第19話 佐沼真はまだ知らない
「風呂、ですか?」
ジンが渋い顔をして言った。
俺は大いに頷く。
この監獄には大浴場があり、囚人たちはグループごとに入浴時間が異なっている。あるグループは午後の作業が終わってすぐ、またあるグループは寝る少し前と様々だ。しかし、監獄長は違う。
「監獄長は特別に用意された風呂に入ってる。そして風呂に入る時は、さすがに装飾品は持ち込まないだろ?」
「なるほど。その間に鍵を見つけて、元素の魔石を盗もうって話なわけね?」
「そういうことだ、バーン」
「と言うか」
ジンが口を開いた。
「監獄長が入浴してる間、盗めなかったんですか?」
うぐ……。痛いところを突かれた。
「そ、それはだな」
見るとメアリーがにやにやしている。
「当ててあげようか?」
「いやいや、これには相当深い理由があるからバーンには当てられないと思うけど」
「全部終わった後に思い出したんでしょ」
ぐぬぬ……。変な所で鋭い奴め。
ここは素直に認めざるを得ない。
「そうです。いつ盗めばいいか考えてるときに思い出しました」
「あはは、正直でよろしい」
メアリーは笑いながら俺の肩をバシバシと叩く。
「悪かったよ」
「ま、まあ、大丈夫ですよ」
ジンにまで同情の苦笑いを向けられてしまった。
「じゃあ責任を取って、サヌマには一人で元素の魔石の奪取をしてもらいましょうかね。風呂に入ってる間なら、鍵を探すにも十分な時間があるでしょ」
「あ、いや、それなんだが」
さすがに申し訳なくなってくる。実は、そういうわけにはいかないのだ。
「何? サヌマ。どうしたのよ?」
「監獄長の風呂な、滅茶苦茶短いんだよ」
……。
「つまり?」
とメアリー。
「みんなで協力して探さないと、時間が足りない可能性がある」
俺だって最初は自分だけで盗むべきだと考えた。潜伏を持つ俺が適任だし、何より安全だ。しかし約十分という短い時間では鍵を見つけられない可能性がある。もしかしたら俺の推測は間違っていて、鍵が棚の中にないということも考えられるのだ。
「……ま、仕方ないわね。私たちも同じリスクを背負うことにしましょ」
え? あのメアリーが納得してくれた? 一番責めてくると思っていたのに。それにジンもメアリーの言葉に頷いている。
「良いのか?」
俺は目を点にして尋ねる。
「良いのかって、そりゃ仕方ないじゃない。全部が全部君に頼りっぱなしってわけにもいかないでしょ?」
「そうですよ、サヌマさん」
「あ、……ありがとう」
自然と、その言葉が口から出ていた。
「なんか、君から礼とか初めて聞いた気がするわ」
「なっ」
抗議を試みた俺を、メアリーはすぐに遮る。
「さっさと段取りの確認をするわよ~。まずは」
「あ、ちょっと待ってください。ずっと気になってたんですけど、仮に元素の魔石を盗めたとして、その後の脱獄はどうするんですか?」
ジンの言葉を聞き、俺とメアリーは互いに目を合わせる。
「あー、そりゃあ」
正直勝手にどうにかなるものだと考えていた。だって……
「元素の魔石があれば、どうにかなる……よな?」
メアリーにお伺いを立てる。
「ま、なるでしょうね。相当派手な脱獄になるけど、まずどんな屈強な警備があったとしても燃やせば解決よ」
「へ、へー」
ジンが引きつった笑みを返した。どうやらやっとメアリーの暴力性に気付いたようだ。
「あはは、冗談よ冗談。もっと穏便に気絶してもらうから」
穏便な気絶……?
「と、とにかく心配はいらんだろう。ジンがもしも協力してくれるなら、万全を期すこともできるけどな」
「僕がですか?」
ジンは自身のことを過小評価しているきらいがある。確かにジンは囚人のボス、なんて器ではないのだろう。しかし現に囚人たちがボスとして扱っているという事実がある。それ自体が武器なのだ。
「ああ、そうだ。まあ気になるなら後で話してやるよ。別にそんな難しい話じゃない」
「そろそろ段取りの確認とかしたいんだけど?」
メアリーが咳をしている。どうやらこの埃臭い倉庫に長居したくないらしい。
「へいへい。
まず場所についてだが、監獄長の風呂は獄長室からちょっと歩いたところにある。昨日はだいたい夕食後の七時に行ってたから、その時間に獄長室に侵入。鍵はかけてなかったから侵入は簡単なはずだ」
「え、本当に?」
メアリーが疑いの眼差しを向けてきた。
「考えてもみろ。十分だけ近くの部屋に行くときに、わざわざ鍵なんてかけるか?」
「……まあ、確かに」
「で、だ。侵入したら鍵を探す。できるだけ急いでな。見つけたら元素の魔石を盗んでトンズラだ。一応ルートも考えてあるから、後で下見に行こう。
……実行は今日で良いか?」
「きょ、今日?」
ジンが驚きの声をだす。
「実行を引き延ばす理由もないだろ。と言うか俺は早く脱獄したい」
「うーん、まあ、それもそうですけど」
ジンは微妙に納得のいかない顔をしていた。俺はメアリーに視線を向ける。
「ま、別に良いんじゃない? ジン君は何か心残りでもある?」
「え、まあ、別にないですけど。でもちょっと急すぎると言うか」
「まあまあ、良いじゃない。決まりね。それまであまり体力を消耗しないように頑張りましょ」
そう言ってメアリーが倉庫から立ち去ろうとするのを、俺は彼女の肩をつかんで引き留めた。
「すまん、もう一つ良いか?」
前回、もしも監獄長と出くわしたら、という想定のもと元素の魔石についてメアリーがレクチャーをした。その時に、もうひと段階進んだ話をしないといけなかったのだと思う。
「最後に一つ、話し合いたいことがある」
そしてついに、時刻は七時。俺、メアリー、ジンの三人は獄長室の近くにある物陰に身を潜めている。
「あ、あの、僕ちょっと怖くなってきたんですけど」
「しっ。静かに」
ジンの弱音をメアリーが遮る。
獄長室の扉に視線を向けた。扉はその重みを見せつけるようにゆっくりと開く。監獄長が部屋から出てきた。
三人とも息をのむ。監獄長は俺たちの存在に気付いていないように、風呂場へ直進している。風呂場に入り、監獄長の姿が完全に見えなくなった。
「今よ」
メアリーが小声で合図する。機敏な動きで獄長室の前に向かう。重い扉を三人がかりで、大きな音が鳴らないよう慎重に開けた。扉は閉めずに中に侵入する。
「あそこの棚だ」
俺は美術品が多数並ぶ棚を指さした。棚には多数の引き出しがあり、あの中に鍵が入っていると考えられる。元素の魔石もその棚に飾られているから、最も可能性が……ん?
棚の一番目立つところに、その透明なケースはあった。賢者の石の一つ、元素の魔石が飾られているはずのケース。そう、飾られているはず、だ。
ケースの中身は、空っぽだった。
……これは、何を意味している?
しまい忘れた? まさか。世界にたった一つの貴重品をそんなぞんざいに扱うわけがない。
だとすれば、風呂に持って行った? いや、必要性がない。
嫌な考えが脳裏をかすめる。
もし。もしも、ここに元素の魔石がないことに、意味があるとしたら? 意図的にこれが持ち出されているとしたら?
「まずい!」
とっさに二人に声をかける。しかしもう遅い。開けっ放しの扉からは、すでに見覚えのある巨体が顔をのぞかせていた。
「やあやあ君たち、何の御用かね? ……なんてね」
監獄長はいやらしい笑いを浮かべ、俺たちに二つのものを見せつけていた。
一つは元素の魔石をあしらった指輪。そしてもう一つは血まみれで、両腕を力なくぶら下げる少女。
瞳孔が大きく広がるのを感じた。俺は、彼女の名前を知っている。
叶うならば俺の勘違いだと、妄想だと、幻覚だと誰かに言って欲しくて。彼女の名前が口を突いて出た。
「シル……ビア?」




