第52話 クリスタ=ハマックは何のために
View point――クリスタ=ハマック
金が必要だった。意識が霞んでいく中、そんな言葉が私の胸中を占めていた。
父親から受け継いだこのクレストブルク美術館。そこまで多くの来客があるわけではないが、経営が苦しくなるわけでもない。そんな普通の、都会にはよくあるタイプの美術館。裕福な生活とは言えなかったが、妻もナーシャも、当然私も、それに不満を抱いてはいなかった。
状況が変わったのは、数年ほど前のことだ。
「助けてくれ! クリスタ!」
半ば悲鳴に近い声。それと共に家の扉を叩いていたのは、高校時代の友人だった。名をリングという。彼は美術部の同期で、部内では天才と称えられるほど画家としての才能を有した男だった。「リングは画家になるのだろう」と、そんな確信を抱かせるほどリングの描く世界は鮮やかで、当時の私はえらく感心したものだった。
しかし高校を卒業してからは交流もなく、その顔も頭の片隅にすら残ってはいなかった。だから扉を開けてリングの顔を見た時にやっと「この業界でまだ彼の名前を聞いたことすらなかった」という単純な事実に思い当った。
「ど、どうしたんだリング。随分と久しぶりじゃないか」
「すまない、話している余裕がないんだ。一度家に入れてくれないか?」
一瞬、私の頭には躊躇いが浮かんだ。リングは確かに私の友人だが、妻や子供からしてみれば知らない人だ。急に家に入れることに抵抗があるのはもっともではないだろうか。
しかし私は胸中で首を横に振る。
リングは切羽詰まった表情をしていた。こんな顔をするかつての友人を、放っておくことなど出来るわけがない。私は躊躇いを胸に押しとどめ、彼の願いを聞くことにした。
「実は、追われているんだ」
家へ招き、手近な椅子に腰を落ち着かせた後、私はリングに事情を尋ねた。
「いったい、誰に?」
「……借金取り」
その言葉をうまく飲み込むことができなかった。リングは天才肌であると同時に、堅実で誠実な人間だったからだ。あのリングが……? そんな困惑を抱いた私は気づくと「なぜ?」と口走っていた。
「騙されたんだ。俺の絵を評価してくれた男がいて、そいつが個展を開いてくれるって。それで俺も準備とかいろいろ手伝ってて、その中で結構な金も使った。……結局、個展が開かれることはなかったよ」
「そんな……!」
「なあ、クリスタ。お願いがあるんだ。お前、美術館を経営してるんだよな? 頼むよ、俺の絵を買ってくれ。今すぐに金が必要なんだ」
薄々、そのような話になるのではないかと思っていた。リングは、不遇だ。才能のある人間が適正な評価を得られないのは悲劇だ。しかし。
「残念だが、クレストブルク美術館として君の絵を買い取ることはできない」
そう言う他なかった。私が経営しているのはあくまで美術館だ。名の知れていない画家の絵を飾ることはできない。
「そう、だよな」
リングは静かにうなだれていた。
「ただ――私個人として、君の絵を買うことはできる」
「え?」
顔をあげたリングの手を握る。
「私は君の才能を誰よりも知っている。これを元手にやり直してくれ」
「……! ああ、もちろんだ!」
そうして、私はリングの絵をそれなりの金額で買い取った。しかし、それからしばらくして――
「おい、警察だ。クリスタ=ハマックだな? お前の家に先日盗まれた絵画があるとの情報を得た。中を調べさせてもらえるかね?」
「……は?」
「だから、お前に窃盗の容疑がかけられているのだ」
警察官の話には、まるで身に覚えがなかった。窃盗? 意味が分からない。
「……わかりました。好きなだけ調べてください」
だからこそ、私はそう言うことにした。身の潔白を証明するには、すべて調べてもらい納得してもらう他ない。けれどその考えは一瞬で砕かれた。
「ありました!」
警察官の一人が指さしていたのは、私がリングから買い取った絵画だった。
「何を言っている? それは知人の画家から買い取ったものだ」
「お前こそ何を言っている? これはジグダット氏の所有する絵画だ。被害届も出ている。もう言い逃れは出来んぞ」
ようやっと、私は騙されたことに気付いた。
リングは泥棒に身を堕としていた。この絵画を盗んだ後を追われ、苦肉の策としてそれを私に売却。金に換えたというわけだ。
私は裁判にかけられたが、ずっと無罪を主張していた。優秀な弁護士を雇い、何度も法廷で争った。そして無事に、私の無実は証明された。
しかし、私は多くを失った。裁判の過程で愛想をつかした妻は家を去り、ナーシャだけが残った。金も裁判を続ける中でなくなった。リングは捕まったが、独房の中で息絶えた。故に、誰かに賠償を求めることもできなかった。
――金が必要だった。
美術館の信用も底をつき、私は生活もままならなくなった。もうこの際、死んでしまおうか。鑑定の魔石を見つけたのは、そう思ってある洞窟で首を吊ろうとしていたときだ。
「これは?」
賢者の石は洞窟の中で、石ころみたいに転がっていた。すべてをありのまま映す鏡のような石。賢者の石はそれぞれ、見た目がその性質に反映される。それが鑑定の魔石だということは、美術の勉強をしていた私にはすぐにわかった。
僥倖。そう言う他ない。この賢者の石だけでも価値がある。しかもこれを利用すれば、さらに金を稼ぐことだって難しくない。
まずは賢者の石があることを多方に宣伝した。客足は増えたが、まだ足りない。私は鑑定の魔石を実際に使うことにした。
「ぐ……あ、いっ……て、ああああああああ!」
はじめは頭の中に入り込む情報の波に気が狂いそうだった。しかし何度も使用するにつれて、情報を取捨選択することが可能になった。その頃には鑑定の魔石の影響か、随分とやつれてしまった。
しかし、そんなことはどうだって良い。私はついに、鑑定の魔石をコントロール出来るようになったのだ。あとは簡単だ。かつて失われたと言われる美術品の情報。それを高値で売買する裏商人の情報。必要な情報は何だって手に入る。
そうして私は多額の金を手に入れた。もう昔の生活なんて目じゃないくらいの金だ。だが、まだ足りない。足りない、足りない、足りない! 私には金が必要なんだ! なのに――
「どうしてまた、コソ泥風情に……」
私の生活が壊されるんだ。業腹だ。本当に、業腹だよ。
「金が必要なのに」
うなされるように、口からその言葉がついて出た。
足音が近づく。私の眼は閉ざされていて、その姿は見えない。けれどあのサヌマとかいうコソ泥なのは間違いなかった。
「なんで、そんなに金が必要なんだ?」
……あれ? なぜだ? なぜ、理由が出てこないんだ? 私には金が必要だったはずだ。死んででも必要だったんだ。だから最初は自殺しようとしたのに。なぜ私は金が必要だった? ……ああ、そうか。
「ナーシャのためだった」
独り言のように言うと、私の身体は持ち上げられる。コソ泥に胸ぐらをつかまれているらしかった。
「じゃあ何で! 何でナーシャを俺のもとへ遣ったんだ!」
なぜだ。わからない。私には私のことがわからない。本当に最初はナーシャのために金を集めていたのに。
唐突にコソ泥が手を離した。私の身体は地面に落下する。
「ナーシャに、あんたを元に戻してくれと頼まれたよ。あんたは変わってしまったからってな」
……。
「この後どうするかは、あんた次第だ」
……この後?
「私を殺さないのか?」
しかしその質問の答えを聞く前に、私の意識は消えてしまった。
View point――佐沼真
「ナーシャちゃん!? 大丈夫!?」
館長室から出て二階へ戻る途中、聞き覚えのある声が耳に届いた。
「ジン! 無事だったか」
「あ、サヌマさん! ええ、まあ。ちょっと気を失ってましたけど。それよりナーシャちゃんが!」
「大丈夫だ。元素の魔石で魔力中毒になって気を失ってるんだろ。死にはしないはずだ」
するとジンがホッと胸をなでおろす。
「良かった。それで、メアリーさんは?」
「ああ、どうやら地下室に閉じ込められてるらしい。急いで向か――」
ん? おかしい。言葉が出ない。
気付けば風景が白黒になっている。これは潜伏を使った時と――
身体が沈んでいくような、奇妙な感覚があった。どんどん、どんどん沈んでいき、やがて俺は自分の身体を意識できなくなる。
「あー、一日三十分以上使うと自分で自分を認識できなくなります。ありていに言えば死にます」
女神の言葉を思い出す。だが、まだ三十分も使っていないはずだ。どうして――まさか、虚数潜伏の負荷が大きいからか?
その考えに至ったところで、俺は自……の意……さえ諢剰ュ倥〒縺阪↑縺上↑縺」縺。




