いた様子で見た。
――なぜ、倒れん
「おー痛えもんだな」
山田は、紅くなった頬を撫でながら、獏を睨み返した。
「じゃ、今度はこっちの番な!」
ドスの効いた言葉を言うが早いか、足元の地面に円陣を浮かべ、内ポケットから白い袋を取り出す。それは紐状になり、獏の両手を縛り挙上させた。円陣のせいで、獏は足も動かせない。身悶えをして何とかそこから逃れようとするが、獏はあたふたできるのみだった。
山田は右手を構える、それはまるで手刀であった。
「見ない方がいい」
戸内は横にいた、仏像から覗く聖来の目を覆った。
獏の腹に山田は容赦なく腕を突っ込んで行った。獏は騒音に匹敵する嘶きを上げた。
「返してもらうぜ。夢の力なめんな!」
挿入されていた腕を引き抜くと、その手は花咲里鈴音を掴んでいた。黒獏の体内からの救出に成功。
「鈴音」
花咲里の父が近づき、娘の肩を抱き寄せた。そして、いまだ対峙する両名から距離を取る。
「こんなもんじゃねんだぜ」
今度は獏の顔面を鷲掴みした。
「永久凍結!」
言った瞬間、山田の腕を中心として氷が出来上がっていった。瞬く間にそれは黒獏の全身を覆った。苦悶の表情のまま氷づけされた黒獏から山田は手を引っこ抜いた。
すると、獏の呪力のせいだった街全体を覆っていた薄紫色は無くなり、元の街の色になった。
「もういいぞ」
仏像は妨げられていた視界が明瞭になると、父親が寄り添う花咲里と氷漬けになっている黒獏を見た。
「ひー、痛」
なんてことを言いながら、紺色の上下のスーツの山田が悠然と歩いて来た。声のトーンも表情もいつも通りに戻っていた。
「山田さん、大丈夫ですか?」
「ああ、ちょっと凍傷だけど、大丈夫」
「大丈夫じゃない。どうすんだ、これ」
戸内が指を天に向ける。
山田も聖来も上空を見上げた。頬に当たる冷たい物体。
「雪……」
雲もなかった。梅雨に入っているというのに、爽快と呼んでいい青空だった。そこから雪が降ってきているのだった。
「あちゃー、ちょっと張り切り過ぎたか」
「ちょっとで、夏に雪が降るまでやる奴がどこにいる」
珍しく戸内が山田に小言を放つほど、事が重大であることを示していた。
「黒獏は……」
聖来はそれでも心配そうな表情で氷のオブジェと化した黒獏に視線を送る。
「あんな氷漬けになったらもう動けんだろ。封印の完成だな。じゃ、おいらが持って行ってやろう。おい新人。イタリアーノ大量に用意しておけよ」
白獏はそう言うと、チルドパックされた黒獏を抱え、飛んで行ってしまった。