1、始まりの人生(1)
エリス国には古くから伝わる昔話がある。
神秘なるエリス国の初代国王は神に愛され、故に魔法の力を授かった。神は特に寵愛する王族に神使を遣わせ、特別な祝福を授けると。
◇ ◇ ◇
ここはダナース国の王宮の奥深く。
シーンと静まりかえった広く豪勢な寝室のベッドの端に、ひとりの可憐な姫君が腰かけていた。
(エディロン様はまだかしら?)
緊張に胸を高鳴らせていた姫君──今日式を挙げて王妃となった元エリス国の王女、シャルロットは天井を見上げる。
目に入ったのは、ドレープの垂れ下がる豪奢な天蓋だ。
(今夜、ここで──)
これから起こることを思い、頬が赤らむ。ただ、肝心の夫であるダナース国の国王──エディロンが現れない。
一向に開く気配のない隣室との扉を見る。その扉は、先ほどと同じようにぴったりと閉ざされたままだ。
「ねえ、ルル。エディロン様が遅すぎる気がするわ」
シャルロットは自身の使い魔である白猫のルルに話しかける。
「きっとお仕事しているにゃん」
ソファーの上にいたルルはすっくと立ち上がると、シャルロットの足下に擦り寄る。シャルロットはルルを抱き上げると自分の膝に載せ、その背中を撫でた。
「こんな日も仕事なのね」
シャルロットはシュンとして肩を落とす。
早く来てほしい。
いつものように甘く微笑んで、優しく抱きしめてほしい。
──だって、今夜はふたりにとって特別な日なのだから。
◇ ◇ ◇
エリス国の第一王女であるシャルロット=オードランは一国の王女でありながら、あまり恵まれない環境で育ってきた。
エリス国は神秘と魔法の国だ。周辺国の中で最も歴史が古く、建国は二千年ほど前に遡る。初代国王は神に愛された凜々しき青年で、その愛の証に特別な力──魔法を授かったと言い伝えられている。
その言い伝えが真実かどうかは確かめようがないが、エリス国では一部の国民が他の国の民族は持たない魔法の力を持っていた。特に魔法の力が強いのは王族であり、魔法の力が強いことは神からの寵愛の深さを表わすと信じられている。
そのため、魔法の力が強いことは貴族の結婚においても特に重要視される要素のひとつで、魔法の力が強ければ平民であっても貴族に見初められることもあった。即ち、魔力の強さは幸運の証なのだ。
そして、シャルロットの母であるルーリスはそんな幸運に恵まれたひとりだった。平民でありながら圧倒的に魔法の力が強く、その噂は領地を越えて遠い王都まで届くほどの希代の大魔女だった。
ただの村娘だった母とエリス国の国王である父が知り合ったきっかけは、母の噂を聞いた父が興味本位で母の住む町へ視察にいったことだったと聞いたことがある。そこで母に出会った父は一目で母を気に入り、毎日のように口説きに来たと。
そして、ついには側室として迎え入れ誕生したのがシャルロットと双子の弟──ジョセフだ。
しかし、幸せは長くは続かなかった。
父が母に夢中になったことに激怒した正妃は見えないところで母やシャルロット達に嫌がらせをするようになった。それに対し、父は隣国の王女であった正妃の機嫌取りを優先して見て見ぬふりをした。
けれど、シャルロットの母であるルーリスは大魔女だったのでそんな嫌がらせはものともせず、シャルロット達は普通の暮らしを送れていた。
ところが、シャルロットが十二歳になったときに悲劇が起きる。母が病死したのだ。
王妃から嫌われていたシャルロットは弟のジョセフと王宮の外れにある古びた離宮に最低限の世話をする使用人と共に追いやられ、王女としてのまともな生活は送らせてもらえなくなった。
いつもお腹が空いていたし、ドレスは時代遅れですり切れていた。離宮はずっと誰も使っていなかった古びた建物で、冬は凍えるように寒かった。魔法が使えればなんとかなったのかもしれないが、生憎シャルロットとジョセフはあまり上手に魔法が使えなかったのでどうすることもできずに震えるしかなかった。
(きっと最後は政治の駒となりどこかの有力貴族にでも嫁がされるのね)
そんな半ば諦めの境地にいたシャルロットに二度目の転機が訪れたのは十九歳の冬の朝だった。
薄氷の張った水樽で凍えながら顔を洗い身支度を調えていると、真っ白な騎士服を着た父の近衛騎士が迎えに来たのだ。