25 貴族島へ帰って来ました
牧場生活にもすっかり馴染み、平民地に落とされてから三ヶ月が過ぎていました。本当に素晴らしい毎日を送ることができましたね。
ですが、今日、いよいよ私は貴族島に帰ります。
「な~に澄ましてんだ?」
「アドルフ」
「心配するな。ライアンが手を回しているし、堂々としていればいい」
そう言ったアドルフの顔も少しだけ強張っています。
「緊張しているの?」
「ルシールの親父さんへの挨拶にな。いきなり現れて娘さんと暮らしたいなんて、反対されるだろうな……」
「な~に、らしくない事言っているの? 私に勝ってクレナスタ侯爵に負けるなんて、あり得ないからね」
「おう。そうだな!」
二人と一緒に貴族島への道を登ってゆきます。いつもどおりのエティエンヌ。少しカチッとジャケットを羽織ったアドルフ。お馴染みの金髪のカツラで変装した私。
御用聞きの商人として、貴族島に入るのです。
『暗いよー。狭いよー』
『静かにしろ』
そして、荷台には大量の陶磁器として登録した、本当は守護獣二頭が潜んでいます。
ずっとお世話になってきた馬のハクさんが、さすがにしんどそうです。
「お疲れ様~」
「あっ、エティエンヌさん。お疲れ様です。今日は荷が多そうですね」
「新人も入ったし、貴族の皆さんにガッボリご購入いただこうと思ってね」
素知らぬ顔をして、アドルフと私が頭を下げます。
「積み荷の確認と許可証の発行は――ライアンさんですね。どうぞ、お通りください」
「ありがとう」
そう言ったエティエンヌは、貴族島の門番をしていた兵士の方に、搾りたての果汁を手渡していました。
「いや~、いつもすみませんね。ありがとうございます。どうぞお気をつけて」
エティエンヌは商売人として信頼を築いていましたし、ライアンさんの実直な仕事振りは一目置かれているようです。
ニコニコと手を振る門番さんたちを、無事やり過ごせました。このあと直ぐ、ライアンさんも追って上に来てくれる手筈です。
「クレナスタ家に直行するよ」
「頼んだ」
「うん」
ぎゅうぎゅう詰めになったスクルさんとパティさんのためにも、はやく街中を抜け、狭い貴族島でもまだ敷地が広い実家に帰りたいですね。
家の場所を知っているエティエンヌが手綱を取り、不自然にならない程度に急ぎます。
「パティはよく、上から突っ込もうとしなかったな」
「作戦を話したら、『そっちの方が面白そう』って言ってくれたの」
「そうだったんだね。今頃、中でいじけてそうだけれど……」
整備された美しい道を走り抜けます。王城に近いクレナスタ家までは、馬車で十分。三人で話をしているとあっという間でした。
「ルシール!」
「お帰りなさーい」
「姉上!」
「お父様、お母様、ヒューゴ。ただいま戻りました」
私としては、ちょっと留学に行って帰って来たくらいでしたが、両親には心配をかけてしまいましたよね……。感動の再会です――
「ね~ね~。お土産は? マンガを買って来てくれたんでしょ?」
「はいはい。ちゃんと隠しておきなさいよ?」
「わーい! ありがとう、お姉様」
まだ九つのヒューゴには、殺されかけたことは伝えていません。お祖父様が一度は広めましたが、品が無いと貴族島で禁書扱いになったマンガを、お土産にねだられていたのです。
無邪気に喜んで可愛いですね。
「や~だ。ちょっと日焼けしたんじゃないの? そういうのはね、年をとってから響くんだから~。あ、でも変わらずお肌はプリンプリンだわ~」
「お母様、顔に摩擦を加える方がよくないと、お祖父様は常々言っていましたよ……」
「だって~。久しぶりに堪能したいんだもの~」
お母様は自由な方で、おおらかなタイプで、この性格ですから、舅のお祖父様とも良好でフレンドリーな関係を築いていたそうです。
「そんなことよりも、早くルブラン・サクレに会わせてくれないか? パパはこの日を待ちきれなかったんだよ!」
「ええ。私もお二方を早く出してあげたいので、取り敢えず詰め寄って来ないでください」
「この荷台の中かな? パパが開けちゃうよ?」
気を回して、アドルフが荷台に張っていた幌を外してゆきます。
『着いたのか?』
『フアーア。少し寝ちゃった』
背伸びをしながら二頭が出てきました。
「素晴らしい……。感動する……」
行方不明になった娘が戻っても感極まらず、守護獣と会えた方が嬉しいのですね。
私は家族と離れて暮らし、すっかり忘れていたのでしょう。皆、クレナスタ侯爵家の個性豊かな人々だということを――
大騒ぎしながらも、急ピッチで今後の段取りを決めて行きました。
エティエンヌは状況説明と国王陛下への根回しをするため、今晩は城に帰るそうです。
アドルフはスクルさんたちの世話をすると、クレナスタ家に泊まることにしました。
無事合流したライアンさんも、アドルフの手伝いをしたいとここにいます。
事が大きいだけに、打ち合わせに時間がかかりました。やっと休むため懐かしの私室に向かっていると、弟の部屋から明かりが漏れています。
「ヒューゴ。夜更かしして、一気読みをしないようにしなさいよ」
「はーい」
お母様はもう、眠ったみたいです。美容マニアなので、夜更かしはお肌の天敵ですからね。
お父様の執務室からも明かりが――今日は私の事で時間を割かせてしまったので、執務を滞らせたのでしょう。
手を止めさせては申し訳ないので、そっと離れました。お疲れ様です。お父様――
――コンコンコン――
「どうぞ」
「失礼します」
「アドルフ様……」
深夜のクレナスタ侯爵の執務室には、侯爵とアドルフの姿があった。
「娘が好いたのは、ステファヌ殿下ではなく貴方様の方でしたか……」
「がっかりさせてしまいましたか?」
手を組み合わせた侯爵は、ゆっくりと息を吐く。
「父親として聞かねばなりません。アドルフ様は今後、どうなされるおつもりですか?」
「今日連れてきたパティに子が産まれたら、帝国に戻ります。それまでは王国におりますが、ルシールには私がどこで生きても側にいてほしいと望んでいます」
侯爵の顔が歪み、額を手のひらで覆う。表情は隠せたが、震える声音は隠せなかった。
「殿下も娘をもったら、今の私の気持ちがおわかりになるはず……。さすがに帝国は遠いのです。平民地での生活も心配になるのですよ。少し時間をください……」
「はい、勿論です。ですが、ルシールがルブラン・サクレに認められれば、双方無理しない旅程でも一日でこちらに来られますよ。パティなんかはずっとルシールにベッタリですから、彼女が守護獣を従えるのはわけないでしょう。そして、これからの私たちの行動で王国は大きく変わるはずです。それだけはお伝えしておきます」
アドルフが侯爵に伝えたい想いは山ほどあったが、これ以上の話を侯爵が望まなかった。
「検討材料の一つにさせていただきます。お疲れでしょう、今日はゆっくりおやすみください」
「はい。失礼しました」
平静を装って執務室を出たアドルフだが、一気に緊張感から解き放たれ脱力する。
(親父さんとの対峙、なんとかやってのけたぞ。だが、まだまだこれからだな。何度でも想いを伝えてやる)
アドルフも一度で許してもらえるとは思っていない。侯爵には何度でも気持ちを説明し、自分たちのことを理解してもらおうと考えていた。
アドルフ・レイダルグ。一度懐に抱え込んだモノを自らは離さない。熱い男だ――