5 男たちの秘密の会話
スクルが人間を拾ってきた。アドルフの胆が冷える。ルブラン・サクレは温厚で気高く、自分より弱い人間を手に掛けたりするような生き物ではない。
(何があったんだ!!?)
慌てて向かうと、スクルの大きな口から転がり落ちてきたのは黒髪の美しい女だった。ただでさえ叫んで取り乱したいのに、ヨダレと土まみれになっている美人を目の当たりにし、アドルフはますますテンパる。
(生きてるよ……な?)
すみれ色の瞳をパチパチした後、動き出した女は傷一つ負っていなさそうだ。とにかく無事でよかった。牧場に迷い込んだか侵入した人間を、スクルが心配し保護したのだろう。
ところが、スクルはとんだ拾い物をしてしまったらしい。可憐な女は見た目に反し図太いらしく、ルシールと名乗った後、ここで働かせてほしいと言ってきたのだ。
無茶な話をピシャリと断りその場を後にしたが、自分の心が落ち着きを取り戻すと、ルシールがどうなったのかが気になって仕方ない。
(念のため、確認しておくか……)
もう居ないかもしれないと思っていたルシールが、スクルとパティの寝床で、豊かな真っ白い毛に埋もれスヤスヤ眠っていた。アドルフの心臓が大きく脈打つ。
(睫毛が長い……。可愛い寝顔だな……。っ!?)
ポウッと見惚れているアドルフに、スクルとパティの視線が突き刺さる。まるで、「女性をこんなところで寝かせる気?」とでも言っているようだ。
「な、なんだよ。そんな、つぶらな瞳で見るなよ」
気持ち良さそうに眠っているところを起こすのは忍びないが、こんな所で寝かせるのも男としてどうかと思う。腹を括ったアドルフはルシールに声をかけ、やむを得ず家の中に招き入れた。
取り敢えず食事を出すと、そのままスクルたちの所に戻って来てしまった。平静を保つべく深呼吸をしてみる。心臓に悪い日だとつくづく感じた。夜風に当たり、少しだけ冷えた頭で彼女に何が必要か考え出す。
土にまみれた彼女に風呂を貸さねばならないが、替えの服がない。あの汚れたドレスをまた着せるのも可哀そうだ。家に戻ったアドルフは自分の服を見繕い、そっとルシールに手渡した。
「俺ので悪いが着替えないよりマシだろ? 風呂と洗い場はあっちだ」
「ありがとうございます」
表情を変えないようにしながら必要事項を淡々と説明して取り繕ってはみたが、ブカブカな自分のシャツを着て登場したルシールに意識を失いかける。洗い場で器用にドレスを洗い、物干しにドレスを干そうとしているが、アドルフ仕様のため位置が高過ぎるようだ。心配でこっそり様子を伺っていたアドルフのドキドキが止まらない。
(ヤバイ……。チッサクテカワイイ……)
その日、牧場暮らしで異性に対しあまり免疫がないアドルフは、眠りの浅い一夜を過ごした――
翌朝、牧場にエティエンヌがやって来た。
アドルフがエティエンヌの追及から逃げるように、スクルたちの所へ向かう。エティエンヌは書類を片付けながら、キッチンに立つルシールをそっと観察する。彼女は手早く洗い物を済ませると、手を止めることなくキッチンの掃除をはじめていた。
侯爵令嬢なのにずいぶんと手際が良い。祖父が異世界人で、黒髪の貴族離れした令嬢ルシールは、噂に事欠かない人物だった。
(変わり者とは聞いていたけれど、すごくいい娘みたいだね)
そんな事を考えながらルシールの観察を続けていると、アドルフが外から戻って来た。二人でルシールの話を聞く。予想していた以上に、状況はよろしくなさそうだった。
(どうしたものかね……。マティスがやらかし、クレナスタ侯爵家では行方不明の娘の捜索に躍起になっているはず……)
このままここで、ルシールを保護するのが最善だとエティエンヌは結論を出した。
(私も一度、上に戻ろうかな……)
もう、彼女を追い出す気なんて心に微塵もないのに、渋ったフリをするアドルフをエティエンヌが説き伏せると、安心したのかルシールがアドルフに申し出をしはじめた。
「あの、キッチンを少し整頓していいかしら? アドルフはすごくキレイ好きだと思うけれど、もう少し使い勝手を良くできそうなの」
「あ? 別にいいけど?」
アドルフは細かいことにこだわるタイプではない。
「ありがとう! 外の余っている木材をもらうわね。あと、工具も借りたいわ。何か仕事がある時は、すぐ片付けてそちらを優先するわね!」
「あ、ああ。工具なら玄関の棚にある」
嬉しそうに顔を綻ばせ、「はーい」とルシールが出ていった。ルシールの勢いに呆気にとられる男二人だったが、しばらくしてアドルフが口を開いた。
「……なあ、エティエンヌ。令嬢が大工仕事なんてできるのか?」
「私も驚いているけれど、ルシールならできると思うよ。――ところでアドルフ。君は、ここでルシールと二人暮らしするの?」
二人暮らしという言葉に、アドルフが大きく反応する。
「えっ。いや、その、二人暮らしって表現されると……。なんだ……あいつは居候っていうかな……って! エティエンヌが居させるって決めたんだろ!」
「ふうん? 自分だって、ルシールを追い出す気がなかったくせに?」
「……」
歯切れが悪いアドルフに、エティエンヌが頭を抱える。アドルフはルシールを意識しまくりだ。これで二人暮らしをさせて、万が一が起きてしまったらクレナスタ侯爵家に申し訳が立たない。
何よりルシールは魅力的過ぎる。とびきりの美人が突然目の前に現れ一緒に暮らすのに、男に意識するなというに無理がある。
(間違いが起きないよう、監視役が必要だね)
同性のエティエンヌから見てもアドルフは凛々しくイイ男だが、なんせルブラン・サクレにかかりっきりでほとんど外に出ない。女性の目を引くイイ男だとしても、外に出なければ免疫なんてできないのだ。
(それに、ルシールはとても興味深いしね……。あんな令嬢、会ったことがない)
パタパタと外とキッチンを往復し、小さな身体を大きく伸ばしてキッチンのサイズを測っているルシールをエティエンヌが見つめる。
「アドルフも女性と二人きりでは色々と不安だろう? 私も今日からここで暮らすよ」
「はあっ!?」
「なぁに? 私が居ると、マズイ事でもあるの?」
「そっ、そんな事はないが、急な話で……」
「じゃ、準備をして夕方前には戻るからよろしく」
「あ、ああ」
(大変な状況に置かれたルシールには申し訳ないけれど、なんだか面白くなりそうだね)
エティエンヌは足取り軽やかに、来た道を戻って行った。その後姿をポカンと眺めるアドルフ。その背後では、鼻歌混じりにキッチンを駆け回るルシールの姿があった――