3、死にたくないので、婚約破棄していただきます(1)
シャルロットの乗る馬車は順調に進み、予定通りダナース国の王宮に到着した。
王宮の正面口に停車すると、馬車の扉が開かれる。
開かれた扉から手が差し出されたのでシャルロットはそこに自分の手を重ねた。靴が石の床にあたりカツンと音が鳴る。
「ようこそいらっしゃいました。私は陛下の側近を務めております、セザール=ブラジリエです。以後、お見知りおきを」
目の前に現れたのはエディロンではなく、別の男性だった。
少し長めの栗色の髪は緩い癖があり、無造作に掻き上げられている。僅かに目尻が下がっているせいか優しげに見える目は、髪と同じ茶色だ。
「はじめまして。エリス国第一王女のシャルロット=オードランです」
シャルロットは丁寧に挨拶をしながら、自分の中の古い記憶を探る。
(セザール=ブラジリエ様……)
確か、エディロンが最も重用していた側近だったはずだ。
一度目の人生で知るセザールはもっと砕けた口調でいつも気安くエディロンと軽口を叩き合っていた。軽い印象があるが、仕事に関してはとても有能で頼りになるとエディロンは言っていた記憶がある。
顔を上げたシャルロットは周囲をざっと見回す。多くの人々が出迎えていたが、その中にエディロンはいなかった。
「恐れ入りますが、陛下は?」
「陛下はただいま手が離せない所用でして。本日中に謁見の場を設けさせていただきます」
「承知いたしました。ありがとうございます」
シャルロットが頭を下げると、セザールは目を瞬かせる。
(どうしたのかしら?)
シャルロットはその反応を不思議に思った。
「あの……、どうかされましたか?」
「いえ、なんでもありません」
セザールは慌てたようにそう言うと、「お部屋にご案内します」と言った。シャルロットはその後ろをしずしずと付いて行く。
(あら?)
廊下を歩いていたシャルロットは、ふと立ち止まる。思っていた方角と違ったのだ。
シャルロットは一度目の人生で、ダナース国の王宮で一年間ほど過ごした。今向かっているのは本宮ではない、離れの離宮に思える。
ちなみに、一度目の人生ではその離宮に一度も足を踏み入れたことがなかった。
「どうかされましたか?」
セザールが立ち止まってきょろきょろするシャルロットに気付き、こちらを振り返る。
「いえ。とても広いので迷子にならないようにしっかりと覚えなければと思いまして」
シャルロットは慌てて表情を取り繕う。
「ああ、なるほど」
セザールは頷く。
シャルロットが案内されたのは、予想通り離宮だった。
(こんな場所があったのね)
物珍しくて、きょろきょろと辺りを見回す。
いくつも部屋があるようだが、人の気配は全くない。シャルロットが今歩いている開放廊下からは噴水のある庭園が見えた。しかし、ずっと使用されていないのか水は出ていない。
やがて、シャルロット達はその離宮の最奥へと行き着いた。
「こちらでございます」
セザールはドアを開ける。
「わあ」
シャルロットは感嘆の声を上げた。
◇ ◇ ◇
エディロンが会議を終えて執務室に戻ると、部屋の前にはセザールが立っていた。
「待たせたか?」
「いえ、今来たばかりです」
セザールは首を横に振る。執務室のドアを開けると、セザールも一緒に入ってきた。
「それで、どうだった?」
エディロンはセザールに尋ねる。
今日、エリス国から王女が輿入れのために到着することになっていたのはエディロンも承知している。今のタイミングでセザールがここに訪ねて来たということは、王女が到着したのだろうと予想が付く。
私の印象では──、とセザールは前置きをしてから話し始める。
「陛下が言っていたような高飛車な感じではありませんでしたね。きちんと私に対しても礼をもって接していたし、出迎えた城の者達にも会釈して手を振っていました」
「へえ」
エディロンはそれを聞いて、意外に思った。
(あの女がねえ……)
エディロンはエリス国で出会った高飛車な印象の王女を思い出す。あの王女ならダナース国の者に頭を下げることなど絶対にないと思っていたのだが。
むしろ、エディロンの出迎えがないことに機嫌を損ねて激怒するかと思っていた。




