第33話 メアリー=バーンは打ち倒す
獣の身体は引き締まり、鋭く変形した銀色の体毛が夜に映える。赤い眼は妖しく光り、眉間からスッと伸びた一本角は水晶のようだ。四本の足で力強くこちらへと真っ直ぐかけて来るこの獣には、「魔物」という言葉で形容するのが正しい。そう思えるほど、獣は禍々《まがまが》しさをその身に宿していた。
「おい、ありゃあ……狼、か?」
パッと見は大型の犬、程度の見た目だったものの近づくと認識を改めざるを得ない。犬、なんてかわいらしい言葉は適切ではない。
「ええ、もともとは狼だったんでしょうね」
元狼は一気に加速してこちらへ向かってくる。
「うお、や、やばくないか」
「落ち着いて」
慌てて立ち上がった俺をいさめるように、メアリーは右手を俺の前にかざす。
「落ち着けって言ったって……」
「問題ないわ。たった一匹なら、対処にはそう困らない」
するとメアリーは人差し指を宙に掲げ、円を描いた。その瞬間、炎が大きく円状に現れて魔物を囲う。
それを見てある景色を思い出した。目の前に高くそびえる炎の壁。じりじりと少しずつ、けれど確実に近づいてくる炎の壁。メアリーが発動させた魔法は、監獄長が俺たちに使った魔法の縮小版と言って良いだろう。高さはさほどないが、あの魔物の体躯を閉じ込めるには十分だ。
「あの魔物は氷狼といって、水の魔力を過剰摂取した狼よ。水と言っても温度がかなり低くてね。あの角は氷になってるんだ。角は魔物にとって命に等しい。だから氷狼は本能として、炎に対して異常な恐れを抱くのさ」
「へえ」
素直に感心する。メアリーは魔法関連の知識に秀でていると思っていたが、魔物の生体にも詳しかったのか。
「ちなみに……」
得意げに説明を続けようとするメアリーだったが、しかしその表情は一瞬で様相
を変えた。氷狼が高く飛びあがり、炎を越えたのだ。
「おいおいおい。越えちゃったぞ」
「あ、あれ? おかしいな。普通の氷狼なら……あ」
メアリーが青い顔で俺に視線を飛ばす。
「どうした?」
「魔物と言っても、もとは狼。動物よ。その基本性質は受け継いでいる。つまり……」
バウッ、グルル! と、メアリーの声をかき消すように氷狼がうなる。次の瞬間、獣はメアリーに飛び掛かっていた。魔法を使うメアリーを厄介な敵と認定したのだろうか。
メアリーは氷狼の目の前を爆発させて土埃を立てる。すぐに小さな炎を噴射して、その勢いで後方に退避した。
「大丈夫か? メアリー」
「気にしないで。ねえサヌマ。君、囮になれるかい?」
囮、か。あまり良い気はしないが、四の五の言ってる場合ではない。
「わかった。あとで説明しろよ」
「ええ、もちろんよ」
そうこうしてる間に、土煙の中から氷狼が飛び出した。それを見たメアリーは早口で、簡潔に指示を飛ばす。
「良い? とにかく、走って! しばらくしたら潜伏よ!」
「おう!」
二つ返事で走り出した。後ろから魔物が追いかけてきているのを感じる。……まずいな、追いつかれる。
割とすぐに、その結論に至った。なぜなら俺は体力がないからだ。そろそろ鍛えとくか?
しばらくしたら、と言われたがもうそんな余裕はない。俺は早々に潜伏を使う。魔物にも潜伏は有効なようで、標的を見失った氷狼は一瞬駆けるのをやめた。そしてすぐに、魔物の身体を炎が覆う。
ガル! ガル! グルロオオオ!
氷狼は悲鳴を上げ、地面をのたうち回る。メアリーの魔法がヒットしたらしい。こっちまで火傷しそうな温度の炎が青く燃え盛っている。獣の悲鳴は夜を引き裂き、そして次第に力を失っていく。やがて声はかすれ、のたうち回るのもやめた魔物は静かに呼吸をやめた。
……。
潜伏を解除して魔物の死骸に近づく。死骸を見て、あることに気付いた。
「なあ、メアリー。これ、普通の狼に戻ってないか?」
氷狼の死骸からは体毛の鋭さも、禍々しい角も消え失せていた。怪しくも美し
かった銀色の体毛は黒く変色、いや、普通の狼の色になっている。
「氷の角が消えたからね。あれは魔力の結晶みたいなもので、魔物を魔物たらしめる器官と言って良いわ。それが消えたら、普通の獣に戻るわよ」
「ほーん」
狼の体毛をなでる。炎に焼かれたせいでチリチリになった体毛は、それでも生前の美しさを想起させる。
「どうかした?」
不思議そうにメアリーが俺の顔を覗き込む。思ったよりも顔が近くて、急いで顔をそむけた。
「別に。ところで、こいつは俺たちを襲ってきたんだ?」
「お腹がすいてたんでしょうね」
「そりゃお前のことか?」
若干の間が開く。頭が回っていなかったんだろう。少し置いてから俺の言葉の意味に気付いたようだ。
「し、失礼ね! 私はそんな腹ペコキャラじゃないわ!」
「じゃあお腹減ってないのか?」
「減ってるわよ!」
「えー……」
晩飯食ったじゃん。
「と、とにかく! 魔物は生きるために魔力を吸収しないといけないの。たぶんこの狼は群れからはぐれた個体なんでしょうね。一匹でここらへんをうろうろしてたら、私たちという魔力供給源を見つけたってことでしょ」
メアリーは早口で語る。照れてるんだろうか。
「なるほどな。じゃあ、炎の壁を飛び越えたのはなんでだ?」
「あー、それね。まあ、一匹狼として性質が強かったってことじゃないかしら。ほら、一匹で生き抜くためにはなりふり構ってられないでしょ?」
「オーケー。だいたいわかった」
フッと息を吐く。魔物か……。改めて、この世界は俺の知る世界ではないんだと理解した。まあそもそも魔法なんてものが出てきた時点でおかしいのだが。俺もだいぶこの世界に毒されてると見える。
「あ、起きちゃったみたいね」
メアリーにつられて場所の方へ視線を向ける。ジンとナーシャがこちらに走ってきていた。先程の戦闘で目を覚ましたらしい。鳴き声とかうるさかったからな。
「さ、サヌマさん。魔物ですか?」
「もう倒した」
「いやいや師匠、自分が倒したみたいに言ってますけど、メアリーさんがやったんじゃないッスか?」
ナーシャはニヤニヤ、と馬鹿にしたような笑みを浮かべている。この弟子、鋭い!
「サヌマもちゃんと活躍したのよ?」
おっと。メアリーからフォローされるとは意外だ。まあ囮としての活躍ですけどね?
「へー、意外ですね」
「ジン君? 君最近俺に対して当たりきつくね?」
「そんなことないですよ。とにかく、二人ともお疲れ様です。見張り、交代しますよ」
それはありがたい申し出だ。正直また魔物が来たらしんどい。なにより少し眠い。ありがたく甘えさせてもらうとしよう。
メアリーと二人で馬車へと向かう。すでにジンとナーシャは焚き火の前で談笑していた。
「ねえ、サヌマ」
「ん?」
「ごめんね、囮なんかさせて」
なんだ急にしおらしくなって。気持ち悪いな。
「そー言えば、なんで囮なんかしないといけなかったんだ?」
「ほら、あの氷狼ちょろちょろ動いてたから的が絞れなかったのよ。潜伏でサヌマの姿が目の前から消えたら、驚いて硬直すると思ったの。ほら、魔物って言ったってもとは知能の低い動物なわけだから」
「人間でも驚くと思うけどな」
「はいはい。……あ、見て。空」
メアリーが立ち止まり、俺の肩を叩く。上空に向かっている指につられて、その方向へ視線を向けた。
「……綺麗だな」
それは満点の星空だった。闇夜の黒に、大小さまざまな光が点在している。ある星は大きく自己の存在を主張し、ある星は控えめに、しかし確かに輝いている。
この世界に来てからまともに空なんて見上げていなかった。いや、死ぬ前だって、空を意識して見たことなんてなかったな。
「私、星が好きなの。自分っていう存在も大したことないんだって、私もこの宇宙に無数にあるありきたりな星の中の一人でしかないんだって、そう思えるから。
それに、こんなにある星がそれぞれ違う輝き方をしてるのって、とても尊いことだと思うのよ」
そうか、と俺は思い直す。この異世界も、俺のいた地球と同じく宇宙の中の一つ
の星なのか。この世界は俺の知る世界とは全く違うけれど、その点に関しては同じなのか。そんな当たり前のことに気付いて、それが少し恥ずかしくて、俺は足早に馬車へ戻った。
その後魔物が出没することも、盗賊に襲われることもなかった。実に平穏な旅。
しかし後日。俺たちはある集団に囲まれていた。明らかに殺意と悪意をもって、包囲されていた。俺はその集団を指揮する首謀者に語り掛ける。
「これは何の真似だ? カスパーダさん」




