6.揺れる心(5)
図書館から離宮に戻るまでは二十分近く歩く。
その途中、ケイシーが「あっ」と小さな声を上げる。どうしたのかと思いケイシーを見ると、ケイシーは開放廊下から一方を見つめていた。シャルロットはその視線を追う。
(あ。あれって、もしかして……)
それは、訓練場に見えた。
シャルロットは立ち止まり、そちらに目を懲らす。
騎士服を着た人がたくさんおり、訓練中のようだ。
「少し見ていく?」
シャルロットはじっとそちらに見入るケイシーに声をかける。この様子だと、きっと恋人の姿を見つけたのだろう。
「いえ、申し訳ありません」
ケイシーは頬を赤らめ、慌てたように両手を自分の胸の前で振る。
「あら、大丈夫よ。まだ時間はあるでしょう?」
図書館にはそんなに長居しなかったから、お茶会に出かける時間まではあと三十分くらい余裕があるはずだ。
「よろしいのですか?」
ケイシーがおずおずとシャルロットに尋ねる。遠慮していたものの、本当は恋人の訓練する姿を見たいのだろう。
「もちろんよ」
シャルロットは笑顔で頷く。
開放廊下から階段を降りて訓練場に近づく。
そこで、シャルロットはその中に、ひとりだけ違う服を着ている人がいることに気が付いた。長身の者が多い騎士に混じっても頭ひとつ分背が高く、がっしりとした体躯。
(エディロン様だわ!)
開放廊下からは陰になっていて、エディロンがいるのが見えなかった。
エディロンは騎士団の訓練の様子を視察しているようだった。時折、エディロン自身も騎士を相手に剣の打ち合いをしている。
「すごい」
シャルロットは間近でその姿を見て、思わず感嘆の声を漏らす。
四度目の人生、シャルロットは騎士として生きた。そのため、動きを見れば相手がどれほどの剣技の使い手であるかは大体わかる。エディロンは国王でありながら、その腕は現役の騎士と比べても全く見劣りしていない。
思わず見入っていると、一部の騎士達がシャルロット達の存在に気付いた。ざわめきに気付いたエディロンがこちらを振り返る。
「シャルロット」
エディロンは少し驚いたような表情を見せたが、朗らかに微笑むとこちらに近づいてきた。
「珍しいな。あなたがここに来るなんて、初めてではないか?」
「図書館に行った帰り道に、ちょうど見えたもので」
「なんだ、ついでか。俺を見にきてくれたのかと思ったら」
「ち、違いますっ!」
シャルロットは大慌てで否定する。見惚れていたことは事実だけれど、ここに来たのは全くの偶然だ。
「それは残念だ」
(残念って……!)
エディロンの態度に、シャルロットは調子を崩される。
最近、エディロンはいつもこうなのだ。妙に甘い調子でシャルロットを翻弄する。
きっと周囲に関係が良好であるとアピールするための演技なのだろうが、周囲に人がいようといなかろうとこの調子なので、シャルロットは振り回されっぱなしだ。
「図書館ではなんの本を?」
「ラフィエ国に関する文献です。その……陛下が最近よく話題になさるから勉強しなおそうかと思って」
説明しながら、尻すぼみに声が小さくなる。
これではまるで、シャルロットがエディロンのために勉強しているようではないか。
「そうか。ありがとう。今夜も楽しみにしておく」
「ひゃっ!」
体を屈めて、耳元に顔を寄せて吹き込むように囁かれた。
「へ、陛下っ!」
突然のことに驚いたシャルロットが顔を真っ赤にしてエディロンを睨み付けると、エディロンがくくっと肩を揺らした。どうやら、揶揄われていたようだ。
しかし次の瞬間、何かに気付いたようにエディロンの表情が変わった。シャルロットの耳のあたりを凝視しているように見える。
「陛下?」
シャルロットはどうしたのかと不思議に思った。
「この髪飾り……」
「髪飾り? ああ、これは母の形見です。地味ですが、気に入っているのでよく使っています」
シャルロットは耳の上に付いた髪飾りを手で触れる。エディロンが訪問してくるのは夜が多いので、そういえば付けているところを見せるのは初めてかもしれない。
「そうか」
エディロンは口元に手を当て、何か考え込んでいる様子だ。
(どうしたのかしら?)
そう言えば、一度目の人生でも初対面のエディロンはシャルロットの髪飾りに反応していた気がする。
そのときだ。シャルロットの持っていた鞄から、ガルがひょこっと顔を出す。どこかで紛れ込んだのか、その鼻先には何かの花びらが付いていた。
シャルロットの視線を追ったエディロンも、ガルの存在に気付く。
「アーモンドの花びらだな。この辺には生えていないと思うのだが、どこで付けてきたんだ?」
「アーモンド?」
シャルロットは聞き返す。
アーモンドはダナース国でたくさん作られている農産物のひとつだ。この季節になるとたくさんのピンク色の花を咲かせることは知識として知っているが、一度も見たことはない。
「だいぶ暖かくなってきたから、そろそろアーモンドの花が見頃だな」
エディロンは顎に手を当てて考えるような仕草をしていたが、手を外すとシャルロットを見つめた。
「今度、一緒に見に行こうか」
「え?」
「以前、見たことがないから見てみたいと言っていただろう?」
シャルロットはびっくりしてエディロンを見返す。
毎日の何気ない会話で、そんなことをエディロンに話した記憶はある。
けれど、覚えているなんて思っていなかったから。