17 帰り道の荷馬車の上で……
たくさん買い物をしたので、荷台がいっぱいになりました。帰り道は、御者台で手綱を取るエティエンヌの隣に座ります。
馬の蹄の音に合わせるようリズミカルに、四方山話が弾んでいました。街中を歩き回った程よい疲労感もあり、ゆったりと流れる時間が心地いいです。
「ねえ、ルシール。もうすぐ平民地に来て二月でしょ? 上に帰りたくはならないの?」
「そうね。家のことは心配になるけれど、帰りたいとはちょっと違うかしら。ここでの毎日が充実していて、今が幸せなの。牧場の皆のお陰ね」
誰かの役に立てる生き甲斐、受け入れてくれた二人と二頭、自由を謳歌し自然に囲まれた平民地での生活。どれもこれも大切で、かけがえがないのです。
「そう言われると、私まで幸せな気持ちになれるよ。――でも、これからはどうするの? マティス様と結婚しなくても、いつかは貴族島に帰らなきゃいけないんじゃない?」
「そうね……」
今なら何度マティス様に突き落とされても、余裕で回避できますね。むしろ、私を殺そうとする証拠を押さえられるなら好都合です。“フロシキ”制作なら上でもできますし……。
平民地に残る理由は、二つに絞られていました。
「魔力も戻ったし、マティス様の方は大丈夫そう。なら、パティさんや魔女の件が解決したら、ここにいる理由がなくなるわね……」
「……」
どちらも、一刻も早く解決したい問題です。ですが、解決した暁には、上に戻ることになるでしょう。
貴族島よりこちらの方がずっと性に合っていますが、理由もなく帰らないのは家を捨てたも同然です。
そんなこと、できっこありません……。
「あのね、ルシールに、ここで生きる理由ができると言ったらどう?」
「平民地で生きる理由? それは是非、知りたいけれど……」
自分の頭で考えても、その理由とやらが全く思いつかないです。
「そうだね……。ルシールは切れ者だから、もう私のことに勘づいているよね?」
「エティエンヌのこと……? う~ん?」
目が泳ぎまくりながらも、取り敢えずはぐらかしました。ズバリ今、予測していた彼の正体を言ってもいいのでしょうか?
「ごめん。試すような卑怯な尋ね方をした」
「そんなことないわ。慎重にならざるを得ない事情があったんでしょう?」
そう言って隣を見ると、エティエンヌの天色瞳が私に向けられていました。
まじまじ見つめられると恥ずかしいですし、前方不注意は危険です。
「あの……、エティエンヌ?」
「上での名は、ステファヌ・シャンダールだよ」
私に話してくれるのですね。ならば、私もその秘密を、墓場まで持って行く覚悟を決めましょう!
「――はい。腕輪を外していただいた時に気づいておりました。ただ、私から話すべきことではないと、胸に仕舞っていたのです」
未だ政敵マティス様の婚約者である私に、リスクを負ってまでステファヌ様がご身分を明かしてくれたのです。
「ダーメ。平民地ではちょっとだけ羽振りがいい、商売人のエティエンヌだよ。変わらず接してほしいな」
「承知したわ、エティエンヌ」
時々彼の帳簿記帳を手伝うのですが、どう考えても「ちょっとだけ」の金額ではありません。しかも、担当者が産休で一時不在となった、小売部門の一店舗分だけ。
他部門、他店舗もあるのですから、税収でも王国は助かっているはずです。
「知ってのとおり私は第一王子でも、権力の構図から王にはなれない身だよ。マティスと争うつもりはなかったから、十五で貴族島を出たんだ」
「十五歳で……。だから、会った記憶がないのね。外国で暮らしていると教わったのを、ずっと鵜呑みにしていたわ」
私が社交に出る前に、エティエンヌは平民地での生活をはじめていたのです。そして、第一王子の噂の真実は、国に寄りつかぬ放蕩王子ではなく、思慮深く権力争いを避けたが正しかったのですね。
「ルブラン・サクレの真実を知れたのは、ルシールのお陰だよ。やっと、財政面以外で国の役に立てそうだ」
「ずっと王族として、ここで頑張ってきたのね。シャンダールの貴族として、何も知らなかったことが恥ずかしいわ……」
そして、どれほど国のため働いていても、誰にも評価されない第一王子を想い、悔しくなりました。
「それが私の望みだったから気にしないで。私より苦労している人間を知っているし、私の人生の標はルシールのお祖父様、ヒデトシ・サトウ・クレナスタだからね。権力より、愛する人と共に生きることを選びたいんだ」
「まあ! エティエンヌはお祖父様を知っているの? 光栄だし、嬉しいわ」
大好きで自慢のお祖父様を標だなんて言われると、誇らしくなりますね。しかも、クレナスタ家では有名な「叙爵拒否事件」の話まで知っているなんて、テンションが上がります。
「それが、ルシールがこちらで暮らす理由に繋がるんだけれど、わかるかな?」
「ええと、ごめんなさい。見当がつかないわ」
はい。ヒントを沢山もらっても、やはり全く思いつきません。
「じゃあ、答えを言うね。――ルシール、私の伴侶になってほしい。憧れの人のお孫さんで、貴族なのに平民地で暮らすことを望み、そして、何よりもルシールは素敵な女性だ。惹かれずにはいられなかったよ」
伴侶? 素敵? 惹かれる!? 思考は停止寸前です。
「あの、それって?」
「王には私から経緯を説明する。だから、私の婚約者にならないかってことだよ?」
惹かれるだなんて、言われたことがありませんから、動揺してあたふたします。身体中が熱くて仕方ありません。
「フフっ。ずいぶん可愛い反応だね」
「慣れていないの……」
「……。マティスは大馬鹿者だよ」
本当にそうですね! マティス様がもう少し免疫をつけてくれていたら、これ程ドキマギせず済んだのです!
「大丈夫。まだ、パティや魔女のこともある。少しずつでいいから、私とのことを考えてね」
「はっ、はいっ」
まさか婚約の話しになるなんて……。お祖父様……。こんな時、私はどうしたらいいのでしょう!?
ご令嬢方の恋愛話に、興味を持ってこなかったツケが回って来たようです。帰り道の荷馬車の上、せめてロマンス小説でも買ってくればよかったと後悔しました――