16 二人の天狗
【登場人物】
小野タスク
平凡な高校生。
悪霊を斬る霊剣『韴霊剣』を目覚めさせる能力がある。
自宅の裏山が、なぜか地獄に繋がっている。
コマチ(小野小町)
平安時代の鬼退治師であり和歌の言霊を操り自由に時空間を変化させ、炎や水を操る能力を持つ少女。
・パンツを履くという概念が無い
猟師コマチ(チビ助)
鬼と戦う少女。蝦夷風の装束を身にまとい半弓と毒薬を使う。
・パンツを履くという概念が無い
柳生十兵衛
山奥で修行中に、なぜか現代に召喚されてしまった剣豪でタスクのお婆ちゃんの友達。
立烏帽子の霊刀『小通連』に片目を食われた。
立烏帽子(鈴鹿御前)
将軍塚にある地獄の門を開放する妖女。
魔王軍随一の女性剣士である。
婆さん(奪衣婆)
三途の河原で出会った老婆。
コマチを超える言霊のパワーを持ち、御前の指示でタスクを地獄へと導く。
小野忠明
修羅の世界で最強の剣客。
というか鬼より怖い。
「あの者は天狗か妖術使いだと思っていたが、ふつうに鍛え上げた人間であったか!」
徳川家康は小野忠明を評してそう語ったという。
老士語録によれば、その日の小野忠明は病気で伏せていたという。
当時、小野忠明は神子上典善と名乗り、弟子どもを連れ従えながら市中を練り歩いてはケンカを繰り返していた。
「真剣で斬り合った方が上達は早いものだ」と神子上典善は言う。
自分が強くなる事しか興味がない。
まさに修羅の様な男であった。
だがしかし超一流の腕を持つ師範でありながら、典善の指導は苛烈であった。
自分の技を理解できぬ弟子どもに、典善はますます怒り、荒くなって行く。
門弟たちは一人、二人と典善の元から去って行ったという。
そんな魔人のような神子上典善も病には勝てず、屋敷で一人きり病に伏せていた。
そこに町奉行所から突然の討伐依頼が来る。
「ある修験者が人を殺して宿場町の自宅に立て籠もっているのだが、あまりの強さに誰も近づけない」と言うのだ。
徳川からの直々の上意討ちである。
「断る理由はないな」典善はギラリと笑った。
そう、戦いに条件などあるわけがない。
修羅とはそういうものだ。
典善は刀を杖にして立ち上がると駕籠を呼び、病に朦朧としながら江戸から離れ、街道を駆け抜けて修験者の屋敷へと向かう。
宿場町の外れ、現場へ到着すると、そこには幕府の与力とその配下の同心や捕り方たちが集まっており、中には宿場町に雇われた番人たちも見える。
駕籠から降りた典善はヨロヨロとした足取りで一人屋敷に向かい、門前に立つなり名乗りを上げた。
「神子上典善なり!上意である!」
奉行所の役人たちは驚いた。
まさか足元がフラつく病人が、殺人犯相手に「表に出て、いざ尋常に勝負しろ!」とイキ巻いたのだ。
はたして修験者は大太刀を片手に喜び勇んで屋敷の外に現れる。
最強の剣客である神子上典善が来た!まさにおのれの最期にふさわしき相手である!
「来たか!神子上典善!」
修験者は三尺の太刀から鞘を投げ払うなり長大な太刀を右肩に振りかついだ。
「参れ!」
神子上典善はスラリと二尺三寸の刀を抜いた。
短い?!
奉行所の捕方たちは驚いた。
修験者の三尺(刃渡り1メートル)の大太刀に対して、わずか二尺三寸(刃渡り73センチ)。
これでは典善の不利は明白だ。
修験者は雄叫びをあげて坂落としに走り込むと続けざまに右へ左へと大太刀を斬り込んできた。
典善は素早く打ち乗り、払い、余し打つ。
だが典善の刃は届かない。
いつもの典善であれば一撃で大太刀を切り落とし、たちまち入身して打ち倒したはずだ。
足が動かないのか!
周囲の捕り方たちは典善の異変を察した。
典善は防戦一方のままジリジリと後退する。
その時、典善は道ばたの草に滑り、仰向けに転んでしまった。
周囲で成り行きを見守っていた奉行所の役人たちは「典善がやられた!」と思った。
修験者も、この時とばかり大太刀を全力で振り下ろして来る。
だが神子上典善は冷静だった。
我が身を斬られるがままにして、ユルリと上体を起こしながら左膝を立て、脇構えから横一文字に振り払う。
『夢想剣…』
修験者の両腕が宙に舞い、大太刀ごと典善の頭をかすめ、ドサリと背後に落ちた。
血が典善の頬を伝った。
修験者の大太刀が頭をかすめたさいに切れたのだろう。
気づけば右足は草むらの脇の溝に落ちている。
ずいぶん酷い状況だ。
「ふむ、修行が足らぬな」
典善は泥まみれの足を引き上げると、何ごともなくゴロリと起き上がる。
いったい何が起こったのか?
周囲の奉行所の役人たちも、典善のあまりの絶妙な早業を感知できなかった。
典善は寝ながらにして一刀流の『仏捨刀』という技で相手の腕を左右に切り払ったのだ。
だがそれは必ずしもスピードやテクニックのなせる技ではない。
相手が確実に自分を切る!
その全てを我が物、我が心として切り落とす。
彼我一体の剣である。
そのためには自分の身を捨て、生命をかえりみず、無我無心の一刀を揮える剣士のみが使える心法の極意、無我無心の境地なのである。
典善はゆらりと起き上がると、修験者へと向かってヨロヨロと歩き出した。
見れば修験者は両手を脇に挟み、地面にうずくまっている。両腕からは血が吹き出し、白い法衣を赤く染めていた。
修験者はすでに血の気が失せた青白い顔で、遠くを見ながら聞く。
「今のは、神業であるか…典善」
すでに修験者は意識も定まらぬようだ。
「さよう、我が身の六識を捨て、心の八識にて勝つ。一刀斎より伝わる我が流儀の極意なり」
「八識…無心か…その剣の名は…?」
「夢想剣」
「夢想剣…ふふ…閻魔大王に…良いみあげ話が…できたわ」
修験者は力無く笑うと、首を起こして前に差し出した。
「先に…地獄で…待っておるぞ…典善」
「うむ」
典善がスッと刀を振ったと見えた時には修験者の首はコロリと落ちていた。
「八識を理解したか。だが…」
修験者は典善の剣理の一端を理解できた。
今まで弟子どもにあれほど理解してほしいとイラ立ち、荒く稽古を付けた剣の極意である。
それをこの修験者は死に際に理解したのだ。
だが、その時には全てが終わっていた。
典善は「ふう…」と息をつぐと空を見上げた。
「神子上典善が片足を溝に落とし、仰向けにひっくり返り、血を流しながら辛勝した」
そのような無様な話がたちまち広まり、家康の耳にも届いた。
家康は日課の射撃と乗馬をこなした後、家来の中で腕の立つ若侍たちを相手に兵法(剣術)の稽古をした。
主君たるもの戦場で使う槍や弓を鍛錬するくらいなら、自分で名手を雇い、自分の代わりに働かせれば良い。
だが馬と水泳と剣術だけは違う。
この芸だけはイザという時、自分自身で使えないと戦場の危難からは逃れられないのだ。
「今川義元殿もあと少し剣で戦えていれば家来が助けに来れたであろう」
家康はそう考える。
自分が危難から逃れるために剣を振るう。
わずかな時間だが、剣の腕が国の運命の分かれ目であると考えていた。
一通り形稽古の手習いを遣い終えた家康は庭石に腰掛けながら側に控えている若侍たちに問いかける。
「お前たち、あの神子上の捕物の話じゃが、どう思うか?」
一人の屈強な若侍が答える
「いつも市中で威張り散らしておられる神子上殿ではありますが、聞けば仰のけに倒れ、しかも手傷を負ったとか、それではマグレ勝ちと思われてもしかたありませぬ」
「さよう、剣を生業とする者としては些さか難がありまする」
若侍たちは思い思いに神子上典善を批判する。
「ふむ」家康は庭先を眺めながら返事をした。
(しかし神子上のヤツはずいぶんと煙たがられておるものじゃな)
格闘家の業であろうか。人は強さを手に入れると暴力に走りがちになる。
政治家もそうだ、権力を得れば自身の権威に溺れてしまうものだ。
ふと大坂城に居る石田三成を思い出した。
気難しい男ではあったが、悪い人間ではなかった。むしろ家康とは気が合っていた。
権威や金銭には媚ない男であった。
(六韜に曰く、清廉潔白は汚すべし……惜しい男であったな)
彼は決して秀吉公への義は曲げないであろう。
ならばこちらから挑発して豊臣へ無礼な圧力をかければ、三成はいずれ信義に篤い仲間たちと共にこの家康に戦いを挑み、そして散るであろう。
まさに豊臣のツルギである。
そう、石田三成はいかなる剣よりも強い男なのだ。
荘子はその様な信義の者を『諸侯の剣』と呼んだ。
剣での試合の強弱など、犬や庶民のケンカと同じようなものだ。自分の学んだ新当流ではそのようなケンカ剣術を『匹夫の剣』と呼んだ。
どんなに強くとも剣の名人であろうとも、強さに溺れる者は天下人の指南役にはふさわしく無い。
神子上もまた争いに心を奪われた剣の鬼。匹夫の剣なのであろう。
ふと家康は側に控えていた新参者の若い侍が目に止まった。
つい先日、黒田官兵衛の紹介で雇った兵法者(剣術遣い)である。
「お前はどう思うか?又右衛門」
家康は新参者に声を掛けた。
「は、神子上様はさすが名人かと」
新参の若い侍が迷わず答えた。
家康は少し身を乗り出した。
「何ゆえそう思える?」
又右衛門は静かに一言つぶやいた。
「自分に有利な戦場ばかりではありませぬゆえ」
「ふむ」
なるほど戦場においては体調も悪い事もある。足場も悪い事もある。武器も相手の方が有利な得物を使って来る事は良くある話だ。
家康の学んだ新当流も奥山神陰流も、まずその様な状況にならない事を旨とする。
兵法の基本である。
だがしかし、それでも戦わねばならない時も必ずある。
危機を避けずに戦う方が、結果的に戦況に有利になる事も多い。それもまた兵法の基本なのだ。
若侍の兵法に家康は満足した。
「そうじゃのう又右衛門。お前は同じ兵法者として神子上に勝てるか?」
「いえ勝てませぬ」
若い兵法者は即答した。
家康は少し機嫌を悪くした。
「ふん、勝てぬ兵法者なら要らぬのではないかな」
戦いもせずに「勝てない」などという言葉を口にする兵法家などいらない。
「それならばご安心ください」
「何?」
「勝てはしませぬが負けませぬゆえ」
「どうして負けないと言い切れるのか?」
「拙者は神子上とは戦いませぬゆえ負けませぬ」
「戦わぬじゃと?」家康は目を丸くしながら少し考えた。
又右衛門は続けた。
「そもそも勝負には勝ちも負けもありませぬ。全て戦う前に始まり、戦う前に終わりますゆえ」
「む…」
戦う前に始まり、戦う前に終わる。
それが可能ならばまさに兵法の至極である。
これは相手の心理を読み切らねば言えない話だ。
この様な若輩者がそこまで思い至るものなのか?
この時代のこの時点では家康はまさに日本最強の武将である。
兵法実践者の最高位、まさに軍神と言って良い存在である。
その家康がこの若い侍の答えに唸った。
又右衛門は家康の心情を察したかのように顔を上げてニコリと微笑むと歌を詠み始める
有るは無く 無きは数添う 世の中に
あはれいづれの 日まで歎かむ
「それは何の歌じゃ?又右衛門」
「はい、小野小町の歌にございます」
「有るは無く 無きは数添う 世の中に …か、
勝てないが負けない。有も無も同じ…か」
ん?ならば又右衛門の言う「勝てない」とは「戦う前に終わらせる自信がある」と言う事ではないのか?
もし神子上典善の心が読めるのならば、負ける事は無く、戦う必要すら無い。
家康は再び又右衛門の方を見た。
「有と有で戦っても神子上どのには勝てませぬ。無と無で戦っても勝てませぬ。ですが「有と無が一つ」ならば勝つ必要も無く、負けることもありませぬ」
又右衛門はまるで家康の心を読んだかの様に顔色ひとつ変えず微笑んでいた。
なるほど!と家康は覚った。
有でも無でも無いもの。
それは『空』である!
一空は勝ちも負けも最初から含んでいる。
自分も無ければ敵も無い。
勝てはしないが負けなければ良い。
家康は自分の「読み」に満足した。
いや、これほどの兵法理論を理解できるのは軍神家康ぐらいであろう…
ふと又右衛門を見れば静かに微笑んでいる。
(もしやコヤツめ!この家康の度量までをも読み切ったとぬかしおる気か!)
家康はふとおかしくなった。
「奇妙なヤツめ!貴様もまた天狗か!ふふふ…はっはっは」
いきなり家康が笑い出したため周囲の共侍たちは唖然とした。
この又右衛門とは、柳生又右衛門宗矩である。
宗矩はこの年、家康の元に推薦されたばかりであった。
〜16 「二人の天狗」〜 完
(=φωφ=)あとがき。
> 一刀流仏捨刀
この技は仏捨刀の地生という技ですね。
> 家康の新当流と奥山神陰流
徳川家康は有馬新当流と奥山神陰流の免許です。
>柳生宗矩
じつは採用されるのは事件の翌年なので、まだ家康の側にはいなかった…かも
まぁ読み物ですので。




