040:一件落着、空に響くは担々麺を愛する者たちによる担々麺コール
『店主ー! 店主ー!』
邪竜の念波が魔王と勇者の脳内に響き渡る。
直後、邪竜の姿がその瞳に映る。
「み、みんな!」「おぬしら!」
魔王と勇者、二人の声が重なった。
二人の瞳に映ったのは邪竜だけではなかった。常連客の全員が映ったのだ。
邪竜は痛みで顔を歪ませながら、女剣士は折れた右腕を庇いながら、鬼人は覚束ない足取りで、他の者たちは心配の眼差しを向けながら魔王と勇者に向かって足を運んでいるのである。
「な、なんなんッスか! この状況は!」
「あら? 想像していた状況とは違うわね」
下っ端盗賊とエルフが驚きと困惑を混ぜ合わせた表情を浮かべながら言った。
声に出さなかっただけで他の常連客も皆同じ気持ちである。
なぜなら、魔王と勇者、すなわち料理屋の店主たちが無傷の状態で平然と立っており、ボロ雑巾のように倒れているのが偽魔王と偽勇者だからだ。
天と地がひっくり返らなければ見られないような光景だ。誰でも驚きと困惑の色を浮かべてしまうだろう。
「あ、え、え、えーっと、その、これは、だな……」
女魔術師のようにおどおどと喋るのは男店主――勇者だ。
このままでは自分が勇者だとバレてしまう可能性が浮上してしまった。
何か上手な言い訳はないかと考える。
その結果出た言葉、出た言い訳は――
「あっ、こ、こいつら、仲間割れしてさ。それで相討ちで終わって。だから俺たちは無傷だったんだよ。あー、よかった。勝手に喧嘩して勝手にやられてくれて」
チラチラと常連客たちの表情を伺いながら喋る勇者。
常連客たちは誰一人として信じていない様子だった。
(くそー、信じてないよな。めちゃくちゃ怪しんでるよな。正義の盗賊団にいたっては聖剣も見られてるし、いや、でもあの時はなんとか誤魔化せたぞ。邪竜にいたってもまーちゃんの力とか見られてるわけであって……というか、情報屋さん、めちゃくちゃメモしてるけど、一体何書いてるの? そのノートあとで見てもいい? ねえ? ねえ? 俺たちのこと勇者とか魔王とか書いてるわけじゃないよね? やばいやばいやばいぞ。妙な間は危険だ。早く、もっともらしい言い訳を、信じてもらえそうな言い訳を……)
勇者が思考していると、魔王がやれやれと言わんばかりの表情をした直後、口を開いた。
「おぬしら聞いてくれ」
この状況に最適解な言い訳でも思い付いたのだろう。
その証拠に魔王の表情は自信に満ち溢れている。
だからこそ勇者は魔王に全てを託した。
この世で最も信用できる存在の魔王に。心の底から好きになってしまった魔王に。
(任せたぞ! まーちゃん! キミだけが頼りだ!)
願いを込めて耳を傾ける勇者。
その瞬間、勇者の鼓膜を、常連客たちの鼓膜を魔王の声が振動させた。
「一件落着ということで担々麺を食べるのじゃ!」
その言葉に全てを託してしまったことを後悔する勇者。
しかしそんな勇者の反応とは裏腹に常連客たちは肯定の声を上げる。
「そうだな。また〝漆黒のイカスミ担々麺〟が食べたくなってきた。右腕がダメなら左腕で食べればいい。左腕がダメなら口だけを使い食べればいい!」
と、女剣士が右腕の痛みを忘れたかのような朗らかな笑顔を浮かべながら言った。
「あ、安心したら……わ、わ、わ、私も、し、漆黒の、い、イカスミ、担々麺、た、食べたくなってきました……」
と、女魔術師がお腹を触り頬を朱色に染めながら言った。
「走って汗かいたんで〝冷涼の冷やし担々麺〟が食べたいッス」
と、下っ端盗賊が汗を乱暴に拭いながら言った。
「同感だな」
と、下っ端盗賊の言葉に頷きながら盗賊頭が言った。
「あら? 汗をかいているからこそ、私は熱々で激辛な担々麺を食べたくなるのだけども。うふふっ」
と、妖艶に微笑み舌で唇を舐めながらエルフが言った。
「冷たさも温かさも辛さも、全部味わえる〝極上の担々つけ麺〟こそ、最強の担々麺ってことだな! くははははははっ!」
と、正義の盗賊団とエルフの話を聞いていた龍人が声高らかに言った。
「チーズたっぷりの平和の味、それこそこの瞬間に相応しい。今食べるのが最もベストなタイミングかも知れません。メモメモっと」
と、羊人は自分の世界に入りメモを取りながら一人でぶつぶつと言った。
「血を流しすぎたァ。早くトマト担々麺が食いたいぜッ! ガッハッハッハッハ!」
と、流血しているとは思えない元気な声で鬼人が言った。
『余は〝翡翠のバジリコ担々麺〟に溺れたい』
と、変態じみたことを邪竜が言った。
担々麺を食べるのじゃ。その一言で自分たちに向けられている疑いの意識を、担々麺を食べるという意識に変えたのである。
もちろん疑いの意識が完全に拭えたわけではない。
しかしそんなことはどうでもいいと思ってしまうほど、担々麺が食べたくなっているのが現状だ。
担々麺とは冷静な判断ができなくなるほどの恐ろしい料理なのかも知れない。否、訂正しよう。最高の料理なのかも知れない。
「と、その前にじゃ。こいつらの仮面を外してその素顔を見させてもらうぞ」
魔王は気を失って倒れている偽勇者の仮面に手をかけた。
素顔を見るために仮面を外そうとした次の瞬間、偽勇者の体が老いていった。
そしてそのまま偽勇者は痩せ細った老人の姿となり、朽ちた。
「な、なんだこれは? どうなってるんだ?」
驚きの声を上げる勇者。
それに対して魔王と邪竜が同時に口を開く。
「呪いじゃな」『呪いだな』
鼓膜を振動させる魔王の声、脳内で再生される邪竜の声。
二つの声が違和感なく重なった。
「呪いってなんッスか? こんな恐ろしいものなんッスか?」
下っ端盗賊が呪いという言葉を聞いて、困惑と恐怖を混ぜ合わせた色を浮かべながら質問した。
同じく盗賊頭と情報屋の羊人も下っ端盗賊と同じような表情を浮かべている。
『呪いとは魔法や加護やスキルなどと並ぶこの世界の四つの異能の一つ。発動条件は様々、その能力も様々。この世界で最も邪悪で強力な力だ』
邪竜が呪いについて簡単に説明した。
情報屋の羊人でも呪いについて知らないのは無理もない。
魔法やスキルや加護といった異能は誰もが知っている異能だが、呪いというのはごく一部の者しか知らない異能だ。
世界を脅かす力があるからこそ、呪いという言葉を国が、世界が、正義の盗賊団や羊人のような一般人に隠していたのである。
発動条件は様々あると邪竜が言ったが、呪いという存在自体を知らなければ、その発動の機会も訪れないのである。
だから世界は一般人には呪いの存在を秘密にしているのである。
『呪いの仮面か……裏で何者かが暗躍している可能性があるな』
「そうじゃのぉ。魔王と勇者の偽物を作るくらいじゃから、相当な恨みがある者かもしれん。それこそ魔女とか……」
『魔女か。なるほど。奴ならあり得るかも知れないな。勇者と魔王に恨みがあるという点も踏まえても。というか、なぜ店主のお主が魔女のことを知っているんだ? もしかしてお主は……』
ついさっき疑いの意識が逸れたばかりだというのに、魔王は迂闊にも素のまま喋ってしまい、邪竜に再び疑いの目を向けられてしまう。
「あ、いや、そ、そのじゃな、昔、暗黒界にいたときに本で読んだなぁ、とか思い出してじゃな……ほ、ほれ、魔女ってむかーしから存在したじゃろ? それでじゃよそれで」
なんとか誤魔化そうと必死な魔王。そのくねくねとした動きは逆に怪しい。そして可愛い。
『そうか。まあいい。お主が魔王でも、男店主が勇者でも今の余にはどうでもいいこと。〝翡翠のバジリコ担々麺〟さえ食せればどうでもいいことだ。もう過去のことなど恨んではいない。互いに事情があったのも事実だからな。違う方向を向いていれば、右を左と言う者も右を右と言う者も現れる。右を下だと言う者だって、上だと言う者だって現れる。余と勇者と魔王はたまたま違う方向を向いていただけだからな。だからお主らが勇者でも魔王でも余にとっては、もうどうでもいいことなのだよ』
そう念波で伝えた邪竜。その念波はこの場にいる全員ではなく、魔王と勇者にだけ向けられたものだということを二人は知らない。
邪竜が正体に気付いていると言うことも二人は知らない。
『ささ、偽物の魔王の仮面は外さずに拘束するんだな。余を拘束した闇の鎖でな。その身が朽ちてしまえば調査に支障が出てしまうだろうからな』
「う、うぬ。了解じゃ」
魔王は邪竜に言われた通り、闇属性魔法で出現させた闇の鎖で偽魔王を拘束した。
直後、仮面が割れて偽勇者の時と同じように偽魔王の体が朽ちてしまった。
「な、なんでじゃ? どうしてじゃ?」
困惑の声を上げる魔王に向かって勇者が口を開く。
「あっ、ごめん。多分俺の攻撃で、じゃなくて、偽勇者の攻撃でその仮面にヒビが入ってたのを見たから、もうその仮面は限界だったのかも知れない。うん。絶対にそう。全部偽勇者が悪い」
勇者は偽魔王をデコピンで倒したため、額を完全に覆っている仮面が損傷していたのである。
それが今になって限界を迎えて粉々に砕けたのだ。
勇者は全てを偽勇者に押し付けた。自分の正体を隠すための最適解だ。
もはや勇者の言葉を否定する者など誰もいない。死人に口無しだ。
「と、とにかく担々麺だ! みんな担々麺を食べよう! その後のことはその時に考えればいい! だから今は担々麺! 担々麺を食べよう! 邪竜さんが厨房を守ってくれたし、すぐに担々麺を作れるぞ!」
担々麺という便利な言葉を巧みに使い、全てを力技で誤魔化した勇者。
それに誤魔化される者達も大概だが、この場にいる全員は担々麺をこよなく愛しているのだ。
だから仕方がないと言えば仕方がないことなのである。
「担々麺! はいっ! まーちゃんも一緒に! 担々麺! 担々麺!」
「担々麺じゃ! 担々麺じゃ! 担々麺じゃ!」
「担々麺! 担々麺! 担々麺! みんなも一緒に!」
勇者と魔王が手拍子を交えながら担々麺コールを始めた。
それに釣られて常連客たちも担々麺コールを始める。
『余のバジリコ担々麺! 余のバジリコ担々麺! 余のバジリコ担々麺! 余のバジリコ担々麺!』
「トマト担々麺ッ! トマト担々麺ッ! トマト担々麺ッ! トマト担々麺ッ! ガッハッハッハッハッハ!!」
「うふふっ。激辛担々麺。激辛担々麺。激辛担々麺」
「冷やし担々麺! 冷やし担々麺! 冷やし担々麺! 冷やし担々麺!」
「冷やし担々麺ッス! 冷やし担々麺ッス! 冷やし担々麺ッス! 冷やし担々麺ッス!」
「い、いいい、イカスミ、た、た、た、た、担々、麺……い、いいか、すみ、た、たたん、担々麺……」
「ふっ、イカスミ担々麺! イカスミ担々麺! イカスミ担々麺!」
「くはははははっ! 担々つけ麺! 担々つけ麺! 極上の担々つけ麺!」
「チーズ担々麺です! チーズ担々麺です! チーズ担々麺です!」
異常で異様な担々麺コールが担々麺専門店『魔勇家』の周辺の空に響き渡った。
魔勇家に戻ると各々が何かしらの行動に取り掛かった。
魔王と勇者は担々麺の調理。常連客たちが荒れた店内の清掃を行った。
朽ちた偽魔王と偽勇者はというと、出入り口近くで拘束されている。
生命エネルギーを感じることができないが、念には念をと、闇の鎖で拘束したのである。
魔王と勇者が担々麺の調理に取り掛かってから数十分。
ようやくそれぞれの席にそれぞれの担々麺が運ばれる。
――スーッ、ズルズルズルッ!!!!
――ズーッ、ズルッ、ズルルルルッ!!!!
担々麺コールの代わりに麺を啜る音、スープを啜る音が店内に鳴り響いた。
そして美味しい美味しい、と満足する声が鼓膜を振動させて、幸せな空間へとなったのだった。




