054:小さな灯火、生と死の境
――ドンドンドンッ!!
扉を激しく叩く音が元魔王城――魔勇家に響き渡る。
「姉さん! 姉さん! 大変ッス! 大変ッス!」
扉を叩く音と同時に魔王を呼ぶ声が一つ――否、二つ。
「姉さん! 助けてくださいー!! 開けてくださいー!!」
切羽詰った声が二つ城内にいる魔王の耳に届いた。
声が届くよりも先に気配を察知していた魔王だったが、顔を出すことはなかった。
なぜなら今、魔勇家は営業時間外。顔を出す必要がなかったからだ。
しかし切羽詰った二つの声――ここ数ヶ月間で聞き慣れたと言っても過言ではない二人の声を聞いてしまったのだから顔を出すしか選択肢がないのだ。
「なんじゃ? 騒がしいのぉ。まだ営業してないのじゃが?」
渋々顔を出した魔王。もちろん変装の魔法は付与している。
魔王の瞳に映る二人の人物――正義の盗賊団の頭と下っ端には彼女が魔王だという認識はない。
あるのはここ担々麺専門店『魔勇家』の女店主だということだけだ。
「「姉さん!!!」」
魔王が顔を出したことによって、その喜びから盗賊頭と下っ端盗賊は声を上げた。
その声は重なり魔王の鼓膜を振動させる。
「この子を! この妖精族を助けてあげてはくれませんか?」
必死に説明をする盗賊頭に合わせて、下っ端盗賊は両手で優しく包み込むように持っていた何かを魔王に見せた。
その何かとは盗賊頭が数秒前に言っていた妖精族だ。
それもただの妖精族ではない。
「……ぁ……ぁぅ……」
生と死の淵を彷徨っているであろうボロボロの姿の妖精族の少女だ。
「満身創痍じゃな。急がねば死ぬぞ?」
「だから姉さんのところに来たんッスよ! 助けてあげてくださいッス!」
「うぬ? なぜ妾のところなのじゃ? 真っ先に行くところは国の治癒魔術師のところじゃろ? おぬしらはもうお尋ね者ではない。国に認められている正義の盗賊団じゃろ。すぐに治癒魔術師のところに行くのじゃ!」
魔王の言っていることは正しい。むしろそれが最善策だ。
それなのに正義の盗賊団の二人は真っ先に魔王の元へ――否、彼らの認識では担々麺専門店の女店主の元へとやってきたのだ。
何かしらの意図があるのだろうと汲んだ魔王は、二人からの返事を待つことなく続け様に口を開く。
「そうか。妾の魔法を見たことがあるからか。だから妾のところへ真っ先に来たのじゃな」
正義の盗賊団の二人は魔王の魔法を――常人では扱うことが困難なほど強力な魔法を何度も見てきたのだ。
だからこそ、その魔法に縋るためにやってきたのだと魔王は判断したのである。
「じゃが、おぬしらのその判断は間違っておる。その妖精族では妾の治癒魔法を耐えることができないであろう。逆に体を精神を傷つけてしまう可能性がある。妾の魔力量では許容量を安易に超えてしまうのじゃ」
魔王は全ての魔法を扱うことが可能だ。
火、水、風、土、雷、氷、光、闇の基本的な八属性魔法に加えて治癒魔法や特殊な魔法も例外ではない。
しかし魔王が保有する底知れぬ魔力量が故に放出量も桁違いのものになる。
魔王がそれをコントロールできないと言っているのではない。魔力量の1の単位での精密なコントロールは可能だ。
可能なのだが、その1は魔王にとっての1であって、常人にとっては0を両手の指では足りないほど付け足さなければいけないほどのものなのである。
つまり桁違いの力なのだ。
敵への攻撃ならまだしも回復させるための治癒魔法となると話が変わってくる。
耐えられるはずがないのだ。桁違いの――規格外の回復量に。
「…………ぅ…………ぅ……っ……」
妖精族の少女の呼吸がさらに弱まっていく。
「だから早く治癒魔術師のところへ行くのじゃ」
妖精族の命の灯火が消えるまであと少し。一刻を争う状況だからこそ、力になれないということを説明したのである。
質問や返答などの時間のロスを生じさせないために簡潔でありながら丁寧に説明したのだ。
これなら正義の盗賊団も踵を返し王都に向かうだろう。魔王はそう思っていた。
「治癒魔法よりも担々麺を――!」
「担々麺を食べさせるッス!」
予想外の返答に魔王は唖然とする。口は大きく開き閉じる様子が一切なかった。
そう。正義の盗賊団は端から治癒魔法などあてにしていない。
担々麺を愛するが故に担々麺を食べさせれば治ると判断したのだ。
つまり魔王の予想は大ハズレ。
正義の盗賊団の常識がこれまで食べてきた担々麺によって覆っていたのである。
「ここの担々麺なら……姉さんたちが作る担々麺ならきっと治るはずです! 治癒魔法なんかよりも遥に!」
「姉さん! 傷だらけの妖精族を治してくださいッス! お願いしますッス!」
「営業時間外ってのは百も承知です。でもここしか、担々麺しか妖精族を救えないんです! お願いします!」
頭を下げる正義の盗賊団の二人。
ここに真っ先に来た理由が判明した。誠意も見せられた。妖精族の少女にも時間がない。
それなら魔王の返答は一つしかない。
「わかったのじゃ! すぐに取り掛かるから待つのじゃ!」
担々麺を求む者を拒む理由など一つもない。
たとえ生と死を彷徨っていたとしてもだ。
それが担々麺を調理する者の宿命。それが担々麺を愛する者の宿命なのだから。
「お願いします!」
「お願いしますッス!」
二人の声が気持ちよく鼓膜を振動した。
その余韻に浸る間もなく、魔王は厨房へと駆けていく。
担々麺で満身創痍の体を癒したという事例は聞いたことはない。
否、幾度としてあった。幾度として目にしてきた。
自称世界最強の龍人族然り、最凶で災厄の邪竜然り。
体の傷を癒すだけではなく、悪心までも改心させる。
原理は不明だ。
不明なのだが、前述にもあるように奇跡のような状況を幾度として目にしてきている。
それならば作るしかないのだ。妖精族の少女の命を救うために。
厨房へ入った魔王の瞳に真っ先に映ったのは、勇者の聖剣だった。
脳裏に映る光景は勇者の姿でいっぱいだ。
「ゆーくんが来るまでまだ時間がある。妾一人で何とかするしかないということじゃな」
勇者がいない厨房に寂しさを感じる魔王だったが、気持ちを切り替えて調理に取りかかった。
「ところであの妖精族……何であんなに傷だらけじゃったのじゃ? まあ、それはあとで聞くとしよう。今は〝究極の担々麺〟を――いや〝究極のミニ担々麺〟を作るのじゃ!」
魔王はひと回り小さな丼鉢に手を伸ばした。




