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042:甘々のストロベリー担々麺、夢の空間に出現

 夢とは脳に蓄積(ちくせき)した情報を整理するために見ると言われている。過去の記憶、直近の記憶、印象に残った記憶――ありとあらゆる記憶が結びつき、それらが睡眠時に処理されたもなのだ。

 と夢について説明してきたが、実際のところ諸説ありだ。夢というものがなんなのかはっきりとわかっていないのである。

 だからこそサキュバスは――「夢だもんね」と勇者の夢を受け入れることができたのである。

 勇者の夢を受け入れたのならば、やることは一つしか残っていない。


 ――勇者の精気を吸うこと。


 勇者の夢の中に入ったサキュバスの栄養補給のために、夢の中の勇者から精気を吸収しなければならないのだ。

 そうしなければ空腹に似た状態となってしまう。最悪の場合、栄養不足で餓死(がし)することもあるのだ。

 なお、サキュバスに精気を吸われた人間は稀に不調を訴えることがあるらしい。さらにちょっとだけ刺激の強い夢を見たような感覚に(おちい)ることもあるらしい。

 どちらにしても勇者には支障(ししょう)が出ない程度のものだ。


「夢の中とはいえ魔王から勇者を奪うのはちょっと怖いわね。でも夢の中で私に勝てるものなんていないんだから――!!」


 直後、担々麺専門店『魔勇家(まゆうや)』の店内が――否、勇者の夢の空間が(ゆが)んでいく。

 サキュバスが夢の空間を歪ませたのだ。

 この瞬間のみ、夢を見ている本人は悪夢を見ているような感覚に陥る。


「うぅ……まーちゃん……どこにも……いかないで……うぅ……」


 現実世界での勇者は(うな)されていた。


 空間の歪みが落ち着いた頃には、勇者と魔王は離れ離れになっていた。

 魔王と勇者は(あらが)おうとはしなかった。抜け殻のようにその場に立ち尽くしているだけだ。

 サキュバスは一人になった勇者に近付く。魔王の代わりに勇者の隣に立ったのだ。


「ふふふっ。これで勇者の精気をたっぷりと吸えるわね。これだけの栄養を全部吸い取ったら、お肌ピチピチになってモテちゃうかも! じゅるり……早速いただくわ。貴方(あなた)には最高の夢を見させてあげるわね」


 サキュバスが勇者の体に触れた。そのまま体を密着させ、勇者の唇を奪うための行動に出た。


「貴方の――勇者の精気を吸わせ――いてっ! な、何!?」


 勇者の唇を奪おうとしていたサキュバスの後頭部に何かが当たる。

 一度歪んだこの空間の周辺にはサキュバスと勇者以外誰もいない。

 魔王の抜け殻のように遠くで立ち尽くしたままだ。

 ではサキュバスの後頭部に当たったものは何か?


「……邪魔したのはこのよくわからない料理なのね。驚いちゃったわ。魔王が飛んできたのかと」


 サキュバスの後頭部に当たったのは、ぷかぷかと浮かぶ真っ赤な丼鉢(どんぶりばち)。その中にあるのはもちろん担々麺だ。


「空間を歪ませたときに紛れ込んでしまったのね。いいわ。勇者をいただく前に食べてあげる」


 知らない料理に興味を持ったサキュバスはそれを食そうとする。

 夢の中でも味や香りなど再現することが可能だ。その再現度は夢を見ている本人の記憶に委ねられるが、勇者の寸分違わない記憶力からはなんの心配もいらないであろう。

 だからこの食事という行為が無意味ではないのである。興味を持ったのなら行動した方が得をする、行動しなかったら損をする。

 そういうところは夢の中でも現実世界と酷似しているのである。


 そして淫魔(いんま)としてもこの食事という行為は、決して無意味な行為ではないのだ。

 実は夢の中の食事からでも淫魔に必要な栄養を補給することが可能なのである。

 夢の中でも現実世界でも料理というものは、食したものに栄養を与えるのだ。


 ――ぼふんッ!!


 担々麺を食べようとしたサキュバスの前に箸とレンゲが突然出現した。


「あら? 気が利くわね。自分で出そうと思ってたのに。さすが勇者ね」


 この箸とレンゲはサキュバスが言った通り、勇者が反射的に出現させたものだ。

 この反射的にしてしまった行動は、一種の()()()のようなものだろう。

 彼の職業はもう勇者ではない。料理屋の店主だ。

 彼自身もそのように自覚しているという証拠だ。


「美味しいってのは見た目で十分伝わるのだけれど、この料理って一体なんなの? 現実世界でも夢の中でも初めて見た料理よ?」


 小首を傾げながら独り言を呟くサキュバス。

 そんな独り言を抜け殻のようにその場に立ち尽くす勇者が答える。


「それは〝甘々のストロベリー担々麺〟だ」


「え? 甘々? ストロベリー? タンタンメン? ストロベリーって苺のことよね? 甘い苺が入ったタンタンメン? タンタンメンって一体なんなの? 余計にわからなくなったわ」


 担々麺という言葉も存在も知らないサキュバスにとっては、余計に混乱を招く結果となってしまった。


「担々麺というのはだな、定義が明確に決められていない面白い麺料理だ。国によって、地域によって、店によって、店主によって味付けや具材が異なってだな……それなのにスープがあるオーソドックスなものから、スープが無い汁なし担々麺、冷えている冷やし担々麺、スープと麺が別々に盛り付けられた担々つけ麺、などなどバリエーションも豊富なんだよ。それで担々麺は中国から始まってだな……」


 混乱しているサキュバスに勇者は、担々麺について早口で喋り始めた。何かに取り憑かれているかのように永遠と喋り続けている。

 抜け殻のようにその場に立ち尽くしている姿も相まって、早口で喋る勇者の姿は恐怖でしかない。


「さすが勇者……夢の中でもここまで返答ができるとは……」


「それで担々麺の恐ろしいところはどんな味にもぴったりと馴染むところだな。チーズもトマトもイカスミもバジルも。茨城県には納豆担々麺ってのもあったぞ。そういえば東京で豆乳担々麺ってのも食べたな。今度作ってみるか」


「って、まだ喋ってるんだけど!? それよりも今までの説明訊いてもタンタンメンというものがなんだかよくわからないんだけど。イバラギとかトウキョウとかよくわからない言葉も出てきたし……」


「いばらぎじゃなくていばらきな?」


「どっちでもいいわよ! というかなんでこんなにも答えてくるの? 夢の中でも自我が残ってるんじゃない?」


 正確に返答してくる勇者にサキュバスは唖然とするしかなかった。


「とにかく、説明されても全然わからないから実際に食べてどんなものか見極めるわ。その後じっくりと貴方(あなた)をいただくからね。うふふふっ」


 サキュバスは箸だけを手に取った。

 レンゲの使い方を知らないから箸だけを取ったのではない。

 箸だけで事足りると思ったのだ。


 勇者の夢の中に出現した〝甘々のストロベリー担々麺〟は苺のように真っ赤な丼鉢に入っている。

 スープは鮮やかに色付いた苺の実のような色――苺色をしている。

 その苺色のスープに通常の〝究極の担々麺〟と同じように豚挽肉と青梗菜(チンゲンサイ)と白髪ネギの具材三銃士が載っている。

 具材三銃士の他には、刻んだ青ネギの代わりに刻んだ苺の葉が使用されている。

 さらに1センチ角に切られた苺が麺の上に載っており、スープの上に浮かんでいるようになデコレーションがされていた。

 1センチ角の苺や具材三銃士を支えている麺はスープ同様に通常の〝究極の担々麺〟と同じ中太サイズの縮れ麺である。

 ただ違う点が一つだけある。それは色が金糸雀(かなりあ)色ではなく、苺色のスープと同じ苺色だということだ。

 製麺する際にストロベリーパウダーを混ぜた結果、苺色の縮れ麺が完成したのである。


 これは夢の中ではあるが、勇者の実際の記憶に基づいて再現されている世界。

 前述にもあるようにありとあらゆる記憶が結びつき、それらが睡眠時に処理されたもなのだ。

 〝甘々のストロベリー担々麺〟は『魔勇家』のメニュー表には載っていない商品。裏メニューでもない。

 つまり勇者と魔王が完成させることができなかった幻の担々麺と言えよう。

 勇者の未練がこのような形で夢の中に現れているのだ。


「ストロベリータンタンメン。どんな味かしら? 甘々のストロベリーって名前だしデザートなのかしら?」


 サキュバスが持つ箸の先が〝甘々のストロベリー担々麺〟に接触。

 そのまま麺をつるりと(すく)い上げた。


「麺も苺の色をしているのね。ではいただくとするわ!」



 ――ふーふーっ、パクッ!!



 サキュバスは〝甘々のストロベリー担々麺〟を一口食べた。

 記念すべき最初の一口目だ。


「あ、あ、あ、あ……」


 箸を落として悶えるサキュバス。

 口に合わなかったのだろうか?

 魔王と勇者が試作を重ねても『魔勇家(まゆうや)』のメニューに採用されなかった担々麺だ。

 美味しいのなら採用されるはず。採用されていないということはそういうことだろう。


「あ……あ、あ……」


 頬を必死に抑えるサキュバス。

 抑えているよいうよりも押し上げていると言った方が表現が正しいかもしれない。

 それだけ頬を強く、力一杯に押し上げている。


「あ、あ……あ――!!!」


 次の瞬間、サキュバスは叫んだ。


「あま〜〜〜〜〜いッ!!!!!」


 その叫び声は勇者の夢の空間に響き渡ったのだった。

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