表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

中編2




 柔らかな日差しの太陽が頂点まで登ったあたりのことである。

 それまでコーメントはクライスと会話をする機会に恵まれぬまま、無為に時間を過ごしていた。


 焦りばかりがつのった。淑女教育の賜物により矯正されたコーメントの消極的発想は、また次の機会に彼に話しかければいいかなと至っていた。

「ねぇ、あなたはどうすればいいと思う」

 しまいには、目の前のポニーに話しかけていたコーメントは、ポニーの毛並みをブラシでとかしながらいじけていた。

「なんで勇気が出ないんだろうね。私」

 今日何度目か分からないため息を、コーメントはついた。彼に話しかける機会がなかったといえば嘘になる。しかし、ほとんどの時間を何人もの女性に囲まれては、ろくに話しかける余裕すらままならない。

 気付けば自分の周りには人がおらず、皆誰かしらの異性と仲良く歓談しているようであった。

 クライスも見知らぬ女性と仲良くしている風に見えて、心なしか彼も異性とのコミュニケーションを楽しんでいるのではないか、と思えてきた。不安な気持ちが余計コーメントの胃を圧迫した。


 その時後ろの方から、男の声がした。


「隣いいかな?」


 突然コーメントに声を掛けてきた男の名は、ロウ=シュアタイン。

 後に侍女と逃避行をすることになる男なのだが、この時のコーメントは警戒して、引きつった笑いをしながら小さく「どうぞ」というほかなかった。


 コーメントが警戒したのには理由がある。

 彼はペリエとは別の意味で女たらしで有名な男だったからだ。

 この貴族学校の中でもさらに家柄が高く、学業もトップ。

 ご両親の面影があるのか、顔立ちは人形のようによく整っており、性格自体もキザな優男という印象ではある。

 だが、どこか異性に一線を引いているようなミステリアスな雰囲気を醸し出している。

 いずれは国の心臓部で働くことが決定事項であるような男である。

 将来有望、しかも彼はこの年まで政略結婚が決まった相手はいないのだ。


 そんな彼だからか、女子に人気が出るのは当然の事なのであるが致命的な問題があった。

 彼は誰にでも優しく、女性を勘違いさせることに天賦の才があるらしかった。


 彼には心に決めている人がいるらしい。一度だけそれを友人に明かしたことがあるとコーメントは耳にした。噂は一人歩きし、今では学園の者全員が知っている世間話である。だが、ロイはその相手が誰であるのか頑なに明かそうとはしない。

 彼がひそかに愛する女性というのはもしかしたら自分ではあるまいか。彼に恋する女性のパターンは大体それだ。

 彼の親しみやすい性格も相まって、勘違いした令嬢が告白しては撃沈することも少なくない。

 そういう意味では、意図的に女性を引っ掛けようとするペリエ以上にやっかいな存在であるとコーメントは認識している。

 

 当のロウはというと、彼女に用心されているとも知らずに、のんきに彼女の隣に腰掛けてきた。

「君はみんなの輪には入らないのかい?」

「輪ですか…」

 ロウの言葉は金言で、今現在一人ぼっちなのは彼女くらいのものだった。

 殆どの学生が皆寄り添いあい和気藹々と会談している。コーメントだけは距離を置いて、ポニーの世話をしている状況なのだ。

 それを不憫に思ったのか、何の気になしにきさくに声をかけてきたのだろう。きっと彼自身の優しさとかだったのかもしれない。

 彼の優しさはありがたいが、そのお気持ちは余計なお節介というものだとコーメントはなげやりになっていた。

 なにせ先ほどまで彼の周りを囲っていた令嬢たちに今やこうして針の寧ろにされているのである。授業が終わってから何か小言を聞かされるのではないか、彼が不安に思っているのとは逆方向にコーメントは心配している。頬にはうっすらと冷や汗をかいていた。

「それともそれが出来ない悩み事でもあるのかい?」

「それは…」

「それは…何かな?」

「実は私好きな幼馴染がいて、今は疎遠なんですけどね…彼もこの授業に参加していて、今日の事をきっかけに以前のような関係に戻りたいんです。その方法を考えていて…」

 口早にコーメントはいった。

 だから今は、一人にして欲しい。コーメントの発言のニュアンスはそういう意図も含んでいた。

 コーメントは破れかぶれに、少し間をおいてから自分の悩みを打ち明けた。こういえば、彼も諦めて自分の元を退散していくだろう。希望的観測を含みながらの言葉であった。

「幼馴染か…」

 ぐっと顔を近づけて、気のせいか、彼のさわやかな笑顔が主人を待つ子犬のようにわくわくしていた。

「その話興味あるね。僕に話してみないかい?」



 一つコーメントは失念していたことがある。

 それは彼、ロウ=アシュタインという人物が実はコイバナが大好きであるという点だ。




 子どもの頃の話であるのだが、清楚でおだやかと目されるコーメントの性格は、今では想像もつかないほど手に負えないわんぱくぶりだった。

 いつも少年達に混ざって遊んでいたし、貴族の令嬢とドール遊びをするよりも随分楽しいと感じていた。彼女は怖いものなしの男勝りな性格であった。


多くの男友達の中で、一番親しい人物は従兄弟のクライスであった。


 その頃のクライスはというと、こちらもわんぱく旺盛な子どもである。山や森へと、貴族の子息にあるまじき大冒険をしてきて、いつも屋敷から脱走しては使用人たちを困らせる逸材であった。そんな二人だから気があったのだろう。

 ほかにも年齢的にも近かったこともある。同じ苗字を持つものであり、従兄弟という関係も手伝って、仲良くなるまで時間がかかることはなかった。

 家族とは違う、最も身近な他人であったのだ。


 何かあれば一緒に過ごしていたし、夏休みはお互いアッシュバッハ家の庭園でかくれんぼをして遊んでいた。冬になれば別荘で雪合戦をしたり、そりで遊んだりしていた。異性という間柄ながらお互い気兼ねなく接する間柄であった。

 二人はいつも一緒にいたのだ。


 しかし甘酸っぱい関係もお互い思春期を迎えるまでの話である。

 成長期にもなると2人はお互いが同じ性別でないことに薄々気付くようになり――彼を同性だったらよかったのにとコーメントは思ったことすらある。


 学園に入学するころには、コーメントは家庭教師の元、淑女としてのマナーを学びをはじめた。

 一方、クライスの母はアッシュバッハ姓になる前は騎士を輩出する武闘派の貴族であった。貴族としての政治学以上に剣技の練習や戦略の立て方、騎士としての心構えなどの勉強に明け暮れ、毎日すり傷を作っていた。別々の友人、別々の人間関係、お互い異なる世界の道を歩み始めた。


 月日の経過が2人を疎遠にさせるのも、難しいことではなかったのだ。

 自分が物心つくずっと前から、彼を思っていたのにだ。



 ロウは草原に寝そべって、青空を見ていた。彼女の話を聞きながら、何度か相槌を打ち。黙って彼女の話を聞いていた。

 コーメントは彼の横に座り、一緒に青空を眺めながら、これまでの経緯を彼に話し終えた。

 どうして自分の事をこんなにまで話してしまったのか。

 睡眠不足だったり、追い詰められていたこともあるのだろう。

 最初はたどたどしく話していたコーメントも、最後には自分の全てを洗いざらい話してしまった。


 貴族にとって自分自身の過去を打ち明けるのは弱みを握らせることにつながってしまうものだ。彼の人柄もあるのだろう。だが、誰かに全てを打ち明けたかったのかもしれない。くすぶった気持ちもわずかにあったのだ。

 自分の心を覆っていた殻にひびが入ったような気さえして、話す前よりも随分体が軽くなっていた。


「ごめんなさい。つまらない話をして」

「僕は素敵だと思う。それに羨ましくもあるかな」

「羨ましい?」

「君みたいな美人にそんな風に思われてる彼がさ」

 ロウは歯に衣着せぬことを言うのだが、おべっかだとか、口説こうと思っての発言だとは感じなかった。彼の言葉が嘘偽りない言霊となって染み渡ってきた。先ほどまでの警戒心がないためもあるのではないだろうか。

 なるほどと、コーメントは令嬢が彼に恋してしまう気持ちも多少は分かった気がした。

「彼は私を思ってくれてるかな」

「あぁ、僕が保証する。誰よりも君を愛しているさ。素直に表現できないだけでね」

 素直という表現にやや疑問が残ったものの、確かにその通りかもしれないとコーメントは思えた。

 ずっと彼とのことで、素直になれなかった。それは彼も同じだったのかもしれない。そう思える確証が欲しかった。

「あとはどちらかが少しだけ歩み寄ればいいだけなんだけど…じゃあ、『大丈夫のおまじない』をしてあげるよ」

「大丈夫のおまじない?」

「僕も大切な人に教えてもらったんだ。手の平に星を書いてその手で自分の胸を叩くんだ。こう、コンコンってね」

 おもむろにロウが起き上がると、自分の手をとって指先で星をかいてきた。少しくすぐったかったものの、黙ってされるままにしていた。それから言われたとおり自分の胸を叩いてみたが、何かが変った気はしなかった。これで事態が好転したとも思えなかった。ほんの少し背中を押してもらっただけなのだろう。彼の純粋な応援がとても嬉しく思えた。

「これをすれば何だって出来るんだ。きっと強く願えば実らない恋も、空だって飛べるようになる」

「どうしてこんなに協力してくれるの?」

 コーメントの当然の疑問に、ロウは少し考えてから「僕も君と似たようなものだからさ。きっと僕達はそういう恋をしているんだ」と微笑んだ。きっとその相手は彼が愛している人物なのだろう。その人物がどんな人なのか想像をめぐらせて見ても、全く思い当たらない。

 彼は自分にしか聴こえない声量で「あとは頑張ってね」と囁いて、そそくさと立ち去る。


 彼の背中を目で追いかけるだけで、後には自分ひとりだけがぽつんと残されるだけであった。

 だが、不思議なことに入れ替わりで自分に近づく人物がいた。

 クライスだ。彼は自分がいたグループと分かれてこちらに来たのだ。その表情は心なしか苦々しいようにも見えた。


「大丈夫かコーメント、あいつに何かされなかったか」

 急いできたのか、クライスは少しだけ息が上がっていた。

 彼に両肩をつかまれ、その力が不自然なほど強く、吐息がこぼれる。

 間近でみるクライスの表情は、凛々しく見えた。彼の事を見ていると子どもの頃の事を思い出してしまう。

 それは自分にとって紛れもない幸福な日々だった。

 その日々は失われて、いずれ自分自身の元を過ぎ去っていくのかもしれない。


「この学園にきて初めてだった」

 気付けば自分の頬に涙が流れていることにコーメントは気付いた。


「何がだよ」

「クライスに心配されるの」

「は、はぁ?!」

 彼は素っ頓狂な声をあげた。


 泣いている自分の表情を彼に見せたくなくて、コーメントは頭から彼の胸板にもたれかかった。

 髪の毛が少しばかりくすぐったくて、彼の心臓の音が聞こえてきそうなほどずっと近い距離にあった。彼が異性であることを強く意識してドキリとした。

 コーメントはもう勢いに任せてしまうおうと投げやりになるほかなかった。胸の辺りが先程よりも熱くなっているように感じられた。


「クライス。今日、放課後に私の屋敷にきて」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ