4.六度目の人生を謳歌します(8)
その日の晩、エディロンはシャルロットの下を訪ねた。
「俺だ。エディロンだ。入るぞ」
ドアを開けると、なぜか外出用のガウンを着込んだシャルロットがソファーに座って待ち構えていた。
「お待ちしておりました。どうなされたのですか?」
「あなたにこれを届けようかと思って」
エディロンはシャルロットに小さな籠を差し出す。
「これは?」
シャルロットは中身の予想が付かないようで、小首を傾げながら籠を受け取る。しかし、中身を確認してすぐに表情を明るくした。
「まあ、パンケーキですね? どうされたのですか?」
「今日、孤児院で読み聞かせするあなたを見かけた。ちょうどパンケーキの話をしているのを聞いてな。厨房の者に作らせた」
「まあ」
シャルロットは見られていたことを全く気付いていなかったようで、目を丸くする。
「声をかけてくださればよかったのに」
「楽しそうだったから、水を差しては悪いと思った」
「陛下は一緒に遊んでくださるでしょう?」
シャルロットはにこりと笑うと、すっくと立ち上がる。
「侍女が出払っているので、お飲み物を用意します」
「お湯がないだろう」
「それくらいなら大丈夫です」
シャルロットは水差しからポットに水を入れると、そのポットに手を当てる。暫くすると、ポットの注ぎ口からは白い湯気が立ち上った。
「すごいな。それは魔法か?」
エディロンは驚いて感嘆の声を漏らす。
「はい、そうです。わたくしはこれくらいしか使えません」
「それだけでも大したものだが」
シャルロットはちらりとこちらを見ると、小さく微笑む。
「そんな風に言っていただけるのは、ここがダナース国だからですね」
その寂しそうな表情を見て、これはエリス国の王女としてはあまり魔法が上手く使えないと見なされるレベルなのだろうと理解した。
美しく色づいた紅茶が、先ほど手渡したパンケーキと供にエディロンの前に置かれる。シャルロットは自分の前にも紅茶とパンケーキを置くと、そのパンケーキを手で千切って一口食べた。
「美味しい」
「それはよかった。そんなものでよければ、あなたが孤児院に行く際に事前に言えば用意してもらえるように厨房の者に伝えておこう」
「本当ですか? ありがとうございます! 帰り際に商店街を注意して見てみたのですが、パンケーキって意外と町では売られていないのです」
シャルロットはパッと表情を明るくする。
「いや。俺のほうこそ礼を言おう」
「何への礼でしょうか?」
「ダナース国の国民に寄り添ってくれた礼だ」
すると、シャルロットは首を横に振った。
「王家が民に寄り添うのは当然のことでしょう? むしろ、わたくしはここに来て色々驚きました。ダナース国はとても福祉制度が整っていますね」
シャルロットはそう言うと、ふと思い出したように口を開く。
「陛下はラフィエ国の国立奨学金制度をご存じですか?」
「国立奨学金制度? いや、知らないな」
「ラフィエ国が国として行っている就学支援制度なのですが、高額な費用がかかる学校への進学を希望する優秀な人材に、金利ゼロでお金を貸し付けるのです」
「金利ゼロで?」
「はい。全ての分野の学校を国立や無料にすることは難しいので、そうやって優秀な人材を伸ばすことに注力しているのです」
「ほう……」
エディロンは周辺国の施策にはそれなりに詳しい自負があったが、それは初めて聞く内容だった。
確かに全ての分野の学校を無料にすることは予算上難しい。しかし、無金利貸し付けであれば遥かに効率よく優秀な人材に予算を行き渡らせることができる。
「それは面白いやり方だ。調べておこう」
「はい」
シャルロットは頷くと、また一口紅茶を飲む。
いつの間にか、籠の中のパンケーキは全てなくなっていた。シャルロットと色々と話していたら、思った以上に時間が経っていたのだ。
「長居して悪かったな。俺はそろそろ戻る」
エディロンはすっくと立ち上がる。そのとき、部屋の片隅に生き物がいることに気付いた。トカゲのように見えるが、背中に何かが生えている。
「それはなんだ?」
「羽根つきトカゲです。エリス国から連れてきました」
「へえ」
エディロンはその羽根つきトカゲのほうに近付く。羽根つきトカゲは銀色の目でまっすぐにエディロンを見返してきた。
(この生き物……)
「エリス国では羽根つきトカゲがよくいるのか?」
「さあ、どうでしょう? わたくしは二匹飼っておりました。一匹は弟の下に今もいます」
「そうか。昔、エリス国の王宮に行った際にこの生き物を見た」
「わたくしもこの子は王宮の中で見つけました。もしかしたら、同じ子かもしれませんね。ガルという名前です」
シャルロットは楽しげに笑うと立ち上がり、エディロンの下に歩み寄る。その格好は、足下まですっぽりと外套に包まれていた。
「ところでシャルロット……。こんな時間からどこかに出かけるのか?」
エディロンはここに来たときからずっと気になっていた疑問を、シャルロットに投げかける。
外出を制限するつもりはないが、夜間に出歩くのは治安のよい王都でも危険があるのでさすがにどうかと思う。
その瞬間、シャルロットの頬がバラ色に染まる。シャルロットは少し頬を膨らませてそっぽを向いた。
「出かけません」
「では、なぜそんな格好をしている? 寒いのか?」
「陛下のせいです! こんな時間に訪ねてくるから! わたくしは絶対に違うと伝えたのに!」
顔を真っ赤にするシャルロットの様子を見て、ようやく気づいた。
エディロンが『今夜訪問する』とだけ伝えていたので、侍女が閨だと勘違いして色々と気合いを入れてしまったのだろう。おおかた、このガウンの下は扇情的な衣装なのだろうと予想が付いた。
「それは悪いことをした。このまま一晩ここで過ごしたほうがいいかな?」
「け、結構です。お戻りくださいませ」
狼狽えた様子のシャルロットは益々顔を赤くして、エディロンの背中を押す。その様子を見て、なんだかおかしくなったエディロンはくくっと肩を揺らす。
「冗談だ。……また会いに来る。お休み」
振り返って頭をポンと撫でると、その場を後にした。
◇ ◇ ◇
エディロンが部屋を去る足音を聞きながら、シャルロットは自分の頭に手を載せる。
『お休み』
かつてエディロンはそう言って、いつもシャルロットの頭を撫でた。日によっては額や頬にキスをすることもあったが、頭を撫でるのは毎回だった。
「はあ……」
シャルロットはため息を漏らす。
こんなことを思い出したのは、意図せず長時間にわたりエディロンと向き合ってしまったからかもしれない。ラフィエ国に嫁いだ前世の知識で知っていた奨学金制度のことなど、色々と喋りすぎてしまった。
(でも、楽しかったな……)
祖国では、シャルロットの話に耳を傾けてきちんと聞いてくれるのはジョセフだけだった。他にはルルやハール、今はケイシーもいるけれど、彼らは使い魔と侍女なので対等な立場で話を聞くというのとは少し違う。
(また会いに来るって仰ってたから、お喋りできるかしら?)
そんなことをふと考えてしまい、シャルロットは小さく首を振った。




