第30話 レトネーゼまではまだ遠い
「それじゃあ出発しますぜ、旦那」
男は振り向きざまにそう言うと、馬の手綱を操る。すぐに馬車は動き出した。はじめはゆっくりだったスピードも、次第に速まっていく。
「いやはや、まさか君が本当に依頼を受けてくれるとはね」
「あはは」
俺は苦い笑いを浮かべ、雇い主であるカスパーダ氏を見る。タキシードのような服をまとい、指輪だの時計だの、いちいち豪華そうな装飾品を身に付けている。
俺たちは無事に、商人カスパーダの依頼を受けることができた。依頼書には審査がどうのこうのと書かれてはいたが、俺の顔を覚えていたカスパーダはすぐに認めてくれた。そもそも人手がないというのも幸いしたのだろう。
そして今日、ついに出発したのである。
「いやーほんと、君たちが依頼を受けてくれて助かったよ。あのままだったら、護衛もなしにレトネーゼまで行かなくてはならなかったからね」
「こちらこそ。雇っていただいてありがたいです」
「はっはっは。サヌマ君は礼儀正しくて好感が持てるよ」
「いえ、そのようなことは」
……視線を感じる。メアリーも、ジンも、ナーシャも、俺を奇異の眼で見ている。「気持ち悪っ!」と今にも言いそうな表情である。
依頼主に礼儀正しくするのは当然だろうが! という怒りを抑え、彼らに笑いかけた。余計なこと言うなよ?
「そう言えば」
と、適当な話題を振ることにする。
「レトネーゼには、何をしに?」
「ああ、美術品を売りに行くのさ」
そう言ってカスパーダは俺たちのすぐ横に積まれている二つの箱に目をやった。
「あの中のものを?」
「ああ、そうさ。おっと、サヌマ君、買い手についてはあまり詮索しないでくれたまえ? 私の口からは多くのことは語れないからね」
商人はニヤリ、と下品な笑いを浮かべて見せる。ああ、この表情は見覚えがある。自分は優れている、空いてよりも格上だと信じてやまない人間の表情だ。
こういった人間は自己顕示欲、承認欲求が肥大化してることが多い。ここはひとつ、依頼主に気持ちよくなってもらおう。
「ええ、わきまえておりますよ。ただ……」
そう言いながら箱の方へ視線を飛ばし、少しもったいつける。
「どのような品をお持ちなのか、と」
その言葉で、カスパーダの顔色が変わった。
「ほお? 気になるかね?」
「それはもちろん」
「なら仕方ないなぁ。本当はダメなんだが、特別に見せてやろう」
「よ、よろしいんですか!?」
なんて、驚いてみる。
「ああ、良いとも。少し待っていたまえ」
カスパーダは白い手袋をつけ、箱の扉を持ち上げた。中には何枚かの絵画がある。そのうちの一枚を商人は取り出した。
「これが、今回の目玉だ。どうだね?」
絵画の中央に一人の人間がいて、そこから七つの光が放射状に描かれている、といった構図だった。全体的に黒と白を基調にしているようで、どこか宇宙を連想させる。
「へえ」
メアリーが呟いた。
「知ってるのか?」
「え? いや、別に。立派な絵だと思っただけよ」
「おお、わかるかね!」
メアリーが商人に詰め寄られる。「え、ええ」と苦笑いする彼女を見て口角が上がった。それに気づかれたのか、キッとにらみつけられる。
「これはね、創世神話最初の一ページを描いたものなんだよ」
「創世神話ですか」
「ああ、そうだよサヌマ君。当然ベジルスの創世神話は知っているだろう?」
「えっと……」
まさか、俺がこの世界の神話なんて知るはずもない。そもそも俺は日本の神話だって、イザナミとかイザナギとか、あとスサノオやアマテラスの名前くらいしか知らないのだ。
しかしこの商人、カスパーダの言い方から察するに、この世界では神話の内容は知ってしかるべきもののようだ。
とは言っても、ここで知ったかぶりをすることもできない。嘘を吐いて信用を落としても仕方ないからな。
だから俺は、静かに首を横に振った。
「ほ、本当かね!」
メアリーとジンは俺の事情を知っているため驚いた様子は見せないが、ナーシャは目をひんむく勢いで俺を見ていた。やはり神話は一般常識としてあるようだ。
カスパーダは俺の肩をつかみ、必死に言う。
「それはいかん。それはいかんよサヌマ君。よし、私がレクチャーしてあげよう」
どうやらこの商人、人にものを教えるのも好みらしい。まあこれも一興だ。レトネーゼまでの暇つぶしにはなるだろう。
カスパーダは先程の絵画の中央、そこに描かれた一人の人間を指さした。
「これが、我らの神ベジルスだ。神話はベジルス神の失敗から始まる」
「失敗から、ですか?」
「ああ、そうさ。神だって失敗する。ベジルス神はね、人間を作ることに失敗したんだ」
「はあ」
人間を作ることに失敗? 頭の中に人間ではない奇妙な生物を思い描く。いや、こういうことではないか。
「しかし失敗は成功の母。ベジルス神は失敗を生かすことにした。前回の失敗は、自分一人が行ったことによるものだ、と考えてね。
だからベジルス神は、自分自身を異なる七人に分けることにした」
「……へ?」
カスパーダが笑う。
「はっはっは、私もはじめて聞かされた時はそんな反応だったかな。まあ、神様だからね。何でもありさ。
そしてベジルス神から分離した七人――これを賢者と呼ぶのだが、彼らはそれぞれの得意な魔法を生かして世界を一から形作った。そして、我々も創造されたのだよ。
役目を終えた七人は、それぞれの力のすべてを結晶に注ぎ込み、賢者の石として残したと言われている。これが、ベジルスの創世神話のあらましだ」
「け、賢者の石!」
思わず立ち上がる。
「立たないでくださいねー」
と、馬車の運転手からおしかりを受けてしまった。素直に座る。
「どうしたのだね、サヌマ君?」
「い、いえ。何でもないです」
まさかこう繋がってくるとは。しかし先程から話を聞いているに、どうも気になることが出てきた。
「カスパーダさんは、その神話を信じておられるのですか?」
我々は創造された、だとか、あまりに断定的に話すものだからついそう考えてしまう。しかし、それは間違いだった。
「信じている、とはまた奇妙なことを聞くね? それは宗教家に言う言葉だろう?」
カスパーダは当然、メアリーも、ジンも、ナーシャも、みんな俺をおかしな目で見ていた。ああ、と俺は納得する。
きっとこの世界では、この物語は当たり前のものとして受け入れられているんだ。進化論や地動説みたいなものだろう。人間は猿から進化した。地球は太陽の周りをまわっている。そのことを疑う人間はほとんどいない。それこそ疑うならば宗教家扱いされるというものだ。
カスパーダは、いやこの世界の住人は、信じているという意識すらないのだろう。
「いや、失礼。常識知らずが露呈してしまいお恥ずかしい」
「はっは。構わないよ。君もいろいろあったのだろう。個人的には君の経歴に興味が……」
ドシン! と馬車が揺れた。カスパーダは血相を変えて怒鳴り散らす。
「ちょっと君! 大切な品を運んでいるんだ。丁寧に運転してもらわなければ困るよ!」
すると、運転手が顔をこちらにのぞかせた。青い顔をしている。
「それが、その、賊が」
外を見る。盗賊と思しき男たちが、サーベルを片手に笑っていた。
……さっそく、お仕事のようだ。




