4 牧場生活を満喫中です その1
「酷い話だな……」
「全くだね……」
一通り話し終えた私がアドルフとエティエンヌに目を向けると、二人は悲痛な表情を浮かべていました。
「あ、ショックを受けたとかはないのよ? マティス様もメレーヌさんも、以前は変わり者の私に親切にしてくださったし」
本当に二人とも、私に普通の令嬢としてきちんと節度を保って接してくれていました。あれ? いつから突き落とされるくらいギクシャクしたのでしょうか?
頭をひねっていると、アドルフとエティエンヌから可哀そうなヤツを見るような眼差しを向けられていることに気がつきました。
「待って、誤解しないで! マティス様を慕っていたわけじゃないから辛くもないの! 王国のため、王家と実家が決めた事を、誠実に全うするだけと思っていたのよ」
咄嗟に言い訳染みた事を口にしましたが本心です。だから二人とも、そんなに神妙にならなくていいのです。
「愛する人に裏切られていたら、食事も喉を通らず泣き濡れていたわ。でも、どう? 私はよく食べているし、元気でしょう?」
傷心真っ只中と誤解される方が辛いです。私はたまたま第二王子と同じ時期に生を受けた貴族の娘として、受け入れ態勢を整えてきただけですからね! 勝手に失恋扱いにしないでもらいたいです。
「……。だから、ここで働かせてくれって言ったのか?」
「ええ。帰り方も分からないし、そのまま迂闊に貴族島へ戻って、また殺されかけたらそれこそ馬鹿みたいだから。まずは少しでも情報が欲しかったの」
それに――さすがに心配しているであろうお父様に悪いので言葉にはしませんが、平民地で守護獣たちと生活できるなんて機会はまたとないのです。夢と希望で胸が張り裂けちゃいそうですね。
「そうだね……。――うん。上の情報なら私にツテがあるから、少しここに居るといいよ。貴族島でどうなっているのか調べてあげる」
「ありがとうエティエンヌ! とても助かるわ!」
「なっ、エティエンヌ!? こいつをここに置くつもりなのか?」
「アドルフ……。このままルシールを貴族島に帰して、また命を危険に晒したり、平民地に放り出したりして何かあったらどうするの?」
アドルフには迷惑をかけてしまいますが、命の恩人であるスクルさんともっと時を過ごしてみたいのです。
「……分かったよ。その代わり、貴族だからって特別扱いしない。ちゃんと働いてもらうからな」
私は優しい人たちのところに落っこちたのですね。ここに居ることを反対していたアドルフも、先程まで甲斐甲斐しく食事やら服やら寝床やらを与えてくれましたし、面倒見いいのがバレバレです。
「アドルフもありがとう。仕事をちゃんとするわ。今、魔法が使えないのは申し訳ないけれど、祖父が異世界人だったから、他の貴族より色々出来る事はあると思うの」
アドルフとエティエンヌの顔つきが、また険しくなってしまいました。嵌められたブレスレットが鈍く輝いています。
「邪魔だわ……」
「だな……」
「だね。それについても調べてみるから、吉報を待っていて」
アドルフは眉間に皺を寄せ、エティエンヌはニコッと私を安心させるように微笑みながら、私の悪態を肯定してくれました。上では言えなかった気持ちを吐き出し、共感してもらえるなんて嬉しいです……。
――そして、私の平民地での守護獣牧場生活が始まりました――
平民地に来た経緯を話した日の夕方、「アドルフと二人きりにするわけにはいかないからね」と、エティエンヌが大荷物を抱えて再び現れ、牧場で寝食を共にするようになりました。
アドルフは主に外仕事をしています。日焼けした逞しい体躯を持つ大柄な男性です。
深紅の髪と、同色の意思の強そうな眉と瞳、口角がキュッと上がった唇は、彼の真っ直ぐで実はお人好しな性格をよく表していると思います。
服はシンプルで、実用的な物を愛用しているみたいですね。
「今日のパイ包み焼き、まずまずだな」
「良かった。まだ沢山あるからね」
ぶっきらぼうで口調も荒いですが、褒めてくれているのが分かります。慣れない私に、必要な時はサッと手を差し伸べてくれたりもします。
一方のエティエンヌさんは、柔らかな長い金の髪を肩に流し、刺繍が施されたくるぶしまであるチュニックをさらりと羽織り、繊細で綺麗な顔立ちも相まって、芸術家のような雰囲気の方です。
帳簿の記帳などをされている姿を見かけますから、牧場の事務仕事を担当しているのでしょう。
「素直に美味しいと言えばいいのにね。ルシール、今日もありがとう。料理が美味しすぎて、太らないか心配になってしまうよ」
「初心者を褒め過ぎよ。でも嬉しいわ、ありがとう」
天色の瞳の目尻を下げて答えてくれました。細やかな気配りで女性の心を掴むのが上手な方ですね。
「ルシール。片付けが終わったら、あいつらのブラッシングを頼む」
「わかった。すぐ行くわ」
「本当にルシールは働き者だね。でも、無理は禁物だよ?」
「はーい」
貴族島の方がお日様に近いはずなのに、平民地の方が陽光でキラキラと輝いている気がします。自然も多く、空気も澄んで心地いいです。ここは牧場ですから、多少の獣臭はありますが……。スクルさんたちからは良い匂いがするのに不思議ですね。
よく歩き働くからでしょうか? 素朴になったはずのご飯も楽しみ過ぎて、食べたばかりなのに待ち遠しくて仕方ありません。
「スクルさん、パティさん。ブラッシングしますよー!」
大喜びで駆け寄って来るスクルさんとパティさんに、思わず頬が緩みます。貴族島では守護獣と一緒に大地を駆け回り、草の上に寝転んでゴロゴロと転がるなんてできません。なんて健康的で幸せな生活なのでしょう。
エティエンヌのツテで、上手く実家に私の無事が伝わりました。状況が状況ですから頻繁にやり取りは出来ませんが、今度手紙を届けることができそうです。家の者さえ安心してくれるのなら、私はここでの経験を純粋に楽しむことができますね。
「あ、歯磨きは夜にしますからね!」
スクルさんたちも野生ではないし、歯磨きをした方が良いと伝えると、アドルフは驚いていました。でも、「人間がするんだし、スクルたちだってした方がいいんだよな」と言って、早速ブラシを手配してくれました。それから新たな日課が加わったのです。
気持ちよさそうにブラッシングされていたスクルさんとパティさんの身体が、少しだけビクッとした気がしました――