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第8話



○登場人物

  四宮菜奈・しのみやなな(誰からも好印象を受ける表面を繕いながら生きている)

  豊永一弥・とよながかずや(完璧な外見を併せ持って女性からの強い支持も持つ)

  四宮貞男・しのみやさだお(菜奈の父、病院の副委員長で人望が厚い)

  四宮菜子・しのみやなこ(菜奈の母、家族思いで思いやりが強い)

  林田千鶴・はやしだちづる(菜奈の友達、劣等生で人を信じて疑わない)

  唐木田千治・からきだせんじ(先輩刑事、事件をしつこく追い続ける)

  牛嶋大悟・うしじまだいご(後輩刑事、唐木田とともに事件に迫る)





 母さんの葬式の翌日、俺は祖父母のもとへ預けられることになった。

 故郷を離れる前に、この風景を覚えておきたいと家の周辺を散歩した。

 田んぼが多く、少し歩けば高くそびえる山がいくつも並んでいる。

 良い意味で田舎だった。この場所が好きだった。離れることが嫌だった。

 そう物思いに耽っていると、前から小さな女の子が歩いてきた。

 数メートルのところまで来ると、それが菜奈だということが分かった。

 驚いた。何故、ここに彼女がいるんだと。

 もっと驚いたのは彼女が一人でここまで来たことだった。

 彼女の家がどこにあるかは知っている。

 まだ3歳の女の子がたった一人で来れる距離では到底なかった。

 電車を乗り継ぎ、たくさん歩き、多くの時間を使わないとならない距離だ。

 どうしてと聞くと、一万円札を父親の財布から盗んだと言われた。

 どうしてもおばさんと一弥くんに謝りたくて来た、と。

 ごめんなさい、と彼女は頭をさげた。

 菜奈のせいじゃない。きっと、彼女は父親の代わりにここまで来たのだろう。

 そんな彼女の思いに大きく心を動かされた。


 祖父母のもとへ引っ越してからの生活は質素なものだった。

 生活は年金でまかない、学費は顔も忘れた実の父親が払ってくれていた。

 生活のリズムは全て祖父母に合わせた。

 俺はここに厄介になってるだけ。いるだけの存在だと己に言い聞かせた。

 ここを選んだのはあくまで復讐のためなんだ。

 祖父母の家は四宮の家から歩いて45分ほどの距離、それが決め手だった。

 それから、俺は四宮貞男を陥れるためだけに生きる人生を始めた。

 奴の行動を監視し、復讐の計画を立てていった。

 祖母は9歳の時に他界し、いつからか祖父も体が弱くなり家に篭りきりになった。

 そんなこと、俺には関係ない。


 始業式の翌日、昼休みが明ける前にとトイレに行っている間に事は起こっていた。1年

2組の教室に戻ると、4~5人の女子が千鶴の机を囲うように立っている。何かをしてる

のは分かったが、正面にいた背の高い女子の背中で詳細は見えなかった。軽いざわめきが

あり、「二度と近づくんじゃねぇぞ、いいな」という強い捨て台詞とともに女子の団体は

教室から去っていく。どれも目にしたことのない顔ばかりだった。他のクラス、もしくは

他の学年の団体なのだろう。

 何があったのかと千鶴の机に向かうと、そこには悲惨な画があった。五限目のために用

意してあった彼女の地理の教科書やノートがケチャップまみれになっている。一本分を丸

ごとかけられ、教材どころか机のいたるところが赤く染まっていた。あまりの非情な光景

に千鶴は顔を下に背けている。怒りや泣きたい気持ちを抑え、なんとか正常を保とうとし

ている。

 菜奈は掃除用具入れから雑巾とバケツを持ち出し、千鶴の机を拭いていく。やられた本

人がそれをするのは惨めすぎる。他の人間がやってあげれば、まだ報われる。「教科書と

ノート、もう使えないね。こうしちゃおっか」

 教材をバケツに漬け込み、水びだしになったよれよれの物をゴミ箱に捨てる。「大丈夫

だよ。教科書は見せてあげるし、ノートも後で私のをコピーとるから」

 その様子を目にすることしかできなかった千鶴は親友の心遣いに大きく心を揺らされた。

彼女の大胆な行動が救いになった。「菜奈・・・・・・」

 「あっ。新しい教科書も買わないとね。帰りにどっか寄らないと」菜奈は目の前の親友

に起こった無残な光景に全く動じなかった。それどころか、適切といえる対処をしていく。

本当は彼女自身、四宮貞男の事で深い悲しみにいるはずなのに。どれだけ彼女は強いんだ

ろうか。それに比べて、自分はなんて小さいんだろう。こんなに近くにいるのに、いつも

菜奈は遠い存在に思えてしまう。

 「千鶴」菜奈の呼びかけに振り向くと、彼女は隣で明るく爽やかな笑顔を見せてきた。

「スマイル、スマイル」

 「うん」千鶴はようやく不器用に笑った。


 四宮家に上がると適度に冷房が効いていた。外から来たばかりの唐木田と牛嶋には少々

物足りないぐらいだったが、ずっとここで過ごしている菜子にとってはこれが適温なのだ

ろう。リビングに通されてソファに腰掛けると、飲み物を用意してきますと彼女はその場

を立ち去る。周りを見渡してみると、彼らの性格に沿ったようにしつこくないインテリア

が散りばめられていた。4LDKの物件を家族のそれぞれの部屋と客間に割り振ってるよ

うで、普段は客間を夫婦の寝室にしているらしい。貞男は仕事、菜奈は学校の物が多くて

部屋をうまく使っているが、菜子は一部屋を埋めるだけの物がなくてスペースが余ってし

まっているようだ。そうこうしているうちに菜子は3人分の麦茶を持って現れた。「こん

なものしか出せませんがよろしいでしょうか」

 「いえ、気を遣われなくて結構です」対応はなるべく丁寧にした方がいい、と決めた。

貞男の死から3週間も経ち、ようやく菜子の話を聞けることになった。精神がやっと安定

になったばかりで、またいつ不定になるか分からない。相手の首根っこを掴むような泥く

さい聞き込みは好ましくないだろう。「いくつか質問させてもらいますが、ゆっくりでい

いので答えていってください」

 はい、と菜子は身構えた。取り調べと聞いて、リラックスは出来ないのだろう。彼女に

は警察が貞男の死の当日に取り調べを行っている。その時の印象から、そう構えてしまう

のだろう。一度植えられたものを払拭するのは難しい。そういえば、自分たちもこの家に

来るのは3回目だが、家族3人それぞれに聞き込みに来ていることになる。菜子に警察で

受けた取り調べとリンクさせてしまうのも仕方ないのかもしれない。

 「最初に、事件があった時の一連の事を聞かせてください」

 菜子はすぐには喋りはじめなかった。記憶の一つ一つを紡いでいく作業は彼女にとって

辛いものなのだろう。ゆっくりと頭の中で整理を続け、言葉にしていく。「あの日は7時

半あたりに起きました。その後に彼と菜奈も起こしました。私は朝食の準備を始め、その

間に彼と菜奈は散歩に出掛けて。富士に毎年旅行に行くと毎日そういう流れで、あの日も

そうでした。いつもなら1時間ほどで帰って来るんですけど、なかなか帰って来なかった

ので心配してたら電話がかかってきて。事件のことを聞いてもあまりに現実的でなかった

ので病院に行くまでは何かの間違いなんじゃないかと思い続けてました。実際に彼の変わ

りはてた姿を見て、本当のことなんだと認識しました」

 四宮菜子は時折目をつむりながら話していた。愛する者の亡き姿を思い出していたのか、

思い出してしまった残像を消そうとしていたのか。彼女を悲痛な思いにさせてしまってる

のは感じた。「ありがとうございます。では、いくつか聞かせてもらいます」

 「当日、旦那さんの様子にいつもと違うところはありましたか」

 「いえ、特には」

 「彼は亡くなる前に貧血になっていたそうです。日頃からそういうことはあるんでしょ

うか」

 「そういったことはありません。医者ですから健康には気を遣っていました。確かに、

謹慎を受けてからは元気がありませんでしたが、常時そういうことではありません」

 「医療ミスの一件から元気がないと言われましたけど、具体的にはどういう変化があっ

たんでしょうか」

 「なにか、ネジが抜けたようでした。仕事に多くの神経や時間を注いでましたから、そ

こがポッカリと抜けると精神的な部分でもそうなってしまうんじゃないでしょうか。事が

大きかったので、あまり突っ込んだことはせずに今は時間を置こうと見ていました」

 「言動や行動に不可解なことはありませんでしたか」

 「いえ、どちらかというと何もせずにただ時間を過ごしていました。殻に入り込んでし

まうように。口数も減り、部屋にこもってることが多かったです」

 牛嶋は息をつき、麦茶を一口飲む。「彼が持っていた拳銃について、何か心当たりはあ

りますか」

 「いえ、何も」

 「普段から銃とかの類に興味を持ってたりとかは」

 「全く、何も知りません」

 そうですか、と牛嶋はつぶやく。菜奈と同じく菜子も重要な手掛かりを握ってはいない

ようだ。「これで終わりにします。ありがとうございました」

 隣に座っていた唐木田に話を振ろうとしたが、その前にもう話しだしていた。「最後に

一つ。旦那さんが周りの人間や患者から恨みをかうようなことはありませんでしたか」

 「無かったと思います。仕事の話は家ではあまりしませんでしたけど」

 分かりました、と唐木田はうなずく。「失礼させていただきます。今日は家まで押しか

けてすいませんでした」

 四宮家を後にすると、唐木田は大きく息をついた。「これってもんは出なかったなぁ。

何か出てくれれば、って考えは甘かったみたいや」

 「やっぱり、四宮貞男は自殺なんですかね。僕らの思い違いなのかも」移ったように牛

嶋も息をつく。こうやって、警察の出した結果に背くような行動をすることが無意味なん

じゃないかと思えるくらいに捜査に進展はない。

 「そんなこと言うな、若いの」唐木田は怒りを示すような声をあげた。「自分の信念を

信じられんようになったら刑事も終わりやぞ」

 「はい、そうですね」牛嶋は先輩刑事の檄に背筋を伸ばした。


 「その傷、どうしたの」豊永は千鶴の右の膝にできていた傷を見つけて言った。まだ作

られて間もないと思われる痛々しさがあり、血の流れたであろう赤い滲みがあった。

 「なんてことないの。体育の授業の時に走ってたら転んじゃって。ホントにドジなんだ

よね、私って」笑いながら言ったが、心は逆だった。本当は廊下を歩いてる時に向こう側

から歩いてきた女子に足を出されて転ばされた、とは言いたくても言えない。二学期にな

ってから続く嫌がらせの理由が分かっているからだ。それは他でもない、今ここにいる豊

永が原因だった。彼に想いを寄せている女子は多い。その女子たちが寄ってたかって千鶴

に攻撃をしているのだ。これまで特定の彼女を作ってこなかったはずの豊永の相手がなぜ

林田千鶴なのか、と。これが手の届かないような美男美女のカップルならば諦めもつくの

だろうが、自分よりも見劣りする女が隣にいることが女子たちの心にわだかまりを残して

しまった。まだるい千鶴を目にしていると「なんで、この女に」と、痛めつけずにはいら

れなくなってしまうのだろう。毎日数回かのイジメを校内外で受けるようになった。

 「ちゃんと手当てはしたの」

 「うん、菜奈が保健室まで着いてきてくれた」菜奈はイジメられる場面に居合わせると

相手に立ち向かっていってくれる。自分が臆病で内に閉じこめてしまう言葉をしっかりと

吐き出す。保健室では菜奈に「やられてるんだから千鶴も反抗しないと」と強めに言われ

てしまった。そんなふうにしてるから相手に軽く見られてしまうんだ、と。

 「そんなのすぐ治るよ。ほら、俺もサッカーで生傷がたえないから」

 「あぁ、そうだね」

 街灯と通り過ぎる車の照らす光の中を歩く。走りすぎていく車の音はあるが、歩道には

人通りも少なく静けさを感じる。デートはまだ1回しかしていないので、こうして放課後

に一緒に帰ることがほとんどだった。夜に歩くのは慣れたが、隣に豊永がいるのは未だに

慣れない。

 「ねぇ、この前のことなんだけど」

 その言葉に体の中でドクンと波打つものがあった。この前、という単語が意味するもの

はすぐに分かりえたから。この前のデートの時に自分が言った事、ということだろう。

 「もう少しだけ考えさせてもらってもいいかな。部活やってるからさ、いつもこんなふ

うにしか会えないでしょ。これからもそうだと思うんだ。それって付き合うっていえるの

かな、って感じて。もうちょっと自分なりに答えを出したいんだ」曖昧な言葉だとは思っ

たが、これでいいだろう。適当なことを言っておけば、彼女は引っ掛かる。

 「うん、分かった」

 「悪い、ホントに」

 「うぅん、私のことは気にしなくていいから」

 それから10分ほどで2人は別れた。豊永が2つ先の角を曲がるまで千鶴は手を振って

いて、彼もそれに応える。その角を曲がったところで掛けられた声は白けた様子だった。

 「私のことは気にしなくていいから、だって。健気だねぇ」そこにいたのは菜奈だった。

その言葉からして、さっきまでの千鶴とのやり取りを聞いていたのだろう。

 「あれでよかったのかな」

 「いいよ。あの子は何も疑いやしないんだから」

 「菜奈のこと、ずいぶん信頼してるみたいだけど」

 「うざったいだけなんだよね、ああいうの」菜奈は息をつき、腕組みしながら嫌そうに

答える。「馬鹿正直な人間が素直に生きていくとどうなるか、思い知ればいいんだよ」


 「あぁ、もう22時ですよ」刑事部の壁にある昔ながらの古い掛け時計を眺めて牛嶋は

言いこぼす。髪を掻き、あくびをすると目の前にある膨大な資料に嫌気すら覚える。安里

市立病院の職員と関係者と患者のデータだ。四宮貞男が着任してからの20年ほどのもの

で、患者も彼が担当した中で主な人物だけを対象としたが充分すぎる人数だった。通常の

業務もこなしながら、合間を縫ってこなす作業はいたく時間が掛かる。何度とめげそうに

なったが、止めるわけになどいかない。警察はもう唐木田と牛嶋しかこの件を追ってはい

ない。自分たちでなんとかするしかないのだ。刑事としての信念といえば聞こえはいいが、

単なる身勝手な行動かもしれない。「どうしますか。今日のところは帰りましょうか」

 「お前は帰ってもいいぞ。俺はキリのいいとこまでやってくから」唐木田はこちらに目

もくれず、眼前の資料に向き合っていく。長くやっている刑事の執念にも似た経験に若手

は感服するのみだ。男の目から見れば学ぶべき姿だが、女の目から見れば彼から去ってい

くのも仕方ないのだろう。

 牛嶋は結局、持ちかけたスーツの上着をまた椅子に掛けなおして座った。気合いを入れ

ようと頬を手のひらで叩き、デスクの端に寄せた資料を取り出す。先輩刑事の職人魂を見

せられて帰るわけにはいかない。「俺ももうちょっとだけやってこうかな」

 「別にこっちに気を遣わんでもええぞ」

 「いえ、急にやる気が出ただけです」

 四宮貞男の医師としての経歴の中で今回のような目立った医療ミスは見受けられない。

仕事には誠実な人間で患者はもちろんのこと職員や関係者にも怨恨を持たれるどころか信

頼の厚い医者だったといえる。職員に話を聞いた中でも彼に否定的な意見はなく、将来的

には院長になるであろう人間だったという意見もちらほらあった。誰もこんな事態になる

など想定していなく、彼がこんな重大な医療ミスを犯したことが信じられない、あまりに

真面目に受け止めすぎたのだろうという同情的な言葉が多かった。

 「唐木田さん、ぶっちゃけ今回の事件をどう見てますか」ふと思いついたように牛嶋は

手を止めて言った。

 「どう、って何やねん」

 「唐木田さんの中では今のところ誰が怪しいと思ってるのかな、と思いまして」

 「ふぅん、ちなみにお前はどう思うとんねん」

 「俺は・・・・・・病院の職員じゃないかな、と。今回の一連の犯行が同一犯によるも

のだとしたら、それが最も考えられるし。でも、何の根拠もありません。これだけ追って

きてるのに何の決定的なものも掴めてない」5つの事件の中で3つが病院内で起こったも

のであることからそれがスムーズな考え方だった。しかし、これだけ大胆な犯行を続けて

いるのに何一つの落ち度も残していないとは相当に周到な計画の下で行われたものなのだ

ろう。

 「まぁな、それが素直な考え方やろ」唐木田も最初はそう思っていた。いや、そうして

しまえるのなら楽にできるのが正直なところだった。ただ、今回の犯人はそんな一筋縄に

いってくれる相手ではない。二転も三転も考えを変えていかなければ、おそらくその人間

に辿り着くことはないだろう。

 「唐木田さんの見解は」

 「今回の事件は実に難解や。俺の刑事人生においても一番か二番を争うレベルになる。

この犯行を考えた人間はかなり頭のいい奴やろう。ずいぶんと用意周到に練られた計画と

いえる。俺らはよく頭をこらさないと犯人の思うツボになってしまう」最初の事件から3

ヶ月が経つ。世間的にはもう過去の事件として記憶の片隅に追いやられてるかもしれない

が、そうさせてはならない。犯行からして犯人はよほどの思いを抱いていたに違いない。

ならば、こちらもそれに劣らぬ執念を持たなければ相手は見えてこないはずだ。「最初の

2つの事件からや。犯行当時に監視カメラが故意的に停止されたことから犯人はいずれか

の出入り口から侵入した。窓から侵入した形跡はないことからそれが有力といえる。夜間

用の出入り口には警備員がいるから侵入は無理に等しい。とすると、残りの4つの出入り

口からということになる。ここから病院内に入るためには絶対的に必要なものがある。鍵

がないと入れない。つまり、犯人は病院の鍵を手に入れることのできる人物や。これは患

者やたまに来るぐらいの関係者にははっきり言って難しい。職員か警備員か、ということ

やろう。もしくは、犯人は最初から病院内にいた。そのカモフラージュとして監視カメラ

を操作したともいえる。この場合、どの人物には犯行は可能といえる。病院から出て行く

だけなら鍵はいらんからな」

 唐木田の熱弁は続く。「その次の四宮菜奈が学校で襲われた件に関してだが、よくよく

考えるとおかしい。犯人が野竿ゆう教師からあの子を助けた例の奴としたら、謎が多い。

犯人は野竿が四宮菜奈を襲うことを予め知っていたとしか思えない。そうでなければ、あ

の場所にいるのはどうしてや。四六時中、四宮菜奈を張ってないとあの場面に遭遇するの

は至極難しい。あれは本当にたまたまあそこに居合わせただけの人間が助けただけなのか

もしれんが、それにしてはヘルメットをしてグローブまで着けてるなんてちょっと考えら

れん。私は見られると困ります、言うてるような格好や。野竿と犯人に接点があったとも

思えるが、野竿に取り調べたかぎりではそれはない。あの男は精神的にやられていた。い

つ神経が触れるかも分からん状態なのに他の人間の綿密な計画に乗るだけの余裕なんか到

底ない」ということは、犯人は四宮菜奈を張っていた人物ということか。その過程で野竿

が彼女に暴走する場面に出くわし、自ら彼女を助けた。どうして、四宮菜奈を助けたのだ

ろうか。四宮貞男に恨みを持ち、安里市立病院の患者を殺した犯人なら彼女が野竿の手に

かけられるのはむしろ願ったりなのでは。犯人は彼女が苦しむ姿を望んでいるはずだ。な

のに、リスクを取ってまで彼女を救った意図とは何なのだろう。四宮菜奈を痛めるのなら、

他の人間ではなく自分自身でなければ気が済まないということなのだろうか。だとしたら、

なおさら犯人と野竿に関係性はないといえる。この事件もまだまだ謎は深い。

 「その次の四宮貞男の医療ミスの件や。事件当日に入院したばかりの患者に異変、原因

はカルテに書かれてあった投与薬物の誤記。四宮貞男の意見は、間違った薬物名を書いた

記憶はないが自分の無意識のうちにそう書いてしまったのだろう。実際にカルテを読んで

患者に薬物を投与してしまったのは安里市立病院に入って1年目の新人の看護婦。カルテ

を読んで、記載された薬物に全く疑いを持たずに投与してしまった。これが四宮貞男を陥

れるための犯行だとすると、考えられるのは投与薬物の欄を誤記した偽のカルテとすり替

えたということやろう。これが出来るのは、正直病院の職員としか思えん。安里市立病院

のカルテを手に入れ、偽のカルテを作成し、四宮貞男のいない間に本物と偽物を入れ替え

ることが出来て、誤記された薬物を疑うことなく投与する新人看護婦がその患者の担当で

あることを知っている人物。こんなもん、職員以外におるわけない」なるほど、確かにそ

うだ。唐木田の意見は事件の的を突いている、と思えた。

 「最後は四宮貞男が銃身自殺した件。あれもおそらくは犯人は彼を着けていたのだろう。

四宮貞男が独りきりになるチャンスを窺い、朝の散歩の時に運よく娘が離れた。その機に

近づき、樹海の中へと連れ込んで自殺のように見せかけて殺したんや」犯人の執念を感じ

られた。そこまでして四宮貞男を狙った人間とは一体。

 一気に喋りとおした唐木田はデスクにあった缶コーヒーをグッと飲み干した。「まぁ、

あくまで俺の見解や。これが正しいっていう証拠はない」

 「唐木田さんの話を聞くかぎり、犯人は病院の職人と考えられますね」

 「そうやろな。それが1番考えやすい」

 「犯人の標的が四宮貞男なら、一連の犯行はすでに終結されているということですか」

 「四宮貞男が狙いならそうやろ」唐木田は遠くの掛け時計を眺めている。時計は22時

20分を指していた。「薬物連続殺人事件の時のアリバイがなく、四宮菜奈の強制わいせ

つの事件と四宮貞男の銃身自殺の時に病院で仕事をしていない職員の中にいる」

 牛嶋は唐木田の見解を重要な推理だと感じた。彷徨っていた迷宮の中の事件を現実へと

引き戻してくれる大きな前進だ、と。「その線で探ってみましょうよ。絶対、何かしらの

情報が得られるはずです」

 おい、と目の色が明るくなっている牛嶋に唐木田が呼びかける。1枚の資料を彼に渡す。

「医療ミスのカルテや。病院の人間と筆跡鑑定してみぃ」

 「はい、分かりました」牛嶋の声は強く聞こえた。


 1年2組の教室に甲高い笑い声が響いた。見てみると、4人の女子が水色のホースや錆

びれたバケツを手にしながら笑っていて、それを奥にある掃除用具入れに投げ込んでいく。

何が起こったのか予測はついた。イジメもそこまでエスカレートすると周りは笑えない。

笑っているのはやっている当人たちぐらいだろう。そう思いながら、菜奈は心の中で笑い

続ける。

 彼女は次の授業には現れなかった。どこにいるんだろうか。まだトイレにいるのか、そ

れとも校内のどこかに隠れるように身を潜めているのか。どっちだろうと知ったこっちゃ

ない。逃げ回ってないで、自分のことは自分で解決すればいい。

―それが出来ないような人間だからそんな目に遭うんだよ。

 結局、彼女は三時限目と四時限目に来なかった。よくそんなに何もせずに時間を潰せる

もんだ。昼休みに林田千鶴はようやく2組の教室に姿を見せた。髪の毛から制服からまだ

濡れたままで湿っている。顔を伏せたまま負のオーラを全開にして千鶴はこっちに来た。

左隣の自分の席に座ると、彼女はこちらを向いて細い声を発する。「菜奈、帰りたいんだ

けど一緒に帰ってもらってもいい」

 「いいけど・・・・・・具合悪い?」

 「うん、ちょっと」

 具合が悪いんじゃなくて水をかぶって寒いだけだろ、身体的な具合じゃなくて精神的な

具合が悪いんだろ、と言ってやりたい。「分かった。帰ろうか」

 帰る支度をしている間もいくつかの視線が向いているのが気になった。荷物をまとめて

教室を出ようとすると、その中の1人がこちらに聞こえるぐらいに意図的に音量をあげた

独り言を発する。「あぁあ、陰気臭いのがいるとこっちまで萎えるんだよねぇ」

 無視しようとしたが、向こうは気がすまないのか続けてきた。「何か言えっつんだよ、

口があんなら」

 さすがに我慢ならないところだった。菜奈は強く言葉を投げつける。「ちょっと、言い

すぎなんじゃないの」

 はぁっ、と白を切るように相手は笑いながら言う。「ごめん、独り言だから気にしない

でよ」

 「千鶴に水かけたんでしょ。謝んなさいよ」

 「はっ、何の事かさっぱりなんですけど」

 「とぼけないで。あんた達でやったんでしょ」

 「うわっ、ひどくない? なんか証拠でもあるんですか」

 菜奈は押し黙る。証拠はない。千鶴は水をかぶってるし、奴らは掃除用具を持ってはい

たが、その場面を目撃したわけではない。

 後ろを振り返る。千鶴はまだ顔を伏せたままだった。あれだけ野次られてるのに、まだ

自分の中で怒りを押し込めている。お人好しなんかじゃない。人を良くし続けてるうちに

怒る勇気を失ってしまっただけだ。優しさでもない、ただの根性無しだ。

 ねぇ、と相手グループの中の誰かが言った。「菜奈さ、なんで千鶴なんかと一緒にいん

のさ」

 表向きの四宮菜奈には愚問だ。利用するため、という裏の面は押し殺す。「友達だから

に決まってんじゃん」

 「なんでさぁ、こんな子と友達なの。絶対、損してるよ。菜奈、もっと良いやつらと同

じグループになった方がいいよ。なんならさ、ウチらんところに来なよ」

 菜奈は何も言わず、千鶴の手を取って教室を出た。そのまま何も言わずに歩き続ける。

あまり良い雰囲気とはいえない。そんな状況に千鶴は次第に不安になってくる。こういう

時なら大概は優しく気遣いの言葉をかけてくれるはずなのに今日は違う。菜奈は何を考え

てるんだろう、と知りたくてたまらなくなる。

 「菜奈」痺れを切らして千鶴が声をかける。学校を出てから、もう結構な距離を歩いて

いた。

 「なぁに」前を歩いていた菜奈は立ち止まって振り返る。優しい顔はしていない。どち

らかといえば、不機嫌な顔に見える。

 「怒ってるの」率直に訊いた。

 「別に。怒ってないよ」明らかに怒ってる言い方だった。菜奈が怒りをあらわにしてる

のは何回か見たことがある。理不尽なことがあったり、湿った雰囲気になると出やすい。

今は何に対してなんだろうか。自分をイジめてる人間にだろうか、イジめられてる自分に

だろうか。前者であってほしいけど、後者な気がする。落ち込んだりしてると菜奈は笑顔

で励ましてくれるが、あんまりジメジメしているとこうして怒られる。いつもは頭を撫で

てくれるけど、たまに背中を叩かれる。

 「菜奈はどうして私と友達になってくれたの」

 「何それ。どういうこと」

 「私、よく下向いてるし、勉強できないし、運動できないし、見た目も良くないし。私

は菜奈といてプラスになれるけど、菜奈は私といてもプラスにならないでしょ。正直、他

の女の子と一緒にいる方が菜奈にはいいんじゃないかなって何度も思ってきたもん。どう

して、いつも私といてくれるんだろうって」心の底を素直に吐露した。これまで何度と思

ってきた不相応さを。

 「そんなふうに思わないでよ。私はいつも千鶴といたいから一緒にいるんじゃん。それ

で充分でしょ。プラスとかマイナスとか言うんだったら、私は2人でいるだけでプラスに

なれるんだよ。変に考えないでよ」菜奈は強く投げ捨てるように言葉を吐き出した。千鶴

に対し、嫌気を示すほど真剣に言い捨てた。「いい加減にしてよね。そんなふうに言うん

だったら、ホントに他のグループに入るから」

 菜奈は千鶴を突き放し、早歩きで帰っていってしまった。千鶴は何も言い返せず、菜奈

を追いかけることもできずに立ち尽くす。自分の卑屈さが嫌になる。いくらイジめられて

腹が立っていたとはいえ、たった一人の親友まで怒らせてしまった。ああいうことを彼女

が好まないのは分かっていたのに。

 思えば、菜奈は病院の連続殺人事件の時も野竿に襲われた時も貞男の医療ミスや自殺の

時も乗り越えてきた。抱えきれないほどの悲しみに駆られるはずなのに、それを仕舞い込

んで笑顔を見せてきた。そんな菜奈の強さに比べたら自分なんて弱々しい。イジメられて

も受け入れるだけで、菜奈のように立ち向かう勇気などない。それどころか、抱え込んだ

気持ちを彼女に吐き出してしまった。菜奈と自分じゃ釣り合わないことなど百も承知だ。

それでも、彼女は自分と友達でいてくれてるんだ。林田千鶴という人間を理解した上で一

緒にいてくれてるんだ。なのに、そこを掘り下げるのはタブーのようなものだ。傷つけて

しまった、菜奈を。どうしよう。


 「千鶴ちゃん、君の嫌な話を聞いた。学校や登下校で女子からイジメられてる、ってい

う話だ。しかも、その根源が俺にあるっていうことも。正直、何て謝ったらいいか思いつ

かない。俺のせいで君がそんなひどい目に遭っているなんて。君をイジメてる奴らが腹立

たしい。でも、それを知りもせずに普通な顔をして君と会っていた自分自身も腹立たしい。

君がどんな事をされてるのかも聞いた。耳を塞ぎたかった。ただ、それは出来ない。そう

させてしまってるのは俺なんだから。これ以上、君がそんな事をされていくのは耐えられ

ない。だから・・・・・・何も言わずに別れてもらいたい。こんな決断はしたくなかった

けど、こうなってしまった以上はしょうがない。俺が側にいる事で君を傷つけてしまって

るんだから。全ては俺の責任だ。何の罪もない千鶴ちゃんをこんな状況に追い込んでしま

った事、それに今まで気づいてあげられなかった事、本当に申し訳ないと思ってる。俺の

事は嫌いになってもかまわない。それだけの事をしてしまったんだ。これから、もっと知

り合っていけたらと思ってたのに。こんな別れ方しかできなくてごめん」


 菜奈が去った後、立ち尽くしていたときに来たメールだった。豊永からの別れのメール。

千鶴がイジメられてる事が人づてに伝わり、苦渋の決断をしたという内容だった。頭の中

が真っ白になり、もはや何が起こってるのかも把握しきれない。立て続けにいくつも訪れ

てくる不幸に体が付いていけず、受けつけぬよう拒んでいく。信じられない。信じたくな

い。信じない。そう自身に植え付けていく。それで何の現実の変化もないことは分かりな

がら。多様に入り混じる感情に思考をこじらせて、千鶴はただそこに立ってるのがやっと

の状態だった。

 気がつけば、辺りはすっかり暗くなっていた。夜の20時前。早退はしたが、家に帰ら

ずに図書館で時間を潰した。知っている人間のいるところにはいたくなかった。学校では

イジメられ、菜奈とはケンカしてしまい、豊永にはフラれてしまった。図ったかのように

続いた出来事に頭の整理は追いつかず、一人になる時間が欲しかった。本は適当に選び、

中は開いているが全く読みもせず、怪しまれないように定期的にページをめくることだけ

は意識した。数時間と考えはしたが結論は自分の弱さに行き着く。林田千鶴がもっと出来

のいい女だったら、豊永一弥との関係でイジメられたりもせず、それによって菜奈や豊永

が離れていくこともない。所詮は自分のせいなんだ。全て、出来の悪い自分のせいなんだ。

 その時だった。急に強い力に引き寄せられる。俯いて歩いてる隙に、誰かが突然後ろか

ら襲ってきた。真後ろにいたのでどんな人間かは分からなかったが、抱きしめられたとき

の腕の感覚と身長差から男性であるのは感じれた。回りきらない頭の中に「犯罪」という

文字だけが鮮明に浮かぶ。恐怖が体全身を一瞬にして包む。声を張り上げようとしたが、

ショックでうまく出てこない。後ろから胸のあたりを力強く締めつけられて苦しくなる。

身の危険を最大限に感じ、なんとかしなければと必死にもがく。男の腕が少しずれた隙に

息を深く吸い込もうとすると、口を何かで封じられた。息ができない、苦しい、と思った

数秒後には意識が飛んでいった。


 きらきらひかる おそらのほしよ

 まばたきしては みんなをみてる

 きらきらひかる おそらのほしよ


 きらきらひかる おそらのほしよ

 みんなのうたが とどくといいな

 きらきらひかる おそらのほしよ


 獲物を仕留めた満足感に身を奮わせると、体の中に「きらきら星」を流した。きっと今、

隣にいるあなたも流してくれてるのだろうと思い不意に笑みを浮かべた。

―人間には決められた枠組みがある。それを破った者には容赦なき制裁を加え、身をもっ

て叩き込む。



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