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62 ミロクの世

【登場人物】

 中臣鎌足(カマ様)

人間に転生した天魔の神『天狐(あまつきつね)』東国の獣神であり人間体でも魔物を圧倒できる身体能力を持つ。


 額田姫王(ぬかたのひめみこ)・鏡王女

中大兄皇子の元妻であり、神の歌「言霊」を使う少女。

琵琶湖の龍王女の転生体である。


 葛城皇子(中大兄皇子)

女性と見まごう白く美しい外観に凶悪で残酷な内面を持ち合わせる。

額田姫王や倭姫王の夫であり魔族を率いる魔王でもある。


 チビコマチ(小野小町)

額田姫王に歌を学ぶため飛鳥時代に連れて来られた平安時代の少女。

巫女舞風の装束を身にまとい「言霊」を使う。


 厳 (ゴン)

春日の森で「鬼神の塚」を守る片目の野守。

なぜかチビコマチのお供をしている


 鈴鹿御前(倭姫王)

天照大神の依代であり第六天魔王の一人。

なぜか高位天魔を人間に転生させて飛鳥の都に集結させている。

ちゃっかり自分も皇女に転生した。だがまだ子供である。


 小狐丸

黒い戦闘魔獣。

魔物を斬る『神刀』を鍛える刀工でもある。


 お玉(玉藻)

百済王妃に化けた九本尻尾の妖狐の少女。

幻覚を操り、人間を魔物化させる能力を持つ。


 どこまでも同じ風景が続いていた。大運河(だいうんが)では延々と河岸の風景だけが続く。

「これを人力で掘ったのか…」道昭(どうしょう)がつぶやくように言った。

 隋の皇帝が掘った大運河(だいうんが)である。


 やがて港と倉庫が立ち並ぶ巨大な港湾都市が現れる。

巨大な中継都市の洛陽である。

そこからさらに黄河に入り、長安を目指す。


 (ヤマト)の遣唐使や留学生の一行は唐の官舟に連れられ黄河を上ぼる。

大量の物質を積んだ巨大なジャンク船の隙間を大量の小舟が行き交う。

唐の先導の役人達は「(カイ)!」と叫んで小舟をどかして行く。


 巨大な貨物船が列を成しているのが見える。チカタは兄弟子の道昭(どうしょう)に尋ねる。

「あれらの舟は皆食糧なのですか?」

「そうだ。長安城は巨大過ぎて食糧を輸送に頼るしか無い」


 チカタは眉を(ひそ)めた。

「もし…この運河が…」

チカタが言いかけたところを道昭(どうしょう)が手で制した。

(うかつな話題だったか)

 つい父親のカマタリの影響で補給ルートや一日の移送量を計算してしまう。だが唐から見れば(ヤマト)などは征服予定の敵国の一つに過ぎない。こと軍事に関わる話はここでは一切しない事が無難だ。

 チカタは改めて先輩の道昭(どうしょう)に一礼した。


「あれが長安城だ。定恵(じょうえ)

道昭(どうしょう)が指差すはるか彼方に巨大な城門が見える。

世界最大の大帝国がチカタの目に映った。


 この道昭(どうしょう)の父、船恵尺(ふね の えさか)は蘇我蝦夷の元で史書の編纂をしていた。

(ふね)』の一族とは、あのカラスの羽根の表の謎を解いた王辰爾(おうしんに)の子孫と言われる渡来系学識者の家系である。


 唐の大慈恩寺

645年、中大兄皇子が蘇我のイルカを討ったその年、長安では玄奘(げんじょう)が天竺より持ち帰って来た膨大な経典の翻訳事業を開始していた。


 唐の太宗皇帝は西域の言語や地理に通じたオブザーバーとして玄奘を政府に迎えようとしたが、玄奘は「翻訳が終わるまで」と、皇帝の申し出を断る。

 そして玄奘(げんじょう)はこの大慈恩寺で超人的なハイペースで翻訳を進めていた。


 入唐した道昭(どうしょう)玄奘(げんじょう)の直弟子となったのは、その十年ほど後の事だろうか。

 ある日、道昭(どうしょう)玄奘(げんじょう)に自室に招き入れられる。

 睡眠も取らずに超人的なスピードで翻訳作業を続けているとは聞くが、特にやつれた様子もない。むしろ健康そうに見える。


「お前は倭人とも漢人とも少し違うようだな」

「はい、祖先は(りょう)より百済に渡り、百済の辰斯王の流れとなったのだと一族の者より聞いております」

(りょう)か。私の家は陳と言って、かつて(りょう)のあった土地の者だ」


(※ 梁 :百済が朝貢していた文化国だったと言われる。だが南朝陳に変わられ、陳は隋によって滅ぼされた)


玄奘(げんじょう)はふと遠い目をした。

「砂漠の中でな…」


「は?」


「私は砂漠の中で行き倒れになったのだ。鬼に喰われて死んでいた気もした。だがそこに童子を連れた道士が現れて梨を渡してくれたのだ。その梨を食するとみるみる元気になり、今こうして寝ずに働いていても疲れないのだ」


 道昭(どうしょう)はフッと息を()いだ。

「まさに御仏(みほとけ)の霊験でございますね」

「その道士はお前によく似ていた」

「……?」


「不思議な話だ、だから私は思うのだ。お前がここへ来たのも、何か御仏(みほとけ)のお導きではないのかと」


 道昭(どうしょう)は「もしや」と思い当たった。道教の師である高志才智(こしのさいち)顔が頭をよぎる。


「お前は仏の道に入る前、倭国で何を学んだか」


「知人から道教の天蓬元帥(てんほうげんすい)の法を少し」


「天魔の術であるな」


「はい」


弥勒(ミロク)を知っているか」

 玄奘(げんじょう)の話がいきなり弥勒菩薩に飛んだ。


「はい、ブッダの入滅後、五十六億七千万年後の未来に現れて悟りを開き、世を救う未来の御仏と聞いています」


「では弥勒(ミロク)は今どこにいるか知っているか?」


「そこまでは…」


弥勒(ミロク)は第四天内院におられ、そこで法を説いておられるのだ」


「第四天界…兜率天(とそつてん)でございますね」


「なぜ未来のブッダとなられる弥勒(ミロク)が最高位の第六天ではなく第四天におられるのか、その意味が分かるか?道昭(どうしょう)


「いいえ、分りません…」


「第一天、二天、三天ではまだ心は人心に近く、神といえども欲に沈む心あり。だが第六天、五天では浮逸(ふいつ)の心ありという」


浮逸(ふいつ)…神がですか」


「虚空に近すぎるのだ」


「虚空…」


「たとえ高位の神であっても、まだ人間のように『空』と言えば空に囚われ『色』に執着する心がある。

最高神でありながら心も欲も人間と変わらないのだ、それが危ういと言える」


「なぜ危ういのでしょうか?」


「強大な神でありこの世の(ことわり)をも虚空に帰せる存在でもある。

それでありながら現世に執着し人の欲を捨てきれない。それが天魔なのだ。言い換えれば色を捨てぬ神である故に道を誤れば、この世は虚空に帰る」


「この世の(ことわり)を虚空に帰すとはいかなる災厄にございましょうか?」


「世界の破滅であるな。もし大神が誤った『空』を悟り魔道に堕ちたらどうなるか?大風は世界を吹き崩すであろう」


「魔境…」


「誤った悟りは悟りに近いゆえに本人すらその魔境に気づかないと言える。

『空』の境地を実現せずに虚無を実現させてしまう。

高位天魔とはそれしかできぬ存在なのだ」


「では御仏の説かれる『空』の境地と天魔のもたらす虚無の違いとは如何(いか)なる事なのでしょう」


「御仏の説かれる空とは『色』を離れそして離れざる事だ」


 道昭(どうしょう)(ひざま)ずき深く一礼した。

「無であり有である。空であり色であるとは、いかなる教えなのでしょうか?道をお示しください


「色即是空 空即是色。般若経の真髄の教えだ、般若心経と呼んでも良いだろう。有るは無く、無きは有る」


「有るは無く、無きは有る……」


「私は砂漠の中で一度死んだ。そしてこの世界の一切は真実に存在しているものではない。ただ我が心の『識』がつくりだしただけの夢幻のようなものだと悟った」


「夢…」


「この房でただひたすら(ジャーナ)を組む事だ。

多量の経典に囚われず、心を虚無にしてひたすら絶対の静、禅定(ジャーナ)に至る。それが仏道の真髄である」


禅定(ジャーナ)が早道とはいかかなる理由なのでしょうか?」


(ジャーナ)とは阿頼耶(アーラヤ)識の根源を探るという事だ。

それを続ければやがて純然たる宇宙の本心に至る。そして一切の無物と化した心は宇宙との境界は無くなり一つになる。そうなればもはや天魔の法は無用である」


 道昭(どうしょう)は師に再び深く一礼をした。


 その日より道昭(どうしょう)玄奘(げんじょう)の房の一室にこもってひたすら禅の極意を極めて行ったと言われる。


 大量の経典を命がけで持ち帰った玄奘(げんじょう)が示した仏道の極意は書物ではなく、意外にも(ジャーナ)であった。

 この玄奘(げんじょう)の修法は『唯識論』

と呼ばれている。


 また道昭(どうしょう)はこの後、玄奘(げんじょう)より仏舎利をいただいた。

文字通りブッダの衣鉢を継いだと認められたのであろう。



 深夜。

玄奘(げんじょう)は一人、翻訳の作業を続けていた。

その背後に紫の光が広がり黒い穴がポッカリと開いた。

 地獄の井戸である。

井戸の中から道袍(どうほう)をまとい、冠巾(かんきん)をかぶった道士服姿の(ワン)(ソン)少年が現れる。


 翻訳作業に没頭する玄奘(げんじょう)(ワン)の存在に気づかずに黙々と木簡を広げていた。

 薄明かりの灯火に照らされ(ワン)はニヤリと笑い、手を掛けようと近づくが、ふと玄奘(げんじょう)の姿が透けて見えた。

「?!」

さすがの(ワン)も目を見開いた。


「師は虚空となって次元を超えられたのです。天魔の手が届くことはありません」

 いきなり声を掛けられ(ワン)が振り返る。


 壁に地獄の井戸が開いて僧形のチカタが現れた。

「お待ちしてました」


 チカタが言うなり、(ソン)少年が鉄棒をチカタめがけて振り下ろしたが、横から飛び出したカラス天狗が(ソン)少年の腕に体当たりをして逸らす。

 鉄棒は空を切った。


「やめておけ(ソン)、ムダだ」

(ワン)が少年を制する。

「お前が使う天魔は一人では無かったな。手前に鬼が居ると言う事はもう一人の鬼は後か」


 チカタは微笑んだ

「さすがでございます。我が師、天蓬元帥(てんほうげんすい)

 チカタは(うやうや)しく合掌した。

その背後から鬼の面をかぶった金色の翼の天狗が現れた。


 (ワン)は暗い笑みを浮かべる。

「お前ごときを弟子にするつもりは無いがな」

「父からの言いつけですので」

「中臣鎌足の?」

「きっと(ひつじ)さんなら良く教えてくれるだろうとのことです」


「相変わらずバカな男だ」


「我が師よ、どうか私を天帝様の御許(おんもと)へお引き合わせくださいませ」

チカタは両手を組み、拱手(きょうしゅ)の礼をした。


 〜 62 ミロクの世 〜完

  【年表】

◼ 629年。道昭(どうしょう)誕生

629年。玄奘、インドへ出発。

◼ 637年武照、太宗の後宮に入る

◼ ︎643年。山背大兄王死去

  中臣真人(藤原チカタ)誕生

◼ ︎645年。蘇我入鹿暗殺

  玄奘、シルクロードより帰還。

◼ 648年頃。玄奘、大慈恩寺に移る

◼ 649年

 ・阿倍内麻呂死亡

 ・太宗皇帝が崩御。

 ・武照、道士となる。

◼ 653年。第二次遣唐使。

  道昭とチカタ(定恵)入唐


 (=φωφ=)あとがき。

今回は三蔵法師玄奘によって天魔王の脅威とその弱点が示唆されます。

そして「有るは無く」のヒントが語られます。これが天魔王を倒すカギですね。


 > 玄奘と仏舎利

ちなみに三蔵法師玄奘の舎利(遺骨)は分骨されて一部が埼玉県岩槻市の慈恩寺にあるのですねえ。翔んで埼玉ですな。


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