35 皇子と花嫁の帰還
シャンダール王国からの出立を、国王はじめ、エティエンヌやクレナスタ侯爵一家など、大勢の王国民から盛大に見送られたレイダルグ帝国の皇子一行は、十五年振りに故郷に帰る。
その日、帝国の民は、皇子の帰還を今か今かと待っていた――
単なる皇族同士の争いではなく、魔女の謀を阻止するため、命と城を犠牲にしてまで民と街を護った皇族。その皇帝と皇后の忘れ形見が、とうとう帰って来る。
しかも、婚約者と守護獣三頭まで一緒らしい。
その事が公表され、歴史の真相を知った人々は、十五年前の出来事に口を噤んできたのを一転、美談として帝国中で語るようになっていた。
レイダルグ帝国で、老体に鞭を打ち続けてきたジゼルが、不遇な皇子が歓迎されて帝国に戻れるよう、お膳立てしていたのだ。
「守護獣だ!」
「あの背に乗っているのが皇子様か?」
「子どものルブラン・サクレが二頭もいるわ!」
一目でも殿下を見ようと、帝国中の人々が空を見上げている。
この地で年を重ねてきた者は、六つの時のアドルフを覚えていた。
「本当に立派になられて……」
青年となり、守護獣を引き連れて帰ってきた皇子の逞しい姿を見て涙を流す。
「手を振ってくださったぞ!」
「女の子も一緒にいたわ! あの人が婚約者かな?」
皇子一向が城に入るところを見ただけで、帝都の民は歓喜する。
「アドルフ様……。ますますお忙しくなりますね……。このライアン・ダーランド、命果てるまでお仕えします」
先に帝都に入っていたダーランド伯爵も、感慨深い想いで、冴え渡る空を飛びゆく真っ白いルブラン・サクレを眺めていた。
「ばあさん、遅くなったな! ただいま!」
――スパアアーーン――
「ただいまじゃないよ! ガチで遅い!」
「いてぇ……」
皇帝の代理として城を再建し、帝国を存続させながら、ずっと皇子の帰りを待ち続けたジゼル。手にしていた扇で、小気味良くアドルフの頭をはたいた。
「ちゃんと、ルブラン・サクレの子を二頭連れて来たんだぞ!? 褒めてくれよ!」
『私も来たよ~』
初めてのアドルフとジゼルのノリに、普段は天然のパティも、心配になったらしい。アドルフを庇おうとしている。
ルシールはパティの言葉を伝えながらも、胸が熱くなっていた。男らしいアドルフが、少しだけ家族に甘えているように感じたからだ。
(アドルフが帝国に帰って来られてよかった……)
「うん。パティさんかい? 今までアドルフが世話になったね」
『ばあさんの話し、アドルフからたくさん聞いてきたんだよ。尊敬してるって、早く会いたいって、無理させたくないって、よく言ってた』
ジゼルの顔がギュウっとなったが、パティをひと撫でし、シャキッと元に戻る。
「このババアを、十五年もこき使ったことは許しがたいが、マティスから嫁を奪い、エティエンヌに勝ったことは褒めてやる。――でかした!」
「まあな!」
褒められたアドルフは、子どものように屈託のない笑顔を浮かべていた。
(もう無理です。パティさんのお産に立ち会ってから、涙腺がすぐ崩壊するのですから……)
ハンカチで目頭を押さえるルシールに、ジゼルが手を伸ばす。
「ルシールかい? 綺麗になったね。その成長を、ヒデトシにも見せてあげたかったよ」
「グスッ。ジセル様……。ずっとお会いしたかったです。これから帝国でお世話になります」
「ああ、ああ。悪友の孫なら、この国をきっと好きになるはずさ。ルシールの知らない若い頃のヒデトシの話も、たくさん教えてあげるよ。老後の生活が楽しみだね」
しわしわの手が、ルシールの頬を包む。
女傑ジゼルは祖国にも、嫁いで女盛りを生きたシャンダール王国にも、訪れようとしている平穏に安堵していた。
(ヒデトシ……。あんたの孫娘は、とてもいい子に育ったね。アドルフもエティエンヌも、本当によくやったよ……)
「えっ? 老後って、ばあさんはもう、だいぶ前からばあさんだろう? しかも、シャンダールに帰らないのか?」
――スパアアーーン――
今一度、アドルフの頭を扇が掠める。
「マジでいてぇ……」
「旦那のいない嫁ぎ先より、故郷がいいって前に言っただろう? あちらは孫がなんとかするよ。息子と違って、あいつは腹黒いところがあるから安心だ。単細胞なお前の方が心配なんだよ!」
「まじか……」
そんなことを言いながらも、ジゼルは優しい女性。血の繋がりを持つ自分が、少しでもアドルフの側にいようとしているのだ。
その日から、レイダルグ帝国は華やぐ。皇子と婚約者に守護獣の帰還、皇帝への即位に婚姻と、お目出度い事が目白押しとなったからだ。
街は年中祝賀ムードで商人たちは大喜び。そのお祭り騒ぎを見に、周囲の国からも人が押し寄せ金を落とす。採って狩って作れば売れると、みな仕事に精が出る。
十五年続いた停滞の時期を抜け、皇帝アドルフの御代は、人々にとっても希望溢れる時代の幕開けとなった。
――そして――
「陛下! もうすぐお産まれになるそうです」
「わかった。すぐ向かう。残りはライアン、頼んだぞ」
「はっ」
皇帝アドルフは、早足で愛する者の元へと向かう。
「俺だ。入らせてもらう」
「陛下! こちらでお待ちください」
「ルブラン・サクレの子も取り上げたんだ。お産に立ち会っても問題ない。手くらい握って励ましたいんだ」
「……かしこまりました」
戸惑う侍女を言いくるめ、アドルフはズンズン突き進む。ルシールの隣には、パティがビッタリくっついていた。
「ルシール! 大丈夫か!?」
「アドルフ。すごく痛いけれど、パティさんに力をもらっていたから大丈夫よ」
パティがルシールと契約を結んだ時、繁殖力プラス、初産の負担軽減効果まで贈りつけていた。
恥ずかしがりながらも伝えてくれたルシールを見て、アドルフは愛おしさを爆発させていたが、しっかり順番を守りきった。
不意打ちでやって来ては牽制して帰る、クレナスタ侯爵の存在もあったからなのだが……。
「それでも心配なものは心配なんだ。励ますくらいしかできない……。頑張ってくれよ……」
「うん……」
パティのお陰で、本格的な陣痛から三時間。見事なまでの安産で、ルシールは元気な男の子を生んだ。
しかし、取り上げた女たちに動揺が走る。
「髪が白い……」
「まさか!? 皇后様は浮――」
ルシールとアドルフを交互に見て、なにやらよくない妄想をはじめる産婆と侍女たち。そんな女たちを見て、アドルフも青ざめる。
「ルシールが……うわつい……ていた……」
産声も上げず、目はしっかり開き、スンッと冷静に周囲を観察するような赤子。
「あれ?」
「ん??」
産湯に浸からせたりテキパキと世話をしながらも、女たちの混乱は深まるばかり。
今にも喋り出しそうで、ただ者ではないオーラを放つ赤子はおくるみにくるまれ、ルシールの胸に抱かれる。
アドルフとルシールを見つけると、つぶらな瞳をパチパチと瞬いた。
「アドルフ。赤ちゃんなのに、このバチッと開いた瞳を見て。貴方の深紅の瞳に、私と同じすみれ色の目をしたオッドアイだわ」
「……うん。間違いなく俺たちの子だな」
パティがペロリと赤子の手を舐めると、いい男がするように「フッ」と笑った。
『お帰りスクル』
「やっぱりスクルさんなのね……。赤ちゃんのイメージが崩れるわ……」
「あ、そういうことか……。皆、よく聞け。この子は間違いなく、俺とルシールの子だ」
「「おめでとうございます!」」
確かにそうだよねと、今度は喜びだす女たち。誤解は解けたようだ。
「ずっと待っていたんだぞ? ――よし、これからのお前の名前は、……スコルフだ!」
それを聞いた赤子は、またもやニヤリとする。
「貫禄があり過ぎだな……」
「そうね……」
『大丈夫。アドルフとルシールに甘えたいから、記憶は置いて来たと思うよ。でも、いつか思い出すかもしれないけれどね』
「「取り敢えず、それはよかった」です」
可愛い我が子としてデレデレに甘やかしたい両親は、ホッと胸を撫で下ろした。
「またスクルと一緒に暮らせるなんて……。ルシール、本当にお疲れ様。これからも良い事ばかりが続きそうで、恐いくらいだな……」
「そうね。スクルさんに咥えられ、アドルフと出逢った日から、毎日が刺激的で楽しくて幸せだわ。あら? もっと、のんびりするはずだったのに、おかしいわね?」
ゆっくりしたいと言う人ほど、行動的だったりする。間違いなくルシールはそのタイプなのだが……。
「ま、いっか。私は欲張りなの。まだまだ皆で、幸せになりましょう?」
これからもルシールは、夫と子と可愛い守護獣たちに愛されて、のんびり暮らしていく予定だ。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
皆様からのブクマや評価に励まされ、今回も書き上げることができました。
少し時間をあけ、その後の様子を一話書こうと考えております。
その際は、どうぞよろしくお願いいたします。
本当にありがとうございました。