6.揺れる心(4)
その二十分後。シャルロットは王宮内の図書館にいた。
ダナース国の王宮はレスカンテ国時代の設備をそのまま使用しているため、とても広大だ。敷地内にはいくつもの豪華な建物が建っており、図書館はそのうちの一棟を利用して作られたものだ。
数万冊にも及ぶ蔵書を揃えており、王族貴族はもちろんのこと、一定の手続きをすれば一般市民も利用することができる。エリス国にいたときよりも遥かに多くの本に触れることができ、シャルロットのお気に入りの場所のひとつだった。
「うーんと、これにしようかしら……」
多くの蔵書の中からシャルロットは一冊を手に取る。選んだのは、最近エディロンからよく名前を聞くラフィエ国について書かれた本だった。
ラフィエ国には三度目の人生で嫁いだ。そのため、かなりの知識は備えているつもりだが、なにぶん三つも前の人生なので復習がてらもう一度勉強し直そうと思ったのだ。
「あとは、この前借りた小説の続きを──」
シャルロットは左手に本を抱え、小説コーナーへと向かう。
たくさん並ぶ本棚の端から順番に背表紙を眺め、目的の本を探すことにした。
「あら、貸し出し中だわ。残念」
シャルロットが探していたのは【妖精姫とサイフォードの騎士】というシリーズで、今ダナース国の若い女性に大人気の小説だった。
物語はサイフォードという魔法のある架空の国を舞台にしており、その国に転移した青年が妖精姫と一緒に国を取り戻すというラブファンタジーだ。
先日お茶会で知り合ったご婦人に教えてもらい第一巻を借りてみたのだが、なるほど夢中になる面白さだった。
ケイシーからは『サイフォードはエリス国をモデルにしていると言われているのですよ』と言われ、エリス国は外国からこんなイメージを持たれているのかと驚いたものだ。
「町中の書店でも軒並み品切れだと聞くし……、待つしかないわね」
楽しみにしていただけに、がっかり感も大きい。
しょんぼりしながら貸し出しカウンターに向かおうとしたそのとき、「これは王女殿下ではございませんか」と声をかけられた。
振り返ると、そこには三十代後半くらいの男性がいた。上質な衣装から判断するに、貴族だろうと思った。
シャルロットはその男性を見て「あっ!」と声を上げる。その手に、シャルロットが今まさに探していた本があったのだ。
「こちらの本にご興味が?」
男性はシャルロットの視線に気付いたのか、持っていた本を片手で持ち上げる。
「ええ、その前の巻を先日読んだのです。面白いお話ですわ」
「そうですか。では、こちらは王女殿下にお譲りしましょう」
「いえ、そんな。悪いです」
シャルロットは慌ててそれを固辞すると、その男性の顔を改めて見る。
(あら? この方)
なんとなく見覚えがある気がするけれど、誰なのか思い出せない。
(気のせいかしら?)
もしかすると、誰か似た背格好の人と勘違いしているのかもしれない。
シャルロットの困惑を悟ってか、目の前の男性が軽く頭を下げる。
「申し遅れましたが、私はハールス伯爵家のアントン=ハールスと申します」
「ハールス卿……」
その名前に、聞き覚えがある気がした。
(ハールス卿って確か……)
一度目の人生の際、会った気がする。
確か、結婚式のあとに宮殿内で挨拶をしたような……。
「王女殿下はこの本がお好きなのですか?」
ハールス卿が持っていた本を軽く上げる。
「はい。知人に紹介されたのですが、とても面白かったです」
「そうなのですか。実は私もなんです」
「へえ……」
珍しいな、と思った。その小説は若い女性をターゲットにしたものだったから。
(でも、男性でも好きな人は好きなのかもしれないわ)
シャルロットは気を取り直す。
「王女殿下、よろしければこのあと少しお話でもしませんか。他にもご紹介したい本が沢山あるのです」
「え?」
突然の誘いに戸惑った。ハールス卿はシャルロットの困惑に気付く様子もなく、片手を差し出す。
そのとき、目の前をなにかがシュッと横切った。
「うわっ!」
ハールス卿が悲鳴を上げて差し出した手を振り払う。
「ガル!?」
シャルロットはそこにいるはずのない生き物を見つけて驚いた。ペットのガルがハールス卿の手に飛びかかったのだ。
「どうしてここに? 鞄に入り込んでいたのかしら?」
そんなに大きな鞄ではないのに、本当にいつの間に!
シャルロットは慌てて床にいるガルを拾い上げる。
「王女殿下。なんですか、その恐ろしい生き物は?」
ハールス卿が驚愕の表情でこちらを見る。
「この子は恐ろしくなんてありません。わたくしのペットです」
シャルロットはガルを悪く言われてムッとする。
可愛いと言われるならわかるが、恐ろしいとは心外だ。こんなに愛らしいのに。
「ハールス卿。わたくし、本日は出かける用事がありますので失礼します。ご機嫌よう」
シャルロットは待ってくれていたケイシーと合流し、その場を後にしたのだった。