第78話 カジノオーナーは操れない
会場のざわめきは異常だった。観客たちは思い思いの言葉を並び立てるが、何を言っているのかは聞き取れない。
ざわめきの理由はひとえにオーナーがギャンブルで負けたから。たった一度だけ二分の一の確率を外したから。
「まさかこれ程とはね」
ミストリアが呟く。彼女の調査によれば、このような大舞台でのギャンブルはオーナー姉妹の完封勝利が常だったらしい。一回の敗北もなく、対戦相手には微塵も勝利の兆しを感じさせない。
それが当たり前だった。しかし、今この瞬間にそれが崩れた。
なぜ?
その答えは単純だ。精神の魔石というタネが割れている相手に、俺が策もなしに挑むわけがないからだ。
「黙りなさい!」
シャロは動揺を隠しもしない。
その必死さのにじみ出た声に、カジノ内は静寂を取り戻す。
「ゲームを続けます」
シャロはキッと妹──シャルの方を睨むが、シャルはただ首を横に振るばかりである。
シャロが生唾を飲み込んだのが見て取れた。
「く、黒です。黒! ミストリアさん、今度はあなたの番です」
「……全額ベットする」
再びルーレットが回る。ミストリアがボールを投げ入れ──それは黒の11に収まる。
「ど、ど、どうして!? どうしてなの!?」
種明かしをしよう。
精神の魔石を所持するカジノオーナーが俺たちを操るのは容易に想像できた。だから、それを逆手にとることにした。
色彩の欠いた傭兵団とのクエスト勝負。その時に森の遭難者を救助したことがあったが、その際に見つけた木の実。それが使える、と思ったのだ。
あれを食すと思考に反する行動を取ってしまう。歩く向きは反対になり、座ろうとすれば立ち続け、立とうとすれば座り続ける。その木の実をミストリアの伝手で魔薬剤師(響きがとても危ない)に薬として調合してもらった。
「操れ……ないの!?」
その結果がこれだ。俺を操るシャルは、当然シャロが宣言した赤に絶対入らないように投げさせる。しかし行動が反転していた俺は、赤に入るように投げたのだ。
だから操れなかったわけではない。しかし、彼女たちは必ずそう錯覚する。
「も、もう一度……」
シャロの力ない言葉が木霊する。
「く、黒。黒です」
「今回も全額ベットする」
俺にはわかる。例え操れないと思いこんでも、こいつらは精神の魔石で俺を操ろうとする。それを証明するように俺の意識は途切れ、気付けばボールは黒の22に入っている。
「シャルウウウウウ!!!」
「ち、違いますお姉さま! 私はいつも通りに!」
「じゃあこの結果はいったい何なの!?」
「わ、わかりません……」
こいつは縋っているのだ。必勝法に縋っている。本来存在しないはずのイカサマに囚われている。俺がギャンブルでイカサマをするように。
だから、こいつは何度も同じことを繰り返す。
「赤! 赤だ!」
ミストリアが投げたボールは赤に吸い込まれる。
何度も、何度も。狂ったように繰り返す。ダメだとわかっているのに繰り返す。気づけば俺たちの所持チップはシャロが手元に用意していたチップ量を上回っていた。
「は、は、はあ、はあ」
シャロの額から汗が噴き出す。顔を青くし、虚ろな瞳で俺たちを睨みつける。光に群れる蛾のようにカジノを覆っていたざわめきは、いつの間にか残響すら鳴りを潜めていた。
「は、はは」
ぽつり、と最初は絞り出すように。
「ははは、ははは、ハハハハハハハハハハ!!!!!」
そして、堰を切ったように、シャロは笑い出した。
「ダメ、ダメよ! 私は負けられない。負けたら終わり! そうよ、負けは許されない! だって、だって負けたら、このカジノは。譲られたこのカジノは──!」
「お、お姉さま……」
「黙れ! 黙れ! 黙りなさいよシャル! ずっとそうやって後ろで縮こまっているだけのあんたに、私がどれだけ──」
ついに仲間割れを始めた。精神の魔石、なんて名前のものを操るにしては精神的に未熟だったらしい。
まあこれで、俺たちの勝利は揺るがない。こいつらにはもう、まともな判断を下せる思考力は残っていないのだから。
「──あ、そっか」
シャロは瞳を暗くしながらゆらり、と俺たちを振り返る。
「なーんだ。かんたんな話だったじゃない。そうよ、そうよ。カジノのりゅうぎ、なんてくだらないものに縛られていたなんて、ほんとうにバカバカしいわ」
……ん? おい、ちょっと待て。まさかこれは。
「ギャンブルでかてないなら、ころしてしまえばいいんだわ」
パチン、とシャロが指を鳴らす。瞬間カジノの空気がガラリと変わった。生気がないのだ。このカジノから一瞬であらゆる生気が消え失せている。
「……ミストリア。これは、ちょっとマズいかもな」
「マズいなんてものじゃないよ、絶望的だ。まさか精神の魔石をこれほどまでに駆使できるとは」
ただの観客だった者たちは、明確な「敵」へと変貌していた。意志を持たず、ただ俺たちを殲滅するための兵隊。精神の魔石により操られた、心ない傀儡。
「じゃ、俺は逃げるから、頑張れよミストリア!」
さーて潜伏せんぷ──いたたたた。
「そう言うなよ。私達はもう立派な仲間じゃないかあ。なあ、サヌマ君? 一人だけ逃げるなんてするはずないよなあ?」
「ははは、冗談冗談。手をつなげばお前も潜伏状態さ。だから腕をひねり上げるのはやめような? さあ逃げよう、よし逃げよう」
そう言う俺に、ミストリアはクイクイと親指で出入り口付近を示す。
「あー、ね」
当然のように肉の壁が扉を塞いでいる。
あれ? これマジでヤバい?
「逃げれなくない?」
「だからそう言ってるだろう」
「言ってはないだろ、言っては」
「この期に及んで揚げ足を取らないでくれたまえよ」
そんな軽口を遮るように、風のように早い一撃が俺の頬を掠めた。
「な!?」
「……ああ、そうか。そりゃあ、そうなるはずだとも」
ミストリアが自嘲するように引きつった笑みを見せる。
今しがた俺たちを攻撃した人間の正体を確認し、俺も同じ反応をした。
「あー、確かに。これを考えてなかったのは、マジでバカだったな」
目の前にいたのは、頼れる色彩の欠いた傭兵団のリーダー。ランブルー=リーディスだった。




