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第7話



○登場人物

  四宮菜奈・しのみやなな(誰からも好印象を受ける表面を繕いながら生きている)

  豊永一弥・とよながかずや(完璧な外見を併せ持って女性からの強い支持も持つ)

  四宮貞男・しのみやさだお(菜奈の父、病院の副委員長で人望が厚い)

  四宮菜子・しのみやなこ(菜奈の母、家族思いで思いやりが強い)

  林田千鶴・はやしだちづる(菜奈の友達、劣等生で人を信じて疑わない)

  唐木田千治・からきだせんじ(先輩刑事、事件をしつこく追い続ける)

  牛嶋大悟・うしじまだいご(後輩刑事、唐木田とともに事件に迫る)





 母さん、聞こえたかい。

 俺が母さんの仇を討ってやったよ。

 四宮貞男、母さんの命を奪った憎むべき相手だ。

 どんなにこの日を待ち侘びたことか。

 あいつの恐怖に怯える顔を見せてやりたかったよ。


 あいつを初めて目にしたのは10年も前のことだった。

 母子家庭で育てられてきた家に成人の男がいるのは違和感以外の何物でもなかった。

 あいつはいつもスーツを着ていた。

 仕事に行く前だったのか、帰りぎわだったのか。

 母さんはあいつが来ると、背広を受け取ってリビングへ案内する。

 まるで、新しい家族でも出来たかのような喜びようをしていた。

 母さんはあいつを友達と言っていたけど、そうじゃないことぐらい3歳の子供にも分か

っていたよ。


 あいつはたまに女の子を連れてきていた。

 菜奈、女の子はそう自己紹介した。

 母さんがあいつと2人きりになってる間、俺はいつも菜奈と遊んでいた。

 同い年だったから気も話も合った。

 どんな話をしていたかと聞かれても全く思い出せないけれど。

 菜奈と遊んでる時間はとにかく楽しかった。


 でも、その時間は長くは続かなかった。

 母さんはあいつに捨てられたんだ。

 別れ際の口論は幼い俺や菜奈にも充分理解できるものだった。

 去り際のあいつの険しい顔、菜奈の淋しそうな顔が今も頭に焼きついている。

 あの日から母さんの心は荒れていった。

 やり場のない怒りを閉まったまま、いつ破壊するか分からない爆弾を抱えてるように。

 この人は壊れてしまう。そう気づいていたけれど、小さかった俺にはどうすることも出

来なかった。


 母さんは自ら命を絶った。

 富士の樹海、母さんがあいつと出会ったところだった。

 あいつは葬式には来なかった。

 当然だ。自殺の原因になった人間がどの面さげて遺影に合掌できるんだ。

 あいつが、四宮貞男が母さんを殺したんだ。

 憎かった。どんなことをしてでも罰をくだしてやろうと思った。


 四宮貞男の死の翌日、葬式は安里市立病院から遠くない場所にある葬儀場で行われた。

親族、友人、病院関係者、過去に世話になった患者など多くの人間が弔いに訪れていた。

喪主を務める菜子は終始うつむいたままで、隣にいる菜奈もそれを映したようだった。

 弔問に来る人間は誰もが貞男の死を悲しんだ。こんな事態になるなんて予想もしていな

かったから。いくら内浜そよを死に至らせてしまったとはいえ、自らが死を選ぶことなど

考えられなかった。彼のような仕事に誠実な人間なら、これから多くの患者を救っていく

ことで償いを果たしていくのだろうと考えるのが普通といえた。

 「多いですね、弔問客」葬儀場から少し離れたところから中を眺めていた牛嶋が言った。

被害者の葬式に顔を出すことは少なくないが、この人の多さは四宮貞男の生前の人柄を表

しているのだろう。

 「医者は接する人間も多いからな。こんなもんやろ」唐木田はどこか無気力に呟く。例

の連続殺人事件について、最有力と思っていた人間の死に動揺は隠せなかった。これから

貞男の化けの皮をはいでやろうと捜査を進めていたのに、まさかこんな結果になろうとは。

 事件が起こったのは昨日の朝8時56分、場所は富士の樹海の中。銃声を聞いた付近の

散歩客が現場に行くと、頭部から血を流して倒れている四宮貞男が発見された。頭部は左

右が貫通しており、右手に握られていた拳銃によるものとされた。衣類から遺書が見つか

ったため、自殺によるものと断定された。警察が現場に着くと、娘の菜奈が泣き叫んでい

たのが印象的だったという。事情聴取によると、貞男は菜奈と散歩に出掛け、少し離れた

時に樹海へと入って命を絶ったようだ。

 「話、聞きますか」事情聴取は富士の警察で行われたため、自分たちも直接話が聞きた

いとここへ来た。

 「いや、今日は止めとこう。あの様子じゃ、まともに話は聞けん」菜子と菜奈の生気の

欠けた様相を目にし、その場を後にした。

 「どうしましょう、これから」貞男を犯人ではないかと疑っていた2人に今回の一件は

大きすぎた。あの医療ミスから連続殺人事件へと繋がる線を手繰りよせようとしていた矢

先の出来事だ。一報を受けた時はまさかと心に穴を開けられた。これで、事件の解明はよ

り難しいものになってしまった。

 「分からんよ。どうなるんやろうな」唐木田は持っていたタバコに火をつけ、溜め息ま

じりに吹かす。煙とともに事件に対する気力まで飛んでってしまいそうだった。


 「そうか、そんなことに・・・・・・」豊永一弥は事態の詳細を千鶴から告げられ、や

り場のない感情を押し込める演技をする。事件については昨日のニュースでも取り上げら

れていたが、それ以上の内容を聞くことができてホッとした。四宮貞男は自らが犯してし

まったミスを苦に自殺、それが警察や世間の判断となった。

―復讐は完成された。母さんの無念をこの手で晴らしたんだ。

 「菜奈が可哀相だよ。おじさんの気持ちも分かるけど、家族を置いて自分だけなんて勝

手すぎると思う。残される方のことも考えないと」今日の葬式での菜奈の顔が忘れられな

い。体中の力が抜けていて、立ってるのがやっとという状態だった。それなのに、自分は

彼女に何もしてあげることが出来なかった。それらしい慰めの言葉を言ってるだけで、彼

女自身の助けにはなれなかった。それが悔しくてたまらなかった。何が友達だ。こういう

ときに支えてあげられなくてどうする、と心内に何度も投げ掛ける。

 「そうだね。俺のところも両親がいないから、置き去りにされた者の気持ちは痛いほど

分かるよ」豊永に両親がいないのは聞いていた。父親は彼が生まれてから早くに離婚し、

それ以来会ったことはない。母親は事故で亡くなったらしく、ずっと祖父母の家で育てら

れてきた。祖母も病気で亡くなり、今は祖父と2人で暮らしている。

 「うん・・・・・・えぇと」言葉が出てこなかった。菜奈と同じ傷を味わっている豊永

に掛ける言葉が浮かばない。両親もいて何不自由なく過ごしている自分が何を言っても無

駄なんじゃないか、と思うと考えつく全てが適さない気がした。そんな自分がまた嫌にな

る。大切な人が痛みを抱えているのに何も出来ない。

 「いいんだよ、そのままで。下手な言葉を並べられるより、何も言わずに側にいてくれ

る方が心強いんだから」豊永は千鶴の肩に手を回す。手のひらが肩にポンと乗ると、千鶴

はビクッと反応しそうになった。豊永の方を向くと、いつもより近くにある彼の顔がこち

らを真っすぐに見つめている。その視線に耐えられず、千鶴は顔を逆に背けてしまう。そ

れ以上に豊永が踏み込んでくることはなかったが、千鶴は胸の高鳴りを抑えられなかった。


 「まさか、3回もこうして話を聞くことになるとはね」ご愁傷様ですと唐木田が言うと、

菜奈は軽く頭を下げた。ファミレスの窓際の角の席に腰掛けた3人にウエイトレスが飲み

物を持ってくる。オーダーは全員がアイスコーヒーだった。

 四宮貞男の死から一週間が過ぎ、唐木田と牛嶋はようやく菜奈から話を聞くことができ

た。3日前にも四宮家を訪ねたが、そのときはまだ話せる心境じゃないと断られている。

目の前の四宮菜奈は生命力の弱い小動物のように縮こまり、父親のことを引きずっている

のだなと推測できた。最初に会ったときは普通の女子学生という印象だったが、2度目、

3度目とどんどん薄い人間になっている。

 「体調はどうかな」

 「何だろう・・・・・・体は元気なんだけど心は元気じゃありません」息をつき、菜奈

はアイスコーヒーに手を伸ばす。

 「そりゃそうだ。あんな事があったんだから」牛嶋は慎重に話を進める。菜奈を傷つけ

ないように言葉は選ばないといけない。しっかりしてるといっても、まだ12歳の子供だ。

大人の何気ない一言に傷を負ってしまう未熟な年頃である。「お母さんはどうだろう」

 「ママはまだダメみたいです。家事はするようになったけど、それでも日に何回かはソ

ファに座ったままボーッとしてたりします。考え事をしてるんじゃなく、何も考えたくな

いっていう感じで」菜子はあの日から無為に時間を過ごしていた。最初の数日は2人とも

自分の部屋に閉じこもったまま、外に出る気も起きなかったのでデリバリーで食事も済ま

せていた。ここ何日かはようやく菜子も家事をこなし、菜奈も勉強をしたりとゆっくりと

生活を戻していっている。

 「お母さんと会話はしてるかな」

 「ほとんどしてないかも。犬の散歩に行ってくるとか、買物に行ってくるとか事務的な

ものぐらいです。パパの話はしないようにしてるから、なんだか会話自体をしないように

なってる気がします」

 「そうか、まだ時間は掛かりそうだね」牛嶋の言葉に菜奈はうなずく。心の傷が癒える

までには長い時間が必要になるだろう。今が夏休みでよかった。周囲と交わることは一度

置き、自由な時間を持った方がいい。本当は菜子にもこうして話を聞きたいところだが、

もう少し待つべきだろう。

 「じゃあ、お父さんの話を聞いてもいいかな」

 「はい」

 「最初に、事件があった時の一連の事を聞かせてほしい」

 菜奈は呼吸を整えるように大きく息をつき、塞いだ記憶を呼び起こすように一つ一つの

言葉をたどたどしく言いこぼしていく。「あの日は8時ぐらいからパパと散歩に出掛けま

した。散歩は家族旅行の時には毎日欠かさずやっていて、私たちが歩いてる間にママが朝

食を作ってるっていう流れで。それで、あの樹海の辺りの道を歩いてる時にパパが立ち止

まったんです。どうしたんだろうと思ったら、貧血かもしれないって座り込んでしまって。

とりあえず日陰のある樹海の方へパパを動かして、水を買ってこようと思ってその場を離

れました。歩いて5分くらいのところにお土産屋があったんで、そこで水を買っている時

に銃声が聞こえたんです。何があったんだろうと思ったんですけど、パパがそんなことに

なってるなんて思いもしなかったからそのまま水を買って戻ったら人が10人から20人

集まっていて。誰も樹海の方には入っていかずに歩道にいたんですけど、それがさっきま

でパパがいたところで。一気に青ざめて、頭の中が真っ白になって。それでも心配で樹海

に入っていくと、奥の方に人が倒れてました。見るのが怖くて足が震えてたけど、これは

パパじゃないんだって自分に言い聞かせて覗き込んだら・・・・・・パパでした」

 四宮菜奈は淡々と話していったが、感情の変化は表情で分かりえた。グッと堪え、気丈

に振る舞っていた。「ありがとう、話してくれて」

 少し時間を置いた。高まった菜奈の感情を落ち着ける時間。その間、牛嶋と唐木田が何

ということもない話を続けていた。牛嶋は安いワンルームのマンションに住んでるらしい。

仕事柄、家には寝に帰るだけという日も多くて高い家賃を払ってまでグレードを上げる気

にはなれないそうだ。同い年の恋人がいて、仕事でデートをすっぽかすこともあるが理解

してくれている物分かりのいい女性のようだ。唐木田も安いワンルームのマンションで暮

らしているらしい。若い頃に家庭を持ったことがあるが、物分かりがいいとはいえない人

で不規則な刑事の仕事に着いていけず別れたそうだ。もう結婚する気はないようで、何が

何でも一人で生きてやると断言していた。

 「そういえば、菜奈ちゃんは恋人はいるのかな」

 「いませんよ」菜奈は即答した。

 「そんなもん、こんな子供におるわけないやろ」唐木田が割り込んで茶々を入れる。

 「時代が違うんですよ、唐木田さんとは。今の子は小学生の時から両想いで付き合った

りしてんですよ」

 「小学生が付き合って何すんのや。早すぎる。そんなん、日本はダメになるぞ」

 「頭固いですねぇ。もっと柔軟になんないと、捕まる犯人も捕まりませんよ」

 「うっさい、ボケ」牛嶋と唐木田のやり取りは新鮮だった。師弟関係というものがはっ

きりと出ている。こんな関係、自分にはないなと菜奈は思った。それが少し羨ましくあり、

壊してやりたいとも感じた。

 「いけないいけない。そろそろ話を元に戻そう」テーブルの上のアイスコーヒーが全員

空になった頃、牛嶋が本題に戻した。「質問してもいいかな」

 「はい」

 「えぇと、まず当日に散歩していた道っていうのはいつものルートなのかな」

 「はい、たまに新しい道に行ったりもするけど大体は同じです」

 「お父さんの様子にいつもと違うところはあったかな」

 「いえ、謹慎になってから元気はなかったけど特別変わったところはないと思います」

 「貧血で座り込んだ時、お父さんはどうだった」

 「顔色が悪くなってて、今は朝でも暑いし日差しもあるから体調が悪くなったのかなっ

て思って」

 「お父さんはそういうことはよくあるの」

 「いえ、いたって健康です。でも、謹慎になってからは家に閉じこもってることも多か

ったから」

 「それで、君が水を買いに行っている間に樹海の奥の方へ行って自ら、ということだ」

 「・・・・・・はい」菜奈の瞳は虚ろに下を向いていく。そこに触れられるのは傷口を

なぞられる感覚なのだろう。

 牛嶋は息をつき、また間を置こうとした。「飲み物、おかわりはいるかな」

 「いや、大丈夫です」

 「そうか」牛嶋はそこから今度は菜奈について聞いていった。なんてことはない今どき

の中学生の生活というものについての軽い質問程度の。勉強のこと、友人のこと、クラス

メイトのこと、先生のこと、家族のこと、将来のこと、全て上辺に触れるくらいに聞いて

いった。彼女が父親のような医者になりたいと夢を話したときには家族の絆を感じられた。

理想的な家族がそこにはあり、貞男の自殺に疑問すら生じた。

 「あと少しだけ聞きたいことがあるんだけどいいかな」

 「はい」

 「お父さんは医療ミスの一件から神経が衰弱してるような節は見られなかったかな」

 「元気はありませんでした。だけど、基本的にはいつもどおりの優しいパパでした」

 「言動や行動に不可解なことがあったりはしなかったかな」

 「いえ、あまり仕事のことを家で話したりもしなかったから」

 「じゃあ、今回の事は家族にとってはいきなりということだったんだ」

 「はい、多分独りで全て抱え込んでしまってたんだと思います。少しでも打ち明けてく

れればよかったのに・・・・・・」菜奈は瞳をつぶり、そこに力を込めていた。やりきれ

ない思いを自分の中に押し殺しているようだった。

 牛嶋は配慮してワンテンポを置いてから続けた。「もう一つ聞くけど、お父さんが持っ

ていた拳銃について心当たりはあるかな」

 「いえ、全く」

 「普段から銃とかの類に興味を持ってたりとかは」

 「聞いたこともありません」

 「そうか・・・・・・ありがとう、これで終わりだ。いろいろ聞いて悪かったね」どう

やら、これといった特別な情報には行き着けなさそうだ。「唐木田さん、何かありますか」

 牛嶋の隣で腕組みをして会話を聞いていた唐木田は姿勢を直して口を開いた。「じゃあ、

ちょっくら聞かせてもらいます」

 「あなたが銃声を聞いて戻った時、10人から20人が集まっていたと言ってたけど。

その中に知ってる人間がいたりはしませんでしたか」

 「分かりません。正直、顔まで意識して見てなかったです」

 「ほな、お父さんはよくパソコンを使う人でしたか」

 「はい、仕事場でも家でも必ず使います。書類を作ったりする時に必要だから」

 「手紙とかもパソコンで打ったりしてませんでしたか」

 「いえ、見たことないです」

 「そうですか」唐木田の目は完全にベテランの刑事のものになっていた。相手を洞察し

て奥底を読み通すような力強いものだった。「最後に一つ、お父さんは周りの人間や患者

から恨みをかうようなことはありませんでしたか」

 「パパはそういうことはありません。周りからも信頼されていたし、患者さんにも親身

になって接していました」

 「なるほど」そう言うと、唐木田は息を一つついた。「以上です。今日はお呼び立てし

てすいませんでした」

 「いえ、ご協力できることならいくらでも」そう言い、菜奈は頭を下げた。

 ファミレスを出て牛嶋と唐木田と別れると、菜奈は明らかな嫌悪感を募らせた。刑事の

あの質問の内容は貞男の死を自殺と断定してるものではなかった。疑いを持ってるのかも

しれない。あれは自殺ではないんじゃないか、と。

 「どうして、あんな質問したんですか」菜奈と別れた後、牛嶋は唐木田の質問の詳細を

訊ねた。

 「何がや」

 「まるで、四宮貞男は他殺だって言ってるようでしたけど」

 「かもしれない、ってことや」

 「根拠は」

 「別にありゃせんよ。でも、四宮貞男が自分で頭を撃った瞬間を見た人間がおらんのや

から自殺は100%とは言えん。可能性がある、ってことや」

 「パソコンについて聞いてたのはどうしてですか」

 「遺書や」四宮貞男の遺書、現場に置かれていたのは確かにパソコンで打たれたものだ

った。医療ミスによる一件で医者としての自信を失い、命をもって遺族に謝罪したいとい

う内容だ。彼の真面目な人柄が伝わる文章といえた。「普通、ああいうのは手書きと決ま

っとるやろ。最期の言葉は自分で書いた手紙で気持ちを振り絞るもんや。なのに、四宮貞

男の性格からしたらえらい淡白な別れ方と思わんか」

 「そう言われれば」確かに、彼の人間性からすれば一つ一つの言葉を丁寧にしたためて

いく手紙が想像しやすい。「でも、他殺となると今までの俺らの考えに合わなくなる気が

します」

 「そうやな」唐木田の眼光が強まるのを牛嶋は感じた。「一から考え直す必要があるか

もしれん」


 「今日は楽しいな、すっごく」千鶴の声は浮いてるように上ずっていた。天にも昇りそ

うな気持ちを静めさせるのに必死になるほど。

 「あぁ、そうだね」隣を歩く豊永が微笑むと、千鶴は自然と笑顔になる。こんな幸せが

あっていいのだろうか、と心配になってしまう。

 デートの誘いは豊永の方からだった。これまでは部活終わりの帰り道で会って話すこと

ぐらいだったが、休日に会おうと誘われた。嬉しくてたまらなかった。8月も下旬になり、

夏休み中に何かしらの進展があればと思っていた千鶴にはまたとない思い出になれた。

 デート場所は最寄り駅近くにあるアミューズメントスポットだった。本当はもっと遠く

がよかったけれど、豊永の選んだところを否定することはしない。自分の希望よりも彼の

選択の方が間違いないはずだ。

 買物をしたり、食事をしたり、ゲームをしたりするうちに辺りはもう暗くなっていた。

自宅から離れてないこともあって、夏休みの遊び場には知っている顔がいくつもあるのが

恥ずかしい。学校の同級生とも何度か擦れ違い、その度に隠れたくなるような思いだった。

何度か視線が刺さる気もした。豊永と自分のような人間が歩いてるのだから仕方ないだろ

う。それでも、もう卑屈になるのは止めにしたかった。こんなイケてない自分でも、豊永

はそんな自分を選んでくれたのだから。自分に自信を持とう、と心を強くした。

 「私ね、あんまり自分のこと好きじゃなかったんだ」夜20時前、家まで送ってくれる

という豊永と帰り道を歩きながら千鶴が話し出した。「うぅん、どっちかっていうと嫌い

だったかも」

 「そうなんだ」豊永は終始千鶴のバッグを持ってくれていた。オシャレなアイテムなん

か持ち合わせていないので、姉のものを借りてきたものだ。デートに何を持っていけばい

いのかさっぱり分からなかったので、一応にとたくさんの物を詰め込んで重くなってしま

ったのに何も言わずに持ってくれた。

 「見た目もよくないし、勉強も分からないし、運動音痴だし。人に褒められるようなこ

とって何もないの。だからね、いっつも菜奈の横にピッタリくっついてた。菜奈は可愛い

し、勉強もレベル高いし、運動も出来る。私にないものを全部持ってるの。菜奈を見てる

と眩しくて、あんなふうになれたらなぁってずっと思ってた。でも、私には無理だった。

何をやってもドン臭い子っているでしょ。私はそのタイプだから。自慢できることって言

ったら、菜奈が親友だってことだもん」千鶴は弱い部分を吐き出すように語っていった。

「今は豊永くんもだよ」

 「俺が? 自慢になるのかな」

 「なるよ。豊永くんは女子の憧れの的じゃん。そんな人とメールしたり、放課後に一緒

に帰ったり、こうやって横を歩いてるのが不思議でしょうがないもん」

 「そんなことないさ。俺も嫌なところあるし、普通だよ」

 「それこそ、そんなことないよ。私に比べれば、そんなの大したことないもん」千鶴は

小さく深呼吸をする。本題に話を進めようと決意した。「あの時ね、豊永くんが一中の前

で私を待ってくれてた時、あれからの事が全部他人事みたいな感じだったの。豊永くんが

私なんかに、ってずっと思ってたから。でも、そう考えるのは止めた。今は毎日を素直に

受け止めよう、って思ってる」千鶴はその場に立ち止まる。豊永も3歩進んだところで止

まり、後ろを振り返った。

 「好きです」体中の全ての感覚を口元に集めるように言葉を押し出した。「豊永くんの

ことが好きです」

 千鶴は豊永に近づき、キスをして逃げるように走り去った。全力で駆け抜け、自宅まで

着くと一直線に自分の部屋のベッドにダイブした。あまりにも思いきり過ぎた自分の行動

を戒めるように胸に見えない針が刺さっていく。痛いぐらいに動く鼓動を抑えるのに必死

になり、自分自身を苦しめていく。

 豊永は直立のまま、こちらを見ているだけだった。それでいい、返事はまだ聞きたくは

ない。フラれるにしても、この余韻に浸る時間は欲しい。変われるかもしれない、豊永と

一緒にいられたら。菜奈にはなれなくとも近づくことはできるかもしれない。


 「今までの事を一回整理してみます」警察の物が溢れるデスクの上に牛嶋は一連の事件

の捜査メモや写真を置いていく。それらを新たに一つにまとめるべくパソコンのソフトも

立ち上げてある。「始まりは安里市立病院の薬物混入連続殺人事件とします」

 「6月13日、夜21時頃に肺がんで入院していた佐藤太吉が重度の薬物数種類を含ま

せた点滴を投与されて容態急変ののち死亡。その3日後、6月16日、夜中25時頃に胃

がんで入院していた野戸平蔵が同じケースで死亡。病院内の出入り口にある監視カメラは

その前後の録画を停止されています。施錠されていなかった夜間用の出入り口には常に警

備員がいたため、ここからの侵入は厳しい。有力とされたのは病院の内部にいた人間。し

かし、二件目の野戸平蔵の病室に被害者のものではないキーホルダーが残されていました。

そこから持ち主の安里市立第一中学校の1年2組の蔵川京介を割り出し、父親である築介

とともに逮捕。事件当日に病院の警備員をしていた築介の協力があれば、実質どの出入り

口からでも侵入が可能という理論からです。ちなみに、現在も2人は容疑を否認し続けて

います」

 「これがなぁ、どうも引っ掛かるんや」唐木田は自身の見解を始める。「取り調べでも

接したけど、あの2人はとてもあんな犯罪のできる人間とは思えん。どっからどう見ても、

普通のそこらにいる親子や。学歴も大したことないし、あれだけの薬物を入手して使える

だけの知識があるはずない。動機もない。金に困ってたわけでもないし、人間関係でいざ

こざに巻き込まれてる様子もない。そう見れば、あの親子を犯人とする方がおかしい」

 「次の事件に行きます。6月26日、夕方17時頃に安里市立第一中学校の校舎裏で四

宮菜奈が1年2組の担任である野竿から強制的なわいせつ行為を受けます。行為そのもの

としては、体を抱きしめられた程度のところで20代男性とみられる人物が助けに入って

被害は最小限に食い止められました」

 「これも謎や。四宮菜奈を助けに入った人間は未だに名乗り出る気配もない。単に注目

を浴びるのが嫌いな人間かもしれんが、あの子の微かな記憶以外に何一つの情報もない」

 「次の事件に行きます。8月3日、夜23時頃に安里市立病院に当日入院したばかりの

内浜そよが容態急変で死亡。担当医師である四宮貞男が投与すべき薬物を誤記したことに

よる医療ミス。病院側はこれを認めて遺族に謝罪しました。遺族は訴訟を起こしましたが、

四宮貞男の自殺の後にその意思を汲み取って現在は金銭による和解に動いています」

 「ここがおそらく最大のネックや」

 「どういうことですか」

 「本当に医療ミスなのか、ってことや」

 「まさか、意図的にってことですか」

 「俺らはハナから最初の事件が蔵川親子の犯行であることに疑問を持ってた。そして、

途中から四宮貞男に疑いをかけた。薬物の知識もあるし、手に入れる方法もあったはずや。

四宮菜奈が襲われた事件についても、娘のこととなれば説明はつく。20代っていう、あ

の子の記憶もおぼろげなものでもある。ただ、四宮貞男が一連の事件の犯人なら、どうし

て自ら医療ミスを起こして自殺までする必要があんねん」

 「はい、その通りです。ただ、それ以外に容疑者は思いつかないのが現実で」

 「ここは特定の人間じゃなくて、仮定で考えてみるで」唐木田はおもむろにパソコンに

容疑者Aと打つ。「一連の事件の容疑者を仮にAとする。Aの最終目的が四宮貞男の命と

したら、これまでの事件も説明がつく。Aは四宮貞男を苦しめるがために病院の患者に手

をかけ、娘にも手をかけた」

 「確かに。それなら、四宮貞男に恨みを持つ人間の犯行ということになりますね」牛嶋

は唐木田の説が有力でないかと思った。「引き続き、四宮貞男の周辺を当たった方がいい

ってことですか」

 「あぁ、俺は今のところはこれが最も説明のいく流れや思う。だが、あくまでこれは仮

説でしかない。もしかすると、この犯行はまだ途中の段階で、この先も続いていくのかも

しれん。そうなったら、四宮貞男もまた犯人の中では通過点にしかすぎない」

 「そうか、そうですね」

 「とりあえずは今出来ることをする。四宮貞男についての捜査を続行。病院関係者や担

当患者を過去まで調べあげるぞ」これは長期戦になるかもしれない。唐木田はそう睨んで

いた。


 地元から2駅離れた漫画喫茶に菜奈はいた。人目を避けるためにはこれぐらい離れた場

所でないと会えない。この漫画喫茶も今日初めて訪れた。もう来ることはない。たまたま

自分はこの周辺に用があり、その帰りに寄り道をしただけ。それだけのこと。

 17番の個室を指定されると、そこには行かずに25番の個室に直行する。誰の視線も

ないことを確認し、中に入る。「お待たせ」

 「いや、待ってないよ」中にいたのは豊永だった。部活終わりのようで、肌が程よく黒

く焼けている。「用って何かな」

 豊永が腰掛けていた1人用ソファを譲ろうとすると菜奈は断り、豊永の膝の上に座った。

密室でのこれだけの密接度にやや感情は昂ぶる。「この前のやつ、どうなったのかなって

思って」

 あぁ、と豊永は一つ間を置く。「まだ言ってない」

 「どうして」菜奈は上から視線と言葉を投げる。「千鶴にはっきり別れを言うように、

って私言わなかったっけ」

 「あぁ、言ったよ」

 「もう計画は終わったんだから、千鶴との関係を保つ必要はない。さっさと別れちゃえ

ばいい。そうでしょ」

 「あぁ、その通りだ」

 「なら、どうして言ってないのかな」豊永の深意を覗くように菜奈は目線をそらさずに

見つめる。「まさか、情が湧いたなんて言わないよね」

 「そんなことはない」

 「キスされたから」

 その言葉で菜奈がどういうつもりで探りを入れてるのかが分かった。あの時、菜奈はど

こかからか自分と林田千鶴のやり取りを見ていたということだろう。告白されたことも、

キスされたことも、一部始終を。

 「ムカつくんだよね、あの女。変に色気づいちゃってさ、自分を何様だと思ってんの。

本気で一弥となんとかなると思ってんだろうな。自分の立ち位置ぐらいわきまえろ、って

言ってやりたいよ」菜奈は少し感情的にもなっていた。千鶴が豊永にキスまでするとは予

想していなかったから。

 「落ち着けよ。もう過ぎたことなんだから」

 「一弥が可哀相だよ。あんな汚い唇つけられて、汚れが移っちゃう」菜奈は右手で豊永

の唇を軽くさする。「綺麗にしとかないと」

 何度か口づけると、感情が高鳴ってるせいで湧き上がるものがあった。それをなんとか

制御し、矛先を怒りにした。「ねぇ、あの女さ、ヤッちゃってよ」

 菜奈の言葉の意味はなんとなく理解できた。「いいけど、友達なんじゃないの」

 「友達? あんなの、一回もそんなふうに思ったことないよ。それに、私に友達なんか

いない」菜奈は豊永の髪を柔に撫でながら言った。「私には一弥しかいないから」

 そうか、と豊永は納得した。「俺も菜奈だけだ」


 9月1日、新学期の初日は夏休みを引きずってきたように暑い一日だった。復讐という

大きな成果をあげられ、新しい扉を開けた夏に満足している。これからの未来は愛のため

に生きていく。そのために多くの犯罪に手を染めてきた。

 「菜奈、おっはぁ」校門の手前で声をかけてきた千鶴は笑顔だった。偽りの関係に迷い

こみ、迷ったことにも気づかないでいる。幸せな奴だ。これから何が起きるかも知らずに。

―私たちの未来にお前はいらない。だから、この視界からいなくなってもらう。

 「おはよう、千鶴」菜奈もいくらかの笑みを見せた。千鶴の中では、菜奈はまだ貞男の

死を背負ったままで苦しみから逃れられないでいることになっている。それなのに、自分

だけ豊永と幸せになろうとしている。いい気なもんだ。友情なんて見せかけで、所詮一番

にかわいいのは自分自身なんだろ。

 「あれっ、おかしいな」千鶴が下駄箱で何やらキョロキョロ探し物をしている。

 「どうしたの」何を探してるのかを知りながら菜奈は訊ねる。

 「上靴がないの。一昨日の部活のときはあったのに」

 「持って帰ったんじゃなくて」

 「そんな面倒なことしないよ。何で無いのかなぁ」

 「誰かが間違えて履いてっちゃったんだよ、きっと」

 「えぇえ、弱ったなぁ」参った様子の千鶴を後ろから眺めながら、菜奈は口角を上げた。

―私のものに手を出した罰だ。たっぷり痛めつけてあげるよ。



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