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第10話



○登場人物

  四宮菜奈・しのみやなな(誰からも好印象を受ける表面を繕いながら生きている)

  豊永一弥・とよながかずや(完璧な外見を併せ持って女性からの強い支持も持つ)

  四宮貞男・しのみやさだお(菜奈の父、病院の副委員長で人望が厚い)

  四宮菜子・しのみやなこ(菜奈の母、家族思いで思いやりが強い)

  林田千鶴・はやしだちづる(菜奈の友達、劣等生で人を信じて疑わない)

  唐木田千治・からきだせんじ(先輩刑事、事件をしつこく追い続ける)

  牛嶋大悟・うしじまだいご(後輩刑事、唐木田とともに事件に迫る)





 たまに夢にうなされる夜がある。

 私たちは四宮貞男を抹消して新しい生活を手に入れた。

 なのに、私たちの前には次から次へと中傷する人間が現れる。

 お前らは人殺しだ。お前らは犯罪者だ。お前らの愛は本当の愛じゃない。

 そうやって、言葉の暴力で私たちを取り囲んで痛めていく。

 そんな奴らを私は一人一人切り刻んでいく。

 私たちは人殺しだ。犯罪者だ。でも、これは本当の愛なんだ。

 歪んでるかもしれない。背いているかもしれない。それでも、間違ってなんかない。

 私は彼のためなら何だって出来る。彼も私のためなら何だって出来る。

 お前らみたいな言葉だけ威勢のいいものなんかじゃない。

 私たちはそれを本当にやってのける。たとえ、どんな困難を伴おうとも。

 これがお前らにやれるのか。やれるもんならやってみろ。

 愛する人間を苦しめる者からどんな手を使ってでも守ってみせろ。

 そう叫びながら目の前の薄ら笑う人間たちを切り刻んでいく。


 起き上がると、汗を垂らしながら現実に少しずつ戻される。

 両手を見つめてみる。汚れのない、綺麗な手をしているのに無性に腹が立った。

 こんな綺麗なもの刃物で切りつけてやる、と凶気が目覚める。

 その寸前で我に返る。自虐で身を傷つけることの事の先に気づく。

 周りは父親の喪失に気が触れてしまった哀れな少女と自分を位置づけるだろう。

 違う、そんなんじゃない。

 私はただこの血の一滴も付いていない両手が嫌なだけだ。

 あなたはその両手をどれだけ汚してしまったんだろう、と思うと。


 雨が降っていた。唐木田は自分の心情を映したように思えたが、すぐにそれを否定した。

こんなものじゃない。今、心内にとどろく感情はこの程度の雨なんかじゃ表しきれない。

それに、悲しさや空しさだけではない。燃え盛る炎のように湧き上がる怒りは抑えるのが

やっとといえた。

 牛嶋大悟の葬儀に出席した唐木田は彼の遺影を眺めながら多様な思いに揺り動かされる。

相棒を失った悲しみ、それを信じきれない空虚感。犯人に対する殺意さえ覚え、震える手

はコントロールがきかなかった。あの時、なぜ容疑者のところへ一人で行かせてしまった

のか。そう思うと、やりきれなくてたまらなくなる。

 牛嶋からの電話をもらってから唐木田はすぐに警察へ急いだ。ここまで苦しませてきた

犯人に大きく近づける人物。もしかすると、犯人本人かもしれない。その姿を早くこの目

で見てみたかった。そう来たものの、一向に牛嶋は戻ってくる気配がなかった。どうした

ものかと携帯に電話してみるが応答がない。次第に不安が唐木田に訪れる。そんなことは

考えたくなかったが、彼の身に何かが起こったのではと考えざるをえなかった。唐木田は

車を飛ばして牛嶋を探し続けた。どこにいるか検討もつかなかったが、病院や学校など思

いつくかぎりの場所を回った。そして、一報を耳にして再び病院へ駆けつけた。彼はもう

息を引き取っていた。背中を刺されたことによる出血が死因と聞き、一連の事件の犯人に

よるものだと唐木田は断定した。最悪の事態を起こしてしまった。自分が見殺しにしたよ

うなものだ。犯人への怒りと自分への憤りで体が震えてくる。自分のせいで若い生命を潰

してしまった。どうせ奪うんなら、この老いぼれのをくれてやるのに。なぜ、これからの

人間の未来が絶たれないといけないんだ。どう嘆こうとも目の前の遺体は何も返してくれ

なかった。しばらくして、牛嶋の恋人も姿を見せた。その泣き声は一つ一つが唐木田の胸

を突き刺していく。それを全て受け止めようと思い、最後まで病室を離れはしなかった。

 許さん、絶対に許さんぞ。これだけの犯行をしながら、捜査を及ぼした警察にまで手を

かけた。もはや、この手で犯人を捕まえなければ牛嶋を含めた被害者たちは浮かばれない。

必ず自分が追い詰めてみせる。唐木田はそう強い決意を胸に閉まった。


 「はい、今日もプリン買って来たよぉ」菜奈はいつものケーキ屋で購入したプリン2つ

を土産に千鶴の見舞いに訪れた。まだ千鶴の心の傷は癒えていない。両親にも投げやりな

態度を取ったりするようで、うまく心を開けるのは菜奈だけになっていた。なので、菜奈

の存在は千鶴の両親に重宝された。出来るかぎり見舞いに来てあげて欲しい、と嘆願さえ

されている。目の前にいる人間が犯人とも知らずに。

 「おいしいね、菜奈」千鶴の言葉に菜奈は笑顔を向ける。千鶴も笑顔になるが様になら

ない不器用なものだった。事件以来、彼女は表情の作り方が下手になっていた。どこを見

てるのか分からない、何を考えてるのか分からない。そういった無様な顔色になってしま

った。別に悪気なんか湧かない。全部こいつが豊永に手を出したせいなのだから。

 「菜奈は大丈夫なの」千鶴が定まらない視線でこちらの方を見て言った。昨夜の事件の

ことを言いたいのだろう。牛嶋の一件は今朝のテレビでも取り上げられていた。メディア

も一連の事件に対しての不信感を大きく報じた。安里市で起こり続ける数々の事件の異常

さを唱え、同一犯による犯行とする見方に着眼していた。市警も市内のパトロール強化に

あたったり、小学校は集団下校を始めるなど各地で対策も行われてるらしい。そんなこと

に意味はないのに、と菜奈は報道を冷めて見ていた。

 「私は平気だよ。悪い奴なんか来たら、取っ捕まえてやんだから」

 「でも・・・・・・」千鶴は目を伏せた。今の自分には菜奈しかいない。その菜奈にも

しも危険が起きてしまったら、と思うと不安でしょうがなくなる。現実として、四宮家の

すぐ近くにある公園で昨夜刑事が刺殺された。現実味のない話ではない。この近辺はおか

しくなっている。誰の仕業かは知らないが、今すぐにでも止めてもらいたい。こんな思い

で過ごしていくなんてできない。警察は何をしてるんだろうか。こんなにも連続する事件

に対処できないのだろうか。いや、刑事が刺殺されたということは警察と犯人に接触があ

ったということだ。警察は犯人を射程圏内にしているのだ。つまり、事件の解決は近いと

もいえるんじゃないだろうか。そう思うと、千鶴はなんとか気持ちを落ち着けることがで

きた。


 警察には特別捜査本部が置かれることになった。あまりに多発しすぎる事件に加熱する

報道が一端を担う形でもあるがこんな一市警では目にかかれる機会も少ない警視庁の人間

や管轄外の刑事も多く集まっている。しかし、特捜はあくまで牛嶋大悟刺殺の事件を基盤

としていた。安里市立病院での薬物混入連続殺人は疑いの範囲内とされたが、林田千鶴の

強姦は別個のものとされた。ここ最近の数多の事件を切り離し、失態ともいえる現状への

軽減でもしているつもりだろうか。一人の犯行にしたら、それほどの犯人を逃し続けてる

警察の信用にヒビが入る。だから、ここは一つ一つの事件を別にして考えようと。それで

責任逃れをしているつもりなのか。幼稚すぎる発想に唐木田は大きく息をついた。こんな

考え方をしていたら、いつまで経っても犯人になんか辿り着きはしない。全てを受け止め、

自分を苦しめ、その上で現実に立ち向かっていくしかない。唐木田はすでに腹をくくって

いた。信頼していた部下の命という大きすぎる代償とともに。

 唐木田は一連の事件の犯人は同一人物である前提を崩さなかった。ここまで大した報道

になるような事件は少なくともこの数年は無かったはずだ。それが畳み掛けるように連続

している。これが別個のものであるといえるのか。便乗するように悪魔が次々と牙で襲い

掛かっているというのか。そんなことがあってたまるか。これは同一人物による連続犯、

それが妥当な考えだ。

 当初の捜査の矛先は四宮貞男だった。始めに起こった安里市立病院の連続犯の容疑者を

浮かべるにあたり、薬物に詳しい、ハッキング行為が出来る、深夜の病院で犯行に及べる、

という点は見逃せない。犯人はよほど頭脳明晰な人間であることも確かだ。四宮貞男はこ

の2件において、アリバイはない。次に起こった安里市立第一中学校での四宮菜奈に対す

る担任の野竿のわいせつ行為。彼女を助けた謎の人物についてはまだ不明のままだ。ヘル

メットまで被った完全装備の20代男性、これ以上は分かっていないがいかにも不審そう

でもある。四宮貞男はこの時間、病院にいたため彼でないことは判明している。次に起こ

った病院での医療ミス問題、四宮貞男がカルテに誤記したことが原因になった。彼はこの

件には遺族への謝罪をしたが、誤った薬品名を記入した記憶については見当たらないとし

ている。あくまで担当医としての責任感、そして現状からの推測として自分のミスだろう

としたまでのこと。それに、カルテの筆跡鑑定も曖昧な結果だった。本人の書記の可能性

もあり、そうでない可能性もあると。その後、当人は富士の樹海で自殺。遺書が発見され、

医療ミスへの償いが命を絶つ理由であることが書かれていた。しかし、パソコンで打たれ

ていた内容に疑問が残る。この類のものは本人の直筆が普通だ。おかげで筆跡鑑定は出来

ない。させないかのように。

 ここまでの流れからいくと、四宮貞男は真犯人に利用されたのではないだろうか。彼の

自殺で全てが終わっていたのなら、我々は彼を疑っていたかもしれない。ただ、犯行は今

も続いている。とすれば、確実に四宮貞男でない人物が真犯人として存在する。真犯人は

四宮貞男を苦しめ、殺害するまでの綿密に練られた計画をたてて実行した。病院の事件で

医者としての彼を苦しめ、菜奈の事件で父親としての彼を苦しめ、医療ミスの事件で人間

としての彼を苦しめ、死に至らしめた。そこも違っているのかもしれない。あの自殺さえ

計画の一部だったのではないだろうか。恐ろしい考えをするなら、四宮貞男は自殺に見せ

かけて殺されたのではないだろうか。真犯人は四宮貞男が一連の事件の犯人であるように

犯行を重ね、彼を殺めることでより確実のものとした。そして、警察は見事にそれに踊ら

された。真犯人はそんな警察に余裕を振り撒くように犯行を続けている。

 この仮説は唐木田の中で主たるものになっていた。四宮貞男ではない真犯人が存在する。

そいつが罪のない人間の命まで奪い、牛嶋さえも殺めた。見つけてやる。必ず見つけ出し

てやる。「世の中、そうそううまくいくもんちゃうぞ」


 林田千鶴の見舞いを終え、自宅に戻ると家の前に刑事の姿があった。聞き込みを逃れる

ためも兼ねて出掛けていたのにしつこいもんだ。

 「四宮菜奈さん、警察の者です」少し時間いいですか、と聞いてきた男の顔はもう何度

と見たものだった。「何度もすいませんがねぇ」

 はい、と菜奈が了承すると唐木田は聞き込みを始めた。

 「昨夜の事件は知ってますよね」

 「はい。パトカーや救急車も来てたし、ニュースでも見ました」昨日の夜はやかましか

った。パトカーと救急車だけでなく報道陣や野次馬が群がるように現場付近を取り囲んで

いたので、四宮家にも騒音は届いていた。その様子を窓からこっそり眺めているうちに湧

き上がる感情を感じ取る。勝利の確信、豊永一弥との希望ある未来。

 「ウチの刑事が一人、何者かに殺されましてね。あなたも何度か会ってますよ。いつも

私とパートナーを組んでいた、牛嶋ゆう若い刑事です」

 菜奈は言葉なしに微妙な表情を浮かべる。牛嶋の死を初めて耳にし、驚きを隠せないと

いう作り顔を。

 「惜しい人間を失くしましたわ。出来る人間かどうかは分かりませんが、正義感は最近

の若いもんにしては強い方でした。下手にプライドの高い官僚タイプじゃなく地べた這い

つくばっても犯人を捕まえてやるっていう現場タイプです。こいつは育てがいがありそう

やなと久々に思ってたんですがね、残念です」部下を思い語る唐木田の顔は悲壮にも捉え

られた。余程の悔しさと怒りがあるのだろう。

 「すんません。話を戻します」間を置くように唐木田は構え直す。「昨日の22時から

23時までの間、どこにおられましたか」

 その時間が犯行時刻と推測されているのか、と菜奈は思った。「昨日は友達の家に行っ

てて22時過ぎに帰りました」

 菜奈の言葉に、唐木田は思わずメモを取る手を止めて彼女を見た。「22時過ぎに自宅

に帰ったんですね」

 「はい」

 「事件のあった公園の近くを通りましたか」

 「いえ、いつも反対側から帰ってきます」その言葉に嘘はなかった。現に今も公園とは

反対の方から菜奈は帰宅して、唐木田もそこに気づいた。正直、わざわざ通学路とは反対

にある公園に連れてってアリバイを作ってくれた牛嶋に感謝したい。

 「帰ってくる時、何か違和感を感じることはありませんでしたか。不審そうな人物がい

たとか、言い合いが聞こえてきたとか」

 「いえ、何も」

 唐木田は顔をしかめて息をつく。どうやら、これ以上聞いても何も出てきそうにはない。

「分かりました。以上です、失礼しました」

 そう言い、去っていく老いた後ろ姿に菜奈は冷たい視線を投げていった。


 警察に戻った唐木田は自分のデスクで考え込み、頭を掻いた。今になって、四宮菜奈の

存在が大きくなってきた。一連の事件において、彼女の関わり方には見過ごせない部分が

ある。彼女は今回の事件で四宮貞男と同じぐらいに関わりを持っているのだ。これまで計

4回も直接聞き込みをしたのは最も多い回数になる。最初は初めに起こった薬物混入事件

に彼女が病院に居合わせたことで、次は学校で担任に襲われた被害者として、次は父親の

自殺の時に行動を共にしていたことで、最後はさっきのことだ。その他の病院での事件に

おいても、何年も足繁く病院に通っていた彼女には関わりがある。林田千鶴の事件におい

ても、彼女は親友という大きな関わりがある。一連の事件に四宮菜奈が全く関わってない

ことがない。もしかすると、真犯人は四宮貞男を苦しめていたのではなく四宮菜奈が標的

だったのではないだろうか。だから、四宮貞男が亡くなってからも犯行が続いているので

はないだろうか。四宮菜奈が入り浸る病院で事件を起こし、担任に直接襲わせ、父親を死

に追い込み、親友に深い傷を負わせた。

 これか。これなんだろうか。閃いた新たな推理がまだ定まらずに浮遊している。正直、

唐木田は最初の頃から四宮貞男の担当した患者による犯行ではないかと考えていた。彼の

死の後にも犯行が続いている事実から一旦は違うのかと思ったが、今度は彼の亡き後に娘

の菜奈に標的を変えたのかもしれないと考えた。四宮貞男だけでは物足りず、次は彼女に

手を掛け、四宮家に復讐の矛先を向けてるのではないだろうかと。でも、それは違ったよ

うだ。それが仮に本当ならば、家族である四宮菜子に何も被害が及んでないのがおかしい。

彼女の側では何も起こっていない。近くにいるのは貞男と菜奈ばかり。そんなはずはない。

あくまで標的は一人ずつで、最初に貞男、次に菜奈、最後に菜子、となっているのかもし

れない。それも違う。それなら、貞男の生きてる間に菜奈が襲われた説明がつかなくなる。

 四宮菜奈、彼女が重要な鍵を握ってるんじゃないだろうか。標的は彼女で、真犯人は四

宮菜奈に怨恨を抱いてる人物。


 「ねぇ、菜奈」夕食を終え、リビングでテレビを見ながら一息ついてる時に菜子が話し

掛けてきた。「話があるから聞いてくれる」

 「うん」菜奈はテレビの電源を消し、隣のソファに座った菜子の方へ向き直す。

 「パパの事があってから、ママは元気が出なくてね。それでも、菜奈が一緒にいるから

と思えば頑張れたんだけど」力なく菜子は話し出す。「お父さんお母さん、菜奈のお爺ち

ゃんお婆ちゃんがね、4人で暮らさないかって言ってくれてるの。パパのお葬式の時に初

めに言ってくれたんだけど、そのときはまだ何も考えられなくて返事はしてなかったの。

それはね、パパがいなくなって経済的な面でも何も収入がなくなったことを心配してくれ

てのことだから嬉しかったの。でも、そうなると遠くに引越ししないといけないわ。私は

いいけれど、菜奈はせっかく中学に慣れてきたのに環境が変わるのはよくないじゃない。

千鶴ちゃんとか、友達とも別れないといけない。そうさせたくはないと思って、ママなり

に頑張ろうと思ったの。ここに住むのは無理でも、もう少し安いところに引越しして私が

働きながら稼げば大丈夫なんじゃないかって」

 「ママ・・・・・・」

 菜子は息をつく。「そうしてあげたかったんだけどね、どうもダメみたい。今はパパの

ことから抜け出せなくって・・・・・・もうちょっと時間も掛かりそうなの。私のせいで

こうなっちゃうのは辛いんだけど」

 「いいよ」菜子の話の途中で菜奈は遮った。これ以上、彼女に自虐の言葉を並べさせた

くなかった。そこまでで充分に娘を想う母親の愛情は伝わったから。「お爺ちゃんとお婆

ちゃんのところに行こう。4人で一緒に暮らそう」

 「菜奈・・・・・・」娘の思いやりに菜子は感動し、菜奈を抱きしめて涙した。「あり

がとうね」

 「うぅん、私はママといられれば幸せだよ」菜奈も母からの愛情に感動して涙し、菜子

を抱きしめる。思えば、彼女はただの被害者でしかない。貞男が他の女に手を出していた

ことすら知らず、娘の本性も何一つ知らない。起こっていく騒動に身を振られ、精神を傷

つけられているだけだ。家族思いの普通の母親なのだ。そう思うと、菜奈の心は急に締め

つけられるものがあった。この人はきっと何があろうとも自分を裏切ったりはしないと思

うと、彼女の一番大事なものを傷つけてしまった自分の行為に引くところがあった。違う、

いいんだ、これでいいんだ、と唱える。私は間違ってなんかない、そう自分自身に刻みつ

けて菜子をグッと抱きしめた。


 「どうした」自宅から離れた漫画喫茶のペア室、隣で浮かない顔をする菜奈が気にかか

った。

 「別に。何でもないよ」そう呟き、息をつく。そして、またどこを見てるのか分からな

い視線を投げる。普通じゃないのは明らかだった。

 「何かあったのか。ちゃんと言ってみろ」豊永は菜奈を強引にこちらに向かせ、真剣な

眼差しで問い掛ける。彼女が母親の郷里で過ごすことになったのはさっき聞いたが、その

ことが原因とは思えない。2人が離れてしまうのが淋しい、なんてことじゃないだろう。

こうなることはとっくの前に考えついていたことだ。なら、なぜ目の前の彼女はこんな顔

をしているのだろうか。

 「四宮菜子を見てて思ったんだよ。この人は何も知らないんだな、って。何も知らない

まま、自分の周りで起こってる事件に精神をやられてる。それをやってるのが自分の娘だ

ってことも全く疑ってない。私のことを完全に信じてて、愛してやまない」豊永を見ず、

視線を横に向けたまま菜奈は言う。言い終えると、また息をついた。

 豊永は菜奈の異変に気づいた。その日の気分の斜めぐあいなんかではなく、もっと根本

にあるものが。「お前、なんかおかしいぞ」

 「おかしくなんかない」

 「まさか、後悔してるなんて言わないだろうな」

 「そんなわけない。ふざけたこと言わないでよ」豊永を強く見やり、言い捨てた。

 その様子に豊永は危機感を抱く。これまで冷静に事件を静観していた菜奈がムキになっ

ている。一般的な人間の感情を母親に持っている。

 「はい、ちょうだいよ」菜奈は気が乗らないように手を差し出す。本題に話を修正した。

 「あぁ」豊永は菜奈の本心が掴みきれないまま、荷物の中から頑丈に包んだ包みを渡す。

中には、牛嶋を殺した時に奪った彼の所持品が入っている。唐木田の捜査網が菜奈を中心

とした円状に行き渡ったため、いずれ豊永にも及ぶだろうと判断した。それなら、彼女を

被害者としていることを利用して網の中心にいる菜奈に持たせた方が警察を防げるだろう

と決めた。しかし、今の菜奈を見ていると不安になった。これを手にしている彼女自身が

崩れかねない気がしてしまう。このままじゃ、罪の深さにやられてしまうんじゃないかと

心配になった。


 「どこにおんのや、真犯人は」唐木田は一日中歩き続けていた。真犯人は四宮菜奈を標

的とした人物として、彼女に怨恨を持つかもしれない周囲の人物を片っ端から調べていく

ことに決めてから数日、聞き込みを重ねる日々が続いている。若くない体にムチを打つよ

うに牛嶋の事で自分を奮い立たせていく。安里市立病院の人間、自宅周辺の住人、菜奈が

通っていた幼稚園や小学校の人間に話を聞いてきたが一向に成果はあがらない。誰もが彼

女を非の打ちどころがない素晴らしい子だと賞賛する。学業も運動も人間的にも、褒める

ところばかりだ。怨恨どころか、そんな事実を打ち消したくなるぐらいに何も浮かんでは

こない。残すは中学時代の関係者だけだ。しかし、まだ半年しか通っていないところにそ

んなに大きな期待は寄せられそうにない。

 本当に関係者だろうか。実は全く縁もないような存在ではないのだろうか。ここまで何

も出てこないのだからそうも思いたくなる。ただ、それは違うだろう。真犯人は被害者の

関係者のはずだ。それを確信に近づけたのは牛嶋が刺殺された事件だった。現場に残され

ていた遺留品に唐木田は違和感を覚えた。牛嶋が捜査時に必ず持ち歩いていた物が欠けて

いたのだ。メモ帳と事件関係者の写真のファイル、どちらも聞き込みには欠かさない。ま

して、最後に彼に電話した時に聞き込みで大きな成果をあげたことを主張していた。そこ

から重要人物のもとへと任意同行のために向かっているのだから、牛嶋がそれを持ってな

いはずはない。万が一に持ってなかったとしても、彼のデスクからも自宅からも発見され

ていないのはおかしい。おそらく、牛嶋が同行を求めた人物によって奪われたのだろう。

だとしたら、その人物は何故それを奪わなければならなかったのか。そこには知られては

ならない情報があった。そうに違いない。牛嶋が手にした事件にまつわる重要な情報がそ

の人物を追い詰める内容だったのだ。ならば、その人物は彼の写真のファイルの中にいた

関係者が鍵を握っている。いや、その本人かもしれない。どちらにしろ、事件は少しずつ

解明へと進み出している。必ず辿り着いてやる。

 そして、唐木田には新たに浮かんだ仮説があった。あの日、牛嶋と最後に電話で交わし

た言葉を思い返しているうちにそれはあった。電話口で彼が可能性としてこぼした言葉が

ある。共犯、という単語を何気なしに話していた。牛嶋が犯人ではないかと考えた人物が

そうであるなら、共犯がいるかもしれないと。彼がその考えに及んだのは、その人物には

アリバイがあったからか、一人でこなすのは考えきれない犯行だったからか。確かにその

線は考えられる。一連の事件が起こったのは朝方から深夜までバラバラの時間帯だ。一人

でこなすにはアリバイを作りにくい。人には決められた一日のサイクルが存在する。学生

や社会人、そうでないにしても毎日を全く違ったサイクルで送っている人間は多分いない。

ただ、共犯がいるなら話は別だ。アリバイを作るのはそう難しいことではない。考えがそ

こに行き着くと、体が軽くもなり、重くもなった。考えやすくはなったが、犯人が複数と

なると余計に困難になる。


 「菜奈、進んでる」菜奈はハッとなり、目の前の菜子に顔をあげる。考え事をしながら

作業していたため、母親が近づいてくるのに気づかなかった。引越しの準備を昨日から始

め、家の中は慌しくなっていた。必要な家具は祖父母の家にあるから近所に引き取っても

らうことになったので、家族の荷物ぐらいだと思っていたがこれが意外に多かった。知ら

ず知らずのうちに荷物は増えていくものだ。

 「うん、ちょっとずつやってるよ」引越しは明後日に決まっていた。今日、担任の穂村

に伝えると淋しがっていた。赴任してから期末試験や夏休みもあったため、さほど彼女と

密に関わった記憶もないのに。出来る生徒がいなくなるのが悲しいのだろうか。四宮菜奈

の上辺しか知らない人間の意見だ。クラスメイトには明日のホームルームで穂村を通して

告げることになっている。あいつらはどう思うんだろう。一連の事件のほとんどに間接的

に関わりのある存在を疫病神のようにし、厄介払いができたとするんだろう。あいつらが

陰で自分のことをチクチク言ってるのは知ってる。入学したばかりの頃は誰もが周りへ寄

ってきたのに、事件が始まってからは蜘蛛の巣を散らすように離れていった。あいつらの

中では私はあくまで事件の被害者だ。被害者なのに、誰も慰めることもなく近寄らない。

人間なんて、そんなものだ。外れることを好まず、多数派に属したがる生き物だ。まぁ、

せいぜい集団の中に埋もれていればいいさ。千鶴にも今日の放課後に彼女の家に寄った時

に伝えた。始めは受け入れがたい反応を示していたが、無理やり納得したようにして笑顔

を作っていた。「離れてても友達だからね」と言えば、彼女は簡単だ。自分の精神よりも

こちらの現実を優先する。唯一の支えがいなくなり、彼女はますます閉じた性格になって

しまうことだろう。友達がいなくなるどころか学校にもこのまま行くことはないと思う。

安里市立第一中学校の1年2組には林田千鶴の居心地のいい場所などない。行くだけ無駄

な教室に行く勇気があるわけがない。引きこもりになるか、転校して思いきった新たな自

分を作り出すか、どちらかだろう。

 「菜奈、セロテープ持ってない? 家のが切らしちゃって」

 「私の部屋の押入れにある黄色のケースに入ってる。取ってこようか」

 「うぅん、いいわ。そこなら分かるから取ってくる」そう言い、菜子はリビングから離

れた。

 牛嶋の事件から一週間が過ぎた。警察の捜査は進展していないようだ。どうやら、牛嶋

が事件前に菜奈と豊永の目撃証言を同僚に話してなかったのは本当のようだ。それでいい。

このまま平穏無事に終わっていけばいい。きっと、もうこれ以上は無理じゃないかと思う

から。

 菜奈の心は限界に近づいていた。繰り返した悪事は次第に己を襲ってくる。菜子の姿を

通して自分の犯した罪を捉えてから、精神が蝕まれてくるのを感じていた。もう終わりに

しないといけない。この先は自分自身を危険に陥れるだけになってしまう。

 その時、菜奈は自らがした過ちにハッとなる。それに気づいたときにはもう遅かった。

考え事に夢中になり、現実への注意がおろそかになっていた。血の気が引くのが分かり、

自分の部屋に駆け出す。

 「ママ、待って」祈る気持ちで微かな望みを賭け、部屋の扉を開く。その瞬間に、最悪

の事態を把握できた。菜子は開かれた包みを手にし、こちらに背を向けたまま座り込んで

いる。その包みは他の何でもない豊永から預かったもので、牛嶋を殺した時に奪った彼の

メモ帳と事件関係者と思われる写真のファイルの他、実際に犯行に使ったナイフもあった。

 「菜奈・・・・・・これは何」菜子はこちらを振り向き、弱い声で呟いた。おそらく、

現状を理解しきれずにいるのだろう。ただ、事件について詳しく調査されたメモ帳に牛嶋

の血で赤く染まった写真ファイル、刃の部分は洗い落としたが柄の部分には薄く滲んだ赤

い跡が残っているナイフに対して言い逃れは不可能なのは分かりえた。

 どうしてだ、と菜奈は心の中で叫んだ。どうして、こんな初歩的なミスをしてしまった

んだ。こんなこと、今までに一度だってなかったのに。菜子に心入れなんかしたからだ。

母親だから、被害者だから、と同情をしてるうちに隙を作り、それが油断を生んだんだ。

だから、普通の人生を捨ててきたのに。人間らしく生きることを捨て、歪んだ愛情のため

だけに生きることを選んだのに。人間らしい感情を受け止めてしまい、表向きの四宮菜奈

が裏を上回ってしまったためにこんな結果に行き着いてしまった。

 「ねぇ、菜奈。これは何なの」菜子は涙ぐみながら包みを持つ手を震わせていた。もう

その場の適当な言葉で逃げるのは無理だった。同時に、菜奈は母親に対しての感情移入が

強くなってしまっている。冷静にこの場を切り抜けられる状態ではなかった。どうしてい

いのか分からず、表情は歪み、呼吸が荒くなっていく。何年間もかけて築いてきたものが

こんな終わりを迎えてたまるか。私が一体どれだけのものを注いできたと思ってるんだ。

豊永一弥が四宮貞男への復讐を決意した時から全てをそのために向けてきたんだ。多くの

犠牲を払った。自分も他人も時間も人格も、どうなってもいい覚悟をしてきた。ただ毎日

を妥協で生きてる奴らなんか比にならない熱を込めてきたんだ。こんなところで終わらせ

てたまるか。

 「警察に行きましょう」そう言い、菜子は立ち上がる。菜奈の表情から、なんとなくの

察しがついたのだろう。立ちすくむ菜奈の横を通り抜け、部屋を出ていく。鼻をすする音

は聞こえたが、涙は流していなかった。ここで泣いてはいけない、と自身で固持している

のだろう。菜奈も不定な心情のまま、部屋を出ていく。菜子はリビングで電話を掛けよう

としていた。取り出した名刺が誰の物かは分かりえた。聞き込みをされた際に唐木田から

「何かあったら」と渡されたものだ。

 万事休す、菜奈は己の行く末を遮断するように瞳を閉じる。闇の世界に浮かんできたの

はこれまでの豊永との関係だった。人目をはばかりながら会い、復讐という目的を前提に

歪んだ愛情を育ててきた。綺麗じゃないかもしれない。誰も認めてくれないかもしれない。

でも、それでも、私たちはこの愛を選んだんだ。私たちにはもうこの愛しかないんだ。

―許さない。何人たりとも私たちの邪魔をする奴は。

 瞳を開けると、視界に入った工具用コンテナに一直線に進む。中にあった作業用ロープ

を手に取ると、視線の先に標的を定める。菜子は名刺の唐木田の番号に電話を掛け始めて

いる。牛嶋の時のように豊永が助けに入ってくることはない。彼は私がこんなミスをする

なんて予想していない。豊永はいない。私しかいない。だから、私がやらないといけない。

迷いは選択肢にあってはいけない。その先には敗北しかない。やれ。やるんだ。これまで

のように豊永一弥のためにこの体を捧げるんだ。この手がどうなろうとも、彼と結ばれる

未来を手に入れるために。

―綺麗になれなくてもいい。汚れてしまったっていい。彼がいるなら戻れなくてもいい。

 「ぁあああああっ」瞳が据わり、声を上げ、己を奮わせ、標的へ猛進していく。菜子は

記憶にない娘の変貌に固まったまま動けず、菜奈はその体を掴むと思いきりフローリング

の床へと投げつけた。うつ伏せに倒れこんだ菜子の背中に乗り、手にしたロープを首元に

巻きつける。手が震えてる。歯が軋んでる。涙がいつのまにか流れていた。気が触れてい

て正常じゃないのも分かってる。自分が母親の首を絞めようとしている事実も分かってる。

その両方の気でもって現実の行動を起こしてる。それでも、ここで裏の四宮菜奈が表向き

に負けるわけにはいかない。唇を噛みしめ、瞳を見開き、力いっぱい菜子の体ごとロープ

を締め上げた。目の前で心を許しかけた母親が狂ったように苦しんでいく。苦しめている

のは娘の自分。その事実を打ち消すように絞める力を増していく。菜子がロープを解こう

とする力の上の上をいくように菜奈はありったけの力を込める。段々と菜子の抵抗する力

が弱くなっていくのが分かった。敗北から勝利への転換を確信すると、涙が止まらなくな

った。腕の力を緩めると、力を失った菜子の体は床に打ちつけられた。菜奈はそこからす

ぐに離れ、距離を置いて菜子の姿を瞳にする。体中が震え、涙は流れ続けた。すがる思い

で携帯を手にし、豊永に電話を掛ける。

 「何があった」豊永の第一声だった。菜奈が携帯から電話を掛けてきたことはこれまで

一度もない。2人の関係が通話記録に残らないように、必ず菜奈は公衆電話を使っていた

から。その彼女が携帯電話を使ったということは緊急事態を告げるものであるのは分かり

えた。そして、それは現実になっている。電話越しに菜奈は泣いていて、これまでに感じ

たことのない様子でいた。「どうしたんだ。言ってくれ」

 「ママを・・・・・・殺しちゃったよぉ」

 その言葉に、豊永は危機感が溢れた。菜奈の不自然さに気づいていながら最悪の事態に

なってしまった。牛嶋が辿り着いた時点で警察には自分たちに行き着くだけの証拠を手に

入れる可能性があることは判明している。これ以上に事件を起こすのは自殺行為だ。まし

てや、菜奈がやってしまうなんて。一体、どうすればいいんだ。どうやって、ここを切り

抜ければいいんだ。豊永は急速に頭を働かせ、対処法を作り上げていく。「菜奈、聞け」

 うん、と小さくもろい声で菜奈は答える。

 「今すぐ外に出ろ。犬の散歩が目的だ。30分ぐらいで帰ってこい。その間に俺がそこ

をなんとかしておく。一つ、絶対厳守するのは近所の人間には散歩に出掛ける姿を見られ

ないこと。これは何があっても守るんだ。分かったか」

 うん、とまた弱々しく菜奈は答えた。

 「しっかりするんだ。お前がちゃんとやってくれないと全ては水の泡だぞ」

 「うん・・・・・・ごめん」

 「謝るのは後だ。言ったとおりに頼むぞ」そう言い、豊永から電話は切られた。菜奈は

必死に動揺を抑える。抑えるなんて無理だったが、表面上は普段の四宮菜奈を取り繕える

だけの面持ちにし、犬を連れて誰にも見られないように外へと出た。空は暗くなりだし、

月の色が強さを見せてきていた。


 きらきらひかる おそらのほしよ

 まばたきしては みんなをみてる

 きらきらひかる おそらのほしよ


 きらきらひかる おそらのほしよ

 みんなのうたが とどくといいな

 きらきらひかる おそらのほしよ


 どうにも定まらない心情の中で、体の中に「きらきら星」を流した。きっと今、私の罪

を無にしようとしてくれてるあなたも流してくれてるのだろうと思って月を見上げた。

―私はあなたと一緒にいたい。何があっても、どうなっても、あなたと一緒にいたい。



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