第39話 ×××は見ている
空だ。見えたのは、青い空。それは徐々に近づいていき、そして次第に離れていく。
潜伏を利用した奇襲に失敗した俺は、ランブルーの打撃によって高く打ち上げられていた。滞空時間はずいぶんと長く感じたけれど、それはきっとアドレナリンとか何とかのせいだろう。
間もなくして、俺は地面に叩きつけられた。
「ガッ」
何とか受け身を取ったものの、やはり衝撃は強い。しばらく動けないままでいる。その間に、ランブルーは近づいてくる。俺を追い詰めるように、ゆっくりと。
「降参するか?」
します! と、声を大にして言いたかったが、いかんせん声が出ない。とっとと降参するのもたいがい情けないが、今の状況はさらに情けないような気がする。
俺の心情を知ってか知らずか、ランブルーは「そうか」と勝手に納得したような声を上げた。何が「そうか」なんだよ。たぶんちげえよ。何もそうじゃねえよ。
「なら、仕方ない」
ランブルーが構える。足元に風が発生する。
まずい、と思った時にはもう遅かった。ランブルーは鋭利な刃と化した風をまとったその脚を、俺に迷いなく向けていた。
とっさにさっきまで動かなかったはずの両腕が顔を遮るように前に突き出された。やはり人間は危機に直面すると脳みそがある顔を守るようにできているのかもしれない。覚悟して、ぎゅっと目をつむる。
……。
……ん?
何も感じない。ああ、死んだのか。死んだから痛みとかも感じないのか。しかし目を開けようとした瞬間、歓声が湧いた。
「うおおおおおおおお!」
その大声によって、俺は現実を直視する。俺は、別に死んでない。そしてランブルーの蹴りも、食らっていない。
ゆっくりと立ち上がり、周囲の状況を確認する。ランブルーはどこだ? どこに行った? 俺はなぜ蹴られていない?
探すとすぐにランブルーは見つかった。しかしそれは、彼が定めた範囲、つまり四人の観客によって作られた正方形の外だった。……つまり? 勝負は、俺の勝ち?
「一体何が起こったんだ!?」
「サヌマが手を構えた瞬間、ランブルーが枠の外に瞬間移動したぞ!?」
「じゃあなんだ、あれはサヌマがやったってことか!?」
「す、すげえええ!」
サ・ヌ・マ! サ・ヌ・マ!
そんな謎の歓声が辺りに木霊していた。しかし俺は、全く状況を飲み込めていない。なぜなら他人を瞬間移動させるなんて芸当なんぞ、俺にはとてもではないができないからだ。当然だろう。俺ができるのはせいぜい人に見つけられなくなることと、上手く盗みができることくらいだ。
「参った。まさかお前にここまでの力があるとは」
立ち尽くしていたランブルーが近づいてくる。
「すげえぞサヌマ!」
「さすが勇者パーティーだ!」
なんかここまで言われていると本当に俺が何かしたのではないかと思えてくる。まさか俺の隠れていた力が覚醒したのか……! いやいや、まさかな。心の中で首を振る。
何が起こったのかはさっぱりわからないが、とにかく俺は勝ったことになるらしい。ここで困惑を見せては、何か怪しまれた末に勝利が撤回されるかもしれない。どうにか強気な態度を作り、ランブルーに返答する。
「ああ、こちらこそあんたの力にはビックリだった」
「だが負けたのは事実。約束通り、何でも言うことを聞いてやる」
ランブルーは覚悟を決めたような面持ちだ。まあ、とは言っても俺が要求することはたかが知れている。最初から要求内容は決めていた。
「じゃあ俺と少し話をしてほしい」
ランブルーがキョトンとした顔で俺を見つめる。
ああそう言えば、と俺は背後にいるジンを親指で指しながら、もう一つ付け加えた。
「あいつも一緒に頼むわ」
「いやあ、悪かった!」
近くの物陰で話し合いを終えると、ランブルーは観衆に向けて開口一番そう言い放った。
なんだなんだと、周囲にどよめきが生まれる。
「俺の勘違いだった! すまん!」
ランブルーが手を合わせて顔を下げる。すると何人かは動揺して「や、やめてください!」と彼の顔を上げさせた。
俺はその間にメアリーとナーシャのもとへ戻る。
「いったい何をしたの?」
メアリーの怪訝そうな顔を見て、少し笑う。
「何って、ただ事情を話したんだ。騙すつもりはなかったし、不幸な事故だったんだってな」
「それで、あの男は納得したわけ?」
「したんですよね、不思議なことに」
ジンが観衆を説得するランブルーに視線を飛ばす。
「ありゃあバカのつく正直者だぞ。簡単に俺たちの話を信じたんだ。それに見ろよ、めちゃくちゃペコペコしてやがる」
「……なんであの男は、協力してくれてるわけ?」
「ん? ああ、頼んだんだよ。平和的にこの場を納められるのはあんたしかいない、ってな。俺らがあくまで被害者なんだとわかったら、実に協力的になってくれたよ」
「ふーん」
「そんなことより! アレ、いったい何だったんだ? メアリーがやってくれたのか?」
「アレ?」
「決闘の勝負を決めた瞬間移動だよ。言っとくが俺はあんな芸当できんぞ。可能性があるとしたら、お前くらいだろ」
するとメアリーはあからさまに嫌そうな顔をする。
「別に、違うわ」
「だったら一体誰が……」
「知らない。私、何も知らないから」
……知ってるな、こいつ。
相変わらず嘘が下手だ。しかしメアリーの機嫌の悪さは相当なようで、ここで問い詰めても話してくれるとは思えない。まあ、そもそもそこまで真相を究明したいという欲求があるわけではないのだが。
そんなひと悶着を起こしていると、観衆の説得に成功したランブルーがこちらに駆け寄ってくる。
「改めて、悪かった! あいつの名前を騙っている奴がいると思ったら、ついカッとなっちまった。本当にすまん!」
ランブルーが頭を下げる。まあ一番ひどい目にあったのは俺だが、特別怒りを感じているわけではない。と言うのも、こいつは負傷が残らないように手加減をしていたようで、軽い外傷はあるものの深刻な傷はないのだ。
「だからもう良いって言ったろ? それより、今後のことだ」
俺はジンを指さす。
「こいつ、勇者ベイズレッドとやらに本当にそっくりなのか?」
「ああ、ちょっと失礼」
ランブルーはジンに近づいて、前髪を上げる。ナーシャと出会ってから下ろし始めた前髪である。それを上げると、監獄では見慣れた傷跡がはっきりと現れた。
「こんな傷はあいつにはないし、前髪を上げると別人なんだが、下げるとそっくりだな」
前髪を下ろしてみろなんて言わなければこんな事態にはならなかったわけだ。肩を落としたくなる。
「だが、もう俺たちは顔が割れちまってる」
「そうだな」
ランブルーが神妙な面持ちで頷いた。
髪を上げれば勇者と間違えられることはないのだから、上げてしまえばいいという話ではない。すでに俺は勇者パーティーのサヌマとしてこのランブルーと戦った。それを多くの人間に見られた以上、実は違いましたと言うことはできない。ならレトネーゼに滞在している間、俺たちは勇者パーティーとして振るまわなければならないというわけだ。
「だから……」
俺がそのことを言おうとすると、ランブルーが片手をあげてそれを遮った。
「良い。わかってる。仲間にも伝えておくさ」
この男は馬鹿正直ではあるようだが、馬鹿ではないらしい。
一つ、予感が浮かぶ。
この馬鹿正直な男は、なぜベイズレッドがいるという話を聞いて、それを偽物だと断定したのか。この男ならば言葉通りにそれを受け取る方が自然に見える。だが、そうはしなかった。
「なあ、ランブルー」
「ん?」
俺はその予感を、口にする。
「勇者ってのは、もう死んでるんじゃないか?」




