歪み、壊れた心。そして
プロローグは続きます。
恋人の浮気という衝撃の放課後を過ごした俺は、ノロノロと登校時の時のように帰り道を歩き、父が建てた40年のローンが残る我が家へと辿り着く。
(さーて……どう説明すっかなぁこれ。)
幼馴染に浮気されたー、とでも素直に言うべき事なのだろうか。
(実際の所は浮気なのか………無理矢理の可能性もある。いや、だとすればあれだけ長時間キスを続けていた理由はなんだ?)
おそらく浮気は確実。
気絶していたのならあれだけキスをしていても意識が無いのだから無理はない。
だが日常生活において気絶するなどという事は現実的にありえない。
漫画や小説じゃないのだから、意識を失うのは難しいのだ。
(………親父もお袋も浮気どころか俺と時雨が付き合っていた事すら知らない。言わないでおいて正解だった。)
付き合い始めたのが中学生だった事もあり、俺は時雨に頼んでお互いの両親には内緒にして欲しいと我儘を言っていた。
あの時時雨に頼んでいなければ、俺は今から自分の両親と時雨の両親に対してとても気不味い内容の話をしなければならなかった。
玄関を開ける。
「ただいま。」
そう声をあげるが、家の中から声はしない。
おそらく隣の柊家にでも行っているのだろう。
一先ずは説明の必要が無い事に安心する。
玄関を抜け、2階にある自室へと向かう。
汗で少し臭う制服を脱ぎ捨て、カバンを乱雑にベットへ投げ込む。
そして窓際を見る。
「……やっぱまだ帰ってないか。」
時雨と俺の部屋は、お互いの家の構造的に向かい合っている。
俺達は、家に着いてから少しの間お互いの顔を見ていたい、という恥ずかしい理由でカーテンを開けるという約束をしていた。
事前にプライバシーの問題でカーテンを開けられないという時は連絡があるのだが、今日はまだ来ていない。
つまり時雨は20時を回っても家に帰ってきていないという事だ。
「んー、頭を整理したい。が、栄養が足りないな……糖分だ。糖分とエネルギーを補給しないと
考えんのは無理だな、うん。」
独り言を言いながら俺は一階の冷蔵庫までダラダラと歩き、自分の言葉を自分に言い聞かせる。
「エナジー系の缶あったかしら?つかなんか菓子あったっけ?」
冷蔵庫と戸棚を探す。
「うわ、親父のピーナッツだけ?うっわぁ……うちの家菓子無さすぎ…?」
親父のツマミと缶ジュースを抱えて2階へ上がる。
「さて。」
ベットに座り、缶の中身を一気に煽る。
「……状況の分析をしないとな。」
俺カーテンを閉めて部屋の電気を消した。
暗闇の中、俺は幼馴染の部屋から電気が漏れ見えないように部屋を暗くし、夜目を凝らして菓子を食べる。
数十秒の間目を瞑る事で人間は暗闇に慣れてくるので、そうすれば光の少ない暗い場所でも多少は見えてくるのだ。
「………ダメだ。現実逃避しかできない。」
先程から考えている事は全て現実逃避だ。
考えなければいけない事を考えずに必要の無い雑学を思い出し、今から自分がする行動を一つ一つ説明し、それらを口に出して自分に言い聞かせる。
「………無理だなこりゃ」
考えが及ばない。
泣かない、怒らない、笑わない。
感情が湧かない。
幼馴染としての絆はある、と思う。
だが恋人としての愛は多分消えた。
というか時雨はどうするつもりなのだろう。
両親共にお互いの家に遊びに来る仲だし、俺も時雨もクラスの中で付き合っている事は殆ど知られている。
それこそ部活内でもそうだし、あいつの生徒会や俺の友人達とそれを知っている筈なのに。
親だけだぞ?俺達の関係を知らないのは。
どうすればいいのか分からない。
多分、今時雨に会えば傷つける言葉しか出てこない。
恋人に怒鳴りたくないし情けない姿も見せたくない。
どうすればいいのだろう。
答えなどないこの問題について、俺は考える。
考える。
考える。
考える。
まだ分からない。
まだだ。
色んな側面から考える。
一つの視点からしか見る事が出来ない。
だがそれでは浮気されたという事実からしか物事を進める事が出来ない。
冷静に。
お互いに不幸になりたいわけではない。
ドラマ、映画、恋愛ソング、様々な恋愛模様の形を見てきたし聞いてきたのだから、その知識をフルに活かしてこの局面を乗り越えなければならない。
(……大抵の場合、二股をした人間は世間からバッシングを受ける。)
そうなれば時雨以外の人間で一番ダメージを受けるのは俺と時雨の家族、そしてその次に俺の家族だろう。
(相手の男……いや、そこまでは俺の領域じゃない。でも相手は俺と同じ学校の人間だ。)
社会とは人間関係によって構成されている。
時雨の浮気相手は俺の知り合いの大事な存在である可能性があるし、ひょっとしたら俺が浮気相手なのかもしれない。
(俺にできる事。……誰も傷つける事無く二人の関係を終わらせる事だ。間違いなくそれが最善。)
だがそれには途方もない労力が必要になる。
(先ずは時雨の話を聞こう。それとなく探りを入れよう。)
創作の中には、浮気した事実を知られて暴走する人物も居たはずだ。
そうなれば物語は盛り上がりを見せるが、現実では周囲に迷惑をかけるだけで他に生産性が無い。
(穏便に。とにかく穏便に。)
学校なんて小さな集まりでしか無い。
だからこそ、その中で起きる問題は恰好の餌食でしか無い。
浮気した人間と浮気された人間、そして浮気相手の人間は周囲から蔑んだ目で見られ、迷惑でしか無い同情を向けられ、腫れ物を避けるようにして扱われる。
(ただの浮気は、それだけで終わる話じゃ無い。………事の重大さは当人達にとっては今後の人生に於いて災害レベルで害悪な物になる。)
だからこそここは冷静にならねば。
間違っても怒る事は無いようにしなければ。
そうして考えていく。
いつまでも終わらない問答は、その言葉通り無限に続くようにも思える。
家に着いてから登校までの時間は精々12時間しか無い。
だが男の思考は既にその時間でできる量を遥かに超えている。
数年分にも及ぶ思考の中で男が考えたのは感情との向き合い、第三者としての思考、これから選択肢次第で起きるであろう問題、あらゆる事の始末の仕方、そして今後の自分の立場。
考え過ぎた男はそのうち壊れ始める。
バラバラに壊れないように、整合性と合理性だけを求めてしまった。
壊れる事無く軋む心は歪み始める。
歪んだ心は、されど心に変わり無く。
まともとは思えない心は醜い姿に変わり、それ以上壊れることの無い心に生まれ変わった。
そして朝を迎えた時。
男は生まれ変わった。
最初は変わり者というだけだった主人公は、この夜を超えて完全におかしくなります。
感情というものが完全におかしくなり、恋愛において優先される事の順位が普通の人間とは違うものになります。




