前編
アッシュバッハ公爵が所有する領地には、荘厳な庭園がある。
よく手入れをされた庭木が回廊となり、ぎっしりと細分なく石畳が敷き詰められている。その中央には神話の神を模した彫刻がそびえる大きな噴水が特徴的だ。
アッシュバッハ家は名門で、特に芸術や審美眼に優れた貴族だった。庭園のほかにも館の中には多くのギャラリーを有している。
王や名門貴族達からも一目置かれ、特に王家が毎年庭園を手入れする際はアッシュバッハは相談役となり、職人たちとの橋渡しとなっていた。
ただ、一目おかれてはいるが、彼の評判はすこぶる悪い。芸術に関わる人間であるせいだろうか。アッシュバッハ公爵はやや性格に難があり、偏屈なのだ。普段ぶっきらぼうな彼の熱量は芸術についてのみ向けられ、王を相手にしても芸術における話し合いにはけして妥協をしない。
無論そういう点が買われたところも大いにあるだろう。だが世間での評価は、彼の堅実な領地経営とは裏腹に変人、偏屈者という評価を下されている。
打って変って、アッシュバッハ公爵の一人娘。
こと、コーメント=アッシュバッハは平凡な女性である。少なくとも周りの人間には平凡であると思われている。
平凡といってももちろん平民の女性と比べてというわけではない。
公爵という家柄もあり、淑女としてのマナーも、将来結婚する相手のために領地経営を支える知識も学ばされた。
しかしその性格は子どもの頃ならいざしらず、心優しくおだやかだ。誰しもがあの父親と比較しても、クセのある性格ではないと太鼓判を押している。
家庭教師の教育がよかったのかもしれない。
美貌も特段優れているわけではないが、愛嬌がある。彼女の通う貴族院でも付き合いやすい人間として好評であった。
貴族達のグループでも比較的穏やかな派閥に属しており、他人の恨みを買ったという事もこれまでなかったし、友人も人並みには多い。
そう、いたって普通なのだ。
しかしそんな普通ともくされる彼女にはちょっとした自慢がある。
それは先日婚約した幼馴染の従兄弟と、友人の一人だ。
幼馴染の従兄弟は王家の近衛騎士に選ばれた人間で、友人の方は王家の血を引く女性だ。
その友人の名前はミザリー=シャーハンシャー。アレクザイン=シャーハンシャーの義理の娘であり、コーメントの通う貴族学校で最も権力を有する女性でもある。
二人の馴れ初めははたから見ても「普通」のものであった。
学園に入校して、クラスも同じであったためお互い他愛無い話をしていたら次第に親しくなった。
その交友はミザリーが王族であることが露見する前からのものだ。彼女にとってミザリーは雲の上の存在にも関わらず、交友関係は今でも続いている。
しかしなぜ彼女が自分に親しくするのか。その理由はいまだに分からない。
一方は学園一の才女。もう片方はいたって普通。そもそも性格や考え方からしてお互い正反対だ。
彼女には自分と接しても何のメリットもないと思っていたし、父の仕事のツテで仲良くしておきたいわけでもないようなのである。
どうも彼女の方が自分を気に入っている節があるとコーメントには思い当たることがあった。
いつも人だかりができる彼女が一番に接するのが自分だったからだ。
自意識過剰だと感じたこともある。いつも目立つ彼女と距離を置こうと考えた日もあった。だが、コーメントは笑顔で接するミザリーを自分の保身のために避けるという非道ができる人間でもなかった。
なぜと訊ねたこともある。しかし返ってきた答えは、コーメントにもよく理解できないものだった。
曰く、「自分に似ている」と。
その言葉の意味も分からないまま、今もこうして友人関係を続けている。
実は今日。そのミザリーに相談ごとがあると聞かされ、この自慢の庭園でお茶会をする予定になっていた。
お茶会といえば聞こえはいいが、二人はこれまで政治の話も、今の貴族達の派閥についての情報交換もすることはない。
もっぱら最近見た舞台の話や好きな楽団や最近読んだ本の話ばかりで、ようはただの女子会であった。
相談事があるといわれたときも、コーメントはピンとこなかったくらいだ。
すぐにこの間の事件の話であろうとも予想はついたが、それだけで彼女が自分に相談するだろうか?
疑問を感じつつも今日この日を迎えた。
だから、この日のコーメントはひどく緊張していた。
例えるなら、初恋の相手と対面するときと同じくらいに緊張していたのだ。
◇
「御機嫌よう、コーメントさん。本日はご機嫌麗しゅうございますね」
レースの縁取りがされた白い日傘を差しながら、ミザリーは微笑んだ。
コーメントは緊張しながらも、「こちらこそ、オフシーズンの今日にあなたにお会いできて光栄でした」と無難な返事しかできなかった。
「しかしアッシュバッハ公爵が設計に携わった庭園といわれるのもうなずけます。とても優雅で計算されていますね」
自分に関わることを褒められた時のコーメントの反応は大体決まっていた。萎縮して、謙遜するのだ。
「外見は綺麗ですけど、うちのはせいぜいアトホームなものですよ…」と控えめに発言したコーメントに、ミザリーは目を細めながら辺りを見回した。
「謙遜も過ぎると、皮肉に聞こえてしまうものですよ。このような素敵な庭園におよび頂きとても嬉しく思います」
ミザリーは一度コーメントに微笑んで、目の前に並んだ果物のなかから、葡萄を一粒、一つまみして口にほおばった。桃色の唇がうねって、赤紫のぶどうの粒は彼女の喉元を鳴らして消えていく。
その姿があまりに蠱惑的なものだから、コーメントは少しだけ目をそらす。大人びた魅力を発揮する彼女を羨み、あるいは顔を赤くして話題をそらした。
「そういえば、お聞きしましたよ。この間の舞踏会は大変でしたね」
「大変ではなかったといえば、嘘になります」
彼女は肩をすくめ、盛大にため息をつく。
「あの二人については同情の余地はありませんでしたけどね」
参加していなかったとはいえ、コーメントはこの間あった舞踏会の事を、友人達のネットワークを介してすでに聞き及んでいた。
コーメントばかりではない、夏季休暇中とはいえ、ほとんどの学生は事の顛末を知っているのだ。
顛末とはその名の通り、問題児である「ペリエ」と「ローズ」の顛末である。
あの舞踏会の出来事の後、噂ではペリエは夏休み明けに学園を去ることになっていた。
学園にはすでに退行届けを提出していると、女学生からは聞いていた。
そしてペリエに恋していたローズは今では塞ぎこんで、自分の屋敷から一歩も外に出れない状態であるらしい。あるいは、世間体を気にして彼女の家族がローズを家から出さないのか。
学園はコミュニティの狭い世界である。この手の噂はいくらでも入ってくる。
聞いてもいないのに、嬉々として話す生徒までいる始末だ。
まぁ、それも無理はないとコーメントは顧みた。
学園でもペリエとローズの二人に対して、印象が良い生徒は多くはない。
もちろん最初は彼らと交友する学生もいた。それも次第には減っていったのだが。
色男のペリエに一部ののぼせ上がった女性からは人気であるが、その分敵も多い。
彼らがうとまれることに拍車をかけたのはローズの存在だ。
ローズはペリエにまとわりつき、接する女性に対して色々と嫌がらせをして、涙をのむ者もいた。
そんなものだから、ペリエも彼女を煙たがっていたのはとんだ皮肉だろう。
だからこの二人はいつも問題を抱え、当人達は知らないだろうが学園でも敬遠されていた。
今回の顛末について、身から出た錆と見なす者もいたし、やはりこうなったかと彼らをせせら笑う人間もいる。
そして皆同情したのは、ミザリーに対してだ。
ローズはペリエと親しかった女性に嫌がらせをしていたが、なかでも顕著だったのはミザリーにだ。
ミザリーにはいつも当たりが強かったし、小言も言われていたと聞く。
ミザリー自身はあまり気にする様子ではなかったが、それを気に病む友人もおり、コーメントもその一人だった。
そこに今回の舞踏会でのミザリーの大立ち回りである。
よくやったと歓声を上げるものもいたが、一歩引いてこの事態を観察する者たちからすれば、彼女の良縁が遠のいてしまったと結論付ける者もいた。結局のところ、そういう噂に敏感であるコーメントはやはり、友人としてミザリーのことを心配していた。
「全く苦労ばかり続きますね」
「そうですね。この間はほら」
「シュアタイン君のこと?」
「はい。学友のシュアタインさんが侍女と、その…」
コーメントはそこまでいって言いよどんだ。シュアタイン家の話を多くの学友達が共有する話ではあったが、この2人が花を咲かせて話すような話題ではなかった。
あの舞踏会の事件以前にひっきりなしに噂されたシュアタイン家の話である。
学友であるシュアタイン家の一人息子が侍女と夜逃げをしたのだ。
一部ではロマンチックな話だという令嬢もいるが、残された家族はたまったものではないだろう。
これからも家名に悪評がついて回る。
一応、彼は家出して、そのまま消息不明というだけで話は収まっているが…学園では緘口令がしかれている状況だった。
コーメントは彼とは一度しか会話をしたことがないが間柄であった。その時は人懐こい、さわやかな青年で、不思議な魅力のある印象だった。彼のその後を聞いた時ミザリーの苦々しい表情を今でも覚えている。確かあの時は「上手くやったわね」とよくわからない言葉を発していたとをコーメントは記憶している。
ミザリーがなぜあのような発言したかは全く心当たりはなかった。
「あぁ、彼の話ね。でも今日は世間話をしにきたのではないの…その、とても大事な相談事がありまして」
てっきり、もう少し色々と話をしてから本題にいくものだとコーメントは思っていたし、この性急な提案を意外に感じた。ミザリーから焦りのような雰囲気を感じとったからだ。彼女は無駄を嫌う性格とはいえ、会話を遮ってまで相談するのか。疑問に思いながらも聞き返した。
「えぇ、とても大切な、それこそ命の次くらいに大切なことです」
「私、ミザリーさんを、及ばずながら親友だと思っています。だからなんでも言ってください。私に協力できることならいたしますわ」
コーメントはただミザリーの話に相槌を打ちながら、力強く同意した。
さしものミザリーも彼女の言葉に少し押され気味で、少しだけ困惑するような困った表情をしながら前髪をいじっている。
「なんでもなんて言わないでください。もし私が大変なお願い事をしたらどうするのですか」
「いえ、そこはミザリーさんはそんな事をしないと信頼していますから」
「あなたが友人で本当によかった」
「はい。大船に乗ったつもりで、なんでも相談してください」
「実は私の家族のことなんですが…」
そこでミザリーは言葉を詰まらせた。
「家族と言うとアレクザイン公爵の事ですよね?彼がどうされたのですか?」
アレクザイン公爵の噂は聞いているが、あまり良い噂は聞かない。
といっても人物像としてはとても尊敬できる人だとは認識している。彼が軍人として国の為に戦っていること、家族がいないながらも、ミザリーを迎え入れ、暖かく見守っていることも。
しかし、結婚相手としてみるとなると話は別だ。年齢も10は確実に離れており、彼の戦場での戦鬼としての苛烈な評判。
煌びやかなものを好む令嬢にとって彼は畏敬を抱く相手ではあるものの、恋愛対象にはなりえない。あのいかつい顔でまじまじと凝視されたらきっと自分なら縮こまって会話もできないだろう。
もしかしてアレクザインとの接し方で悩んでいるのだろうか。ミザリーも思春期の年齢だ。ならば彼女の気持ちも大いに分かるというものだろう。
そんな事を思いながら、コーメントはウーロンティーを啜った。
「彼の心を射止めるにはどうすればいいのか、ご助力いただきたいのです」
カ ノ ジョ ハ ナ ニ ヲ イッ タ ノ ダ ロ ウ。
コーメントはいきおいよく目の前の紅茶を噴出してしまった。




