1、始まりの人生(5)
シャルロットがダナース国に来てからというもの、エディロンは執務の合間を縫ってはシャルロットの元を訪ねて来てくれた。国王として多忙のため、さほど長い時間ではないものの、エディロンと交わす何気ない会話や優しい態度はシャルロットにとってとても心地よいものだった。
そしてダナース国に来て一年ほど経ったこの日、遂にシャルロットとエディロンは挙式して正式な夫婦となった。
◇ ◇ ◇
シャルロットはシンと静まりかえる寝室でベッドのシーツを指でなぞる。
(エディロン様、遅いな……)
ダナース国に来てからというもの、エディロンはことあるごとにシャルロットに甘い愛の言葉を囁き、優しく抱きしめ、蕩けるようなキスをした。
けれど、それ以上の関係には進んでいない。エディロンが『正式な夫婦となったときの楽しみにとっておく』と言ったからだ。
(結婚式の日まで、こんなに遅くまでお仕事しなければならないのかしら?)
シャルロットは壁際に置かれた置き時計を見る。
もう、かれこれ三時間もひとりぼっちで待っている。エディロンのことだからきっとすぐにここに現れて愛してくれると思っていたのに。
(そうだわ!)
シャルロットはベッドから降りると、そっと歩き出す。
「どこに行くにゃ?」
膝から下ろされた使い魔のルルがシャルロットに尋ねる。
「きっと根詰めていらして時間が経ったことに気付いていないのだわ。こっそり呼びに行って驚かせようかと思うの」
「でも、この部屋から出ちゃだめって言われてるんじゃないのかにゃ?」
「言われたけど、エディロン様なら笑って許してくださるわ」
シャルロットは笑ってそう言うと、部屋の片隅に付けられた扉──エディロンの私室との続き間の扉へと手を伸ばす。そのとき、手にびしゃっと何かが乗っかった。
「きゃっ!」
シャルロットはびっくりしてその手を引く。しかし、手に乗っかったものの正体に気付くとほっと息を吐いた。
「びっくりしたわ。ガル、邪魔しないの。どこから入ってきたの? ここは来ちゃだめよ」
シャルロットは自分の手に乗った羽根つきトカゲ──この子はシャルロットが離宮の近くで拾ってペットとして飼っていたものを連れてきた──に話しかける。ガルは不満げに何かを訴えようと口をパクパクとしていた。
「だーめ。ガルはわたくしのお部屋に戻って」
シャルロットはガルを床に置くと、今度こそ目的の扉のドアノブに手を伸ばす。
(鍵、開けられるかしら?)
シャルロットは魔法があまり得意ではないが、解錠の魔法を試みる。するとそれは見事に成功し、ドアノブはカチャリと回った。
(ここがエディロン様の私室……)
私室は二間続きになっているようで、奥の部屋の明かりが灯っているのが見えた。シャルロットは物音を立てないように明かりのほうへと近づく。
(いらっしゃったわ)
シャルロットからは、執務机に向かうエディロンの後ろ姿が見えた。ちょうど立ち上がったので、慌てて近くのドレープカーテンの影に隠れる。カツン、カツンと靴が床にぶつかる音が近づいてくる。
(近くにいらしたら抱きついて驚かせちゃおうかしら?)
そんなことを考えてふふっと小さく笑っていると、突如胸の辺りに鋭い痛みが走った。
「え……」
何かを考える間もなく、けほっと口から血があふれ出す。鋭い痛みに胸に手を触れると、固く冷たい感触と共にぬるっとした血の感触がした。
(嘘……)
自分は剣で胸を刺されたのだ。すぐにそう悟った。
「それで隠れているつもりか? エリス国のドブネズミが」
今まで一度も聞いたことがないような低く冷たい声だったが、それは間違いなくエディロンのものだった。愛した人の声を、聞き間違えるはずがない。
(エリス国のドブネズミ? わたくしのこと?)
自分はずっと、彼から〝ドブネズミ〟と思われていたのだろうか?
彼もまた、自分のことを蔑んでいたのだろうか?
(わたくしを愛してくれると信じていたのに、嘘だったの?)
体が崩れ落ち、弾みで隠れていたドレープカーテンが引き裂かれる。
(あなたとなら、幸せになれると思っていたのに)
シャルロットは床に横たわったまま、力なく目の前の男──今日結婚したばかりのエディロンを見上げる。
「どう……し、て……?」
声にならない声と共に、目から涙がこぼれ落ちる。
視界が暗くなり、鋭い痛みに加えて急激な寒さが襲ってくる。
食い入るようにこちらに見入るエディロンの表情は、もはや霞んでよく見えない。
(ひとりで浮かれて、バカみたい……)
意識が急激に薄れて行く。
(ジョセフ。お互い幸せになろうって言ってたのに、ごめんね)
故郷にいる双子の弟を思う。脳裏に甦ったのは、まだ母が生きていた頃の幸せな記憶だ。
(お母様……)
死んだら母に会えるだろうか。
シャルロットの意識は、そのまま闇に呑まれた。