エピローグ〜魔王〜
焼けるような暑さと、埃のように砂塵が舞う殺風景な古代遺跡。
支柱の残骸などが目立つだけで、特に目ぼしいものが見当たらないこの場所が、レイが雷光を飛ばした場所だった。
「隠れるような場所は……」
「特にないな」
「会長、ナナリー様やシンはここに?」
「……ああ」
古代の遺跡群ではあるが、ただの瓦礫の残骸が残るだけ。
あたりを見回し、ナナリー達の姿を探した時だった。
ふと、地面に何かの影が差した。
「ん?」
ほんの一瞬、何気無しに上を見ようと顔を上げた時、それは降ってきた。
──ドサッ。
「なっ⁉︎」
落ちた物体に目をやれば、見慣れたメイド服と青い髪が見える。
不自然に曲がった首と口からこぼれる赤い液体は致命傷を示していた。
オレに雷光を送ったナナリーの側付きメイド、レイだ。
「レイ⁉︎」
「か、カルエル……様……」
不安や恐怖が入り混じった感情が一気に押し寄せる。
今にも命を失いそうな彼女の姿に、背筋が急速に冷えていくのを自覚した。
「まだ息が‼︎ 待ってろ、今回復を──」
幸い、彼女はまだ息をしているが一刻を争うだろう。
なりふり構わず回復魔法を発動したようとしたオレを、もう一度空から降ってきた何かが吹き飛ばした。
「きゃあ⁉︎」
「ぐっ、ロン‼︎」
数瞬遅れて、魔法が自分を襲ったのだと知る。
玄武が防御してくれたようだが、衝撃までは殺せなかったらしい。
物理も魔法も遮断する玄武に衝撃を通すとは、どうやら軍団魔法クラスの一撃だったようだ。
こんなもの、常人であれば消し飛んでしまうだろう。
そう、同行していたロンのような魔力に乏しい一般人であれば生き残ることは不可能だ。
──最後に聞こえた悲鳴はロンの声。
「っ! ロン、どこだ‼︎ 返事を──」
「うう……」
「ロン!」
あたりを見回すと、離れた場所で横たわる彼女が見えた。
「ああ、よかった」
万が一が一瞬頭をよぎりまたも肝を冷やしたが、彼女に渡していた玄武を封じた指輪が効果を発揮したようだ。
衝撃で怪我を負ったかもしれないが、呼吸はあるらしく弱々しい呻き声をあげている。
「エレノア! 無事か⁉︎」
魔法が直撃した場所に目を向けると、エレノアは血を流しながら立っていた。
傷ついた体を気にすることなく、空に浮かぶ何者かを見上げ、呆然としているではないか。
「そんな、まさか──」
彼女の視線の先にいたのは、見覚えのある女性が竜翼をはためかせて浮いていた。
「う、嘘だろ……」
その姿を最初に見たのは少し前、オレが初めて種族覚醒を果たしたあの時のこと。
エレノアの体を癒やし、ついでに復元した彼女の宝の一つである魔影写真に写っていた姿だ。
彼女の家族写真に写っていた、赤子の大王を抱いていたエレノアにそっくりな女性。
エレノアと同じ白銀の髪に褐色の肌。
長髪のエレノアと違い、肩あたりでバッサリと切り揃えられたショートヘアの美女。
「ふふふ、よくやりましたカサノア。しかし不意を突いたあなたの一撃でも生き残るとは、ゴキブリ並みの生命力ですね」
──大王を産み、産後の体力を消耗した状態で夫を助けるために命を散らしたエレノアの妹、カサノア・ドラキュリオスがシースと共に浮かんでいた。
◇
「さあ最終ラウンドを始めましょう。私は貴方をみくびっていました」
ふわり、と。二人が地面に舞い降りる。
呆然とするオレ達とは対照的に、シースは満面の笑みを浮かべていた。
念の為に持ってきた護身用の短杖を握る手に力が篭る。
「シース、お前……」
呆気にとられるオレの顔を見て、とても愉快そうに奴は微笑んだ。
「くくく、まさか瘴気に精通しているのは自分だけだとでも思っていましたか? 残念ながら、私の方が研究歴は長いのですよ──カサノア」
「ぐっ⁉︎」
赤い血飛沫が飛んだ。
奴の一言により、エレノアの体をカサノアの竜爪が切り裂いたのだ。
死んだはずの妹を目撃し、処理が未だ追いつかないエレノアは無防備のその一撃を受けてしまう。
ちょうど胸の下あたりにできた三つの傷跡から、大量の血を滴らさせていた。
それでも彼女は、負傷を意にも介さず目の前の妹へと歩み寄った。
「か、カサノア……お前なのか……」
エレノアの問いかけに、彼女は何の反応も示さない。
代わりに答えたのはシースだった、
「ええ、彼女はカサノアです。よかったですねえ、死に別れた妹と再び会えて。蘇らせた私に感謝してください」
「シース、貴様っ‼︎」
その言葉で火がついたエレノアが、怒りに任せて同じく竜爪を纏った片手で奴の胴体を薙ごうと迫真した。
しかし──
「おっと、貴方の相手はカサノアに任せましょう」
彼女の攻撃は、シースを守るカサノアによって防がれた。
カサノアの顔にはいかなる表情も浮かんでおらず、まるで人形のように忠実に奴に従っている。
「カサノア……何故……」
──違う。
彼女の体は確かにカサノアだ。
しかし彼女の体内を視れば、血液の代わりに巡っているのは魔王にも匹敵しうる濃度の瘴気。
魂亡き体を瘴気で満たし、シースは操っているのだ。
「エレノア、あなたがまだ生きていたとは……私も迂闊でした」
「シース、貴様ァ‼︎」
「くくく、無駄ですよ」
怒りに任せて猛攻を仕掛けるエレノアは、カサノアによって全てを防がれてしまう。
実力は拮抗しているようで、カサノアは一切の攻撃を後のシースに通さない。
いや、シースを狙うエレノアは直接対峙するカサノアからすれば隙だらけだろう。
ましてや同等の力を持つ者同士なら、意識を他に向けるなど油断大敵もいい所。
「がふっ……」
執拗にシースを狙うエレノアの腹を、カサノアの貫手が貫いた。
「エレノア!」
流石に一旦、大きく距離を取ったエレノア。
「ぐっ」
直ぐに攻勢に転じるかと思いきや、そのまま彼女は膝をついてしまう。
それはあり得ない事だった。
「な、どうなってる……」
おかしい、本来なら彼女の傷なんてすぐに回復するはずだ。
いかにエレノアの体を傷つける力を持っていようと、彼女の強さはその回復能力の高さも大きく関係している。
だが、彼女の体は一向に癒える気配を見せない。
「今すぐ回復を──」
「おっと、そうはいきません。あなたの相手は私です」
言うや否や、彼女に回復魔法をかけようとしたオレを妨害するため、シースが片手に持った剣でオレに斬りかかった。
咄嗟に短杖で受け止めるが、その斬撃はまるでナナリーの一太刀のように重い。
「っ⁉︎」
その強さに驚いた瞬間、何かを思考する前にゾッと本能が警告を発した。
かつての戦いの日々による経験がオレの命を救う。
反射で飛び退いたオレの首の位置を、シースのニノ太刀が薙いだのだ。
「シース、お前……」
大きく間合いを取ったオレを追撃せず立つシース。
こちらに向けるその表情からは、底なしの歓喜が溢れ出していた。
「ふふふ、近接戦では私が有利のようですね」
シースに対する認識を大きく改める。
種族覚醒を果たす前に幾度も経験した、強大な魔物との戦いを彷彿とさせるその重圧をシースから感じたのだ。
多少の魔力があるだけの強さだと思っていたが、とんでもない力を隠していたらしい。
嫌でも認めるしかないだろう。
この状況と、この力──光の渦を体に集めるその姿は、間違いなく星垓を扱っている。
「さあ、このまま──っ⁉︎」
「──起源魔法:ライトオブグルーデリィ‼︎」
こちらに歩みを進めようとした瞬間、ゼロカウントで起源魔法を発動。
防御不可の滅びの光がシースに迫る──が。
「このレベルの起源魔法を瞬時に発動とは、やはり魔法戦では不利になりますか」
「な……」
シースは剣で光を切り裂いてしまった。
起源魔法を切り裂くなんて、ナナリークラスの剣士でしか出来ない離れ技だ。
それをこいつは……。
「いやあ、聖剣とは良いものですねぇ。魔法を簡単に切り裂くことができる。素晴らしいとは思いませんか?」
「え」
これみよがしに自慢する奴の剣には見覚えがあった。
それは彼女の家に伝わり続けた家宝で、幼少の頃から幾度も目にしていたもの。
魔法すら切り裂くことのできるオリハルコンが、彼女の種族覚醒によって生じた星垓魔力を吸収し進化した、世界に二つとない彼女の分身とも言える至高の聖剣。
「流石は剣聖、手強かったですよ──少しだけね」
「シース……」
「まあ、私一人では手に余りましたが、カサノアと共闘すれば一瞬でしたよ」
彼女の聖剣を面白そうに眺めながらシースはそんなことを言った。
……ナナリーはどうなったのだろう。
未だ現実を認めようとしないオレにシースは決定的な物を見せてくる。
「ああ、そういえばこれは貴方のモノでしたね。お返しします」
空間魔法で何かを取り出したシースが、オレの目に前にそれを放り投げた。
──見覚えがあり、とても思い出深いものだった。
それはオレが作成した魔装技師の中でも渾身の一品で──リオン王国でオレが彼女に取り付け調整した、剣聖ナナリーの右腕だ。
「な、ナナリー……」
ありえない。真っ先に心に浮かんだのはその言葉だった。
使用者から外された魔装義肢は、マリオネットにも似た本来の姿に戻る。
彼女の腕だったそれには、夥しい血がべっとりとついていた。
シースの言葉と、目の前の魔装義肢。
誰の血かなんて、言わなくてもわかってしまう。
彼女がどうなったのかを、目の前の男が言葉にしなくても理解してしまう。
「さあ、始めましょうか」
表情の抜け落ちたオレに、シースが剣を構えた。
彼女の剣を、我が物のように、堂々と。
「私の悲願の成就──忌々しい竜種の排除と我がルーナ・ブレーナの復活を!」
「……ああ」
「おやおや、力の差に絶望してしまいましかたね? く、くく、フハハハハ‼︎」
奴が高笑いする声が、ひどく遠くの音のように聞こえた。
血まみれになったナナリーの片腕と、深手を負わされ劣勢を強いられるエレノア。
目まぐるしい状況の変化が突然訪れ、かつてないほど頭の中が混乱を極めている。
でも、オレが混乱している一番の原因は──
「ナナリー……」
初めて装着した魔装義肢で剣を握った時の……彼女の嬉しそうな顔が頭に浮かんだ時、心に亀裂の入る音がした。
「クハハハハ! 元恋人の死はそんなにショックでしたか⁉︎ でもあなた浮気されたんでしょ? 良いじゃないですか、淫売に裁きが下ったのですから!」
「……お前に何がわかる」
幸せになって欲しかった。例えオレが隣に居なくても、彼女には幸せに生きていて欲しかったんだ。
賢者という地位、種族覚醒者という驕り。
巨神をも打ち倒した今、自分達の知る人物──同じ種族覚醒者──以外に決して自分達は脅かされないというオレの驕りと慢心が、彼女の死を招いたのかもしれない。
あの時、彼女一人に任せっきりにさえしなければ──
「おや? まさか元恋人に未練でも? フハハハ、妻がいながら浮気性な人ですねぇ! ですがご安心を、すぐにまた一緒になれますよ」
ナナリーが死んだ……シースに負けて殺された。
彼女が大切にしていた──彼女を大切にしてくれたレイも、先の魔法の一撃で既に息を引き取っている。
起源魔法:女神の息吹ですら、もう意味がなくなった。
失われた命を復元する魔法は──なイ。
「さあ、愚かな賢者よ! 忌々しいエレノア共ども消滅するがいい! カサノアと我がルナダイトの前に貴様らは……ん?」
もうナナリーは────
「その力は一体──」
────
────────
────────────あア。
「──シース」
抑えきれぬ憤怒が目前の男への憎しみに変わり視界を暗転させる。
意識が闇に溶け込み、暴風のように渦巻く憤怒が熱となって全身を巡った。
「マスターっ⁉︎」
「馬鹿な……あ、あり得ん……これはまさか……魔王の力⁉︎」
「だ、ダメだマスター! 怒りに呑まれたらお前は──」
ひどく懐かしい、女性の声がする。
とても大切だったはずなのに思い出せナイ。
確か彼女はオレの──
『ねえ、繧ォ繝ォ。後の事は私に任せていいから繧ィ繝ャ繝と二人の時間を大切にして。繧ォ繝ォが幸せでいてくれると……私も嬉しいから』
──ナナリー。
彼女は少し寂しそうに微笑むと、最後にそう言って旅立った。
オレのことを自分よりも大切にしてくれたんだ。
あんなにも、彼女は想ってくれていたのに。
例えそれが贖罪の気持ちから出たものだったとしても……だからこそオレは、彼女にも幸せになって欲しかったんだ。
「賢者、貴様……こ、これではヨルムンガンド以上の──」
それを貴様が──
「ひっ⁉︎ こ、来いカサノア! 私を守──ガハァ⁉︎」
許せない。
許せない。
「待って、その感情にのまれたらお前はもう──ああ、そんな⁉︎」
──許さナイ。
『ぐう、ウオォオオオオ!!!!!!』
今ここカら全てノ崩壊が始まっタ。
最終章『浮気された賢者と最後の魔王』は近日中に投稿予定です。




