32 守護獣スクル
たどり着いた王城庭園には、目を瞑ったスクルさんの身体が横たわり、すぐ隣には、白髪の勇ましい男性が佇んでいました。
その背には真っ白い翼が生え、優雅に広げられていたのです。
『来たか……。ちゃんと魔女を有るべき場所に、還したようだな』
『私を連れて来て良かったでしょう? 褒めて褒めて?』
パティさんが、白髪の男性にすり寄ります。男性の周囲からは、六色の神々しい魔力が放たれていました。
人が自然界から得る魔力とも異なる、不思議な力です。
『ああ、パティ。よくやった』
パティさんを愛おしそうに撫でる男性の手は、ほとんど透明になり、光を放つだけでした。よく見ると、その翼はボロボロと崩れ、島全体に散ってゆきます。
私はなぜか、初めて会った男性に向かって、その名を呼んでいました。
「スクルさ、ん?」
その柔らかそうな長い白髪をなびかせ、六色の輝きを纏う男性が、スクルさんの本当の姿であると思ったのです。
『そんな顔をするな。ルシールを契約者にできて、本当に良かった。守護獣冥利に尽きるな。パティと我が子を任せたぞ? アドルフ、エティエンヌ……うるさい女どもをよろしく頼む……』
「スクルなんだな?」
「スクル……」
アドルフとエティエンヌにも、既にルブラン・サクレの身体を手放したスクルさんの言葉が伝わっていました。
そして、スクルさんの全身が、美しい煌めきに変わっていきます……。
「スクルさん!!」
「「スクル!!」」
スクルさんをとても儚いモノのように感じ、留めるため近づこうとする私のドレスの裾を、パティさんが噛んでいました。アドルフとエティエンヌは、それに気づき動きを止めます。
「スクルさん。何をなさろうと……」
『旦那の最期なの……。かっこつけさせてあげて』
最期だとパティさんが言いました。
「まさか……」
スクルさんは、私と契約してしまったから、人のために力を使うのですか……?
人の世に介入しようとしているから、担保にした身体を差し出して、ここから消えてしまうのですか……?
「私の婚約腕輪を外してくれた時も、フロシキに加護を与えてくれた時も、魔女の魔力を生き物に届けてくれた時も……」
今までだって、私のために力を使ってくれていたじゃないですか!
それとも、それはこうして、ずっとその身体を削っていたからなのですか?
こうやって、レイダルグ帝国の守護獣たちも死んでいったのですか?――
「ルシール! しっかりしろ! 闇に囚われるな!」
アドルフに肩を揺さぶられ、暗い悪夢から戻ることができました。頭を冷やさねばなりませんね……。
自分の頭に冷水を出し、ぶっかけます。シャキッとしました!
そう……。番のパティさんが一番辛いはずなのです。ずっと一緒に生きてきたアドルフやエティエンヌの方が、余程苦しいはずなのです。
私が取り乱している場合ではないのです!
『嘆くことはない。たまには嫁を見習うといいぞ?』
「バウッ!」
わざとおどけてくれたスクルさんとパティさんに、慰められてしまいました。
それでも、私の瞳からは、次から次と涙が溢れて止まりません。瞬きをして、邪魔する涙を落とします。
滲む視界に、なんとしてもスクルさんの姿を映していたいのです。
『衝撃にだけは耐えられるよう、結界を島全体に広げてくれ』
自身の魔力を貴族島全体に広げようとしているスクルさんの言葉には、直接感じとったエティエンヌが即座に答えていました。
「わかった」
この国の第一王子が、ただただ脅えている城の人たちに指示を出してゆきます。
今までエティエンヌを避けてきた家臣たちも、その的確な采配に素直に従っています。
私も少しは役に立とうと、未だ漂う人の生み出した闇の力を変換してスクルさんに渡しますが、手の震えが止まりません。
「大丈夫だ、ルシール。一緒にスクルを支えよう」
震える私を支えながら、アドルフも出せる全ての魔力を使い、結界を広げようとしています。
ぼやける視界の端に、スクルさんだった輝きが、貴族島を全て包み込んでいくのを捉えました。
『前を向け、ルシール』
「はいっ!!」
平民地へ落ちた私を、最初に助けてくれました。
本当は不要なのに、苦手な歯磨きを受け入れてくれました。
私を信じて、ルブラン・サクレの秘密を伝えてくれました。
お日様の匂いがするスクルさん。
ダラリと伸びて、お腹を出して眠るスクルさん。
パティさんをダシにして、シレッと私たちの所にやって来るスクルさん。
守護獣として威厳を保って振る舞っているつもりでも、尻尾はブンブンでツンデレな、私のルブラン・サクレ……。
「スクルさん! ご存知のとおり、私は欲張りなんです! まだまだ貴方と一緒にいたいのです!」
その身体をかけてまで、力を全て使いきろうとしているスクルさんに、子どものように我が儘を言っているのはわかるのですが、せめて願わせてください――
(また、私は貴方と出会いたい!)
『ああ。必ずまた会おう――』
貴族島は落下の速度と進路を変更し、平民の皆さんが暮らさない山間部へとゆっくり落ちました。
このことで誰も生命を失いませんでした。スクルさん以外は――
私が出会ったルブラン・サクレは、守護獣の残り百年あったこの世に肉体を具現化させる力を全て使い果たし、私たちを救ってくれました。
「約束ですよ? 私を魔女にしないでくださいね……」
崩れ落ちるルシールの肩に、指示を終え、戻っていたエティエンヌがそっと手を乗せる。氷の様に冷たくなっていた手を、アドルフがしっかりと握りしめていた。
スクルの番のパティは疲れたのか、その瞼が重いようで、我慢していたのだが抗えずに瞳を閉じる。我に返ったルシールが、パティの包みきれない大きな身体を抱き締めた。
「身重の身体だったのですね? それなのに無茶をして……。もうこれからは、メス同士、隠し事はなしですからね……」
「クウン……」
何度も何度も、ルシールはパティの身体を擦っていた。それを囲むアドルフとエティエンヌの状況は……察していただきたい。
こうして、魔女はこの世から消え、ルシールと契約を結んだ守護獣によって、シャンダール王国は危機を脱したのだ――