討論開始
この話し合いは書くのがきついです。
そしてまだ続きます。
私から先生への宣戦布告の後。
佐藤先生は私に『ちょっと待ってね。灰皿取ってくるから。あ、ついでに飲み物なんか飲む?』と言い、私の返事を聞く前に部屋を出て行った。
本当に真一と同じ匂いがする人間だ。
教師になれるのだから頭はいいのかもしれない、そこだけは真一よりも優れているのだろう。
だけど、だからこそこの人はそれ以上のロクデナシだと思う。
だってその頭脳を培う事が出来たのは両親のお陰なのに、それにその頭脳を生かして掴んだ教職という立場は、他の『教師になれなかった人』が望んでも手に入れられない物なのに。
その立場を侮辱するかのような生活態度は心底軽蔑するし、生徒の模範として生きる人間とは到底思えない程のだらしなさ。
嫌いだ、本当に嫌いだ。
絶対にこんな人には負けない。
先生が私を生徒指導室に残して20分が経った。
本当に帰ろうかと思った。
現在時刻は午前11時10分。
そろそろお昼の時間になるというのに、あのロクデナシ教師はまだ帰ってこない。
私は自分の座っている椅子の横にある台を蹴飛ばしたくなる衝動に駆られた。
だが、それは直前で止められる。
「うい、お待たせ。お前いちごオレでいいんだよな?」
そう言って先生は私に飲み物を投げ渡す。
「ありがとうございます。……ですが先生、食べ物を投げる行為は良くないですし、時間が掛かり過ぎです。」
「あー………正論をどうもありがとう。お互いに礼を言い合えた。つまりは礼を言って相手を労う事が出来たって事でその話は終わりな。」
「そういう訳にはいきません。先生はどうしてそういう事に」
「あー……いいからもう。な?本題はそれじゃないだろ?それともこの時間を俺への説教だけで終わらせるか?この時間は俺がクビになるか、お前が負けを認めて黙るかのどちらかだけが終着点だ。そうだろう?」
先生はタバコを咥えてそう言い包めようとする。
確かにその通りなのだが、少しその言い方が勘に触る。
だけど私はこの人よりよっぽど上に立つ、言わば『大人』なのだ。
これくらいの事は水に流してあげよう。
「……まぁ、そうですね。」
「ありがとよ……じゃ、授業を始めるぞ。」
「は?今から論議をするのでは?」
「ばっかお前。いいか?これは元々お前の授業の為の時間なの。分かるか?それをお前のバカな部分の証明をする為の時間に当てるんだから授業の体は整えなきゃダメだろ。」
それらしい事を言っているが、元々授業を始める事が出来なかったのは佐藤先生のせいだ。
しかもその半分程が『灰皿を取ってきて飲み物を買いに行く時間』に充てられているのに。
「授業、と言っても現代文はしません。…それとも先生は、私に冤罪をかける為に現代文の知識を悪用しようとしているんですか?」
「うわめっちゃ嫌味な生徒……。違ぇーよ。いいか?お前も昔は受けた事があると思うが……今から行う授業は『道徳』だ。」
「道徳?そんな物既に終わらせて進学をしていますが。」
「お前はその道徳が足りてないんだよ。終わらせたんじゃない。お前は道徳を学ばないで進学したんだ。」
「………正確には覚えていませんけど、道徳の評価は高かった記憶があります。」
「さりげない自慢をどうもありがとう。でも違う、いいから聞け。……小中で学ぶ道徳なんてものは、ハッキリ言って、どうやって授業を受けても基本的にいい評価を貰える科目なんだ。」
「………。」
「そんな授業の成果で『評価は高かった記憶がある』なんて自慢をされても憐れにしか思えねーよ。」
「………。」
「お前さ、この世で自分が1番偉いと思ってるだろ?」
佐藤先生は懐にあるジッポライターを探し、そのライターを片手で器用に着火して、タバコの先端に近づける。
ジジジという燃焼音と共に、部屋全体に微かにタバコに含まれるニコチンの匂いが舞う。
「……いいえ。私よりも頭の良い人なら沢山います。そんな世間知らずと思われていたんですね。心外です。………納得は行きませんが、佐藤先生が私よりも勉強ができる人間だという事も理解しています。」
「あーあーあー………マジで可哀想になってきたわお前。」
「………は?」
「お前さぁ……勉強とか、運動とか、そういう明確な順位を決められる競技でしか優劣を決められないの?」
先生は私を可哀想な物を見る目で見つめる。
「………なら、先生は他に何を基準に優劣を決めているんですか。」
「色々ある。人生で成功しているかどうか……恋人や家族、友人がいるか……誇れる何かをもっているか……大切な何かを見つけているか……だが、どの基準も絶対じゃない。」
「絶対の基準でなければそれは当てになりません!」
「そもそも優劣に絶対は無い。」
「そんな事ありません!テストでいい点を取る、そしてその結果が順位となり明確な優劣が決まります!」
「それはそのテストの出来の優劣であって、お前という人間と他の人間の優劣を決めつける基準じゃない。」
「そんな事ありません!点数が高い方の人の方が優れた頭脳を持っているに決まってます!優れた頭脳を持つ人間の方が、より偉い人間という事になると決まっています!」
「確かにそうかもな……でも、次のテストで順位が入れ替わったら?そうなったら前のテストで順位が上だった方はその時点でこれから先、次のテストが来るまでずっと劣っているという事になるのか?」
「その時点での優劣が入れ替わるだけです!」
「ならお前は常に周りと自分の評価を入れ替えて見ているのか?それに………それなら俺は、お前より常に優れた人間だという事になるが?」
「………それは詭弁です。卑怯です。汚い言い回しです。……先生はそれ以外の面で最低なので人として私よりも劣っているんです。」
「詭弁でもなんでもないね。なぜならお前の理論に当て嵌めるとすれば、俺は絶対にお前よりも悪い点数を取らない人間、つまりは絶対にお前よりも優れた人間でいる、という事になる。……他の面は認めるところもあるが。」
「なら!」
「バカ、聞け。………お前一つ忘れてないか?」
「……何の事ですか。」
「お前は、テストを受けていない俺を頭脳の面で上だと見て、それ以外を比べていないのに下だと言っている。」
「………。」
「テストの点数。確かに大事だ。学校じゃ特にそれを第一として見る。でもお前、他人の評価をそれだけで見てるよな?それだと俺みたいなテストの点数と関係無い人間はどうやって評価する?」
「………それは、他の部分を見て」
「ならその基準は?誰と比べる?お前か?お前の何を俺の何と比べて評価している?」
「………。」
「というかまず、今の時点でなぜ俺がお前よりも頭脳の面で優れていると思った?」
「………それは!貴方が教師をやっているからです!教師になる人は大学で教育学部を卒業していなければならない、つまりは優れた頭脳がなければなれないんです!だから私よりも頭脳が優れていると思ったんです!」
「つまり俺のテスト点数ではなく職業を見て、お前は俺の評価を下した訳だ?」
「……!」
「基準は一つじゃない。………それをお前の論理で証明したな。おめでとうバカな柊。」
「………それだけですか。それしか言えないんですか。」
「まだある。……正直に言おう。お前は問題児だ。」
「………ッ!」
「女子テニス部での越権行為………部長に舐めた口利いていたらしいじゃねーか。」
「………黛先輩がそう言ったんですか?」
「あいつを舐めんな。お前の人望の無さと、あいつへの後輩からの愛が、俺にその旨を教えたんだ。」
「………。」
「お前が誰と何処で何をしていても、それが法律に触れる事じゃなければ……ぶっちゃけどうでもいい。だが先輩を困らせる行為が正しい行動か?」
「………いいえ。」
「なら二度と困らせるような行動をするな。……いいか?そういう時、困っている黛を助けられるような奴が偉い奴だ。そういう奴が優しい奴だ。」
「………ですが、もしもその黛先輩の頼みを聞いてあげたとします。その結果、男子テニス部の部長が迷惑を被る事になったら?それでも黛先輩に親切にしなければいけないんですか?」
「当たり前だ。会社じゃない。だがコミュニティの中という点で言えば、お前の直属の上司は黛。久川は他の部署の人間で、自分の上司の同期だ。どうしてお前が自分の上司を蔑ろにしてまで久川を優先する?」
「……黛先輩は女子テニス部の部長です。その立場にいるのなら他の人に迷惑をかけないように自分でケリを付けるのが当然、と思ったまでの話です。」
「なら久川も同じ立場だ。それに加えて、さっきも言ったがお前の上司じゃない。自分の上司も敬えないような奴は嫌われるのは当然だな。」
「……。」
「さっきの話だが……お前の人生において、『親』が『小さな我が子』に対して『良く出来たね、偉いねー』とかそういう言葉を口にしているのを見た事はないか?」
記憶を辿って思い返して見る。
私自身がそれを言われた記憶は出てこないが、弟はそのようなニュアンスの言葉を父親から言われていた。
「……あります。弟が父にそう言われていました。」
「その時の状況は?」
「………弟が、小学生の時に跳び箱を飛べました。その時、父親が『偉いな、諦めずに頑張ったな』と。」
「それ、偉いか?」
「………。」
「偉い、ってのは頭脳の性能、勉強の才能だけで決まる評価の事じゃない。………細かな意味は面倒だから省くが、偉い、ってのは誰かに褒めてもらう時に『貰う』言葉だ。」
「………なら、自分に向けて使うのはダメだと?」
「それは自分から自分に向けてあげる言葉だ。自分という誰かから貰う立派な言葉だ。」
佐藤先生はそう言うと、机を挟んで私の向かいの席に反対向きに座り、背もたれの上で腕を組んでタバコを吸い始める。
「お前は優秀な人間だ。けど全部が全部優秀ってわけじゃない。……人を思いやる心も無い、自分と違う考えを持つ人間を理解しようとする余裕も無い、自分だけが特別だと思い込んでいる。」
「………その全ての意見を否定します。」
「ほう?してみろ。」
「私は人を思いやる心を持っています。………こういう事を自分の口から言うのは嫌なのですが、どうしようもない存在が相手でも、必要以上に傷つける事はしません。」
「………は?」
「だから、『どれだけ底辺の人間』だろうか必要以上に傷つける事はしません。それは人を思いやれる、という事ですよね?」
私がそう言い放った時、何故か佐藤先生は口を大きく開けてタバコを下唇の上に置く、という事をしてみせた。
一旦休憩挟みます。
出来れば夜にもう一話くらい……。




