民俗博物館
大梛市をも通り、N県を流れる最長の川。その河口付近の河川敷。その近くに一軒の古い建物がある。明治期に建てられたというそれは敷地も広く元々は個人の屋敷だった。それを改修し、個人が経営する民俗博物館にしていた。収集した県下の歴史的・文化的な貴重な品々―遺物やら美術・工芸品など幅広いものがあった―を揃えていたため、県や市から維持管理の補助を受けていた。
外壁を工事の覆いが取り囲んでいる。薄紫な世界で人々が卒倒しているから工事の音はない。が、そもそもそこには工事関係者の姿は一人もいなかった。というよりもダンプなどの工事車両も辺りにはなく、その建物自体もどこにも工事の手は入った様子はない。まるで施設を幕で隠したという風に見える。
重厚な門の前に黒獏は下り立った。背中から花咲里鈴音が降りる。
直後、トナカイ一頭とその背にまたがる山田幸喜も到着した。山田が降りると、トナカイは前転をすると、戸内快になった。
「ここは私が好きな場所」
花咲里鈴音は山田と戸内に聞かせるように、けれどそれは独り言でしかないかのように言うと、黒獏が開けた門をくぐって中に入って行った。黒獏は再びニヤリと笑って見せ、そして駆けて行った。
「追うぞ」
「言われんでも」
山田と戸内も敷地に足を踏み入れた。その広い敷地には建物の横に林が広がり、花咲里と黒い獏は、その中へ姿を消して行った。山田と戸内が追って林の中へ。花咲里は木々を上手くかわすように、その間をするりするりとどんどん駆けて行く。また、疾走する獏に触れられた木がみるみると枯れていった。
「また追いかけっこかよ」
「野生の本能かもしれんな」
「何言ってんだよ。それよりも」
噛み合わない会話を言いながらも、否応なしに気になることは、鼻腔を突いてくる金木犀の香りだった。林の奥に進むにつれ、その香りが強くなっていく。
木々が開けた場所に出た。
そこには、元の私有者が何かの願いのために建てたのだろう、小さな祠があった。その脇には大きな古木があった。花咲里鈴音が一人、祠に面して立っていた。
「立派なもんだな。かなり古そうだ」
山田は古木をなめるように見上げると、
「この建物が作られる以前からあったらしい。もしかしたらこの近辺のご神木よりも古いかもしれん」
戸内は本当に街の情報収集をしているようだった。
「この木と祠が強力な結界を作って、周辺を守っているようだな」
「じゃあ、ここに来たってことは」
二人は視線を花咲里に向ける。
「そう。壊すの」
花咲里鈴音が口を開いた。
「ここを守るために、木も祠も壊すの」
その矛盾して聞こえる言葉に、迷いや躊躇いや禁忌を破る怖さは微塵も感じさせるところはなかった。
「どっちにしろ、木と祠は壊されてしまうのだから」
「どっちにしろ?」
「そう。その破壊者が来たようよ」
黒獏が上空から飛来した。辺りの木が枯れ朽ちるほどの禍々しい妖気を放ちながらの着地だったが、古木だけはまだ悠然としていた。その背にはスーツ姿の壮年の男性がいて、着地とともに背から降ろされた。
「花咲里さん」
戸内はその顔に見覚えがあった。花咲里鈴音の父である。この薄紫の世界で昏倒せずに動いていられる。つまりは特異選択的に彼の意識が保たれているということ。それができるのはこれを引き起こしている標本人、黒獏。が、黒獏がそんな一人だけを選ぶはずはないということは、それを指示した者がいる。誰がどう見ても花咲里鈴音であった。
「ああ、先生か。これは……鈴音。一体……」
彼は常軌を逸した状況の中に、娘がいることに驚愕の色を浮かべた。
「そう、この木も祠も何もしなければ、お父さんによって壊されていた」
「ここを改修するのに必要な作業だ。どうしたって言うんだ。これは。何なんだ、その生き物は」
「お父さん、覚えてないのね。やっぱり。だから、お父さんには壊させない。私が壊すの。どんな力を使ってもね」
花咲里がそう言うのを待っていたように、黒獏が動き出した。祠に突進する。その一度の突進で半壊してしまうほどの力。もう一度の突進の構えをとる。
「やらせるか」
山田は目つきと声色が変わり、円陣を掌から黒獏目がけて放った。それをヒラリとかわし、上空で制止する。また一つ不敵な笑みを浮かべると、首を上下に振った。そのコントロールをマスターしたようで、ばっちりと標的に向かって、雷撃が落ちる。
「させねえっての」
が、山田も白の袋を取り出すと、それを袋の中に納めてしまう。雷撃の衝撃が持っている手に響く。
「痛ー、こないだよりパワーアップしてっぞ」
言っている傍から二撃目、三撃目が落ちてくる。が、身を翻しながら、それらをすべて袋の中に納める。
「何を……これは、何が起こっているんだ?」
戸惑って状況について来られていないのは、ただ一人花咲里の父のみであった。彼の娘は戦いの渦中で、何の怯えもなく、また落雷の衝撃などものともしない様子で、両者の攻防を直視していた。
「花咲里さん、こっちへ」
戸内が木陰から手招きで花咲里の父を呼んだ。
「先生、これは一体どうなって……」
「それはこの件が片付いてからということで。いいですか。今はここでじっとしていてください」
「先生は?」
「あれは私の友人でね。手伝ってやろうかと」
あっけにとられている花咲里の父を尻目に、戸内はサッと木陰から出ると、花咲里の前に立った。
「お父上と何も話されないのか?」
「無理よ。お父さんは私の話しは聞かないわ」
「お父上から話をしたいと言われても?」
「無いわよ、そんなこと。あなた、父と知り合いのようね。変身までして何者?」
「驚かないのだな。戸内快と言う。占い師をしている」
「占い?」
「ああ、先日お父上が来店された」
「へえ、珍しいわね。お父さんがそんなのに頼るなんて」
その言い方はひどく歪んでいた。
「ここの工事のことを訊かれた」
「でしょうね。あれだけトラブルが続けば」
「黒獏がしていたことだろう。そして、そう頼んだのは君だ」
「何かいけない? 私はここを守りたかった。それだけよ」
「お父上は立派な建物に立て直す予定だったとか」
「それじゃあダメなのよ。それじゃあね」
花咲里の言葉は静かではあったが、確信めいていて、それでいてどこか痛々しくあった。
そこへ。
「花咲里さん!」
黒獏によって拡げられたスペースに、白いバクが着地する。仏像の仮面を被ったままの聖来が到着した。
「ったく。何してんだか」
白獏は聖来が下りるのを確認すると、山田の横に並んだ。山田と白獏、そして黒獏という対立構造が出来上がった。
「新米、乗れ」
言うが早いか、白獏は山田を背に乗せると、浮上。黒獏と空中でのアクロバティックな戦いとなる。黒獏はその伸びた牙の先端から雷撃にも似たビームを放つまでの攻撃をしてくる。回避しながら距離を詰め、円陣をいくつも宙に作り上げ、黒獏目がけて放つ。が、敵もたいした者で、祭りの射的のようにして、それらをことごとく牙の先からのビームで打ち壊してしまう。
「埒が開かんぞ」
「分かってる。けど、黒獏ってあんなに強いか? 普通」
「明らかにこの状況のせいだろ。街中の夢を食ったようなもんだからな」
「人がいいからなあ、この街の人達って」
「のんきなこと言ってる場合じゃないぞ」
「あ、ヤベ! 右に避けろ」
今度はこちらとばかりに無数のビームを放ってくる。碌に作戦会議すらも立てられず、山田を乗せた白獏はかすり傷を負いながらも、決定打を打たれないように避けていく。




