先を生きると書いて先生
すみません……先生の話続いちゃいます。
あと今回めっちゃ長いです。
直ぐに次を書きます。
次こそ光一先輩。これ絶対。
職員室では朝早くから、二人の教師が言い合いを繰り広げていた。
他の教師達は我関せず、といった態度でその争いに巻き込まれないように仕事をしている。
誰もその怒号のような話し合いに口を挟もうともしない。
「だからまだ無理だって言ってるでしょう?……今のあいつがテニス部に復帰した所で針の筵状態ですよ………。」
「そうは言ってもだねぇ……彼女程の逸材を些細な問題で眠らせるのは我が校の損失だよ?」
「些細な問題かどうかは本人次第でしょうよ。……嫌われている事を自覚している人間が、100%のパフォーマンスを発揮して活動できると思いますか?」
「そんなものは根性でどうとでもなるさ。最近の若い奴は少しの事で簡単に折れるから駄目なんだよ。良いかい?直ぐにでも彼女を連れてきてくれ給え。君のような不良教師でも一応生徒指導を担当しているのだから。それくらいの事は早く終わらせてくれ。」
「生徒指導は振り分けられただけの話で、私はカウンセラーでも心理学者でもありませんぜ?一応、生徒と向き合って話す事はしますが、早急に解決を、と言われても約束は出来ませんや。……そんなに顧問としての功績が欲しいんですかい?」
「なんの話かね?私はね、彼女の為を想って言っているんだよ。タバコの臭いに塗れた男と同じ部屋で缶詰状態なんて普通は嫌だろう?教師とはいえ赤の他人の男と半日も二人きりになる。それも君のような不良教師と。」
「こんな風でも教師に変わりはありませんがね。それに、山口主任が言ったんでしょうが。時間が無いから代わりに生徒指導を担当してくれ、と。」
「それは………わ、私にはテニス部の顧問としての責務があるからねぇ。可愛い生徒の相談を受け、正しく模範的な生徒として生まれ変わる手伝いをする事は私だってしたいさ。だが部活に励む生徒を放っておく事も出来ないだろう?」
言い合いをしているのは佐藤純一先生と山口透先生の二人。
佐藤先生は現代文の担当と生徒指導の担当を、山口先生は政治の担当と学年主任を務めている。
山口先生は佐藤先生にとって上司に当たる存在なのだが、佐藤先生は一歩も引かずに噛みついていた。
話の内容は柊時雨について。
彼女をテニス部に復帰させるための話し合いだ。
「聞こえの良いように言ってますがね……山口主任、そんなもん間違えて困っている方を選ぶに決まってるでしょうよ。……俺には『面倒事は放って自分の評価の為に部活の顧問として活躍させる』事を選んでいるようにしか見えませんや。」
「貴様!誰に物を言っているのか分かっているのかね!?」
「んなもん山口主任に決まってるでしょーが。……いいっすか?俺はあいつが自立して考える事が出来るまで、絶対にあいつを見放しませんから。」
「………フン!不良教師がどこまで出来るのか、楽しみにしているよ!いいか?早急に片付け給え!」
山口主任は怒りを顕にしたまま、どしどしと歩いて職員室を出て行く。
面倒臭ぇ………禿げが進行して毛根全滅しろや。
俺は自分のデスクに突っ伏して顔を埋める。
「おい佐藤……お前よくあの主任に反抗出来るな。」
隣から声が聞こえる。
「………いや、聞いてたなら助けろよ。つーかなんで誰も言わないんだよ。」
「いや無理無理。お前と違って俺キャリア崩れるのは無理だもん。多分他の先生方もな。」
「もん。とかやめろ。………一服してくるかねぇ。……ヤニ切らしてたわ。」
「……分ーったよ。恵んでやるから行こうぜ?」
そう俺と話しているのは俺と同期の谷村義雄。
数学担当で交通指導担当、独身で彼女無しの悪友。
大学時代からの付き合いのこいつとは、同じ学校に赴任となってから今日までの間、ダラダラと喫煙をする仲間だ。
俺は愛用のジッポライターを引き出しから取り出して生徒指導室へと向かう。
谷村も新箱のタバコを取り出して共に。
担任するクラスを持っていない俺達は、自分の担当教科が無い時間は基本的に喫煙可能部屋にいるのだ。
生徒指導室に入り長机の上に灰皿を置く。
谷村は喫煙者だが携帯灰皿を持たない、何故なら俺が持っているアニメの灰皿が大きいからだ。
それを二人で使えば自分の灰皿を持ち歩く手間が省ける、と昔言われた。
なんとなくムカつく言い分だが、喫煙仲間が少ないこの学校で自分の灰皿をデスクに仕舞っているのは俺だけなので、仕方ないと思いそのまま使わせている。
谷村から受け取った新箱の封を切り、ゴミをクズ入れに捨てる。
新箱から取り出した一本目のタバコに、ジッポライターの火を近づけて思い切り深呼吸。
谷村も同様に、百均のターボライターの火を点けて深呼吸。
口元から喉へ流れ込む煙が肺に充満する。
タバコの熱が唇ギリギリな所まで近づく。
同時に心地よい爽快感が、脳を中心に全身を駆け巡る。
それを二、三回続けて行うと、俺は吸殻となった一本目を灰皿に押し付けて熱を潰し消す。
二本目に手をつける。
同じように火を点け、今度は一回の深呼吸で火が根元ギリギリ、本当に当たってしまうくらいの位置まで来る。
また、同じように吸い殻となったタバコを潰し消す。
「………いや早くね?」
谷村が俺にそう言ってくる。
「あのクソハゲ加齢臭と会話なんかしてると一箱なんか数分で失せるわ。」
「………その箱終わったらもう無いぞ。」
「懐に三箱隠してんのバレてんだよ。」
「うえっ!?いや、でもこれ俺の今日の分」
「誰かな?先週俺の休みの日にカートン消費して来週返すっつったの誰かなぁ?」
「うぐっ、それを言われると何も言えないけどよぉ」
「何も言うな。大人しくタバコを渡せ。持っているのは分かっているんだ。」
俺は谷村の方を見ずに時計を見る。
今日の予定は二時間後に授業を始めてから昼食。その後にテスト作成と課題採点。それが終わったら柊の課題作成。
自分の仕事を考えて、その考える労力の消費を抑える為にもう一度新しいタバコに手を伸ばす。
既に灰皿には二人の吸った本数を合わせて、二十本分の消しモクがあった。
谷村が新しいタバコに手をつけようとした時、生徒指導室の扉が開く。
「………あら。」
「あ」
「あ、理沙子先生。」
「ふふふっ、私もご一緒に一服。いいですか?」
「カマトトぶるなや。見た目だけ清楚で中身ヤニカスの癖によぉ。」
「………そうね、貴方達相手に猫を被る事も無いかな。」
入ってきたのは松本理沙子養護教諭。
俺や谷村と同じくヤニカスだ。
だが不良教師と陰口を叩かれる俺や出世の気配が無い谷村と違い、彼女は他の先生方からの人気がとても高い。
その美貌は学校一と言われるほどだ。
高校生のガキ共とは違い大人の色気と清楚感のあるオーラ。
山口なんかいつも気色悪い顔で話していて、彼女はそれを上手くあしらっている。
そしてその松本もまた、腐れ縁の喫煙仲間だ。
「貴方達、朝からニコチン摂取で忙しいわねぇ……そんなにストレス溜まってた?」
「分かるだろ?朝のアレ見てれば。」
「理沙子先生、こいつヤバイよ。後数本で一箱吸い切るんだよ?」
「まぁ、中毒患者なのね。」
「一日で半カートン吸い切るお前に言われたくねぇ。」
そう。
こいつの吸う量は半端じゃない。
普段は一日一箱程度だが……ストレスが溜まっている時は三日で1カートンを消費する。
「……そう言えば理沙子先生の方が凄かったわ。」
「ふふっ……そんな事無いわ。でも今日は嫌な事があってね。」
「あ?どうせクソハゲ主任だろ?」
「クソハゲとか言うなよ。……でもそろそろ長打警戒しないとヤバイ感じだよな、アレ。」
「育毛も増毛も無駄な努力だろ。その内選手いなくなるぞ。」
主任へのストレスを主任への陰口で発散する。
ここにいる三人だけの喫煙仲間は全員、山口主任に対してなんらかの不満を持っているのだ。
「………さっきあった話だけどね?山口先生が保健室にいらっしゃったの。何の用事かと思ったら『いつも頑張っていらして、大変素晴らしいですね。今夜食事でもいかがですか?二人で教育について話し合いませんか?』ですって。私は養護教諭だから、教育と直接的な関係は無いのにね?」
「うっわ……山口主任、確か56とかだよね?俺らが28だから………えっ、倍も差があるの!?」
「つーか倍も差がある女を口説こうとする方が驚きだわ。それにコレだぜ?」
「コレって私の事?悪かったわね。こんな女で。」
松本はズボンの尻ポケットから自前のタバコと100均ライターを取り出し、細いタバコを咥えて火を点ける。
俺達と同じ行動の筈だが、彼女がそれを行うと何故か色っぽい仕草になる。
辺りに俺達のタバコとは違う、メンソール特有のライムミントのような臭いが混ざる。
三人の周りが煙で覆われる。
「………山口先生が私の所に来る時は大抵の場合、私を口説けると思って自信満々に来る時だけど……そうじゃない時は佐藤先生と口論した後。ねぇ、今日は何を口論したの?」
松本が俺に尋ねる。
答えようか迷ったがこの学校の教師なら関係無いという訳でもないと思い、一度深呼吸をして肺に煙を入れてから話す。
「………フゥ、、、柊、って言えば分かるか?」
この三人の中でしかしない真面目な顔をする。
他の人間のいる前では絶対にしない顔。
何があっても見せる事はしない。
それは俺が学んだ処世術の一つ。
ふざけた態度とやる気のない顔で、俺自身をダメな反面教師として認識させる。
実際俺はこの状態がスタンダードなのだが、真面目に仕事をしてもその努力が実らないと気づいた俺は、信用できない相手の前では絶対に腹の内を見せないように隠し通す。
その為の嘘の対応をする用の顔。
そしてその顔をこいつらの前では剥がす。
「………あれでしょ、例のテニス部の問題児ちゃん。」
「その問題児の柊時雨。………複雑な問題を抱えて、オーバーヒート寸前のあいつを、あのクソハゲ主任がテニス部に戻せ、と言ってきた。だからめっちゃイライラしてた。」
「あらまぁ。……それは良くないわね。」
「あそこまで人間関係が崩れた状態で、どうして活動を再開させるなんて拷問みたいな所業をさせようとするのか分からん。」
「佐藤、多分山口主任はそこまでの問題だと思ってないんじゃないか?」
谷村がそう告げる。
谷村がそう思っている訳じゃない事は分かっているが、俺はその言葉に苛立ちを覚えてしまう。
「あのなぁ谷村。もし本当にそうだとして、それを根性でどうにかするって選択は普通選ばないだろ?」
根性論。
それはかなり昔から続いている愚かな考えの一つだ。
「スポーツとか勉強とか、根性が物を言う一面のある場面ならいい。けど今回、柊がぶつかっている壁は繊細な心の問題だ。それは根性でどうにかするなんて簡単な方法で解決できる話じゃない。」
俺達教師が生徒を見ていられる時間は勤務時間のみ。
それ以上の介入は越権行為として世間が許さない。
それにその時間を全生徒に振り分けて平等に教育を施さなければならない。
一人当たりに当てられる時間はおおよそ一日に数分程度。
特別な理由や事情があっても2〜3時間が限界だ。
一年間でも数日程度なのだ。
その理由も、それ以上の介入をするのはやましい事をしているからでは?という疑いの目を向けられて、越権行為として判断されてしまうのだ。
だが、基本的な教育を施すだけで何とかなる人間だけじゃない。
生徒一人一人のペースがあり、個々に問題や不安を抱える。
俺達教師という職業の人間は、生徒達に知識と常識、良識と生きていくという意識というものを教えなきゃいけない。
全てを救い導く事ができる訳じゃないが、全てを救い、導こうとする事を辞めてはいけないのだ。
目の前で問題を抱えた少女を、放置しては駄目だと分かっていながら放置する。
そんな事は許されない。
「……そうね。完全に崩れちゃった、とまでは言わないけれど、それでも危うい精神状態よね、彼女。」
「理沙子先生、柊さんと何か話をしたの?」
「いいえ、何も話してないわ。けれど彼女を一目見ればわかる事よ。一応、私も養護教諭よ。……女性として気を使うべき身嗜みは出来ていたけれど、表情は暗いまま。一人で行動している所しか最近見ないし、彼女……いじめられているの?」
「いじめまでは進んでない。省かれている、って所だな。」
「それもいじめの一つだろう?誰にも絡んで貰えないって事は、仲間のいない状況で生活せざるを得ない状況を強いられているって事だぞ。」
「大きな分類で言えばな。でも分かるだろ?」
俺は一箱目のタバコを吸い終わり、新しい箱を開ける為に谷村の懐から二箱目を取り出す。
そして次のタバコを咥えて自分のライターで火を点けようとする。
だが
「異物として認識してしまうと、どうしても一緒にいる事が苦痛になってしまう。って事でしょ?」
「………そうだ。」
松本のライターが俺のタバコに火を点ける。
俺はその火で燃え燻んだタバコを深呼吸で、根元に火が近づくまで吸い込む。
嫌な話、けれど話さなければいけない話をする時はタバコが無いとやっていられない。
「…………フゥ、、、。クラスでも、部活内でも、ずっと一人でいるって事は学校生活の中で柊だけが孤立している。という事になる。」
「そしてそれは、彼女の心を蝕む事実ね。」
「しかもそれを救おうとしている佐藤を、山口主任が引き離そうとしている、って事か。」
もう一度深呼吸を挟む。
「………救おう、なんて大層な事は言えない。所詮俺はしがない反面教師。そして反面教師としてじゃないと、柊と向き合う事は出来ない。」
「どうして?」
「元々多分、柊は他の生徒と比べて精神がお子ちゃまなんだよ。『自分の中で決められた基準』でしか自分や他人を評価出来ないし『自分が求めた水準』を越えられない周りを見下す事で優越感を得る。そういう環境で育ってきてしまった可哀想な子供でもある。」
「………。」
「………。」
「そんな奴がそのまま、高校生まで成長してしまった。体は成長していても、知識は蓄えていても、心は幼稚園児と同じレベルのままで壁に当たってしまった。そんな奴が上から物を教える立場の俺達の言葉を、受け入れられると思うか?」
「………無理でしょうね。」
「………そうだな。俺も『高校生が持っていておかしくない程度の常識』を持っていて、心が『教えを請える』程度まで成長している奴じゃないと、素直に受け止める事が出来るような言葉を与えられる自信が無い。」
「反抗心はある。あーだこーだと言っても柊は高校生、思春期も反抗期も経験している。だからこそ、怒らせて、反論させて、同じ目線で話をした上で諭すしかない。」
「嫌われ役を買って出るの?」
「そうじゃなきゃ話を聞いて貰えない。……元々俺はそういうタイプの教師だ。論破して見下したいと思われるような人間だ。適材適所、それだけだ。」
「それはそうだな。お前は他の先生方からの心証も悪い。つーか嫌われてる。」
「うるせぇ。お前は軽んじられてんだよ谷村。……それに、多分テニス部の中で問題は起きたんだ。」
「?………どういう事?」
いつの間にか二箱目のタバコも無くなっていた。
灰皿もパンパンに詰まっている。
だがイライラが収まらない俺は、谷村の懐から三箱目のタバコを取り出す。
火を点けようとする。
だが今度は谷村が俺のタバコに火を点けた。
「………花屋、いただろ?」
「あぁ、あの子。何度か遅刻ギリギリで来ている子でしょ?それがどうしたの?」
「柊のクラスで授業をする時、あいつらが付き合っているという話を何度も聞いた。実際に二人で帰っているところも見ている。それも花屋が柊の部活終わりまで待ってから、だ。」
「………なんか微笑ましい話だな。不純異性交遊とかじゃないなら、まぁ。」
「だがそれは以前の話だ。………二年の黛灯里。あいつの後輩が、『柊が二年の久川と練習をしているせいで、女子テニス部に男子テニス部のスパルタが移った』という不満をぶつけられた。」
「なに?浮気している、って言いたいの?でも高校生くらいならその程度の話、よくある痴話喧嘩でしょ?」
「お子ちゃま精神でもあいつは優秀な生徒だ。それに花屋は俺と似て馬鹿な男だが……何故か周りとの関係は良好だ。」
「花屋かぁ……授業は寝てる事が多いから、俺は結構厳しくしてるけど。でも確かに、友達になりたいタイプだよな、なんか惹かれる、というか馴染みや易いオーラがある、というか。………あ、俺のタバコ終わった。ごめん理沙子先生、カンパして?」
「はい、どうぞ。メンソールよ?」
「ヤニカスだからなんでもいいよ。……それで?」
「花屋と連んでいる柊は、そのおかげで周りとの関係もそれなり上手くやっていた。ダメな彼氏としっかり者の彼女。そういう風に周りから認識されていたんだ。………そこに他の男が現れたら?その男に乗り換えて、周りとの潤滑油になっていた花屋が離れていったとしたら?」
「………孤立して」
「依存する、な。間違いなく。」
「………久川は他に見ない程優秀な男だ。成績だけじゃない。ルックスもスタイルも性格も、ずば抜けて良い。」
「そうねぇ。………私はタイプじゃないけど、それでも高校生にしてはそれなりに可愛く見えるわ。」
「俺は無理だなぁ……ああいうタイプは裏でなんか悪さしてるね、うん。」
「実際その類いの噂はある。……卒業生のヤンチャな連中と連んで夜出歩いている、という目撃情報も来た事がある。………推測でしかない。だがもし、不安定な精神状態の柊が、その久川と付き合って身を滅ぼすような事になったら?……そんな事は許されない。絶対にだ。」
「………飛躍し過ぎだとは思う。だけどありえない話じゃないよな。」
「高校生なら、後先を考えず何か問題を起こす事もあるわね。」
「確実じゃないとしても、そんな可能性のある人間の近くに今の柊を近づけるのは容認できない。俺は生徒が不幸になる事が許せない。」
煙で窓の外の光が遮られる。
室内の明るさが落ちる。
煙が重さを帯びる、しかし部屋全体を覆う。
「どんな馬鹿げた可能性でも。それが万が一……いや、億が一の確率でも柊を不幸にする未来に繋がるとしたら、俺はそれを阻止する。」
「………厳しい話をするけど。」
「あ?」
「貴方は確かに生徒想いの良い先生。不良教師と他の先生に言われていても、反面教師としてでしか生徒に接する事が出来なくても、それでも貴方は生徒の幸せを願う理想の教師。………でも生徒と先生。その垣根は簡単に越えられない。越えちゃいけない。」
「………俺達が生徒に関与し過ぎると、それを面白おかしく誇張して、捻じ曲げて、悪評をばら撒いて楽しむ人間が出てくる。まして柊は女子生徒。佐藤、お前が救おうとしている相手は『美人で優秀な可愛い子供』だぞ?」
「それだけじゃない。花屋くんと別れていたとしても、久川くんと付き合っているかもしれない。そうだとしたら、貴方は不安定で心細い彼女と、それを支えてようとする彼氏を引き裂く悪い教師として後ろ指を指されるのよ?」
「………。」
教師の限界。
それは分かっている。
だがそんな事を気にしている内に、柊という愛すべき可愛い我が生徒は、自分の未来を捨てる羽目にあってしまうかもしれない。
この世は妥協と欺瞞で溢れている。
それなりの指導しか許されないし、誰もが欲しがる信頼関係は幻のようにしか語られない。
柊に関与し過ぎる事は駄目だと。
生徒と教師、だが男と女。
そこにある愛が恋愛感情ではなく、師弟愛だとしても、そこに本当に恋愛感情が無いという証明を、俺は世間に向けて見せる事ができない。
男子生徒だとしても女子生徒だとしても。
俺は教え子を救いたいだけなのに。
もどかしい。
情けない。
教師としての領分を超えられない自分が嫌いだ。
それでも
「………俺は生徒を守る。それが大人だ。それが教師だ。それが先に生まれた人間の義務だ。」
「………。」
「佐藤……。」
「駄目なんだよ、俺達が諦めるのは。俺達が生徒を守らなくちゃいけないんだ。いつか柊を支えて、守ってあげる事が出来る男が現れるまで、あいつが頼りたいと思える相手が出来るまで、俺達教師は、高校生の間だけでも柊という他に代わりのいない掛け替えの無い生徒を守らなくちゃいけないんだ。」
だから
「………あいつをどれだけ怒らせても、俺はあいつに現実を叩き込む。他に方法は無い。あいつが自分の愚かさに気づいて、周りの人間と上手くやれる方法を見つけるまで、あいつに『説教』をする事は辞められないし、あいつをテニス部に行かせない為に生徒指導室に通わせる事を辞めない。」
「………問題が大きくなる前に、柊がこれ以上塞ぎ込む前に、他の人間に頼るのは駄目なのか?」
「お前も教師なら分かるだろ?あそこまでボロボロになっている我が娘の異変に気づかない親は居ない。多分、親に問題がある。ネグレクトの可能性がな。」
「確証はあるの?」
「無い。……だが、本人から親父さんの話を少し聞いた。………褒められた経験の有無を聞いた時、あいつは自分の話ではなく弟の話をした。」
「それだけで判断をしたの?性急じゃない?」
「ネグレクトされた経験があると分かるんだよ。………本人は気づいていないが、あいつの親に対する反応は薄い。」
「なら、カウンセラーや相談員に話すのは?」
「花屋を殴って逃亡した生徒、その肩書きがあるから生徒指導室に呼べた。……だが、弾かれた生徒がそのまま心を病んだという事実を他のクラスメイトや部活仲間が知ったとしたら?」
「…………典型的ないじめが始まる可能性がある。」
「………しかも部活内では省かれているのではなく、既に嫌われている。」
「そうだ。………十中八九、いじめは起きる。子供は残酷だ。善悪の判断は法律や規則ではなく、個人の心情で決まる。鼻につく態度の女が虐めやすい弱った状態でいる、なんて事を知ったら……絶対に。」
「自業自得。………でも」
「だからと言ってそれを見過ごせない、か。」
「はっきり言って、学校は『グレーゾーン』だ。歳が近いだけの赤の他人が、狭い空間で長時間生活をする。それは何が起きてもおかしくない状況なんだよ。……俺達だって、正攻法でどうにもならないようないじめを見てきただろう?」
「………。」
「分かってはいるけど……悲しい現実よね。」
「何故世界規模で同じようないじめがあるのか、何故同じような状況で不幸を選ぶ子供がいるのか、対策はしている、対応もしている、ケアは怠らない。……それでも悲劇は消えない。これは事実だ。」
「………。」
「………。」
「諦めないさ。……その為に教師になった。」
正攻法では救えない子供を救う。
正論で語る事は簡単だ、、他に良い手がある、ということも簡単だ。
だがそれは本当に救えているのか?
いや、救えていない。
救う為の機関や職業の意味が無いと思えるくらい、救えていない子供は存在する。
「…………誰か、柊を支えてあげられる彼氏がいればなぁ。」
花屋、お前どうして別れたんだ?
タバコの火は、いつの間にか消えていた。
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