愚かさと醜さ
こんばんは。
佐藤先生は口に加えたタバコが落ちないように、慌てて灰皿の中に灰を落とす。
何故か分からないが、とても動揺しているように見える。
私は今『人を思いやる心』を持っているという反論で先生を言い負かしたのだろう。
先程まであんなにしつこく面倒だった先生が、たった二言でここまでの狼狽を見せた事に、私は震えるような喜びを感じた。
「先生、どうですか?これで私には『人を思いやる心』がある、親切で優しい人であると証明出来ていますよね?」
本来なら全く話しかけるメリットなど無い相手に、必要以上に優しい対応をしているのだ。
これを思いやりと言わず何というのか。
だが先生はもう一度新しいタバコを懐から取り出し、先程と同じように格好つけて火を着火する。
「………無視ですか?それにまだ吸うんですか?体にも悪いし、やめた方がいいと思いますよ。」
「………悪いな、その気持ちだけ受け取っておく…。いや、『出来の悪い生徒ほど可愛い』とは言うが、ここまで可愛い生徒を見るのは久し振りでなぁ。」
「人を馬鹿にする事が本当にお好きなんですね。」
「………俺も色んなバカを見てきた。単に勉強が出来ない奴、周りと合わせられない奴、後先を考えない奴、ルールとモラルに縛られて頭が凝り固まった奴、どのバカもこの人間社会において必ず生まれるバカだった。」
「………。」
「不完全な仕組みの社会なんだよ。どんな綺麗事を言っても、必ず『上手くやれる人』と『失敗に呑まれる人』に分けられる。社会全体がそのどちらかに分けられた人間で構成されているんだ、仕方の無い話だけどな。」
「……何が言いたいんですか?」
今は私の思いやりについて話をしていた筈だ。
それがどうして『先生の見てきた底辺の種類』の話や、『社会の裏の事情』のような話に移るのだろう。
先生は私に買ってきた飲み物と同じように、自分の為に買ってきた『真一と別の種類のエナジー缶』を開ける。
少しだけ口に含む。
缶を長机の上には置かず、何故か窓際の棧に置く。
そして気合を入れ直すような仕草をして、もう一度私の方を見る、
「お前が言う『底辺の人間』と俺が言う『失敗に呑まれた人』ってのは同じ人を指しているって事。」
「………?そう、ですね?確かに、失敗ばかりするような人なんて、成功しようと努力をしない『最低の人間』だと思います。」
「俺はお前もその『失敗に呑まれた人』、つまり『底辺の人間』だと言っているんだ。」
「あ」
「今の俺は、最大限、お前の事をバカ扱いする発言をしたんだ。」
「……意味が分かりません。どうして私が底辺と言われなければいけないんですか?」
「お前が底辺という言葉を選んだ、というのもあるが………今のお前は『最低』では無くても『底辺』と言われるくらいには性格がブスだ。」
「本当に教師とは思えない人ですね。」
「あのな?落ち着いて聞け?………まずお前の評価を言ってやる。お前の容姿はかなり整っている。それこそルックスやスタイルは学校の中でもかなり上位にランクインするものだと思う。………セクハラとか言うなよ?俺も人間なんだ。立場からしか物事を見ない、なんていう事は出来ない。生存本能があって、三大欲求がある。だからお前の容姿を採点してしまう自分が頭にいて、その結果を敢えてお前に言っただけだ。」
「………本来ならセクハラとして報告をします。ですが、容姿を褒められた事は別に嫌ではありません。不問にします。」
「はいはいどうも。……そんでお前の容姿は他の生徒もかなり憧れるレベルの可愛さだ。しかも勉強も運動も、一切手を抜かない程真面目に取り組んでいる。教師としては最高級の存在だ。」
「それについては素直にその言葉を受け取っておきます。ですが容姿は関係無いのでは?」
「これは教師としての発言という点では最低な発言になる。だがな?俺達人間は基本的に『綺麗なものを好み、汚いと感じるものを嫌う』本能があるんだ。……それは生徒の身嗜みや身体の造形、顔の美醜も例外じゃない。頭脳や身体能力、評価が全く同じで、だけれどその顔が著しく劣っている人間とお採点をするなら間違いなくお前が上に立つ。『学力と身体能力と外見』だけで採点をする場合だ。」
「堂々と贔屓をするという事を言うんですね。」
「ならお前は自分の恋人に対して『外見の美醜』は求めないのか?」
「総合的に見て決めています。」
「答えろ。『外見の美醜』はどうでもいいのか?」
「………総合的、と言いました。その中には当然、『一緒にいたいと思える容姿』も含まれます。」
「つまりお前も俺と同じで『自分の好みの外見かどうか』を基準の中に組み込んでいる人間なんだよ。」
「………。」
「だがそこじゃない。……お前のバカな所。それは『お前の中の心の美しさ』の基準だけはとても理解出来ない程極端になっている所だ。」
「……納得がいきません。思いやりから生まれる行動は!さっきの私の意見は!優しさでは無いと言うんですか!?」
「アレはお前が『見下した相手を哀れに思い、その相手に対して、優しさに見せかけた侮蔑を見せる事で優越感を得ている』だけの自己満足だ。どうせ『仕方ないから』とか『私は優しいから』みたいに気持ちの悪い優越感に浸っているだけなんだよ。………ある意味人間らしい部分だし、そう言う奴は少なくない。」
「優しさは自己満足です!」
「確かにそうだ、結局は自己満足。だがお前のは自己満足ではあっても優しさではない。それは優越感を満たすという目的のみのマスターべー………失礼、一人善がりのお遊びで、偽善ですらない。同情にも似た醜悪な何かだ。」
「はぁ?どうして優しさではないんですか?」
「優しさってのは『相手を助けよう』とか『相手の力になってあげたい』とか『相手を喜ばせよう』って感じの事を自発的に、無意識に、そう思える事を優しさって言うんだよ。」
「私の考えは違うと?」
「当たり前だ。………考えてみろ。お前が『優しくしている』と思う時、お前は相手を見下していないか?もし見下している気持ちがあるのなら、それは優しさじゃない。」
「………。」
「さぁ、どうだ?お前は『俺の言う通りの意味の優しさ』を誰かに向けて送った事があるか?」
「……今、考えているので少し黙って下さい。」
「考えている時点で無いのと変わらんがねー……思いつく限り無いなんて、そんな奴は優しい人間とは言えないぜ。ましてやお前は『優しくて優秀な模範的生徒』を自称しているんだ。周りから求められる優しさは普通よりも大きい。」
「………。」
「当然、目上の相手に対しての優しさはカウントしないぞ?お前の優しさを、お前が見下している相手に対して見下さないように見せた事があるかって話だ。」
私は佐藤先生に対して抗議をする事を一度止め、自分の今までの行動を今一度振り返ってみる。
底辺だと見下してない相手に優しくする。
それくらいはした事がある筈。
………だけどそのケースが思い出せない。
おかしい。
いくらなんでもそんな人間はいない筈。
でも私は、
その記憶が思い出せない。
「………時間切れだ。」
「時間なんて設けるんですか。」
「直ぐに出てこないようならお前は優しくするという事を理解してないのと同じだ。」
「………。」
言葉が出てこない。
私は優しい人間では無い?
なら私が今まで『優しくしてきたつもり』の行動は一体何なの?
佐藤先生が言うように『見下している相手に対して独り善がりな侮蔑をしていた』だけ?
「……そんなお前の心は美しいか?俺はそう思わない。どれだけお前が美人に部類する人間だとしても、心が醜いお前はブスだ。性格ブスだ。汚くて醜くて好きになれないような人間、底辺と呼ばれても仕方の無い人種だ。」
「………。」
「他人に対して向けていたつもりの優しさは優しではなく醜い感情だった。……そんな奴が他人の心を理解出来ていると、自信を持って言えるか?」
佐藤先生がその部屋で何本目かのタバコに火を点ける。
換気扇は回っているし部屋の窓も空いているが、それでもこの部屋は既にタバコの匂いで充満している。
だけど私はそんな『嫌いな匂い』を気にしている余裕は無かった。
「……もし、先生の言う通り私が『優しさの意味を間違えていた』のなら、私は『他人の心を理解する』という事が出来ていなかったのかもしれません。」
「ん、自分の失敗を認める事は良い事だ。先ずはそこから始まるんだよ。最後に、お前は他人の評価を好き勝手につけている。だが自分の事を他人に低く評価された時、その事に対して怒りを覚えたな?」
「………そんな事ありません。」
「はいダウト。………柊ぃ、お前さ?あんなに生徒が集まる場所で騒いで、その結果ここに来る事になったのを忘れたか?」
酷く喉が渇く。
飲み物で喉を潤したかったが、飲み物を飲めば戻しそうになると思い、私は机の上のいちごオレに手をつけられなかった。
「自分が特別な存在だと思っている。………いや、その感情自体は悪くない。どんな奴でも、自分が特別な存在だと言う権利はあるし、お前の人生の主役はお前なんだからその点で言えばお前は特別な存在で間違いない。」
「………ですが、先生はそれを悪い事のように言いました。」
「ここは学校で、お前以外の生徒もいるって事だ。他の生徒の人生の主役はお前じゃない。皆自分の人生を歩いている。………お前は、『自分がされて嫌な事を他人にしない』って事を覚えた方がいい。」
ダメだ。
何を話しても全部潰される。
私は間違っていたの?
先生は私が努力している部分を認めた。
その上で私の間違いを指摘してきた。
その言い分は、悔しい事に私の頭にスッと入ってくるほど理解出来てしまう。
一つ一つ細かく説明をされると、自分の中に矛盾が生じるのだ。
佐藤先生の言う事が間違っていないような気がして、自分が惨めに思えてくる。
「言い過ぎたから同情して優しい言葉をかけてやる。………先ず一つ、基本的にお前の言ってる事は間違ってない。」
「………。」
「二つ、努力をする事自体は偉いと言える。」
「………。」
「三つ、間違っているのが相手の方、という時もある。」
「………。」
「だがお前の言い分は、基本的には合っていても完全に正しい訳じゃない。」
「………。」
「努力をする事は偉い、と言えても他人にその努力を強要するのは偉い、と言い辛い。何様なんだ、という風に思われる。」
「………。」
「相手が間違っている場合も確かにある。だがそれはお前も同じだ。人間は精巧なロボットじゃない。正しくない事をする時もあるし、正しい事を誤ちだという奴もいる。絶対に間違えないなんて事はロボットでも無理なんだ。お前も俺も他の人間も、たくさん間違えて生きている人間なんだ。」
「………。」
「喋る事すら出来ない程弱ったな。俺はこんなダメな教師だが……それでも迷える生徒を導く立場だ。」
「………。」
「まだお前はクソガキだ。大人になった気になってデカい口を叩いている生意気な子供だ。………この学校にいるのなら、俺はお前がバカにならないように指導してやる。偉そうに生きてバカを見る前に、俺はお前の頭を叩いて教育してやる。」
「………。」
「色々と噂が飛び交っているからな。お前の今の状況もなんとなく察しがつく。まぁ、その中の幾つかは既にお前に言った事だが。」
「………。」
「兎に角、少しでも何かを感じたのなら明日もまたここに来い。………いいか?高校は過ちを犯した子供がやり直せる最後の砦だ。ここを出た後に犯す過ちはお前の人生において重い足枷になる。」
「………。」
「甘えろ。大人はその為にお前達を指導出来る距離にいるんだ。………やり直したいなら気合い入れろよ。」
今日はここまで。
そう言って先生は生徒指導室から出て行く。
苦しい。
胸が
苦しい。
私の行動は。
全て勘違いの行動だった?
待って
それなら
真一を捨てた事も間違いだった?
だって真一はふざけていて
『でもそれは私が文句を言う義務は無くて』
勉強も運動もしないし
『それでも高校に進学出来た、部活は強制じゃない』
身嗜みも
『何も気にしない人ではなかった』
言葉も
『その話し方はクラスで受け入れられていた』
優しいだけの性格は
『私は人に優しくする事すら出来ていなかった』
恋人としては
『私は浮気をして真一を傷つけた』
あ
ダメだ
崩れる
線は切れた
次回、光一先輩襲来。
幼馴染、完全に堕とされる。




