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山田さんの新人研修  作者: 金子よしふみ
第一章 青い桜
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アパートにて

 築二〇年、二階建てアパートの二階。そこが山田幸喜の暮らす場所である。山田の他には一階の角部屋におじいさんが一人で住んでいる以外に住居人がいない。六畳一間の和室。そこは松林家の隣にあり、三月に、新社会人として彼が引っ越して来てから何かと面識ができてしまっていた。

 その遭遇の仕方というのも、聖来が打ち水している所に山田が通りかかり全身ずぶ濡れになったり、強風に飛ばされてきた聖来の下着をたまたま山田が拾って変態扱いにされたり、暴走する自動車から聖来を守ったり、買い物の荷物を持ったり、勉強を教えることになったりで、すっかり聖来の家族には親近感を持って迎えられ、まるで聖来の兄のような迎え入れられ方であり、その心の許しようときたら、聖来が夕食の御裾分けに山田の部屋に行くなんていう仲になっていた。女子高生が独り身の社会人男性のアパートに、しかも夜に単身乗り込んだわけだが、それを可能にしたのは、そんな関係性がすでに出来上がっていたからである。

「はい、どうぞ」

 背広を脱いだだけの格好の山田が、お茶を聖来の前に置く。

「相変わらず殺風景ですね」

 山田の部屋は聖来が言う通りで、物という物がほんどなかった。基準は新卒の新入社員の男子一人暮らし、いや、彼らよりも物がないだろう。クリーム色のカーッペットに、背の低い白いテーブルが一つ。ゲーム機もなければ、マンガや本、雑誌もない。ましてやポスターやら壁を装飾するような物も。シンプル・イズ・ベストとはいうものの、山田の部屋はカーテン、カーペットが元の空間を飾っているだけで、それはシンプルというより簡素であった。パソコンと観葉植物があるのが、貧相でなくさせている具合だった。

「いやあ、あまり買うようなものはなく……」

 山田にしてみれば、そういう日常的な話しの展開であれば、苦笑いがてらに乗ろうかと思ったのだが、そんな気楽な調子を湯呑から口を離した聖来が許すことはなく、山田の返答の途中で

「で、あれは何なんですか? 私に理解できるように……いえ、納得できるように話してくれるんですよね?」

「えっと……」

 視線が部屋の角を泳ぐが、

「や~ま~だ~さ~ん」

 ヘタをしたら恨めしや的にも聞こえるような聖来の声で、山田は視線を彼女に戻し、正座の上に背筋を伸ばした。

「はあ、分かったよ。言うよ」

 溜息を一つ。しぶしぶといった調子で山田は話し始めた。

「あれは獏だよ」

「バク?」

「そう、動物園とかにいるのじゃないよ。聖来ちゃん、聞いたことあるかな? 悪い夢を食べて、良い夢を見させてくれる、伝説上の獏の方」

「ええ、はい。妖怪のアニメでも見たことはあるし、その手の話は小さい時に……そういえば保育園の時、先生がそんな本を読んでくれたな」

「その獏なんだけど、今日見たのは黒い獏。普通の獏は悪い夢を食べるけど、それとは違って、良い夢を食べしまうヤツ。だから、それを追っ払わなくてね」

「なんで、山田さんが?」

「えっと……」

「そこで詰まらない。はっきり答える!」

「はい……。あの、そのね……。僕の仕事なんだ。ンと副業というかな」

「山田さんて、妖怪ハンターとか、陰陽師とかだったんですか?」

「いや、そうじゃなくて、なんて言うかな……」

「魔法使いの類とかと言いたいみたいですね」

「そ……こ……まで断定は、僕はしないけれど、そういうのがイメージしやすいならそうじゃないかな」

「はっきりしないですね」

 ジト目で山田の顔色を窺う。

「ま、そこはそういうことにしておいて、あの青い桜は何なんですか。あの木はとっくに満開過ぎてましたけど」

「うん、ああいうこともね、黒獏絡みの現象の一つ。色の違う花が咲いたり、季節外れの花が咲いたり、他にもいろいろあるけどね」

「ということは……山田さんは、あの黒獏が人間の良い夢を奪ったりしないように、パトロールするのが副業であると」

「すごいね、大まかにいうとそうだよ。さすがだね、聖来ちゃん」

「いえ、そんなに喜んで答えるとこじゃないと思いますけど。そうすると本業は何です? まさか黒獏を追っ払った後に、自分が地球乗っ取るとか言い出さないですよね」

「違うよ、そんなことしないよ。う~ん。まさに今の状態が本業」

「何言ってんですか?」

「新人研修ってことだよ、人間の世界のことを十分に分かっておかないと、ああいうのを追いかけたり、捕まえたりする時に人間に迷惑をかけてしまうからね。僕らは密かにやらなくちゃならないから」

「あの山田さん」

「なんだい?」

「私、巻き込まれましたけど。それって山田さんが今言った『密かに』ってのに矛盾しません?」

「! ……」

 山田は聖来からそう言われて、またしても目を泳がせてから、自分の前に置いてあった湯呑に口を付けた。二口ほど啜った後、それを戻して

「聖来ちゃん、なかったことにしてくれない?」

 合掌懇願である。

「しません」

 そう言って空になった湯呑を山田の前に突き出す。

 山田は無言で保温ポットから湯を急須に注ぎ、しばし待つ。

「てか、あんな魔方陣とかできるなら、私に記憶消去の魔法とかすればいいじゃないですか?」

「そんなことできるわけないでしょ、漫画じゃないんだから」

「意味が分からないキレ方しないでください」

 円陣を浮かばせ、袋を巨大化させ、青い花を咲かせる桜を通常に戻すくらいのことをしておいて、何を言ったものかと聖来には思えた。

 湯気を揺らめかせて、二杯目のお茶が聖来の前に置かれた。一口啜る。

「黙ってますよ。もちろん」

「聖来ちゃん?」

「よくある設定じゃないですか。秘密を知られてばれたら、動物にされるとか、故郷に帰らなくちゃならないとか」

「そんなことはないけれど」

「じゃ、しゃべりますよ」

「いやいや勘弁」

 両手で拒否と否定の仕草をして再び合掌。

「分かってます。助けてもらったんですから、今晩は。それにあの黒いの逃げちゃいましたから、またどっかで暴れるかもしれないんですよね。それなら山田さんに活躍してもらわないと。あれ? そしたら、あれ捕まえたら本業終了ですか?」

「いや、黒獏はあれだけじゃないし、他にもやることはあるからね」

 山田の言葉を聞いて、心なしかほっとしている心境になったのを聖来は自覚していなかった。

「ところで、聖来ちゃんはどうして学校にまだいたの? 中間テストまだあるでしょ、なら早く帰宅してそうなものなのに」

「テストは明日で最終日です。けど、体育祭の実行委員になってるんで、競技の段取りやらしおりの作成やら備品の確認やらやることが山盛りで。高校最後の体育祭なんで、盛り上げたいし。そしたら、つい忘れ物をして。帰宅の途中に戻って、無事鞄に入れて、さあ帰宅って言ったところで、足元を見たら花びらを見つけて。桜の形なのに青く見えて、夜だからかなと思ってんですけど、他にも舞っているのが見えたんで、どこから飛んでくるんだろうと思って近づいてみると、散ったはずの桜の木が青い花びらで満開に。どうなってるだろうと思ったら、あの獏とやらが現れて、叫ぶこともできないでいたら、タイミングよく」

「僕が来たと」

「そう、山田さんが落ちて来たんです」

「いや、下りて来たでしょ、そこは。なるほど、でもね、聖来ちゃん」

「なんです?」

「あの黒獏を追いかけようとか思っちゃだめだよ、危ないんだからね」

「山田さんが早く捕まえてくれたら、追いかけませんよ」

 鋭い一言であった。まさにあの場で取り押さえれば、聖来への注意勧告は必要ではなく、ましてやそれを言ったことによって自分の足元をさらわれることもなかったわけである。

「それにしても春になると、変な人が出るとはよく言いますが、まさか山田さんがその変人だとは思いませんでしたよ」

「僕は変な人じゃないよ」

 と言ったところで二人の腹部が輪唱を奏でた。

「山田さん、自炊とかしないんですか?」

「それは差し入れに来てくれた時に何度も言われたことですけど」

 二人は視線をゴミ袋へ。空いた弁当で埋まっていた。

「ちゃんと栄養考えた方がいいですよ」

 そう言って聖来は立ち上がり、部屋の引き戸を開ける。それを不思議そうに山田は目で追いかけた。

「あるもので作りますよ」

 流しの水道で手を洗って、ポケットにあったハンカチで手を拭きながら、冷蔵庫を開けようとしていた。

「ちょ!」

 慌てて立ち上がる山田は、テーブルですねを打った。痛みを堪えて台所へ。オープン冷蔵庫。

「これなんですか?」

 一人暮らしにしては大き目な冷蔵庫の中。そこには桃の缶詰とネクターがびっしりと並んでいた。聖来は、そこをあきらめて、台所の隅に置いてあった段ボールを開けた。

「食材、無いじゃないですか」

 段ボールの中身、それもやはり桃缶であった。

「どうしたんですか、桃缶ばっかりで。風邪でも引いたんですか?」

「いや、風邪はひいてないよ。てか、なんで?」

「日本人は風邪を引いたら桃缶を食べるという文化があるんです、知らなかったんですか」

「そうなんだ。知らなかった。勉強になったよ。覚えておく」

 そんな初心な反応に、聖来は爆笑を堪えながら、

「でも本当、これは何なんですか」

 と尋ねた。

「僕らの栄養補給だよ。こっちにいる限り人間らしく食事はしないといけないし、それでもいいんだけど、重要な栄養補給っていうかな。桃が一番僕らの世界での主食に似ているから、そうだな、一日に最低一缶を食べなとパワーでないって感じかな」

 聖来は「ポパイかよ」とは思ったものの、それは口にしないでおこうとした。

「じゃあ、ネクターは?」

 その代わりに訊いた。

「桃缶の代用。携帯に便利だし、出張とか緊急の時とか役立つから」

「じゃあ、今日も桃缶ですか? 夕食」

「そうだね。ま、さっきちょっと力を使ったから、後でお弁当は買いに行くよ」

「そうですか」

 聖来はそう言うと、台所から部屋に戻り鞄を取って来た。

「帰ります」

「そう。送ろうか」

「いえ、いいです。すぐそこですし」

「ゴメンネ。夕飯出せなくて」

「私が持って来ますから」

「ん?」

「お弁当買いに行くんでしょ。それなら家にあるもの持って来ますよ。今日の助けてくれたお礼の代わりです」

「聖来ちゃん」

「それじゃあ」

 狭い玄関で靴を履き部屋のドアを開け、半身を外に出したところで、

「そう言えば、山田さん」

「なんだい?」

「気づいてました? さっきから山田さん、『僕ら』って言ってましたよね。それって山田さんみたいな人が他にもいるってことですよね。これって私とか人間に聞かせてはダメな部類の情報じゃないですかね? じゃ、すぐ来ますんで、待っててください」

 事が良いように片付いたかとホッと思い、胸を撫で下ろしつつあったが、山田は脂汗をかく羽目になった。聖来のいなくなった玄関でうなだれる。

「ヤバイ、怒られる……」

 気を取り直して、聖来が鞄を取って来る時に一緒に運んでくれたお盆から急須と湯呑を流しに置いて、水道の口を開いた。洗い始める。水切りにそれらを置きながら、

「あ~どうすッかな」

 聖来に見られたこと、聖来に話したこと、聖来に感ずかれたことを思い出したのか、身もだえをした。

 それからほどなくして聖来が自宅にあった夕飯をタッパ―に入れて持って来てくれた。お返しに桃缶とネクターを何個かビニル袋に入れて渡した。

「じゃ、山田さん。おやすみなさい。また、楽しみにしてますから」

 バタンと勢いよくドアが閉まった。

 山田は頭を掻いた。

「はあ、ご飯食べよ」

 部屋のテーブルの上には聖来からの差し入れのタッパ―が二つ―ごはん一つと、野菜炒めと煮物が入ったもの一つ―改めて淹れ直したお茶と、そして桃缶が一つ置かれた。

 夕食を済ませ、日をまたいで山田はベッドに入ったが、その晩は寝つきがあまり良くなかった。

 

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