6.揺れる心(6)
「作物の様子を視察しに行こう」
(あ、そういうことね)
一緒に花を見に行こうと誘われているのかと勘違いしてしまった。
エディロンはただ単に、国内の農作物の状況を見に行こうと言ってきただけだ。
「嫌か?」
返事しないシャルロットを不思議に思ったのか、エディロンが尋ねてくる。
「いいえ。陛下が花見に誘ってくれたのかと思い、びっくりしただけです」
「花見に誘ったんだ」
「農作物の状況の視察でしょう?」
「それもそうだが、あなたと一緒に花を見たいと思った」
「……っ!」
シャルロットは言葉を詰まらせる。
(まただわ)
無自覚なのか意図的なのかはわからないが、エディロンはまるでシャルロットに好意があると勘違いさせるような言動を取る。
いつの間にか、シャルロット自身もそれを心地よく感じてしまっていることに気付いていた。
「楽しみにしておく」
エディロンはにこりと微笑みシャルロットの頬に触れると、また訓練へと戻っていった。
シャルロットはその後ろ姿を見送りながら、自分の頬に手を当てる。
触れられた場所が、熱い。
頑丈な箱に入れて何重もの鍵を掛けたはずの感情。
その錠前が、またひとつ外れるのを感じた。
◇ ◇ ◇
目の前に並べられたのは、いくつもの可愛らしいお菓子の数々。用意されたのは、芳醇な香りの上質な紅茶。
ダムール侯爵夫人が主催するお茶会には、シャルロットを入れて全部で四人の参加者がいた。主催者のダムール侯爵夫人は二十代半ばの若き侯爵夫人で、物腰の柔らかい女性だった。
貴婦人のお茶会の内容は、大体どこに行っても同じだ。
恋の話、ファッションの話、最近流行しているお菓子や本の話、そして、ここにいない誰かの噂話……。
「シャルロット様は、陛下とはお会いしたことがあったのですか?」
参加者のひとり、ウィルトン子爵夫人がシャルロットに尋ねる。ウィルトン子爵夫人はこの場では一番の年長者で、歳は三十を少し過ぎている。既に、ふたりの子供を持つ母でもある人だ。
「陛下と? いいえ。ダナース国に来て初めてです」
「まあ。では、運命的な出会いだったのですね」
ウィルトン子爵夫人は口元に手を当てて、朗らかに微笑む。
「う、運命的!?」
びっくりしたシャルロットは、げほげほとむせる。
〝運命的〟ではなくて〝運命の悪戯〟だと思うわ、という言葉はすんでのところで呑み込む。誰がまさか、一度目の人生で自分を殺した男に再び嫁ぐと思っていただろうか。
「ええ。だって、陛下のシャルロット様への寵愛にはあの祝賀会参加者の誰もが驚きました。陛下は……ほら、女性を寄せ付けないから」
「そうなのですか?」
シャルロットは意外に思って聞き返す。
エディロンの甘い囁きは、誰にでもそうなのだと思っていたから。
(誰にでも言っているんじゃないんだ……)
なんとなく嬉しく感じてしまい、シャルロットは慌ててその考えを打ち消す。必要なければ寄せ付けないだけで、必要があれば甘い態度をとるのは当然だ。だって、エディロンは国王であり、国益を優先させる必要があるから。
「そういえば、シャルロット様。陛下への誕生日プレゼントは決めましたか?」
和やかに進むお茶会の最中、今度はダムール侯爵夫人が口を開く。
「え?」
「来月だから、我が家でも何にしようかと頭を悩ませているところです。ほら、陛下はあまり贅沢品をお好みにならないでしょう? でも、かといって貧相なものもいかがなものかと思いまして」
「そ、そうね」
答えながら、シャルロットは必死に自分の中の記憶を呼び起こしていた。
(誕生日? そうよ、エディロン様の誕生日だわ!)
確かに一度目の人生でも、婚約期間中にエディロンの誕生日をお祝いした記憶がある。何がほしいかと聞いたら『シャルロットをゆっくり愛でたい』などと歯の浮きそうな甘い台詞を返されて、結局ふたりでデートした。
(完全に忘れていたわ!)
別にエディロンはシャルロットからのプレゼントを期待してなどいないだろうけれど、建前上は婚約者なのだから渡したほうがいいだろう。
「実は、まだ決めていないの」
「あら、そうなのですか?」
ダムール侯爵夫人はびっくりしたように目を丸くする。けれど、すぐにふわっと微笑んだ。
「でも、大丈夫ですわ。陛下はシャルロット様をとても大切に思っていらっしゃるから、何をプレゼントしてもお喜びになります」
「まあ。おほほ……」
シャルロットは乾いた笑いを漏らす。
それ、演技なんですよ。と言いたい気持ちを必死に抑えながら。
(それにしても、何がいいかしら?)
ダムール侯爵夫人が言うとおり、エディロンは極端な贅沢品は好まないだろう。
(どうせなら、喜んでもらいたいな)
考え込んでいると、ダムール侯爵夫人が周囲の参加者に話しかけているのが聞こえた。
「陛下には隠れた敵対勢力も多いから、なかなか心安まる場がないでしょう? 今年はシャルロット様がいらっしゃるから、安心ですわね」
「本当ですね。喜ばしいことです」
周囲の参加者もにこにこと頷いている。
(……敵対勢力?)
聞き慣れない言葉に、シャルロットは持っていたティーカップの紅茶を見つめる。
一度目の人生でも今世でもエディロンからその話は聞いていない。
けれど、国の成り立ちを考えれば敵対勢力がいるのは至極当然だ。多くの貴族達は、レスカンテ国からダナース国になるにあたって既得権益を剥奪されたのだから。
(それって、エディロン様が即位していることを心よく思っていない貴族がダナース国内にいるってことよね?)
知らなかった事実に、胸の内にざわざわとした不安が広がるのを感じた。