第50話 ジン=ノーディンの運は尽きない
View point ――ジン=ノーディン
「おいおいおいおい! 逃げるだけかよぉ、勇者様ぁ!」
男は刀を振り回していた。武術の鍛錬など積んでいない僕でもわかるほどに、それは型もなく、気品もなく、そして信念もない。内包するのは暴力性だけだ。しかし僕には、それが一番恐ろしい。
「だから、戦う必要はないと……!」
意識して言葉遣いを固くする。そうしないと自分が勇者でも何でもないとバレてしまうから。
「うるせぇ! 俺は殺す! お前を、殺すぅ!」
粗野な斬撃が鼻をかすめる。黒い液体が散る。
少しだけわかってきた。男が「呪いの刀」と称したそれは、何かと接触したときに謎の液体を放出する。その液体が何かはわからないが、それに侵されたものは力を失うらしい。
現に僕の左手は全く言うことを聞いてくれないのだ。おかげで利き手ではない左手で、ミストリアさんから受け取った短剣を振るう羽目になっている。
「どうして、そこまでして戦うんだ!」
「あ?」
正面から対峙する彼は、そこで動きを止めた。心底不思議そうに僕を見て、首をかしげる。
「どうして、だぁ? お前は闘うのに理由を求めるタイプかぁ?」
「理由がなければ戦わないだろう?」
「理由。理由ねぇ……強いて言えば、俺は一刻も早くこの刀の切れ味を試したいんだよぉ」
ああ、そういうタイプの戦闘狂か。
監獄の中でも、様々な戦闘狂がいた。例えば己の強さを誇示したい者。例えば暴力に快感を覚える者。例えば、そうしなければ生きられない者。
この男は、そのどれとも違う。刀への執着が、おそらく彼を戦闘狂たらしめている。
それならば、あの刀さえ彼から奪えば、あるいは。
「問答は終わりかぁ? 勇者様よぉ!」
男が刀を振るう。それを僕は紙一重で避ける。その繰り返しだった。これでも監獄で多くの暴力を目にしてきた。呪いの刀は強力だが、当たらなければどうということはない。
しかし、ただ暴力を振るうよりも避け続ける方が精神を摩耗する、というのもまた事実だ。
「クソ……!」
「おらああ!」
男の剣戟を短剣で防ぐ。そうすると、すぐに黒い液体が流れ出る。それをまた、僕は払わなければならない。……ジリ貧だ。今ので左手の人差し指がやられた。
こちらから仕掛けるしかない……!
僕は男の懐に潜り込む。
「あぁ?」
普通なら愚策だ。呪いの刀の性質上、できるだけ近づかないのが正しいだろう。しかし――
「足元がお留守だ」
瞬時に男の重心を見極め、足を払う。
男はその刀への執着からか、その視線は常に刀へ注がれていた。だからこそ可能だった戦法である。
刀の男はバランスを崩し、背中から転倒する。
今だ。刀を――
しかし僕の目論見は外れてしまう。男は転倒したままに、刀を横に一薙ぎ。ダメだ、倒し方を間違えた……!
作戦変更だ。僕は男が倒れている隙に一度距離を取り、近くにある石像の裏に隠れた。
「いてててて」
わざとらしい声をあげながら、刀の男は立ち上がる。さすがに僕が隠れた位置は把握しているだろう。しかし僕は隠れるためにここにいるわけじゃない。
――僕が持っている武器は大きく二つだ。
一つは、監獄で体得した護身術。
そしてもう一つは、あの探偵――ミストリアさんにもらった短剣。しかしこの短剣はただの短剣ではない。ミストリアさんの魔法が付与されている。
「付与したのは光の魔法。強度と形を自在に操る魔法だ」
短剣をもらい受けた時、彼女はそう説明してくれた。例えば、刀身を細く、長くすることができるらしい。また光の魔法の名の通り、光り輝くことも。……何の役に立つかは知らないけれど。
サヌマさんも同じものを持つよう勧められていたが、結局ただ何の変哲もない短剣を持って行くことになっていた。曰く「俺の戦い方には合わない」だそうだ。
――とにかく、この短剣で奇襲を仕掛けるしかない。
石像の後ろから、刀の男を確認する。ゆっくりと、にやけた顔を晒しながらこちらへ近づいてきていた。
大丈夫。できる。僕ならできる。
想像する。手元にあるこの短剣が伸びる様子を。それがあの男の掌を貫く光景を。
……伸びろ!
胸の中でそう唱えた瞬間、刀身が輝きだす。ああ、光るってこういう……
「いっ……!」
細く、鋭く、しなやかに伸びた刀身は男の右手を貫いた。
良し、元に戻れ!
……ん?
先程と同様に胸の内で言葉を繰る。しかし短剣は戻らない。伸びた刀身は微塵も動かない。ああ、と嫌な予感が駆け巡った。ちらと男の方へ視線を送る。男は不気味な笑顔を湛えながら、刀身を握っていた。
「逃がさねぇ!」
その叫びと同時に、呪いの刀が僕の短剣に押し当てられる。瞬間、刀身は黒に覆われ、液体が柄まで届く。状況を理解する間もなく、痛みにあえぐ。
「あ、ああああああ」
事切れた様に、左手は機能をなくす。動かない。握力さえなくなり、僕は短剣を地に落とした。
すでに刀身が元に戻ったそれは、カランと空虚な音をたてる。
「あはははは! 今度はこの刀で直々に切ってやんよぉ! この水が血液に入り込んだら、どうなるだろうなぁ?」
嬌声にも似た笑い声。半面、僕の顔は引きつっている。
「これは……いよいよ終わりかな」
つい、そんなことを独り言ちる。思えば僕はよくよくツイていた。監獄では大した力もないのに偶然ボスのような扱いを受け、サヌマさんと協力することになって、脱獄までできた。それに……あの時だって。
カスカナの虐殺でも僕は運よく生き残った。
運の尽き。言い得て妙だ。不思議と納得できる。僕は今まで運が良すぎた。
上を仰ぎ見る。見えるのは無機質な美術館の天井。最後は青空を見たかった。せめて、美術館なのだし豪華な装飾があっても良いだろうに。
「……ん?」
違和感が身体を這いまわる。何だ? 天井から、何か軋む音が聞こえる。
それを悟った時には、すでに天井の一部が落ちていた。轟音が響き、フロアには土煙が舞う。
「な、何だぁ?」
刀の男も驚いている。さすがに不測の事態なのだろう。……前言撤回だ。僕の運も、まだ捨てたものではないらしい。さすがに天井が男に命中したわけではないらしいけど。
石像のそばに転がる短剣に目を落とす。こいつ、触ってなくても伸びるかな?
「チッ。何も見えねぇ。おら! 出てこいよぉ! 勇者様ぁ!」
……伸びろ!
念じる。すると短剣は僕の考えた通りに、ぐにゃりと上に曲がり、その刀身を輝かせる。土煙の舞う中に、その光が男の目に届く。
「そこかぁ!」
地面を蹴る音が聞こえた。男が刀を振るう。ガッ、と鈍い音が聞こえる。それは刀が欠けた音だった。……呪いの刀の、である。
「あ、ああ、あぁ! 俺の刀がぁ! ……あれ?」
男が切ったのは、石像だった。刀身が光るのを目にした男は、当然そばに僕がいると思っていたはずだ。しかしその姿は見えていない。そもそも、僕は短剣を手にすることすらできないのだ。そして、それに気付いたとしても――
「ブラフか!?」
「もう遅い!」
背後からドロップキック! 足は背中の真ん中を捉え、刀の男は勢いよく石像に衝突する。そのままズルりと地面に伏した。見よう見まねでやってみたけど、案外上手くいくものだ。
背中から地面に落下した僕は、すぐさま男の右手に蹴りを入れる。
「痛ぇ!」
硬く握られていた呪いの刀はカラカラ音を鳴らして地面を滑った。僕はその刀を追い、刀身を全力で踏みつける。
「ああ! ちょ、やめ!」
刀の男はまだ動けない。しかし、すぐにその状態も終わるだろう。僕は急いで、何度も、何度も踏みつけた。
「ああ、ほんと、お願いだからぁ」
刀身を右足で踏んだまま、左足を地面と柄の隙間に入れる。そして、勢いよく左足をあげ……
「ああ、あぁ、ひ、ひどいじゃないかぁ」
刀は折れ、男は泣いていた。鼻水を地面にこすりつけ、子どものように駄々をこねている。
「え、えぇ……」
そんなに?
まあ、とにかくこれで命は助かったかな。刀への執着だけで戦っている彼には、もう戦う理由がないはずだ。ああいや、この様子だと刀を折られた復讐とかもあり得るか?
その時だ。コツ、コツ、と下の階から足音が聞こえた。階段を上がってくる音だ。
ランブルーさんとミストリアさんだろうか? そう思って階段へ目をやる。すでに土煙は引いていて、顔はハッキリとわかった。……ランブルーさん達ではない。
そこにいたのは、細身の男だった。大男を軽々と背負っている。細身なのに、どこか凄みを感じる。すぐに常人ではないと悟った。彼は違う。関わってはいけない。僕の直感が告げている。――逃げろ!
しかし脳の警告とは裏腹に、身体は上手く動かない。金縛りにあったように言うことを聞かない。
「……おい、新入り。何してんだ?」
「う……うぅ、インギさん。ひどい。ひどいんですぅ。刀を折られてしまってぇ」
「チッ。情けない声を出すなよ」
インギと呼ばれたその男の視線が僕を捉える。
「……ん? なんでお前が……いや、別人か」
何だ? ああ、勇者と勘違いしてるのか。でも、今の反応……まさか見破った?
「新入り、帰るぞ。もう俺の仕事は終わった。この町にいる意味はない」
「うぐ、はい」
「チッ。泣きやめ。殺すぞ」
「……はい。わかりましたぁ」
インギが面倒そうに頭を掻く。
「はあ。うちの新入りをこんなにしてくれたのは、お前だな? 勇者もどき」
「え、いや――」
言い終わる前に、僕の身体は後ろへ吹っ飛んでいた。
「まあ、お仕置きってことで。これで勘弁してやるよ」
何が起こった? こいつら、誰だ? その疑問が解決されぬまま、僕は静かに眼を閉じた。




