第11話
○登場人物
四宮菜奈・しのみやなな(誰からも好印象を受ける表面を繕いながら生きている)
豊永一弥・とよながかずや(完璧な外見を併せ持って女性からの強い支持も持つ)
四宮貞男・しのみやさだお(菜奈の父、病院の副委員長で人望が厚い)
四宮菜子・しのみやなこ(菜奈の母、家族思いで思いやりが強い)
林田千鶴・はやしだちづる(菜奈の友達、劣等生で人を信じて疑わない)
唐木田千治・からきだせんじ(先輩刑事、事件をしつこく追い続ける)
牛嶋大悟・うしじまだいご(後輩刑事、唐木田とともに事件に迫る)
四宮貞男を殺めるまでの全ての犯罪はあなたがやってきた。
私にできるものがあるならと言ったが、あなたはそれを断った。
菜奈は手を汚さなくていい、これは俺の復讐なんだから、と言った。
私はあなたの言葉のままにした。私は犯行の実行には加担しない。
私は家族だから捜査線上に名前が上がる可能性がある。
その時、アリバイさえ作っておけば問題はない。
あなたが犯行に及ぶかぎり、私は怪しまれない。
そして、犯行が完璧であるならあなたも怪しまれない。
シナリオに狂いはない。私はあなたの策に乗った。
ただ、今思うなら一つだけ違うところがあった気がする。
あなたはきっと私の手を汚させたくなかったんでしょ。
私に人を殺める覚悟があったのを止めさせたんでしょ。
自分と同じ思いはさせたくないから、って。
せめて、私には綺麗なままの手でいてほしいからって。
そんなあなたの思いを私は裏切ってしまったんだね。
汚れてから分かったって遅いだけなのに。
四宮菜子の事件は警察に大きな打撃を与えた。捜査本部まで置いて殺人事件の解明へと
乗り出したのに、牛嶋が殺された公園から目と鼻の先にある場所で殺人事件が起こってし
まった。しかも、殺されたのが四宮菜子だ。一連の事件を一つの流れとして見ていれば、
四宮家の人間に危険が及ぶのは予想ができたはずなのに。連続事件としている報道を否定
するための策が仇となった。逆に、報道にとって恰好の事件になってしまった。
言わんこっちゃない、と心内で唐木田はつぶやく。しかし、これで一連の事件が四宮家
に関するものであることは決定的となった。これまでの事件は全て四宮家の人間を苦しめ
るためのもの。そして、最終的な標的は四宮菜奈。真犯人の狙いは彼女だ。絶対に彼女は
守らなければならない。ここまでやりたいようにやられ続け、最後まで真犯人の思い通り
になどさせはしない。唐木田が信念を強くさせ、見つめる先には菜奈の姿があった。
菜子の通夜に出席していた菜奈は死んだようだった。焦点の定まらない視線を投げて、
魂の抜けた殻のような状態で通夜にやってくる関係者たちに対応している。唐木田はその
様を見て違和感を覚えた。四宮貞男が亡くなった時の彼女も生気が欠けたようだったが、
今回はそれとはまた違った印象を受ける。前者が悲しみや切なさを抱いたものとしたら、
後者は絶望。まるで、この世の終わりのような様相を菜奈はしている。父親に続いて母親
も、という感情の重なりとしたら納得のいくことだが。
唐木田は通夜に来た人間に片っ端から聞き込みを続けた。牛嶋の捜査資料である関係者
の写真のファイルが失われてることから、真犯人は被害者に近い人物である可能性は高い。
のこのこと通夜になど来れるものかとも思うが、被害者との関係性からしても来ないのは
怪しまれるという思いからここを訪れるかもしれない。何か得るものがある、そう信じて
聞き込みを続けた。
夜も遅くなってきて弔問客もいなくなってきた頃に意外な人物を目にした。林田千鶴が
両親に肩を支えられながらゆっくりとこちらに歩いてくる。目は虚ろなままで体も弱った
ままだった。彼女の事件からいくらか日は経っていたが、ほとんど回復していないようだ。
こんな遅い時間に来たのは人目を避けられる頃合を見計らったということだろう。千鶴は
両親とともに四宮家に入っていく。
「菜奈、大丈夫」折れそうな弱い声で千鶴が言った。菜奈はそれに何も答えなかった。
目を合わせようとも、向けようともしなかった。彼女は完全に折れてしまった。林田千鶴
が声を掛けたぐらいではどうにもなりはしない。
「菜奈、私だよ」何度と歩み寄ろうとしても無理だった。菜奈の心は遮断されてしまっ
てる。居たたまれなくなって千鶴は菜奈にそっと抱きつく。大丈夫だよ、大丈夫だからね、
と自分にしてくれたように彼女を慰めた。ただ、菜奈の反応はない。親友に何もできない
自分への気休めにも似たように千鶴は言葉を掛け続けた。
その頃、唐木田は四宮家の前を離れて近くのコンビニに寄っていた。通夜を手伝うため
に来ていた四宮の母方の祖父母が片付けを始めていたので、林田千鶴の家族で弔問は終わ
りになるのだろうと思って。今日はこれで帰ろうと思い、夕食の弁当や酒のつまみを購入
して歩き出すと四宮菜奈のことが頭に浮かんだ。親友の訪問によって彼女に何か変化があ
っただろうかと気になり、唐木田は再び四宮家に戻ることに決めた。しかし、あと少しで
着くという曲がり角で唐木田は急に歩を止める。電柱の裏に身を潜め、四宮家の前に佇ん
でいる人物に目を遣った。見たことがある、話したことがあるその人物はただ立っている
だけで弔問の気がない。結局、そのまま家に入ることなく去っていった。不自然と思える
行動を遠くから目にしていた唐木田はその人物に感じるものがあった。豊永一弥、確かそ
んな名前だったはずだ。林田千鶴が交際していた男として、彼女の事件の時に一度牛嶋と
聞き込みをしている。その男がどうしてここにいたのか。林田千鶴を通して、係わりがあ
ったのかもしれないが。それにしても、こんな時間に来て外から眺めているだけで帰るの
はどうしてだ。あの男、何かおかしいぞ。
翌日の葬式でも唐木田は弔問に来る人々への聞き込みを続けた。しかし、これといった
成果はあがらない。四宮家に対する怨恨に考えが及ぶ者は一人もおらず、どうしてこんな
事件が続くのか不可解でならないという意見が大多数を占めた。
四宮菜子は首を縄のようなもので絞められて絞殺された。着衣は全て脱がされ、体中を
触られた形跡もあった。強姦をした上での殺害、犯行の残虐さが現場には残されていた。
これまで四宮家の中で菜子には直接的な被害がなかったが、まさかこんな結果になるとは。
今回も証拠といえる証拠はなかったが、一つだけ不快なところがあった。菜子の首元には
2回強く絞められた痕跡があった。一度では死に至らなかったからかもしれないが、何か
そうしなければならなかった別の理由があったのかもしれない。
葬式の前に菜奈に話を聞く時間があったが、彼女は何も喋らなかった。昨日と変わらず、
死んだように自分を見失っているだけで時間は過ぎていった。ポンと押せば倒れてしまい
そうな、立っているのがやっとの状態の彼女の姿は見ていて痛々しいかぎりだ。最初に会
ったときの快活そうな姿はもはや影も形もない。真犯人はここまで四宮家を崩壊させて、
何をそんなに満たされるというのか。この家族にこれだけの被害をこうむる理由など欠片
も見当たらないのに。警察が総力をあげても全く見えてこない現状に唐木田は息をついた。
葬式には昨日も見た関係者の他、新しい顔もちらほらあった。菜子の学生時代の関係者
がそのほとんどを占めていた。この日は林田千鶴の姿はなく、多くの人間の揃う葬式の場
は避けたのであろうことは汲み取れた。そして、豊永一弥の姿もなかった。いつか現れる
のではないかと思って、片時もその場を離れずにいたが彼は来なかった。林田千鶴と同じ
ように多くの人間の前は避けたのだろうか。昨日の豊永もそんな印象だった。深い時間、
通夜も片付けに入っている時間に現れ、家に入ることもなく去っていった。人目を避けて
いる印象を抱かずにはいられない。豊永はなぜ、あんな時間にあの場所で孤独に佇んでい
たんだろうか。
出棺を見届けた後も唐木田はしばらく葬儀場に居続けた。豊永がそこに来る可能性を捨
てきれずに粘ったが、やはり来ることはなかった。昼食を軽く済ませた後、唐木田は安里
市立第四中学校へと向かった。豊永一弥が通う学校で直接彼を待ち伏せることに決めた。
授業終わりですぐに出て来るかもしれないと思ったが、結局部活が終わるまで2~3時間
待つこととなった。まぁ、このぐらい待つのは職業柄慣れてはいる。
豊永一弥は部活仲間らしき学生たち数人で校門から出てきた。同学年らしき集団の中に
合わさると、より彼の外見の良さは際立っている。文句のつけどころのない今風の格好の
いい出で立ちだ。唐木田は豊永のいる集団から一定の距離を保ち、気配を殺しながら後を
つけていく。その間の彼の行動にこれといった特徴はない。会話の内容までは聞こえなか
ったが、普通の中学生という感覚だ。そんなことには惑わされず、唐木田は疑念を持った
まま後ろを追いかけていく。
仲間と一人ずつ別れていき、豊永が一人になってからも彼を追うことを続けた。怪しい
行動でも起こさないかと思ってのことだったが、そのような行為はなかった。豊永が家に
到着する手前で唐木田は声をかけた。「豊永一弥さん」
豊永は立ち止まり、こちらに振り向く。さして、驚いた様子はなかった。
「こんばんは。私のこと、覚えてらっしゃいますでしょうか」
「はい、なんとなく」
そんなものだろうな、と唐木田は思った。日常で警察に聞き込みをされることなどない
だろうから忘れてるということはないと踏んでいた。「警察の者です。少しだけ、お時間
よろしいでしょうか」
「はい、いいですけど」
「ありがとうございます」2人は近くの小さな公園へ移動した。道端で聞くべき話では
ないかもしれないと考慮して。公園には唐木田より年上と思われる老人が一人だけいた。
そこまでは気にせず、ここで話をすることに決めた。
「以前に話を聞いたとき、あなたは林田千鶴さんとは別れたばかりだと仰りましたね」
「はい」
「報道で流れてるのを見たかもしれませんが、四宮菜子さんという方が亡くなられたの
は知ってますか」
「はい、テレビで見ました」
「その娘さんが四宮菜奈というんですが、ご存知ですかね」
「知ってます」
「どういう関係ですか」
「その、林田千鶴さんの親友というふうに」
「四宮菜奈さんに会われたことはありますか」
「はい」
「親しくはされてましたか」
「いえ、そこまでは」
「面識がある、というぐらいですか」
「そうです」
「四宮菜子さんとは面識はありますか」
「ありません」
「四宮貞男さんとは面識はありますか」
「ありません」
唐木田が畳み掛けようとしたら、豊永はそれを遮るように「すいません」と言う。勢い
を止められ、唐木田は少し間が抜けてしまう。
「俺は何を疑われてるんですか」四宮家との係わりを詮索され、豊永は明らかに戸惑う
表情を見せている。それはそうだな、と唐木田も自分の聞き込みの強引さに気づく。冷静
にいこうと思い、一度心を落ち着けた。
「あなた、昨日の夜遅くに四宮の家の前にいましたね」
唐木田の言葉に、豊永の表情は一瞬崩れた。そこに本性が見い出せるかと思うと、すぐ
彼は顔色を元に戻してしまった。
「どうなんですか。いたんですか」
豊永は唐木田に顔を向ける。視線がさっきより強いものになっている気がした。「はい、
いました」
「あそこで何をしていたんですかね。家の前に立ってるだけで中に入りもせずに帰った
でしょう」
豊永の返答には気持ちほどの間があった。それが何かを考えているように見受けられた。
「通夜に出席しようか迷っていたんです。彼女とは係わりはあったので、その親族の通夜
には出た方がいいのかって。それで時間も遅くなってしまったんですが、とりあえず家に
行ってみようと行ったみたら片付けが始まっていたのでそのまま帰ることにしました」
苦しい言い訳だな、と唐木田は感じた。その場かぎりの嘘、と。こんな類の分かりやす
い嘘はこれまでにいくらでも耳にしてきている。「そうですか。そういうことでしたか」
「では、以上です。疲れてるところ、すいませんでした」そう言うと、豊永は一礼して
帰っていった。その後ろ姿を眺めながら、唐木田は湧いてくる感情を実感していく。この
一連の事件が始まって以来といえるほどの手ごたえを感じていた。豊永一弥、あの少年は
何かを隠している。
翌日の正午ごろ、千鶴は母親の出してくれた車で四宮家に来ていた。昨日、葬式に出る
ことはできなかったが、菜奈の状態が気になって仕方なかった。携帯へ電話しても出なか
ったので自宅に電話すると、通夜と葬式の手伝いに来ていた彼女の祖母が電話に出た。菜
奈は心労がひどくて眠ってしまったようで、また掛けなおそうとすると祖母の方から菜奈
は祖父母に引き取られることになったからと聞かされた。それは千鶴にとって衝撃に近い
言葉だった。菜奈の存在が必要不可欠な千鶴には、彼女が自分の側を離れることなど受け
入れられるはずもない。今、菜奈がいなくなったらと思うと居てもたってもいられなくて、
直接彼女と話がしたくてここまで来てしまった。母親には車に残ってもらい、一人でふら
つく足取りのまま歩いていく。インターホンを鳴らすと、菜奈の祖母が対応してくれた。
祖父は仕事あるので昨日のうちに一人で帰ったようで、祖母も菜奈の体調が回復し次第に
彼女を連れて帰るらしい。祖母に「せっかくだから今のうちに買物に行ってきてもいいか
しら」と言われたので、千鶴はうなずいた。「菜奈はまだ休んでるけど起きてはいるから」
と言われ、部屋に向かった。
「菜奈、開けるね」ノックをしてから、そう言って扉を開く。中にあった光景に千鶴は
身が固まってしまう。豊永と菜奈が抱きしめ合っていたのだ。まさか、豊永がいるなんて
思いもしなかったし、祖母も誰かいるとは言っていなかったし、なにより目に映った2人
の行為に自分を疑った。何がどうなってこういう事になっているのか、全く理解できなか
った。菜奈は自分の友達で、豊永は自分が思いを寄せていた人で、2人に関わりはないは
ずだ。あったとしたら、豊永が一中の校門で自分を待ち伏せしていた時にわずかに接した
ぐらいだ。それ以外に関わりはないはずの2人が目の前で抱き合っている。千鶴は自分を
見失いそうになり、現実から逃げ出したくなった。こんなの嘘だ。夢に決まってる。悪い
夢に決まってる。そう自分に叩きこませようとした。なのに、口からついて出た言葉は素
直な気持ちだった。「どうして・・・・・・どうして」
豊永は菜奈の背中にそっと手を回しながら、千鶴を涼しく切ない瞳で見ていた。菜奈は
豊永の背中をグッと抱き寄せながら、千鶴を睨むような瞳で見ていた。菜奈の目つきはど
んどん悪くなり、千鶴を睨みつけていく。荒れ狂った肉食動物のように呼吸も荒くなり、
完全に気が触れていくのが分かった。
「帰れよ」言いながら菜奈は涙を零していた。豊永のシャツの背中を力強く掴み、感情
が爆発するのをなんとか堪えている。これまでに見せたことのない裏の四宮菜奈だった。
「早く帰れって言ってんだろ」
菜奈の怒号が部屋に響き渡る。興奮で大きく震えあがる菜奈の体を豊永が懸命に抱いて
いる。千鶴は初めて見る菜奈の状態に萎縮してしまった。豊永とのことといい、もう何が
どうなってるのかさっぱりで頭は混乱するばかりだ。
「悪いけど、人に会える状態じゃないんだ。帰ってくれないか」怯えたまま何もできず
に佇む千鶴に、豊永は言った。その言葉に反応して、ようやく千鶴は現実に戻れた。その
現実から逃げようと千鶴はすぐに部屋を出る。足早に歩きながら散らかっている頭を整理
する。菜奈と豊永はああいう関係だったんだ。いつのまにそうなっていたかは分からない
けれど、2人が強い関係で結ばれているのを察するには充分すぎた。玄関まで歩いたとこ
ろで千鶴は泣き崩れた。信じていた人間からの裏切りに心が砕かれてしまった。
「あれでよかったのか。友達との最後の別れが」抱きしめた菜奈の肩先で豊永は言った。
こんなことを言っても、菜奈に届いていはいないだろうが。通夜で見たときの菜奈の顔で
豊永は彼女の異常を悟った。あれは演技で悲しい顔をしてるんじゃない。今にも壊れてし
まいそうな爆発寸前の状態だった。昨日は葬式で忙しかったり、祖父母もいたからと思っ
たが気がかりでたまらなかった。今日、こうして祖母にもバレないようにと部屋の窓から
侵入すると菜奈の変化に戸惑った。彼女は重症だった。再起不能のロボットのように居る
だけのものになっていた。やはり、菜奈に手を汚させてはならなかった。菜子を殺めたこ
とで、表向きの四宮菜奈は破壊された。本当の彼女である裏の部分しか存在しなくなった。
表と裏のバランスでこれまで生きてきたのに、片方を失ったことで菜奈はダメになってし
まった。豊永を瞳にした途端に、彼女は彼に抱きついた。呼吸は不安定で、体は小刻みに
震え、焦点の合わない視線と感情に自分自身が揺らいでいる。林田千鶴の訪問は気づいて
いたが、こんな状態で放っておけなかった。結果、千鶴には2人の関係はバレてしまった。
あの唐木田という刑事にも今後そうなっていくかもしれない。そして、なにより目の前で
苦しむ菜奈にこれ以上の負担を乗せるわけにはいかない。限界を超えてしまう。「菜奈、
答えてくれ」
「もう・・・・・・無理か」そう言うと、菜奈は堪えきれずに泣き出した。それが彼女
の本音だった。豊永は瞳を閉じて、大きく息をついた。「分かったよ」
「一緒になろう・・・・・・もう誰にも邪魔はさせない」
夕焼けは潜み出し、夜に差しかかろうとしていた。自宅の前には唐木田の姿があった。
豊永は瞳を強張らせ、唐木田はその反応に意外性を感じる。豊永は初めから裏の顔を見せ
ていく。もう、何にも配慮する必要はなかったから。
昨日と同じ近くの小さな公園へ移動すると、お互いに真剣な表情になる。唐木田は強い
自信を持ってここへ来ていた。昨日、豊永のことを怪しいと勘ぐってから彼について調査
してみると多くのことが分かった。一連の事件に結びつくかもしれない内容だ。真犯人は
この男なんじゃないか、と唐木田は大きな前進を感じていた。
「あなたについて調べさせてもらいましたよ。生後間もない頃に両親は離婚。片親の手
で育てられるが、その母親も3歳の時に自殺。遺書はなかったので、労働と育児に負われ
ての疲れだろうとされた。それ以来、あなたは母方の祖父母のもとで育てられた。祖母は
病気で他界し、今は体の弱った祖父との二人暮らし。豊永一弥、13歳。安里市立第四中
学校の1年4組。学業も優秀、運動はサッカー部で新入生ながらエース、容姿も端麗、生
活態度は外見に対して控えめ。総括すると、口の挟みようのない優等生や」
唐木田の言葉を豊永はただ黙って聞いていた。
「安里市立病院の連続殺人事件、四宮菜奈へのわいせつ行為、四宮貞男の自殺、林田千
鶴への強姦、牛嶋大悟の刺殺、四宮菜子の絞殺。この全てにおいて、あなたのアリバイは
ない」病院での医療ミスについては言い加えなかった。その件について、彼のアリバイは
存在していたから。都合のいい考えだろうが、それは共犯者とされる人物による行為では
ないかとした。「これはどういうことや」
「どういうこと、って」呆れたような口調で豊永は呟く。首をぐるりと回し、唐木田を
芯のある瞳で見遣る。「たまたまだろ」
豊永は昨日までと比べ、別人のようだった。今さっき自分の口から出た優等生という言
葉は当てはまらない、変な自信にまみれた人間になっている。しかし、そんな相手の出方
で怯んではいけない。唐木田はグッと気を引き締める。「あんたが元々生まれ育った場所、
富士らしいな」
「富士は四宮家が毎年家族旅行で行くところや。そして、四宮貞男が自殺したのも富士
の樹海や」唐木田は一層に声を強くする。「これは偶然なんかねぇ」
脅かすような勢いを張った唐木田の姿勢に豊永は全く動じていない。逆に、豊永も声を
強くする。「俺のこと怪しんでるみたいだけど。証拠はあんの? 動機は? 言ってみろ」
唐木田は口を噤む。正直、証拠も動機もない。彼を動揺させるために脅しをかけるよう
にしてみたが、何の効果もなかった。それどころか、こちらが押し込まれている。こんな
肝っ玉のある13歳、見たことない。この年齢なら、粋がってるとしても上っ面だけだ。
それが豊永は心にまでしっかりとした軸がある。どうして、その年齢でそんなものを持て
るんだ。逆にそれが怪しい。でも、証拠も動機もない。
「例えば」豊永から今度は口を開く。「犯人が一人じゃないとしたら」
その言葉に唐木田は目を見開く。何を言い出すんだと思ったが、豊永の言を止めること
は止めた。
「実行犯と共犯、この2人がいたら犯行は可能だ。共犯者は被害者と関わりを持って、
実行犯は蚊帳の外にいる。共犯者は直接犯行に及んでないからアリバイが成立する。実行
犯は被害者との関わりがないから疑いをかけられる対象にならない」豊永は口角を上げる
ぐらいの余裕の顔をしている。「これで犯行は完成だ」
唐木田は稲妻を食らったような衝撃に起こされる。豊永一弥が真犯人、そう確信した。
ただ、そうにしてもこのこせつかない様は一体何なんだ。
「安里市立病院の薬物混入連続殺人。共犯者は長い年月を要して病院と関わりを持ち、
医学の勉強を蓄えた。その結果、病院の職員の目を盗んで鍵を奪うことに成功し、人間を
死に至らしめる重度の薬品を知ることが出来た。鍵はスペアを作成し、薬品はネットを介
して手に入れた。犯行当日、実行犯は病院の監視カメラをハッキングし、スペアキーで中
へ侵入して犯行に及んだ。病院の警備をしていた蔵川は犯人に仕立て上げるには恰好の対
象だ。一人の犯行にしてもよかったが、親子によるものにした方が犯行の難度は減る」
「安里市立第一中学校のわいせつ行為。共犯者は野竿が四宮菜奈に好意的な印象を持っ
ていたことを知り、蔵川の件での奴の精神の変化にも気づいていた。野竿が四宮菜奈への
犯行に及ぶように発破をかけ、実行に移すと実行犯が彼女を助けた」
「富士の樹海での四宮貞男の自殺。医療ミスによって、奴の医者としての芯は崩れた。
謹慎になった奴は家族とともに富士に旅行に出かけ、娘と毎朝に散歩をする習慣を共犯者
から得ると、実行犯は奴が一人になるタイミングを狙って樹海に連れ込んで銃を撃った。
遺書はパソコンで打った出まかせ、医療ミスを苦にした自殺に見せかけるのは簡単だ」
唐木田は脈打つ鼓動を抑えきれなかった。豊永が語る言葉たちは全て真実と思うことは
難易ではない。これまで追い求めてきたものが一挙に体の中に入ってきて、入りきれない
ほど押し合いを続けていく。
「犯行はここで終わるはずだった」豊永の言葉に唐木田はまた虚をつかれる。
「林田千鶴への強姦。彼女は一連の犯行のアリバイを作るのに必要だった。犯行が終わ
ったうえで、彼女との関係は必要がなくなった。なのに、彼女はより強い関係を求めてく
るようになった。それが邪魔だった。出すぎた杭を一発で埋め込むために犯行を決めた。
夜道で気を失わせ、車の中で犯行に及び、自動車工場へ捨てた」
「牛嶋大悟の刺殺。彼は取り立てて優秀な刑事でもなかった。だから、注意も特に強く
は抱いてなかった。ただ、彼は運がよかった。いや、悪かったんだろう。林田千鶴の犯行
の際、犯人が工場へ彼女を運ぶ姿を偶然に見ていた人物の証言を得たんだ。犯人を確信の
ものとして現れた彼の背中にナイフを刺して始末した。誰にも犯人の正体を知らせてない
とは若僧らしい致命的なミスだが、おかげで犯人は救われた」
「四宮菜子の絞殺。はっきり言って、彼女に手を上げる予定はなかった。ただ、彼女も
運が悪かった。たまたま、事件にまつわる重大な証拠を目にしてしまったんだ。だから、
申し訳ないが彼女にも手をかけた」こんなところかな、と豊永は言葉を締めくくる。自供
にもとれる内容だったが、あくまで自分が犯人であるとは言わなかった。事件に対しての
一つの見解、とでも言いたいのだろうか。それでも、豊永の言葉は彼が実行犯であること
を明らかに示していた。
こいつが。こいつが犯人。こいつが牛嶋を。唐木田は身を震わせて、怒りたつのを止め
られなかった。「どうして・・・・・・どうして、殺さなあかんかったんや」
さぁ、と豊永は息をつく。今にも笑みを見せそうな表情は疑問を抱かずにはいられなか
った。なんなんだ、この余裕は。「俺がやったんじゃないから分かりませんけど」
「どうして、野竿に襲われた四宮菜奈をリスクをおかしてまで助けたんや」
「そうする必要があったんじゃないですかね」
「牛嶋の私物を奪った理由は何や。事件関係者の写真のファイルとメモ帳や」
「それが証拠になるからじゃないですかね」
唐木田は目を充血させるぐらいに力を込めていた。今すぐ、この男を逮捕してやりたい。
目の前にいるのに手錠をかけられないもどかしさに苛立ちは募っていく。「なんで、今に
なって全部言う気になったんや」
「黙ってる必要がなくなったんじゃないですかね」
豊永の言葉と態度に唐木田の怒気はピークに達した。それでも、今ここで吐き出すのは
止めにする。絶対に確たる証拠と動機を携え、こいつを捕まえてやると心に誓った。
翌日、唐木田は富士に急いだ。そこに事件の紐を解くものがあると信じて。
富士は澄んだところだった。ここであんな事件が起こったとはとても思いがたい。それ
でも、ここは豊永と四宮家の関係が眠っているかもしれない。そう胸に刻み、唐木田は聞
き込みに励んだ。四宮家が毎年の家族旅行で訪れる別荘の関係者、貞男と菜奈が朝の散歩
で回るコースにある店の人間、豊永一弥が幼少の頃に母親と住んでいた家の近辺、隈なく
調査を続けていく。
その結果、豊永家の近所の人間から大きな証言を得ることができた。豊永の母親と親し
くしていた人物が家族のことをよく知っていた。まず、豊永の両親の離婚は父親の不倫が
原因であること。それで夫婦関係にヒビが入ったというより、父親は不倫相手の方を本命
としていたため別れたようだ。それからは母と子の2人で慎ましく生活を続けていたが、
やがて母親には恋人ができた。その相手は都会に住んでいて、家族も持っている人間だっ
たらしい。それから間もなくして彼女は自ら命を絶った。証言してくれた女性は、もしか
したら労働や育児ではなく不倫関係による行く末が原因だったのではないかと漏らした。
唐木田にとって、天の恵みともいえる証言だった。豊永の母親の不倫相手というのは、
四宮貞男ではないかと考えるのは容易といえたから。その恋愛の行く末として豊永の母親
は自殺に至った。母を殺されたも同然の息子の一弥はその恨みを晴らすために四宮貞男を
殺めることを決めた。当時3歳だった子が行き着くには行き過ぎた話かもしれないが動機
としては充分だ。
そして、もう一つ大きな証言があった。豊永の母親が不倫相手と交際してる頃、一弥が
同じ年の頃の女の子と遊んでる姿を何度か目撃したということだ。豊永の母親に聞いたと
ころ、その女の子は不倫相手の娘だと言ったらしい。となると、それは四宮菜奈というこ
とになる。不倫相手の家に娘を連れてくるなんて大胆不敵といえたが、交際をバレないよ
うにするためのアリバイを作るのに必要だったのかもしれない。もしもこの仮説が正しい
としたら、幼少の頃に豊永一弥と四宮菜奈には接点があった。下手をすれば、菜奈は父親
の不倫を知っていたのではないだろうか。豊永が彼女に知らせたということも考えられる。
そのとき、一つの説が唐木田の頭に浮かんだ。まさか、豊永の共犯者は彼女なんじゃな
かろうか。いや、さすがに実の父親を死に至らしめるようなことをするはずないだろう。
ただ、親に手をかける子供の事件はいくらでも存在する。それでも、四宮菜奈のような子
にかぎっては考えにくい。成績も優秀で、運動も長けていて、容姿も端麗で、生活態度も
控えめ。口の挟みようのない優等生だ。
そこで、唐木田はハッとなる。今並べた通りの人間を知っている。昨日、それを思った
ばかりではないか。豊永一弥、彼もその通りの人物だ。四宮菜奈と豊永一弥、2人の人間
はうまく重なっている。そう思うと、唐木田の推理は流れるようになる。昨日、豊永から
告げられた言葉にも重なる。四宮菜奈が野竿に襲われた時に実行犯が彼女を助けた理由、
それも彼女が共犯者なら繋がる。でも、なぜ自分の身の危険を背負ってまでそんな事を。
それも犯人が四宮家への怨恨を抱いている、と警察に思わせるためか。そこまでの執念を
もって犯行に及んでいたということなのか。豊永は昨日、長い年月を要してと言っていた。
母親の自殺から10年もの間、この犯行を作り描いていたのだろうか。それも、四宮菜奈
と2人で。なるほど、それなら警察が束になろうと叶わないはずだ。あの2人の執念と絆
は相当どでかいものにまで成長してしまった。ちょっとやそっとで崩れるものじゃない。
あの2人だけにしか見えない絆の線、赤く濁って染まった糸で結ばれたものがあるのだ。
同時に分からないことがあった。昨日、どうして豊永はあそこまで自白したのだろうか。
どう足掻いても暴かれない自信があるのか。いや、そんなものあったとしてもあんなこと
しないだろう。あそこまで完璧に犯行をやれる人間が自分の足元を掬われるようなことを
しやしない。捕まっても構わない、と思ってるのか。確かに、あの年齢なら少年法で刑は
軽くなる。
そのとき、唐木田の携帯が鳴った。出てみると、同僚の刑事が慌てた声を発していく。
その言葉に唐木田も驚きを隠せない。四宮菜奈がいなくなり、祖母が捜索願を出してきた
というのだ。今朝に祖母が菜奈の部屋に行くと姿がなく、窓が全開になっていた。学校に
も千鶴にも連絡したが見つからず、近所を探しても一向に見つかる気配がなかったらしい。
まずい、何かが起こる前触れのような気がしてならなかった。「豊永一弥ゆう男の行方を
調べろ。今すぐや」
私はあなたの希望にしかなれない。
あなた以外の人間の希望にはなれない。
あなた以外の人間の抱く希望は偽者の私でしか抱けないから。
本当は何気ない日常の風景を妬んでた。
裏の人格で生きる決意をしたのに本音の隅っこではそう思ってた。
私はそこで幸せにはなれないことも知っていた。
あなたもそこで幸せにはなれない。
だから、私たちには必要のないものだった。
じゃあ、私たちに必要なものって何。
無いんだよ、そんなもの。
俺たちに必要なものはいずれ俺たちが捨てていくものだ。
それでも、普通に生きている人間を羨んでいた。
自分自身が居たたまれなくなって死にたかった。
その度に君が支えてくれた。俺たちはお互いを支え合って救い合った。
きっと、俺たちは生まれてきてはいけなかったんだ。
だから、目的を果たせれば残しておく生命の意味なんてないんだ。
生きてることが苦痛だった。君もそうだろ。
もう楽になろう。一緒なら何も怖いことなんかない。
俺たちは道を誤ったんじゃない。
最初から誤った道に産み落とされただけだ。
俺たちにはその道を歩むことが当たり前だったんだ。
それが人間の歩むべき道でないことは分かってる。
ただ、俺たちにはこの道しかなかったんだ。分岐点なんかなかったんだ。
この道を歩き、行き止まりになれば終結させるしかなかったんだ。
本当の幸せって何ですか。
本当の喜びって何ですか。
本当の温もりって何ですか。
私には分かりません。
私には偽りで作られた感情しかないから。
私はまやかしの太陽にしかなれないから。
私たちはこれからいなくなります。
でも、それでいいんだと思います。
私たちは生まれてきてはいけなかったんだから。
浅い緑の草々は木の陰に潜んで、色を濃くしている。
―それでも、それらは生きている。うざったい。
樹齢の深い木々は空へ伸び、美しく醜い。
―それでも、それらは生きている。うざったい。
みんな、どうして生きてるんだ。真実が偽りに負かされる現実を。悪事が正義を痛めつ
ける現実を。そんな時代を生きて何が楽しいんだ。
―それでも、それらは生きている。うざったい。
―それでも生きたいというんなら勝手にすればいい。
「俺らはこれで永遠になるんだ」
「うん。私たちならなれるよ」
「あぁ。これで終わる。そして始まる」
「未練なんかないよね」
「菜奈とずっと側にいられる死に勝るものなんかない」
「私も」
「最後に言ってもいいかな」
「何」
「愛してる」
「・・・・・・私も愛してる」
ねぇ、一弥。
人間って何だろうね。
唐木田は全力で走っていく。老いた体では大したスピードにはならないけど、それでも
無我夢中で走った。富士の遊歩道を駆け抜けると、四宮貞男が失命した辺りへと樹海の中
に入っていく。数分前に銃声を耳にして、嫌な予感が現実のものになったことを感じた。
そんな結末、絶対に許されん。まだ、犯人であることを本人の口から聞いてないのだから。
事件の経緯も動機も分かった。後は証拠を死に物ぐらいで探す。そして、お前らを捕まえ
に行く。それまではそんなこと許されんのや。
樹海の奥まで走った唐木田は膝から崩れ落ちた。目の前に広がる光景に、自然に涙が流
れてきた。下唇を噛み、拳を地面に何度も打ちつける。豊永一弥と四宮菜奈は手に拳銃を
持ったまま、頭部を互いに撃ち抜いて死んでいた。もう片方の手をお互いの背中に回して、
唇を重ね合ったまま、まるで微笑んでいるようにも見える。
唐木田には無念しかなかった。牛嶋の仇を取れたとか、これ以上の犯行はこれで起こら
なくなったとか、そんなこと微塵も思えなかった。自分の非力さを痛感するしかなかった。
そんな人生、何の意味があんのや。お前ら、まだ何も人生の良さ味わってへんやないか。
どうして、こんな結末やないとあかんのや。ちゃんと罪を償って、全うな人間になって、
普通の人生を送ったらええやないか。なんで、そのことに気づけへんかったんや。
2人の背中にある手の小指には紫の糸が結ばれてあり、そのまま2人の体をぐるぐるに
巻いていた。紫の糸は豊永が用意したものだった。本当なら赤い糸を巻きたかったが、今
の自分たちには似合わない。そんな正統派な愛情なんかじゃない。もっと黒ずんでいて、
それでいてこの上のない純粋。赤に黒をまぶせた紫こそ、自分たちにはふさわしい色だと
思った。
「まやかしの太陽」は今回の更新で終了となります。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。




