中編1
「あら、あまりマナーがよくなくてよ、コーメントさん。私とあなたの仲ですから気にしたりはしませんけど」
「いえ、ご自分に原因があるとはお考えになりませんか?」
「原因ですか?」
思いませんよね。だって思っていたら、そんな顔をして聞き返しませんよね。
コーメントは頭痛がしていた。少し変なところがあるとは思っていたが、まさかここまでとは。
いくら家族同士で血がつながっていないとはいえ、結婚とは家と家を結ぶものだ。
一般の貴族であるなら他家と結びつくことで領地拡大を図るものである。だからこそ、身内での結婚など考えられない。
これが王族となると、領地や遺産の権利関係で身内同士の結婚になるのだが…
そこまでコーメントは熟慮してあることに気付いた。
そうである。王家であるミザリーにとってアレクザインは身内である。
すみずみまで計算にいれての今の発言なのだろうか?
コーメントは少しだけ、背筋の冷えるような感触があった。しかしすぐに思い返す。
いやそれは偶然であろう。
彼女が王族だと判明したのは、ここ半年ほど前の出来事だ。
それ以前はたしかにアレクザイン将軍が引き取った、一人娘。
それ以前から彼を思っているとしたとしてもおかしくはない。
これまで、ミザリーは恋をしているといったそぶりはコーメントに見せることはついぞなかった。
しかし考え合わせてみれば、彼女の恋慕について思い当たる節は多々ある。
男達からの熱い視線をそれとなく回避し、特に恋愛の話になると気のないそぶりばかりであった。
たしかにそれなら、これまでのミザリーの学園での態度も納得が出来る。
さらにほんの一度だけ、年上が好みだと教えてもらった覚えがある。
コーメントは今更遅いと自覚しながらも、優雅にティーカップをテーブルにお気、彼女の話を聞き返した。
「もう一度確認いたしますね。あなたはアレクザイン将軍を思っていらっしゃるということでよろしいですか?」
「えぇ、そう。そうなのですよ」
氷の様な印象であるミザリーが今までに見せたこともないほどの表情の緩ませる。
まるで周りの温度も暖かくなるほどの雪解けの様な笑顔だとコーメントは感じた。
これを見たら、彼女に恋心を抱いている男達はきっと今頃瓦礫とかしていたことだろう。
「しかしどのようなところに惚れているのですか?申し訳ありませんが、私は彼と面識はなく」
遠慮がちなコーメントに対して、ミザリーはふぅ、と一息ついて憂いを帯びた目をしていた。
「すべてといって過言ではないですね。彼の眼差し、言動、不器用なところとか一挙手一投足がいつも私の瞳を離さないの。彼ってね、とても可愛いのよ。朝は無精ひげが出てて、自分で剃るのよ。刃物は人に触らせたくないんだって。それで寝るときはネグリジュじゃなくてワイシャツなのよ。おかしいですよね?そもそも彼と出会った時から私は…」
コーメントは紅茶を啜りながら、にこにこと笑顔を崩さず、なんて話が長いのだろうと思っていた。
最初は彼女の話に頷き、同調もしていたのだ。
しかしミザリーはとても早口だった。途中合いの手すら入れなれなくなるほど早口だった。正直ドンビキだった。
独特な友人が、自分の趣味(男と男が懇ろになるような物語)を話しているときに酷似しているなと思っていた。
こうもミザリーの様変わりを見てしまうと、自分の中の彼女のイメージが音もなく崩れ去っていく。
それは現在進行形で進んでおり、彼女の永遠とも思える惚気話を終わる頃にはコーメントは引きつった笑いを維持するのに必死だった。
「それでどうしてそのような話を私にされたのですか?私はお役に立てるほど恋愛経験は豊富ではありませんよ」
一つ疑問があった。どうしてミザリーが自分に対して恋愛についての相談をするのか不思議でならなかった。今回の相談事に対する因果関係がわからないのである。口が堅いことは自負している。しかしまともに恋愛をしていない自分では彼女の求めている答えはないだろう。
「あら、あなたまだお気づきではないのですね。正直驚きました」
ミザリーは一瞬で態度を急変させ、赤銅色の大きな瞳をぱちくりさせた。
「どういう意味ですか?」
「先日婚約したあなたと相思相愛だった従兄弟と急接近した経緯を聞きたかったのですけど」
「な、なんであいつが出てくるんですか!!」
バンと大きな音を出して、勢いでテーブルを叩いて乗り出してしまったコーメントはおずおずと自分の席に座る。
ミザリーは一息ついて、「本当に自覚がなかったのですね」と一瞥した。
それからもごもごと何か言い訳めいたことをコーメントは小声で語ってはいたが、それは明確な言葉になることもなく、小さく泡のように消えていった。
彼女の従兄弟の名はクレイス=アッシュバッハ。
異例の若さで騎士団に入隊、出世し、王家御用達の騎士団の大隊長の御付を務めている。
彼はコーエントの従兄弟であると同時に同い年の幼馴染であり、今では婚約者の関係であった。
しかし婚約したのもつい最近の話だ。
それまではお互い、親戚以上の関係ではある物の疎遠な関係であった。
この二人の関係が進展したのは、紆余曲折が色々とあったのだが……結論からいうとコーメントがクライスを押し倒したのだ。
◇
「よう」
自ら近づいたのは事実だ。とはいえクライスの久方ぶりの第一声がそれだった。
「なんでクライス君がこの授業受けてるのよ。乗馬なんて受ける必要ないじゃない」
「別に。ただの気まぐれだよ」
後ろから挨拶したコーメントに、クライスは振り向きもしなかった。自らが乗るであろうポニーをブラシで毛づくろいながら、流れ作業のようなそっけない返礼。異性に恥ずかしくて会話もできない男子か。もう少しロマンチックな反応をしてくれてもいいじゃないか。コーメントの心の中の呟きは、鬱蒼とした感情として言葉に乗っていた。
「ふーん」
――「ふーん」じゃないわよ私。他にいうことあるでしょう。
心の中で、言葉が反響していく。
コーメントの強がりは反射神経のようなものである。普段の彼女を知る人間なら耳を覆うのもやぶさかでない無礼な発言。どうして素直にいえないのか。すぐに自己嫌悪に陥り、頭を抱えていた。
それもこれも自分のせいだと反省するしかなかった。内心おだやかでないコーメントは表情を崩さずに、足早に彼の元を去ったと思ったら、遠巻きからちらちらと彼を伺っていた。
本日は課外授業で行われる乗馬の日だった。
友人に誘われてコーメントはこの乗馬の授業に参加していた。
子どもの頃はよく馬にも乗っていたコーメントにとっては大の得意科目である。しかし猫をかぶって周りより突出しないようオモテに出すことはない。
ただ乗馬といっても些細なもので、数十名の生徒がポニーに乗って、草原を闊歩するといった簡単なもの。
貴族たるもの、いつなんどき馬に乗るのかも分からない。馬に乗れてこそ貴族の誉れである。そのような趣旨でこの授業が設定されていたとコーメントは認識している。しかし実際は、授業自体は一日で終わる上、その一日の大半も暇を持て余す「当たり」の日である。しかも普段男子と女子は別々に授業を受けさせられるため、日程の関係で男女共学のこの授業はもっぱら淑女と令息にとっての交友の機会でもあった。
今回、疎遠になってしまった彼と同じ授業を受けることを知ったときのコーメントの心情たるや嬉々としたものであった。だが、途端に喜びは焦燥へと変化した。彼との仲を修復するきっかけをどうつかもうか。彼が同じ授業を受けることを知ってから、コーメントはその事ばかり頭を絞っていた。ここ数日ベッドの上で身もだえしたことすらある。現在進行形で、寝不足になっていた。
だからこそ不安は大きくなり、コーメントは彼がほかの女に取られないか焦っていた。
自分ばかりが彼を思っている。行き場のないモヤモヤとした感情と不安ばかりが募った。
しかもクライスはすでに進学先が決まっているのだ。王族を守護する要であり、騎士を目指すものなら誰もが憧れる近衛騎士団。
それがクライスの進学先であった。
アッシュバッハの力もあるだろう。だがこの進学はひとえに彼のがむしゃらな努力が認められたためだ。
学園からの推薦もあり、進学することとなっている。これから先彼といられる時間は限られていくことは、分かっている。
しかしだからといって具体的になにか行動を移せるほどコーメントは行動力のある人間ではなかった。
先ほどの挨拶は関係を修復させるチャンスだった。それを羞恥心で不意にしてしまったコーメントはただただ後悔という文字が頭の中で反響していた。
しかし荒波立つコーメントの心情とは裏腹に、うららかな午後の日差しが二人を包んでいる。
気を抜いたら昼寝でも始められそうな陽気であった。そして換気のしていない牛舎のような、土気交じりの牧草の匂いは懐かしさすら感じた。
「あら、どうかいたしましてコーメントさん。そんな残念そうな顔をして」
コーメントは周りの友人に合わせながら、適当に馬に乗れないフリをしていた。そこでこの一言を耳元で浴びせられた。自分の表情は極力崩さないようにしていたのだが、自分の頬や顎の辺りに手を添えながら声をかけてきた彼女を見た。
「なるほど。そういうことでしたか」
「何を納得されたのですか?ミザリーさん」
声の主はミザリー=シャーハンシャーであった。どこか浮世離れした彼女なら、自分のわずかな機微もたちまち感じ取ってしまうだろう。あまり表情を崩さぬように気を使いながら、普段と変わりない口調で問うた。
「ふふ、ごまかさなくてもよろしいのに」
しかし視線が交わる暇もなく、その友人はコーメントの視線の先に誰がいたのか確認した。ミザリーは目を細めて、微笑を続けている。
「ごまかしてなんて…」
「これは風の噂で聞いたお話しなんですけどねコーメントさん。このどうでもいい授業に普段よりも何十人も人が集まっているのはクレイスさんが目当ての人が多いからと聞きましたわよ」
彼女がなぜたきつけるような発言をしたのか、いつものコーメントならすぐに判断がつくはずだろう。しかし、彼が関わると途端に思考がうまくまとまらないのであった。すくなくともこの性格が欠点の一種であると、コーメントは自覚している。
「協力する必要があればおっしゃってくださいね。私はあなたのお力になりたいの」
「…ありがとうございます」
精一杯、搾り出したコーメントの声は少し震えていた。




