第81話 ミストリアは信じない
View point──ミストリア=ハイドウルフ
「えっと、私が好きなのは緋色の──」
「私はね、人の死なない話が好きだな」
「ミステリなのに? 意外~」
「じゃああの話は? 確かあれも──」
何度目かのお茶会。同好の士、というものと語らう時間はとても幸せで、永遠に続けばいいのになんて願ってしまう。
「ミストリアさんは、どの話が一番好きですか?」
相槌に終始していた私を気遣ってか、ルールという名前の青年が尋ねて来る。私としては人の話を聞きそれを深堀りするのが好きなだけで、自分の中身をさらけ出すのはあまり得意ではなかった。好きで聞き役に徹しているのだから、余計なお世話ではある。しかしまさか、私を気遣っての言葉を無碍にしたりはしない。
「私はオレンジの──」
ルールは私の話を優しい笑顔で、時折頷きながら聞いてくれた。周りも同じだ。……まあ、悪い気はしない。
同じ探偵小説を愛するものとして、互いに敬意を払っているのだ。
「ああ、そうだ。ミストリアさん、この前話していた──」
ルールが再び私に話を振った時、それは現れた。
「…………え?」
黒い穴が、私の足元をすっぽりと覆っている。
どうしてこうなったのだろう。私はただの女の子なのに。好きな探偵小説の新刊について語り合いたい、普通の──
気付けばそこは草原だった。
どうもここに来る前の記憶が曖昧で、頭が痛い。
──グオオオオオ
と、何かの咆哮が聞こえる。視線を上に向けると、とんでもない大きさの鳥? が翼をはためかせていた。
「はい?」
何? 今の。恐竜……? 私、ドイルの小説の世界にでも来ちゃったの?
最初はワクワクした。だってこんなの、ファンタジー小説の世界そのものだ。魔法があって、不思議な生物がいて、どこを見渡しても新鮮だ。
しかしやはり、これは現実だった。小説のように何もかもトントン拍子で進まない。具体的に言えば、食料がない、服がない、住処がない、そしてともかく金がない。
この異世界としか言いようのない場所にやって来てから一日も経たず、私は路頭に迷っていた。
「お、お腹減った……」
何でも良いからとにかくこの空腹を満たしたい。野草とかでも、良いから……あ。
「き、きのこだ!」
這うようにして木の根元に近づいていく。普通に考えれば、そこら辺に生えているきのこを食べようとは思わない。しかし私は極度の空腹でまともな思考をするには至らなかった。
「お、美味しそう」
そう言いながらきのこに手を伸ばした、その時。
グモオオオオ、とたいそう大きな鼻息を吐き出しながら猪のような生物が木々の間から現れた。その生物はまっすぐに私の方へ突進してきている。
──あ、死んだ。
お父様お母様、先立つ不孝をお許しください。ああ、新刊もっともっと読み込みたかった。あわよくば次の新刊も読みたか──
「よっと」
キャン、と情けない鳴き声が聞こえる。目を開けると猪は仰向けで転がっており、私のそばには一人の男が立っていた。
「大丈夫か? ……ん、妙な格好だな。旅の人?」
「え、えっと、旅とかじゃなくて……迷子?」
「だっははは! そうか! 迷子か! なら俺たちの家を貸してやる。今日はもう遅い。明日お前の家を一緒に探そう」
なんて親切な人……!
見知らぬ世界でピンチから助けてくれる頼れる男の人、なんてそれこそ小説のお話だ。本当に幸運だ。……なんて、その時は思っていた。この世界はあくまで現実に過ぎないのに。
愚かな私はノコノコとこの男に付いて行き──裏切られた。高揚していたのだ。右も左も分からない世界で、やっと頼れる人が出来たことに。ただ何も考えないでいることは楽だった。早く楽になりたかった。だから私は、思考を放棄していた。
「い、いやあ!」
夜。私の服が剥かれる。肌が顕わになる。三人の男が鼻の下を伸ばして私を見下ろしている。
「な、なんで」
その意味のない呟きを、男たちは嬉しそうに拾い上げる。
「なんでって、そりゃあタダで家を貸したりしないでしょ。昼は助けてあげたんだし、見返りってやつがなきゃ……ねえ?」
じりじりと男が近づいてきた。恐怖で身体は震え、それを見て男たちは更に嬉しそうな顔を見せる。男の腕が私の肩を押さえつけ、身動きが取れない。……ああ、そうか。
──誰も信じてはいけなかったんだ。
足を思い切り男の股間めがけて振り上げる。
瞬間、男の悶絶がギルドハウスに木霊し、残り二人の男も何が起こったのかわからずに唖然とした顔を晒す。その一瞬の隙を突き、私は窓から外へ脱出する。
逃げられたことを理解した男たちはすぐに追いかけてきたが、幸い街灯もないここでは姿をくらませるのもそう難しくはなかった。
逃げこんだ茂みの中で胸に手を当てる。心臓の音がうるさい。深呼吸してなんとか息を整える。……スッと、頭がクリアになった気がした。
私はこの世界に来てからずっと思考を放棄していた。ここには私の友達はいない。家族もいない。仲間もいない。知り合いすらいない。信用できる人間はただの一人も存在しない。その事実から目を背けていた。
「あーあ。本当に、バカみたい」
私の敬愛するあの探偵なら、こんな無様を晒したりはしないだろう。
私は誰も信じてはいけなかった。私だけの力でこの世界を生き抜かねばならなかった。そのことにようやく気付いた。
「誰も信じちゃダメだ。誰も信じちゃダメだ。誰も信じちゃダメだ」
まるで呪いのようなその言葉を、夜の静けさの中で繰り返す。
勇者──ベイズレッドと出会ったのは、それから三年後のことだ。




