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第5話



○登場人物

  四宮菜奈・しのみやなな(誰からも好印象を受ける表面を繕いながら生きている)

  豊永一弥・とよながかずや(完璧な外見を併せ持って女性からの強い支持も持つ)

  四宮貞男・しのみやさだお(菜奈の父、病院の副委員長で人望が厚い)

  四宮菜子・しのみやなこ(菜奈の母、家族思いで思いやりが強い)

  林田千鶴・はやしだちづる(菜奈の友達、劣等生で人を信じて疑わない)

  唐木田千治・からきだせんじ(先輩刑事、事件をしつこく追い続ける)

  牛嶋大悟・うしじまだいご(後輩刑事、唐木田とともに事件に迫る)





 私はどうしてあなたと出会ってしまったのだろう。

 必然だったのかな。偶然だったのかな。

 必然だったとしたら、私たちは生まれた時からすでに狂気になっていたのだろう。

 偶然だったとしたら、私たちは出会うべきだったのかな。

 あなたはどう思う? 


 どちらにしても、私はあなたと巡り会ってしまった。

 あなたと正しくも歪んだ直線の曲線を歩むことを決めた。

 あなたのために。ただ、あなたのために。

 時々思う、私の存在は本当にあなたのためになってるのか。

 あなたはどう思う? 


 2人が出会わないことを考えたことはあるかな。

 私はあるよ、あなたのいない人生を描いたことが。

 私は特に意味をもたない日々を過ごし、大事もなく死んでいく。

 そんな普通の人生、こっちから願い下げしてやる。

 私は今の人生がいい。あなたのいる、この人生がいい。

 あなたはどう思う? 


 あなたのことも考えたことがあるよ、私のいないあなたの人生。

 あなたは良い学校を出て、良い会社に入って、良い人生を過ごして死んでいく。

 そんな普通の人生、過ごせたらあなたは幸せなんだろうね。

 ごめんね、あなたの人生をこうさせてしまって。

 その代わり、私はあなたに全てを捧げるから。


 あなたが望むなら、何人でも誰だろうと傷つける。

 あなたが望むなら、何があろうとどんなことだろうと起こしてみせる。

 あなたが望むなら、目を背けたくなるような犯罪にも手を染める。

 私はあなたのためにいる。私はあなたのためにある。

 私があなたの道を照らす灯火になる。


 7月の最終日、照りかえす太陽は防壁もなく直に降り注ぐ。暑さにはだいぶ慣れたが、

それでも暑いものは暑い。こんな天気の中、全身を使って走り回るような部活はどうかし

てるし、室内に缶詰になるような部活もどうかしてる。せっかくなんだから、適度に運動

しておけばいいんだ。そう思いながら、菜奈は毎日のバドミントン部の部活動をこなして

いた。

 部活終わり、帰ろうと千鶴と歩いていると何やら正門のあたりに違和感が生じていた。

正門を通過していく生徒が次々に左に視線を送っている。何か起こったのかと思ったが、

正門を通ろうとすると理由はすぐに分かった。門の左に四中の豊永一弥がいたのだ。右隣

の千鶴はどうしようと強く反応していた。数日前に不本意な形で彼と接したことが今も心

に残ってしまっているらしい。あれで自分と彼との間に引かれた希望は断たれたものだと

千鶴はしきりに落ち込んでいた。

 「千鶴、何も言わなくていいの」もうまもなく正門、というところで菜奈は小声で促す。

 「いいの、このまま行こう」千鶴のこの前までの戦意は喪失していた。もう手を伸ばし

ても届かない存在、彼女はそう諦めたのだろう。菜奈の体に隠れるようにして歩き、豊永

の視線を避けようとしている。

 「すいません」その声は夕方前の正門によく響いた。運動部でならしている声は結構に

よく通っていた。菜奈や千鶴はもちろん、周りにいた数人の生徒も彼の声に顔を向けてい

る。整った顔立ちだけでなく、少しパーマがかった黒髪、第三ボタンまで開けた制服の白

シャツ、ルーズに履いた紺のズボン、そのだらしなさが見事に様になっている。多くの女

子生徒が憧れるのも納得できる格好よさだ。豊永一弥はこちらの方へ歩いてくると、菜奈

と千鶴の前で立ち止まった。「林田千鶴さん」

 名前が呼ばれた瞬間、心臓が強く鳴った。どうして自分の名前が彼の口から出てくるの

か、意味がさっぱり分からなかった。鼓動が高鳴って、戸惑いを止めることができない。

「・・・・・・はい」

 「話がしたいんだけど、いいかな」千鶴とは対称的に豊永はあっさりとした様子で落ち

着いている。

 「話?」会話の先が全く読めなかった。普通に考えれば、豊永が自分なんかに話がある

はずがない。何か怒らせるようなことでもしたんだろうか、とまで考えた。目の前の豊永

に完全に萎縮してしまっている。

 「ここじゃなんだから、どこかで話せないかな」豊永は周囲を一度見渡した。その場に

いた数人の生徒が意外ともいえる場面に興味を示し、成りゆきを見ようと立ち止まったま

までいる。ここで話をするのは適切ではない、別の場所にしよう、という提示だった。

 千鶴は菜奈の方を向く。この状況が飲み込めず、寄り掛かるように菜奈に委ねようとし

て。瞳が合うと、菜奈は豊永の方を向く。視線が合うと、豊永はどうもというように軽く

頭を下げ、菜奈も同じようにした。再び千鶴の方を向くと、肩をポンとたたく。「行って

おいで」

 その言葉で千鶴の気持ちは一応決まった。まだよく分からないけれど、意思を委ねた菜

奈がそう言ったのだから行ってしまおうと。まごついた心のまま、彼女は流れに乗った。

 豊永に言葉なしに頷くと、彼はそれで理解した。「じゃあ」と歩き出すと、千鶴もその

後を追っていく。不安そうに振り返る千鶴に、菜奈は「がんばれ」と口を動かして笑顔で

手を振った。


 「ごめんね、あんなところで待ち伏せしちゃって」豊永一弥は自転車をひきながら右隣

を歩く千鶴に言葉をかけた。「一中の1年2組、っていうのしか書いてなかったから」

 「いえ、そんな・・・・・・」自分が敬語じみた口調になっているのは分かっていた。

それでも、左隣を歩く豊永と自分がと思うと自然にかしこまってしまう。

 まさか、こんな展開になるなんて思いもしていなかった。彼にあんな形で手紙を渡して

しまい、返りがあるとも考えていなかった。いや、本当は返りがあったら嬉しいと思った。

でも、自分なんかに豊永一弥から反応があるとは思いきれなかった。願望は願望のまま、

そう心の中に閉まったのに。良いはずの違算をにわかに信じきれず、心内で様々な葛藤が

広がっていく。

 歩道からは豊永のひく自転車の音が響いてくる。並んで歩く2人の距離が近すぎるのに

ためらってしまう。あんなに近づきたいと思っていた相手なのに、いざこうなると自分は

何も出来なかった。「ごめんなさい、この前はあんなふうで」

 「あんなふう、って?」

 「私、すごく緊張しちゃって。だから・・・・・・あんなふうになっちゃって」

 隣からフフッと漏れるように笑う声が聞こえた。「そんなこと、気にしなくていいのに。

俺にああやって手紙とかをくれる子は大体あんなふうになってるから」

 「そうなんだ」その事実は千鶴の心を和らげてくれた。

 「まぁ、顔も見ないで渡されたのはさすがに初めてだったけど」

 「・・・・・・ごめんなさい」持ち上げられて、すぐに落とされたようだった。

 「ごめん、ごめん。そんなつもりじゃないんだ。その感じがね、とても新鮮に映ったん

だ。純粋そうな子だな、って。あんまり、そういう子って俺の周りには来てくれなくて」

 豊永一弥から自分の話が出てきている現実をどこか他人事のように思いながら、やっと

の思いで自分を現実に留めていた。なにより、彼とこうして話をしている事が不思議で仕

方なかった。菜奈もいない一人きりの状況に心細さは隠せず、今すぐにでも逃げ出したい

感覚の中にいる。 


 「それで? どうなったの?」夜、千鶴から掛かってきた電話で菜奈は興味心を表に出

した。結果は分かっているが確認作業、それを友人への心配という形で塗り直す。

 「うん。私もね、なんだかよく分かんないの」電話越しの千鶴はまだ結果を飲み込めて

いないようだ。確かに、納得できてれば大した女だ。

 「落ち着いてね、ゆっくりでいいから教えて」そう言うと、千鶴は一つ一つの事柄を確

かめ直すように言っていく。

 「あの後、私の家まで送ってもらって。その帰り道の間に話してたんだけど、私はもう

心臓バクバクだったから全然うまく話せなくて。豊永くんの方から話してくれたのは、私

の書いた手紙を読んで、それで会いに来てくれたってことで」

 「本当? あの手紙、効果あったんだね」

 「うん。何っていうか、手紙自体は普段豊永くんが他の女子から貰ったりしてるものと

変わりないらしいんだけど。私みたいな子が珍しかったみたい」

 「珍しい? どうして」分かっていたが聞いた。

 「なんか、挙動不審ぽかったでしょ。でも、なぜかそれが新鮮だったみたいで。純粋そ

うに見えた、って」

 「へぇ、そうなんだ」良いように言ったな、また。

 「あとは普通のことしか話してないかも。何の部活をしてるかとか、何の授業が好きか

とか、家族のこととか」

 「でっ、送ってもらったんだ」

 「うん」

 「その先は」

 「その先?」

 「送ってもらって終わり?」

 「いや・・・・・・携帯の番号とアドレスを交換して」

 「えっ、マジで」

 「なんか、信じられないよ。私さ、騙されたりしてないかな」

 「騙される、って何を」

 「賭けとかされてるんじゃないかな。私のことを振り向かせられるか、とか」

 ネガティブもここまでくれば大したもんだ。その否定的な思考が自分自身の陰になって

いると思えないんだろうか。「そんなわけないでしょ。そんなふうに考えないの」

 「でもさぁ、こんなのおかしくないかな。豊永くんが私になんて」

 「何もおかしくなんかないから。向こうは千鶴に興味があるんだよ。素直に喜んでいい

んだからね。何でもそう思うの、千鶴の悪いところだよ」

 「そうか・・・・・・そうだよね。どうかしてるね、私。素直に喜ぶよ」そう言うと、

千鶴は嬉しそうに豊永との会話を一つ一つ話していった。

 「いいなぁ、千鶴がうらやましい」ボソッと呟くようにこぼす。

 「えぇっ、私なんかそんな・・・・・・」まんざらでない感じだった。それが頭にくる。

 「メールは? もう送ったの?」

 「まだだよ、全然。アドバイスちょうだいよ、菜奈」

 「了解。良いの、考えよう」それから2人で豊永一弥へ送るメールの文を考えていった。


 「どうかしましたか」後ろから看護婦の赤妻に声をかけられ、我にかえった。

 「いや、別に」本当はどうにかなりそうだったが、相談など到底できやしない。

 「最近、考え事してるの多いですよ。大丈夫ですか」

 赤妻に気づかれているということは相当に表に出てしまっているのだろう。いけない、

あまりにも仕事に支障をきたしてしまっている。「大丈夫。暑さボケかな、どうも集中力

に欠けてしまって。こんなんじゃダメだね」今日はもう帰るとするよ、と楽山はやりかけ

の雑用を途中にしたままで立ち上がった。

 「楽山先生、働きすぎなんですよ。仕事に熱が入るのはいいですけど、自分の身体の方

をいたわってあげてくださいね」

 「そうだな、医者が身体こわしたら説得力ないから」お先に、と笑みを見せてその場を

去っていく。

 安里市立病院を後にすると、楽山は大きく息をついた。あの不気味な一件以来、生活に

気力がわかない。何をしていても、あの声が頭にこびりついて離れようとしてくれない。

 あの女だ。電話越しの声は変声されていたが間違いない。あれだけ詳細な事実、当人の

ほかに知っているわけがない。どういった経緯の理由かは分からないが、今頃あんな過去

を引き合いにして脅そうなんて汚い奴だ。それも、あんな大それた計画を。

 しかし、あの女にとってメリットのある計画だとはどうも思えない。何か別の経路でも

あるのだろうか。誰かしらがあの女を介して俺に計画を持ち込んだ、という。

 そのときだった。上着のポケットに入れていた携帯を取ると、またあの変声が届いた。

 「先生、どうも」

 「何の用だ」

 「落ち着かないですね。どうかしましたか」

 「うるさい。何の用だ、と言ってるんだ」

 「いえ、計画の実行日が近づいてきたので心境でもうかがっておこうかなと」余裕のある

様子がまた苛立つ。

 「お前に話すことなんかない」

 「お怒りのようだ。まさか、計画を断念するなんて言わないでしょうね」

 「・・・・・・お前の言うようにやればいいんだろ」本当は怒鳴ってやりたいが、弱み

を握られている事がそれをさせてくれない。

 「ご名答、分かってるじゃないですか。さすがはエースと呼ばれるだけはある」

 「一体、お前は誰なんだ。答えろ」

 「残念ながら、こちらにその質問に答える必要はない。あなたはただ与えられた任務を

全うすればいいだけだ。成功すれば、あなたの過去は眠ったままになる。それであなたは

全てが終わる」電話越しに相手の微かな笑い声が聞こえた。「では、あとは先生に委ねる

とします。よろしくお願いしますよ」通話が途切れた。

 どうして、こんな事に。根源が自分にあるとしても、なんでこんな目に遭わないとなら

ないんだ。風俗嬢に手を出した奴なんて、いくらでもいるだろうに。その中で、なぜ俺だ

けがこんな脅しを受けるんだ。別に、あの女を風俗嬢としてしか見ていなかったわけでも

ない。興味心はあったけど、心もちゃんとあった。子供が欲しくなかったわけでもない。

小さい子は病院でも接してて好きだし、将来的には欲しいと思っている。俺はただ、風俗

の女に手をつけて身ごもらせてしまったという事実が自分の経歴に傷をつけると判断した

だけだ。周囲にバレたら、ここまで頑張って築いてきたエースの地位から完全に陥落する。

そう現実に危惧しただけだ。これは今になって差し出された咎めなのだろうか。それだけ

の事をもってでしか償えないほど、俺はあのときに罪深い事をしてしまったのだろうか。

これが・・・・・・これが報いの道なのか。


 「菜奈、忘れ物はないのわよね」

 「ないよ。昨日、ちゃんと準備したんだから」二泊三日の荷物を積めたバッグをポンと

たたき、菜子へアピールする。こういった旅の用意も当日になって慌てることはしない。

前々日までに物は揃え、前日に全てを終えておく。用意周到なところは自然と身についた。

 この日から一中の部活の合宿のため、朝は早かった。もちろん、その分は昨日の就寝の

時間を前にずらす。行動に余裕をもたせるのは当然だ。不必要に急ぐことはしない。計画

はじっくりと進行するものだ。時間がないと慌てるからボロがでる。そんな初歩的なミス

をするほど中学一年生に時間がないわけじゃない。

 「パパ、行ってくるよ」貞男はリビングで出勤の支度をしていた。あまり態度には出さ

ないが、合宿といえど一人娘の初めての外泊を心配していると菜子が言っていた。父親の

娘を想う気持ちは哀れなものだ。その娘が父親にどんな気持ちを抱いてるのか知りもしな

いで。

―いいだろう、幸せなら幸せなほど底に落としがいがある。

 「ちゃんと先生の言うことを聞いて、夜更かししないようにするんだぞ」

 「分かってるよ。合宿ったって、部活する場所が変わるだけなんだし」今のうちにその

顔を見ておくよ。もう、その良い父親像を繕った顔を見ることはないだろうから。帰って

きた時にどんな顔になってるか、楽しみにしてるよ。「パパは旅行の休み取れそう?」

 「あぁ、難しいのは難しいけど少しなら取らせてもらえそうだ」なんだかんだ夏季休暇

をきちんと取れるのは貞男の病院への貢献度と菜奈の存在があるからだ。貞男の表向きの

良心的な面に接してる人間たちは彼を良い医者と評価する。そして、小さい頃から病院の

従業員にとって太陽のような存在に菜奈はされてきた。そんな理想的な家族に、菜奈の夏

休みの間に休暇を取らせてあげたいと病院側も毎年特別に短いながらも休みをくれている。

 「よかった。これで今年もみんなで旅行行けるね」

 「あぁ」

 「じゃ、行ってくるね」

 「行ってらっしゃい」玄関扉の閉まっていく間、貞男の表向きの顔を頭に留めておいた。

―さぁ、最後のはじまりだ。


 「隣、失礼しますね」昼下がり、警察署内の食堂にいた唐木田の背中に牛嶋は言った。

右隣の唐木田はいわしの煮付け定食、牛嶋はカレーライスを食べていく。「唐木田さん、

今は盗犯の手伝いでしたよね」

 「あぁ、さっきも68歳のじいさん捕まえたとこや。スーパーで生活用品3000円分

で逮捕。聞いたら、常習犯や。あんなもん、3000円ぐらい買う金持ってるはずやで」

 またか、と牛嶋は思った。彼自身、何度もそんな場面を対応したことがある。窃盗は老

若男女がやるが、その世代は扱いにくい。若者は結構に自分が悪かったと謝るケースが多

いのだが、年を重ねるほど非を認めなくなる。「はいはい、私が悪かったですよ」と悪び

れた様子もなく言葉だけを置く。正直、殴ってやりたいが理性で留める。「淋しいんでし

ょうね。仕事もしない年金生活の中、かまってくれる相手がいなくて」

 「そんなんで警察呼ばれたら、たまったもんやないわ」

 「そりゃそうですけどね。いくら老人だからって自制してもらわないと、いらない犯罪

が増えるだけですから」

 高齢者の増加にともない、その犯罪件数も比例していく。心身の後退で抑制がきかない

のか、理不尽な老人が多くなっている。困ったものだ。「お前さんは? どこの応援やっ

たっけ」

 「特殊犯です。今朝、ボヤ騒ぎがありまして。タバコの不始末による出火で、早い段階

で気づいたから多少の家具に火がいった程度でした」

 「いくつや、そのボヤしたんは」

 「65歳あたりだったと思います」

 「タバコもちゃんと始末できへんのか、還暦すぎると。できて当然のことができなさす

ぎるで、まったく。おかげで高齢者の事件や事故は増えるばかりや」

 「年はとりたくないもんですね」唐木田へ皮肉っぽく言ってみた。

 「お前が言うな」

 「すいません」

 安里市立病院での薬物混入連続殺人事件の捜査から離れ、唐木田も牛嶋も通常の業務へ

戻っていた。2人ともまだ事件に対する疑念が拭いきれずにいたが、あの事件から何も次

の犯行がないところをみると事はあれで終わったという結果に到らざるをえなかった。


 夜、長野の山間の高地に建つ宿泊施設の一室で菜奈は窓外に見渡せる夜景を眺めていた。

都会より遥かに瞬く星の画はどれだけ見ていても飽きない。自分には持てない輝きをいつ

でも放っていられる金の粒たちが羨ましかった。私は暗闇の中で生きているのに、あんな

ふうには煌けない。あの日、あの時、輝くことは諦めた。私は影のある場所にしかいられ

ないんだ。

 「どうしたの、菜奈」窓辺で物思いにふける菜奈に千鶴が声をかけた。

 「うぅん。綺麗だなぁって思って」

 「ホントだよねぇ。やっぱ田舎は違うね」千鶴も外の景色を眺めて言った。

 バドミントン部の合宿は厳しい決めつけもなく緩いものだった。勝手な外出は禁止やら

夜は大声を出さないやら、子供のお泊り会のようなルールだ。朝から夜まで20人ほどの

中学生がキャッキャと仲良しこよしに盛り上がる様は嫌気の差すもの以外の何物でもなか

った。宿でも大部屋に学年ごとに6人から7人が入り、学校のことや男子のことについて

話を咲かせていく。会話は途切れることなく続き、夜中まで終わりそうにもない。大浴場

でも裸の付き合いをして、二泊三日の四六時中を集団で過ごすことに圧迫感を覚えずには

いられなかった。プライバシーもない不自由さが心を締めつけ、体に害が及んでいく。

 「そうだ。菜奈、豊永くんに送るメール考えてくんない」

 「いいよ、いくらでも」菜奈は窓外に向けていた体勢を部屋の方へ向きなおす。

 千鶴と豊永一弥が連絡先を交換して3日、聞くところによるとまだお互いの触り程度し

か伝えられてないようだ。千鶴の場合、男子とどう接していいかということから始めなけ

ればいけない。ましてや、それが豊永となれば何を書けばいいのかさっぱりだった。

 「普通でいいんだよ。変に背伸びしなくていいの。ありのままの千鶴を見せれば、それ

でいいから」そう菜奈はインタビューしながら千鶴の携帯を打っていく。

 「でも、普通の私なんて自信が湧かないよ」

 「そんなことない。千鶴はかわいいよ。何回も言ってるじゃん」

 「だって、菜奈の方が私より何倍もかわいいじゃん」千鶴は俯いて落ち込む。

 下を向いていると、目の前に赤いものが飛び込んできた。よく見てみると、それは菜奈

の携帯だった。彼女は写真を撮ろうと、レンズをこちらに向けてくる。

 「豊永一弥は林田千鶴がいいんだよ。現に、2人で歩いてる時に私じゃなくて千鶴を誘

ったんだから」

 確かに、と千鶴は思った。

 「それで自信になれるでしょ」

 「・・・・・・うん」千鶴の顔が菜奈の方へ向く。

 「ほらっ、スマイル」その言葉に笑みを浮かべた千鶴を、すかさず菜奈は携帯で写真に

撮った。「うん、かわいい」

 その写真を添付し、豊永へとメールを送信した。


 「こんばんは。まだ起きてますか? 

 こっちは今日から部活の合宿で長野に来ています。

 長野は穏やかで良い意味で田舎な感じで過ごしやすいです。

 今は友達の菜奈と星空を眺めています。菜奈はこの前、私の隣にいた子です。

 長野は星もたくさんでキレイですよ。

 こういうところに好きな人と来れたら素敵だろうな。

 その前に恋人がいないと、だよね。

 ・・・・・・もしよかったら、もっと豊永くんのことを知りたいな」


 そのメールを誰が打ったかはすぐに分かった。林田千鶴がこんな大胆な文章をいきなり

書いてくるわけがない。書いたのは四宮菜奈、昨日のメールで部活の合宿があるのは知っ

ていた。

 「おい、これヤバくねぇか」右隣にいた友人が読んでいた雑誌をこちらに向けてくる。

グラビアタレントがグラマーな体をねじらせてエロいポーズをとっている。

 「あぁ、これ結構キテるな」集まっていた友人に合わせて言った。まだ12歳の彼らに

は水着の女性が最上級の興奮に値するのだろう。こちとら、もう裸の女を知っているし、

セックスだって経験済みなのに。無論、そんなことは口が裂けても言いはしない。体裁の

問題じゃなくアリバイの問題だ。

 今日、友人の家に集まって泊まろうと提案したのは自分だ。明日と明後日も別の友人の

家に一泊ずつする予定だ。別に友情を深めようなんてつもりはない。四六時中、誰かとと

もに過ごさないといけないなんてうんざりだ。それでも、この3日はそうしないとならな

かった。

 「あぁ、早く彼女欲しいな」誰かしらが言った言葉に全員が共感する。

 「お前は違うだろ。いつでも作れんのに作らねぇだけじゃねぇか」指をさされ言われる。

そうだそうだ、と周りも納得している。

 「真面目な子がいいんだよ。控えめで恥ずかしさを持ってるぐらいが」

 「いるか、今どきそんなのが」

 「いるんだなぁ、それが」携帯を差し出すと、受信したばかりのメールを見せた。

 「えぇっ、お前こういうのがタイプなの」メールに添付されていた写真を見て、全員が

まさかといった表情を浮かべている。

 「悪いけど、俺はこの子と付き合うことにするよ」誰もが驚きを隠せない横で、豊永は

返信を千鶴へと打った。


 「メールありがとう。まだ起きてるよ。

 俺は友達ん家に5〜6人集まって騒ぎたおしてる。

 長野なんて羨ましいな。

 星空もさぞかし綺麗なんだろうね。俺も見てるけど、比じゃないんだろうな。

 確かに、そういうところに好きな人と行きたいよね。

 一緒に夜空を眺めながら散歩でもしてみたいな。

 俺も林田さんのこと知りたいと思ってる。

 よかったら、今度どこかで会わない?」


 楽山は自分を落ち着けるのがやっとの状態だった。いつも気にしたことのない視線が異

様なほど気にかかる。この医局室に飛び交う無数の視線が全て気になり、それが自分へと

向いてるんじゃないかという錯覚に溺れそうになる。誰か自分の異変に気づいてるんじゃ

ないだろうか、誰か自分の心の中にある悪事を見抜いてるんじゃないかとドキドキして仕

事が全く手につかない。

 どうして、どうして、俺がこんな目に。あんな人工妊娠中絶同意書なんて、どうやって

手に入れたのか知らないが脅しもいいところだ。あいつだ、あいつのせいだ。あの電話越

しの変声された薄気味悪い奴が全て悪いんだ。そうだ、俺が悪いんじゃない。全てはあい

つの責任だ。あいつがあんなふうに俺を脅さなければ、俺はこんなことしやしない。そう

思うことで自分の気をなんとか落ち着かせていた。

 計画の実行は夜中だった。それが奴からの指示だった。仮眠をとると言って医局室から

離れれば、そう簡単に呼び戻されたりはしない。暗く伸びる廊下を歩くのが普段よりも異

質に緊張する。大きな手術を担当するときですら、こんなにも緊張はしたことがない。そ

れとは全然タイプの違い、心臓の高鳴りが異常なほどのものだった。

 副院長室の前に来ると、人気のないことを何度も確認する。部屋の電気は消えている。

四宮貞男が帰宅したのは前もって看護婦に聞いておいた。彼が不意に病院に戻ってくるよ

うなことはない。仕事は家に持ち帰らないタイプなのは知っている。そして、仕事が終わ

ってからダラダラと院内に残っていることもない。どこかで一杯ひっかけたりもしない。

真っすぐに家に帰る。納得できる、あれだけ素晴らしい家庭があるのだから。なぜ、奴が

副院長を標的に定めてきたのかが分からない。彼に他人に責められるような事があるはず

がない。奴の目的は全く読めない。でも、俺はやるしかない。副院長には申し訳ないが、

所詮は他人よりも自分の人生の方が重要に決まってる。俺以外の人間が同じ境遇に立たさ

れたとしたら、きっと同じ選択をしているにちがいない。俺は間違ってない、間違ってな

んかいないんだ。そう心内に強く叫びかけ、副院長室の扉を静かに開いた。

 部屋の中へ足を踏み入れると、これでもかという静寂が広がっている。その静けさに心

を落ち着けられるようでもあり、襲いかかられそうでもあった。奥にあるデスクの前まで

来ると、楽山はグローブを両手にはめて中を漁りだす。小型の懐中電灯のわずかな光で焦

りぎみに物色し続けると、目当ての物を発見した。明日から入院することになっている、

70歳の肺を患っている女性患者についての情報が。生活などの個人情報から病気に関す

る処方などの対応策までが書かれている。楽山は用意しておいた、女性患者の情報と酷似

したものを取り出す。目の前にある本物とほぼ相違ないが、処方の情報だけを少し変えた

偽物だ。

 波を打つ鼓動の速度は上昇を続けるばかりになる。これをすれば、どんな事になってし

まうのかは分かっている。それでも、それでも、やらなければならない。やらなければ、

俺がどん底へと突き落とされる。俺が落ちるか、他人が落ちるか。考えても結果の見えた

二択だろう。人間、最後は自分を選ぶんだ。

 楽山はデスクに偽物を押し込んだ。


 翌日の夜23時39分、人間の転落。

 3階のナースステーションに点滅する赤い信号は墜落の鐘を意味していた。

 「404号室の内浜さん、容態急変です!」

 夜勤にいた貞男は現状を飲み込めないまま、女性の一変した姿を目にしていた。まるで

悪い夢を見ているような感覚の中、現実の生身の女性を死なせてはいけないと必死に頭と

体を動かし続ける。

 どうしてだ。一体、何が起こってるんだ。

 頭には疑問符ばかりが並び、解決できなかった。今日入院したばかりの患者にこんなに

強度の異変が起こるなんてない。第一、さっきまで普通に話していたじゃないか。あまり

にも急すぎる。こんなのおかしい。

 あがくようにしているうちに女性は心配停止に陥っていた。夜の病室に鳴り響く単一の

音に深い動揺を隠しきれなくなる。ほとんど訳も分からないままに思いつくだけの対応策

をとった。

 女性は帰ってこなかった。

 病室の中、貞男は茫然自失に立ちすくむしかなかった。こんな事は長い医者の生活の中

でも経験がない。病気を携えてるとしても、つい先程まで安定していたはずなのに。言葉

もしっかりしていたし、まだまだ元気はあるようだったのに。

 何があったんだ。何も落ち度はなかったはずだ。今日一日の患者への対応を頭の中で振

り返らせても、何も原因が浮かんでこない。

 確認の意味を込めて、内浜そよのカルテを見直した。そこに書かれてあった内容に我が

目を疑う。原因はそのカルテに全て映し出されていた。まさかの事態に、カルテを持つ貞

男の両手が震えていた。


 警察にある仮眠室は気持ち程度のお粗末な寝床だったが、慣れれば怖いもんでこれがし

っくりときてしまう。最終電車を逃してしまった牛嶋が寝ていると、誰かにボンボンと強

引に叩き起こされた。

 微妙に目を開くと、叩いた相手が唐木田であるのがぼやけた画の中で汲み取れた。

 「起きろ、新たな収穫かもしれんぞ」唐木田は意気が高揚して目が見開いている。

 「何ですか。事件ですか」まだ堕ちたばかりのところで無理に叩かれ、牛嶋は起ききれ

なかった。

 「安里市立病院やぞ」

 その病院名に、牛嶋は一気に眠気が飛んだ。「何が起こったんですか」

 「今日入院したばっかりの患者が亡くなったらしいぞ。あんなのおかしい、と患者の親

族から訴えるように電話してきた」唐木田の言葉は勇ましく響く。「医療ミスでもあった

んじゃないか、とな」

 諦めようと張ったはずの線はその一報で寸断された。



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