説明、求む
聖来が個人面談を終え、教室に戻ろうと廊下を歩いている時だった。けたたましい走音が響いてきた。音源を探す。階上からだった。その音はスリッパで走る音だと近づいて来て分かった。それも二人いる。いぶかしくなる。男子生徒達が大概にふざけているのとは違っている。
階段の踊り場から覗き見上げる。すると一人の女子が姿を現したかと思うと、一気に駆け下り、聖来を追い越して行った。
「え? 花咲里さん? 何?」
思わず零れる。が、スリッパ音ももうそこまで来ている。
「ちょっと待って」
その声に聴き覚えがあった。姿が現れる。
「山田さん! 何して……」
山田は何段も残っている階段を飛び降り、
「聖来ちゃん、後でね」
とだけ言って行ってしまった。
「なんなのよ」
言っている傍から、もう一つのスリッパ音がそこにあった。
「この身体は少し調整がいるな」
などと言っているのが戸内だと分かると、
「戸内、こっちこっち」
と手招きした。
「そんな暇はない。今は緊急だ」
聖来を無視して二人を追いかけようとする戸内の背中に、ドロップキックをぶちかました。否応なく廊下にキッスをすることになった戸内を強引に起こした。
「用事あるって言ってるの」
「痛いじゃないか。それにその用事を私は今執行中なのだ」
「それを聞いてるんでしょ。話しなさい」
「後にしてくれ」
「は~な~し~な~さ~い」
聖来脅しモードを戸内は初体験した。その圧倒感に、
「し、仕方あるまい」
居住まいを正して、戸内は聖来にかいつまんだ説明をした。
「何、じゃあ、花咲里さんを疑っているわけ?」
「疑っているわけではない。ただ……てどうした?」
「いえ、こないだの神社の件、覚えてる?」
「もちろんだ」
「あそこに私が行ったのはね、花咲里さんに呼ばれたからなの、相談があるって」
「というと?」
「山田さんとあんたがあれだけで大人しく帰るわけないと思って、山田さんの後を追おうと思っていたら、花咲里さんから電話があって。それで行ってみたら、山田さんとあんたがいるでしょ。そしたらまたアレが現れたでしょ」
「実際彼女に会ったのか?」
「ううん。獏が消えた後、また電話があってその日は会わないことになって」
「なるほど、あの時聖来さんが切った相手は花咲里鈴音ということか……なるほどな」
「なるほどって何よ」
「それは後で話す。今は追い駆けないと。すっかり遅れを取ってしまった」
「私も行く」
「聖来さん……止めても無理そうだな」
「もちろん……何これ?」
瞬間、聖来の鼻腔をついたのは、その季節にはないはずの香りだった。
「金木犀……」
途端に校内の色が変わっていく。ゲルのような、スライムのような粘液が壁から染み出て、薄紫色一色に染め上げていく。
「まずいな」
と戸内が言うと、聖来は一瞬視界が暗くなった。
「??? 何これ」
目を動かしてみる。前方は見えるが、視界は狭い。上下左右を見てみると暗くなっている。どうやら被り物をしているようだ。頭全体を覆われている感触がする。手で触れてみても、自分の頭の感触ではなく、何やらソフトビニル的な反発がする。
「ちょっと、何すんのよ」
「この空間は恐らく黒獏が作っているものだ。この空気に当てられると人間は意識を失う。だから、それはそうならないための、いわば酸素ボンベみたいなものだ」
「へえ、それは。ありがと……」
聖来は横の壁を見た。「身だしなみを整えましょう」というプレートのある全身大の鏡に映る自分の姿。もちろん薄紫色になってはいるものの、その身形は分かるというものだ。聖来は女子の制服を着た大仏顔を見た。つまりは、仏像の顔の被り物が今彼女の頭を、顔を覆っていることになる。
「ちょっと何よ、これ!」
「仏像だが、何か」
「何かじゃないでしょ。なんでこれなのよ」
「いいではないか。クマの被り物でなくて申し訳ないがな。ご利益満載だぞ」
「いやなんのこと言っているか、さっぱりなんですけど」
「それを脱いでしまったら、君も卒倒してしまうからな。いや、そんなことを言っている場合じゃないだろ」
「そんなことて……あ。みんなが」
そう言って、聖来仏像は階段を駆け上がって行った。
「ちょ、どこへ行く」
「教室。クラスがどうなっているか」
「まったく」
聖来を放っておくわけにも行かず、戸内は彼女の後に続いて階段を駆け上って行った。